意外な真相

 週明け月曜日の夕方、私は処分保留で釈放された多田教授に会うために、東京駅近くのRホテルへ向かった。午前中に釈放された教授は、今日はRホテルに滞在して身づくろいをし、明日P大学に挨拶をしてから仙台に帰るとの情報を得たからだ。ホテルへ向かう途中、私は地下鉄の売店で各紙の夕刊の見出しを確かめてから、その中の一紙を買った。ホテルに着くと、私はフロントで、山田明日という女性に用事を頼まれてやってきたのだが、ここに泊まっているはずの多田正さんに取り次いでもらえませんか、と伝えた。若いフロント係は、特にいぶかる様子もなく、淡々と客室に連絡を入れ、二、三やり取りをした後、私に受話器をまわしてくれた。私は多田教授に手短に事情を説明し、タイムマシンについてお話ししたいことがあるので、これから会ってもらえないだろうか、と頼んだ。多田教授はすぐにオーケーしてくれて、10分後に最上階のバーラウンジで落ち合うことになった。私はフロント係に礼を言ってから、バーラウンジへ直行するエレベーターに乗った。

 バーラウンジは西向きで、総ガラス張りの窓から、丸ノ内のビル群の頭をかすめて皇居の暗がりがポッカリと穴を開けていた。その向こうに新宿の超高層ビル群が見えた。そしてその左側に、二月の太陽が空をオレンジ色に染めて沈んでいくのが見えていた。私は、入り口の見える窓際の席に案内してもらい、黒人のウェイターにビールを頼んだ。

 しばらくすると、入り口に多田教授が現れた。ウェブサイトから入手した顔写真しか知らなかったが、彼だと一目で分かった。美男子ではないが、整った顔立ちで長身、髪の毛は薄くも白くもなく、四十代で大学教授という身分を重ね合わせれば、世の中は平等でない、という現実に思い至らずにはいられない。ただし今回のような事件に関わっていなければの話だが。私は座ったまま彼の方に視線を送り、片手を頭のところまで挙げて合図をした。彼は私を見つけると、こちらに向かって軽く笑顔を作った。月曜日の夕方だというのにラウンジは外国人ビジネスマンで混雑していて、その多くは既にアルコールのグラスを傾けていた。多田教授はそうした席のあいだを臆することなく飄々と近づいてきた。私が少し前まで思い描いていた、場慣れしていない偏屈な大学教授、というイメージはどこにもなく、少なくても彼が場所の選択を間違えたのでないことだけは確実に理解できた。

 多田教授は私が手で指し示した椅子に腰を下ろし、やってきた同じ黒人のウェイターに私と同じものを、とオーダーした。軽くあいさつを交わした後、私達は黙ったまま教授の頼んだビールを待った。やがてウェイターがビールを運んできた。ウェイターが、ごゆっくりどうぞ、と流暢な日本語で言うと、多田教授は、どうもありがとう、と日本語で返し、おもむろにビールに口をつけた。再びの沈黙の後、私が先に口を開いた。


「火野先生は、自殺だったんですね」私は言った。「そして、あなたは、それを手伝った。あの日、あなたは午前10時少し前に研究センターに行き、実験棟で火野先生にあなたの指紋の付いたナイフを渡し、彼女に手の甲を引っ掻かせて、爪の間に皮膚片を残した。そしてすぐに引き返して東京駅11時15分発の新幹線で仙台へ向かい、午後1時半からの今年度最後の講義をした」

 多田教授は、手に持っていたビールのグラスを静かに置いてうなずいた。

「ああ、その通りだ。あの日、彼女は私の用意したナイフで、自らの命を絶った。もう、長くなかったんだ」そう言って彼は、ビルの谷間に消え入ろうとする夕日に目をやり、少しの間眺めていたが、やがて視線を戻し、話を続けた。

「火野君は素粒子物理学を専攻していたが、それは表向きで、彼女が本当に打ち込んでいたのは、タイムマシンの研究だった。タイムマシンなどと言えば、学部長の怒りをかって、研究室に予算が下りなくなるからだ。もちろん、素粒子物理学はタイムマシンの研究と切っても切れない関係にあるから、全くのデタラメというわけではない。彼女は、興味を持って研究室に入ってきた山田君に基礎的な実験実務を指導する傍ら、精力的にタイムマシンの基礎研究についての論文を学会に発表していった。ところが、それらの論文はことごとく無視された。既存の大家の持論を覆す内容が含まれていたからだ。それは些細な発見ではあったが、世紀の発見につながる何かかもしれなかった。私は全面的に彼女に協力し、学会に一泡吹かせてやろうと決めた。そんな折、彼女の病気が見つかった。もう回復の見込みはない、という残酷な宣告が医師からなされた。そして彼女は、病院で無駄な闘病をするより、最後まで研究を続けることを選んだ。そして、もう身体が病気に耐えられないことを彼女は直感的にさとり、私に相談してきた……」

「そしてあなたたちは企てた。タイムマシンの完成なしには成立しないはずの、この事件のシナリオを」私はカバンにしまっていた夕刊を取り出して、一面の見出しがしっかり見えるように広げてテーブルの上に置いた。「これが目的だったんですね」


 殺人容疑のQ大教授、処分保留で釈放

 アリバイ崩せず、当局もお手上げ


 教授は、黒ベタ白抜きの大きな見出しに目をやりながら、「重要なのは、彼女の死が世間で話題になることだ。私は今後、マスコミの取材攻勢にあうだろう。タイムマシンは、話をセンセーショナルにするための格好の仕掛けになるはずだ」

「あなたが自ら渦中の人になり、火野先生の功績を世の中にアピールする」

「今夜このホテルで、大手の出版社が記者会見を開いてくれる。そこで私は、タイムマシンを使ったアリバイ工作という大ボラを吹くつもりだ。その根拠として火野君の学説の周知を図る。火野君の論文が、初めて脚光を浴びることになるだろう」

「すべては計画通りですね」

「いや、あの日の関西の大雪とバス事故は誤算だった。あれがなければ、当初からもっともっとマスコミで話題になっただろうな」

 そう言うと彼は、小さくため息をついた。

「山田さんには、どう伝えれば?」

「君に任せる。彼女は優秀だ。四月からは新しい研究室で、存分に学問に打ち込めるよう計らうつもりだ」

「彼女はいい子です」私は言った。「彼女はきっと大丈夫ですよ」


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