第9貸 鬼の剣と少女との約束

 最強の冒険者。

 現時点では突拍子も無い想像だが、塔を制覇して地上へ戻るつもりならば、それくらいになる必要はあるかもしれない。

 10階層に辿り着くのにも最低でもレベル12くらいは必要である。

 仮に10階層までと同じペースで適正レベルが上がっていくと仮定した場合、20階層でレベル22、30階層でレベル32は必要になり、もし塔が50階層以上あったとするならば、現最強の冒険者である“剣皇”サリエルードのレベル53並かそれ以上にならなければいけないことになる。

 塔は今の段階では19階層まで行った事が確認されているが、塔の中から外を見ることが出来ない為、その先にまだどれほどの階層が残っているかは不明だった。

 その為、やはり冒険者最強とまではいかないまでもそれに近い実力を身に付けなければいけないだろう。

 しかしその突拍子も無い想像もレンタルの魔法があれば実現可能となりえる。

 世界最高クラスの冒険者であるユリイースから得た経験値とはいえ、たった6つのレベルが上がっただけで、全くの素人であったセフィーが熟練に近い技を身に付けてしまったのだから。

 そんな事を考えている内にダルマ店主は店から新たな武器を持って来た。


「中々腕が立ちそうだから、うちの自慢の一品を持ってきてやったぞ!どうだ!凄いだろ!!オーガブレードだっ!!!」


 ダルマ店主は胸を張って自慢するようにしながら、その剣をセフィーの前に掲げる。

 オーガは3mの筋骨隆々の巨体を持つ凶悪なモンスターだ。人間を喰うと言われ、巨大な口には無数の鋭い歯が並んでいる。

 その強さはセフィーとラースがもう1人ずつ居て、ようやく相手に出来るかどうかだろう。

 そんなモンスターから獲れた素材から作られた武器ならば、相応の威力があることだろう。

 早く取れと言わんばかりに目の前に差し出されたオーガブレードをセフィーは掴む。

 剣の種類としては長剣の部類だろうか。

 先程の大剣に比べて重さも長さも半分程度だ。

 ゆっくりとオーガブレードを鞘から引き抜いてみる。

 やや幅広で真っ直ぐな刀身には刃が片側にしかない、所謂、直刀型と言われる刀剣だ。

 先端部だけ槍のように尖っていて少しだけ両刃になっていることから、突き攻撃も出来るようになっているのだろう。

 片手だと少し重く感じたので両手で持って軽く振ってみると、やや軽い感じがするものの違和感は殆ど無い重量バランスだ。

 片手持ち、両手持ちどちらでも使える様な仕様なのかもしれない。

 ふとセフィーはこの剣と今の自分の技量なら憧れていたアレが出来るかもしれないと思い立ち、折角なので試してみようと考える。

 先程大剣で上下に分断して地面に落ちていた藁人形の上半身にオーガブレードを突き刺す。

 そして突き刺したまま剣を思いっきり振り上げる。

 剣自体は握っているので、すっ飛んで行ったりしないが、刺していた藁人形は刃が抜け、遠心力も加わって上空へ舞い上がる。

 それを見据えながら腰を落として剣を構え直す。

 重力に負けて落下を始めた藁人形に向けて、タイミングを計って剣を真横に振り抜く。

 次の瞬間、藁人形の上半身は更に上下半分に分断されていた。


「やった!出来た~♪」


 その光景にダルマ店主も拍手をして褒めてくれる。

 藁人形はそれほど重くない。しかも上半身だけになっていたので更に軽くなっていただろう。

 それを支えも何も無い空中で両断するのはかなりの技量を要する。

 ただ速く振れば良いだけではない。適切な速度と的確な角度や場所、タイミングとか、そういった諸々のものが合致しなければ、こんなに綺麗には切断出来ない。

 熟練の剣士でもこれが出来る者は少ないだろう。

 オーガブレードという切れ味鋭い剣があったから、初見でもここまで綺麗に斬る事が出来たとも取れるが、剣の真価を発揮させるのは振るう者の技量に左右されるので、それだけセフィーが剣に熟達しているという証拠とも取れる。

 とは言ったもののかくいうセフィー本人だって理屈とか理論とか、そういうものは全然分かってなかったりする。けれど、なんとなく感覚的に出来ると感じ、そしてその通りに出来てしまった。

 もしかしたらユリイースはこの芸当が得意だったりするのかもしれない。

 改めてレンタルの魔法の凄さを実感する。


「凄ぇな、お嬢ちゃん。気に入ったぜ!面白ぇもんを見せてもらった礼にそいつは安くしとくぜ!!」

「えっと……ちなみにこのオーガブレードってどれ位するんですか?」


 オーガブレード程の一品になると、地上では店では売っておらず殆どがオークションに出品されている。

 セフィーの知る限り、目が飛び出る程の高値で落札されていたと記憶している。

 いくら安くすると言われても、今のセフィーには手が届かないのは目に見えている。

 だがそんなセフィーの内情など知る由も無いダルマ店主はどんどんと話を進めていく。


「う~ん、そうだなぁ。15000…いや大盤振る舞いだ!半額の10000にまけてやろう!!」

 ダルマ店主が気前良く値引きってくれるが、案の定、セフィーの現有ポイントは600ポイント程なので全く届かない。

 元々今日は魔導書を買うのが目的で、武器屋には相場と大剣が扱えるかどうかの確認に来ただけだ。

 流石に半額だと言っているのでこれ以上値引き交渉は不可能だろうが、半額はかなり魅力的だ。

 確か銀貨や銅貨を売ればかなりの価値になるとラースは言っていたはずだ。

 けどそれらを売るのは本当に切羽詰まった時まで我慢すると、先日決めたばかりでもある。

 けどこんなに強力で扱いやすい剣をこれ程安く手に入れるチャンスはもう来ないかもしれない。


「なんだ?手持ちがねぇのか?なら、そうだなぁ~……ん?」


 どうやらダルマ店主は口を曲げて考え込んでいるセフィーを見て、ポイントが足り無いのだとようやく理解したようだ。

 そして目敏くセフィーが腰に差しているショートソードに目を付ける。


「お嬢ちゃんの腰にあるショートソードは銅か?鉄か?それとも鋼か?」

「えっと鉄ですけど?」


 冒険者資格試験に合格して初めて購入したのがこの鉄のショートソードだった。

 魔導書を購入する代わりに武器と防具を奮発した結果だ。

 数日前はこの結果が仇になったと思っていたが、どうやら今は良い方に傾き掛けているようだ。


「そうか。大きさ的にそいつなら10000前後ってとこだな。よし!ポイントがねぇなら、そいつとの交換ってのはどうだ?」

「えっ!?こんなのと交換でいいんですか?」


 オーガブレードと鉄のショートソードではその切れ味や耐久性に天と地ほどの差がある。

 地上の感覚で言えばこの2つを等価交換するなどあり得ない。

 だがこの地下世界アンダガイナスでは地上の常識など簡単に覆る。


「ここじゃ鉄のような金属は貴重だからな。それに鉄は溶かして簡単に加工が出来る。武器や防具はモンスターの素材を使った方が頑丈で良い物を作れるが、生活用品…例えばフライパンとか鍋は金属製の方が断然に良いんだ」


 モンスター素材を使用した場合、鍛冶職人の手による特殊な加工と技術が必要となる。

 しかし金属はモンスター素材ほど特殊な加工も技術も必要としない。

 どちらも鍛冶職人が作業する事に変わりは無いが、掛かる費用や労力は10倍以上の開きがあるのだ。

 しかももし壊れた場合、金属製のものは修理しやすいが、モンスター素材の場合、素材によっては修理するくらいなら新しく同じものを購入した方が安上がりな場合もあったりする。


「え~っと…そちらが良いのでしたら、お言葉に甘えさせていただきますけど、本当に良いんですね?」

「おう!男に二言はねぇ!!さぁ、持っていきな!」


 売る人間がそれで良いと言ってくれているので、セフィーは遠慮なくオーガブレードを受け取り、代わりにショートソードをダルマ店主に差し出す。

 衝動買いというか押し売りにも近かったが、思いがけず殆どタダ同然で強力な武器を手に入れてしまった。

 どうも地下に落ちてきてからは、大量の経験値、頼れる仲間、そして今回の武器と、何の労力も掛からずに手に入れてしまっている気がする。

 ふと近い内に何か悪い事でも起きるのではないかと考えてしまう。

 が、そこで気付く。

 既に悪い事は起きていたのだ。

 地下世界アンダガイナスに落とされるという最悪な事が。

 だからその見返りとして、これくらい良い事が立て続けに起こっても罰は当たらないだろう。

 そんな風に前向きに考えながら、ダルマ店主に見送られ、セフィーは軽い足取りで武器屋を後にして隣の防具屋へ移動する。

 武器屋では試し斬りをしたり購入したりと思いの外、時間が掛かってしまったので、こちらは軽く店内を1周して見るだけに留める。

 図らずも武器を新調してしまったが、元々今日武具屋に顔を出したのは大剣がどの程度扱えるかの確認と武具の値段がどれくらいするのかを確認しに来たのだけなのだ。

 値段を確認するのにはセフィーなりの理由がある。

 今の最終的な目的は塔を登り詰めて地上へ戻る事だ。

 しかしその目的を達成するのはいつになるか分からない。

 そんな遥か先の目的しか無い場合、地上へと近付いているという実感が持てなくなると、いつかはモチベーションが下がってしまう。

 最悪の場合は冒険そのものが無意味に感じてしまう可能性だってある。

 セブンスヘブンに永住する事を決めた人の中にはいくらかそういう人もいるかもしれない。

 そうならないようにモチベーションを維持するためには、達成可能そうな目的を設定すればいいのだ。

 一番分かりやすい所で言えば、冒険者支援協会を通して出されている依頼だ。

 その日中、あるいは数日中に自分でも達成出来そうな依頼を受け、その為に塔を探索する。

 目的を達成し、且つ塔の探索も進み、結果的に最終目標に近付く。

 これを繰り返す事で、モチベーションを保ち続けるのだ。

 そして今、セフィーが防具の値段を確認しているのは、そういった目標の1つを設定する為だ。

 冒険者とはいえセフィーも女性だ。

 オシャレもしたいし、可愛い服や綺麗な服も着てみたい。

 それは防具でも同じだ。

 だが女性用防具は防具としての性能が同じ一般防具よりも割高だ。

 デザイン性を重視しているだけなのだが、女性受けする防具を作るという労力は計り知れないらしいし、女性の体格に合わせた防具は特注になることも多いので、どうしても高くなってしまう。

 特注品とまではいかなくても、何か欲しい物が見つかれば、それを目標にポイントを稼ぐ意欲も湧く。

 だが、欲しいものがどれくらいするか分からなければ、稼ぎ甲斐も無いというものだ。

 セフィーはまず一般防具屋で、ある程度値段を確認した後、女性用防具屋の方へ移動する。 

 普通の防具屋と女性専用防具屋は武器屋を挟んで反対側にあるので、両方を見て回るのにはわざわざ一度店から出て、改めてもう1つの方の入り口から入らなければならないので少し面倒に感じる。

 どうせなら同じ建物内、あるいは店舗を隣同士にして内部で行き来が可能にすれば良いのに、何故武器屋を間に挟んでいるのか分からない。

 多分、何かしらの理由があるのだろうが、正直に言ってあまり興味は無い。

 女性用防具屋の前まで来ると、そこはまるで服飾店のように華やかだった。

 入口正面には店のおススメなのだろうか、マネキンが何かの花をあしらった意匠が施された真っ白な鎧と薄いピンク色のミニスカート姿で出迎えてくれる。

 見た目だけなら派手過ぎず、女性らしさもしっかりとアピールした装備だ。

 けど実用性はあまり感じない。

 こんなに短いスカートでは戦闘中にちょっと動いただけで下着が見えてしまうだろう。

 前衛ならば特に。

 もしセフィーがこの装備を買うとしたらスカートをキュロットスカートやショートパンツに変更するか、下にスパッツを履くだろう。

 これを一式で買うかは置いておくとしても、この組み合わせを見た限り、趣味は悪くはなさそうだ。この店の服飾としてのデザイン性やファッション性が高い事は伺える。

 ラースに案内されてここに来るまでの間に数軒の女性用防具屋を見掛けたが、確かにここが一番、オシャレな雰囲気が出ている。

 少し期待をしながら店内を見て回る。

 本当ならじっくりと見て周りたい所だが、同じ場所に長く居ると店員に声を掛けられて逃げ出しにくくなり、気が付いたら買わされていたという事になりかねないので、一般防具屋の時と同じように足を止めずにキョロキョロと視線を巡らせて一回りする。

 奥の方で可愛らしいキュロットスカートを見つけ、少し気になったが、値札に書かれている数字が先程購入したオーガブレード並みだったので、溜息を吐きつつ見なかった事にする。

 流石に最初の目標はもっと低めに設定するべきだろう。

 その後、いくつか目ぼしい物を何点か見つけたが、どれもこれもかなりの値段が付いている。


「はぁ、やっぱり可愛いデザインのものって高いなぁ」


 女性用防具は一番安いものでも2000ポイント以上の値がついていた。

 一般防具に比べても5割程高めになっている。

 地上では3割高な事を考えるとぼったくりも良い所だが、セブンスヘブンには限られた人数の鍛冶職人しか居ない上、女性用のものを作る職人は更に限られているだろうから、仕方が無いと思うしかない。

 何点か安めのものの値段を確認だけした後、ようやく当初の目的であった魔導書の購入へと向かう。

 魔導書や魔導師の使う杖などを販売する魔具屋の場所は武器屋のダルマ店主からお勧めの店を教えて貰っていた。

 セブンスヘブンの街は元々から冒険者を支援する為に生み出された街だ。

 冒険者が良く利用する施設程、塔の近くに集中して存在する。

 冒険者支援協会が塔の入り口前にあるのも冒険者が一番利用する施設だからだ。

 そういう理由で魔具屋も武具長屋の近くにあり、すぐに見つける事は出来た。

 が、あれ程大きな武器屋の店主が勧める店だから、どれ程規模の大きい店かと思えば、魔具屋“リトルコルプス”は、拍子抜けしてしまう程こじんまりとした小さな店構えだった。

 魔法の素質が必要な事もあり、冒険者全体に対する魔導師の割合はかなり少ない。

 地上では2割もいなかったはずである。

 冒険者にならずに街の治療院で働く回復魔導師を含めても3割は越えないだろう。

 この街でどれくらいの魔導師が居るかは分からないが、全体の割合から考えるとそれ程多くは無いはずだ。

 その為、魔具屋自体が武具屋よりも規模が小さいのは分かる。

 だがそれにしたとしても小さい。

 セフィーが店に入ると、店番なのか女の子が暇そうにカウンターの中でなにやら古そうな分厚い本を読んでいるのが見える。

 狭い店内には、よく魔導師が持っているような先端がグネグネとよく分からない形に曲がった杖が数本と黒い三角帽子とローブが1つず壁に吊り下げられてあるが、その他は見当たらない。

 カウンターの脇には様々な宝石や小物が並んでいる。

 攻撃魔法の中でもかなり特殊な部類に入る呪い属性の魔法である呪術の媒体だったり、身に付けたり、杖の先端に取り付ける事で使用者の魔力を上げる宝石類があったりと様々だが、元々高価な宝石類は、アンダガイナスでは金属よりも更に貴重なのか、オーガブレードより1桁も2桁も高い値段になっている。

 今回のお目当てである魔導書はカウンターの奥に並んでいるのが見えたが、武具屋のように値札が貼られていないので、見ただけではいくらくらいするのか全く分からない。


「え、あ、い、いらっしゃいませっ!」


 セフィーの姿を見つけた店員の女の子が慌ててカウンターの下に本を片付け、居住まいを正す。

 外見年齢はセフィーよりやや下くらい。

 薄い紫の長い髪を両耳の上で纏めているツインテールは似合ってはいるが、より彼女を子供っぽく見せている。

 髪と同じ薄紫色の瞳は大きくて愛くるしい顔だ。

 もし耳が尖っていたら妖精族だと思ってしまうくらいの美少女だった。

 そんな幼く見える彼女は店員というよりも、両親が少し出ている間に留守番を頼まれただけの子供のように見えてしまう。


「あ、あの…この店に来られたって事はお姉ちゃんって冒険者さんですよね?」

「え、うん。そうだけど……」


 少女の声も年齢相応の幼さの残る声だ。

 セフィーがそう答えると少女はキラキラした大きな瞳を向ける。

 その瞳に何となく懐かしいものを覚える。


「あ、あの…わ、私!冒険者に憧れてるんです!!いつかこんな地下から抜け出して本物の太陽を見るのが夢なんです!!」


 普通の人ならこんな事をいきなり言われたら、戸惑ってしまうだろう。

 だがその言葉だけで、セフィーは目の前の少女の事を理解出来た。

 そしてこのキラキラした瞳を懐かしく感じた理由も分かった。

 この瞳は冒険者になる前の自分と同じなのだ。

 小さな頃、セフィーの住む街に暫く滞在した冒険者の青年に憧れ、今と同じようにキラキラした目で自身の夢を話した事を思い出す。

 今の彼女はあの頃のセフィー自身と同じなのだ。

 冒険者に憧れていたあの頃の自分と。


「そっか。それじゃあ冒険者になれたらいつか一緒に冒険しようね♪」


 その冒険者の青年は、今のセフィーと同じような事を言ってくれた。

 彼とはその後、会えていないが、いつか冒険者として立派になった自分を見て貰いたいし、約束通りに一緒に冒険をしたいとも思う。

 夢を持ち続けていれば、それが原動力となり、その為の努力も惜しまない。

 心が折れて挫けそうな時もその夢が支えてくれる。

 だからセフィーは目の前の少女にも自分と同じように挫折する事無く、夢を追い続け、冒険者になって貰いたかった。

 それに彼女の言葉から、セフィーのように地上から落ちて来たのではなく、この地下世界で生まれ育ったのだという事も分かる。

 アンダガイナスは光苔に覆われた岩壁で覆われた地下世界だ。

 明るさには問題は無いが、太陽という存在が無いので朝日や夕日といったロマンチックな情景を見る事は出来ない。

 きっと両親や他の冒険者から地上や太陽の事について様々な事を聞いたのに違いない。

 地上に居てはその綺麗さや雄大さに注意を向ける事は無かったが、その存在を知らない者にとっては未知で憧れるを抱くものなのだろう。

 それは未踏の地を冒険して新たな発見をしたいというセフィーの想いときっと同じものだ。

 だから少女に共感を覚えると共に応援する気持ちが湧き上がってくる。


「私はセフィー。よろしくね、未来の冒険者さん♪」

「は、はい!こ、こちらこそ宜しくお願いします!あ、私はリュクルスと言いますです!!」


 セフィーが差し出した手をリュクルスは緊張しながらも嬉しそうに握る。


「えへへへっ…って、あ!そういえばセフィーお姉ちゃんって何か買い物に来たんですよね。すみません、いきなり自分の事ばっかり喋っちゃって」


 リュクルスはようやく自分が店番をしている事を思い出す。


「ううん、別にいいよ。私も昔は似たようなものだったしね」

「うぅ~、ごめんなさいです。えっとそれじゃあ、気を取り直して……いらっしゃいませ。今日はどんな御用でしょうか?」


 リュクルスは改めて接客を始める。

 興奮していた自分が恥ずかしいのか、その頬は僅かに朱に染まっている。


「一般魔導書が欲しいんだけど、いくらくらいするのかな?ここに来たばかりだから、どれくらいするのか分からなくて」

「一般魔導書ですか…って、えっ?来たばかりって事は、最近まで地上に居たって事ですよね!太陽って…………ああ、えっと…ごめんなさい……」


 どうもリュクルスは興奮しやすい性格らしい。

 今は自制が利いたが、このままではいつ決壊するかまるで分からないので、なるべく早くに用件を済ませる必要がありそうだった。


「それで魔導書なんだけど……」

「は、はい。そうでしたね。えっと…一般魔導書なら1冊……あっ、えっと、すみません。これを最初に聞かないといけませんでした。どの系統の魔法でしょうか?」


 リュクルスはカウンター脇にあるメモを取り出して価格を確認しようとした所で気付き、慌てて種類を尋ねてくる。

 その初々しい姿から、彼女が普段から店番をしている訳ではないのだと気付く。


「それじゃあ、付与魔法をお願い出来るかな?」


 今回は戦力の底上げが可能であろう付与魔法を選ぶ。

 怪我の治癒や状態異常の回復など長期の探索を考えるならば、回復魔法の方が効率は良いだろう。

 けど、ラースのあのスピードがあれば、そうそうモンスターから攻撃を受ける事も無いだろうし、セフィー自身も剣技を得たおかげなのか、この数日の間、ラースの素早い動きを目で追っていたおかげなのか、モンスターの攻撃をある程度見切るくらいの事は出来るようになっていた。

 それならば強敵が出てきた時に各種の身体能力を上げて殲滅力を上げた方が良いと判断した結果だ。

 既にヒーリングが使えるから、当面の回復はこれでも十分間に合うと感じたのも判断材料の1つではある。


「セフィーお姉ちゃんは付与魔導師さんなんですね。はい、分かりました。えっと、付与魔法はっと……あ、はい、在庫はありますのですぐにご用意出来ます。上下巻セットで良いですか?」


 魔導書は低いレベル、とりわけ10レベルまでの一般魔導書に書かれたる魔法は初めて扱う事が殆どの魔法である為、詳しい解説が書いてある事が殆どだ。

 使い方や注意事項など事細かに書いておかなければ、魔法の使い方を分からないまま使用して、それによって自分や周囲を傷付けてしまう可能性があるからだ。

 その為、文量が多くどうしても分冊になってしまう。

 低級魔導書以上に書かれてある魔法は上位互換の魔法が多く、全く新しい効果の魔法というのが少ない為、1冊の分量で収まるのだ。

 また他の理由として低レベル冒険者は稼ぎが少ないので1冊に纏まっていると高価過ぎていつまで経っても買えないという理由もあったりする。


「えっと…セットだといくらになるのかな?」

「セットですと~、はい1000ポイント丁度になります。1冊ずつだと600ポイントですからセットの方がお得ですね!」


 にこやかに言われても1000ポイントすら無いセフィーにはどんなにお得だろうと買う事は不可能だ。

 もう2日程、塔で狩りまくれば届くだろうが、欲しいのは新たな階層に挑む今日の探索からだ。

 なので勿体無いが苦渋の決断を下す。


「上巻だけお願い……」

「はい、分かりました。直ぐにご用意しますね!」


 セフィーの内心など露知らず、リュクルスは笑顔でカウンター奥にある書棚から目当ての魔導書を探し始める。

 一般魔導書の上巻はレベル5までで覚えられる魔法が中心的に掲載されている。

 魔法の素質が他の人の半分という事で、自身のレベルが9でも魔法的には4か5までしか覚えられない可能性がある。

 というかレベル3の時点でレベル2で覚えられるはずのエンチャントパワーを覚えなかった。

 回復魔法の方は同じレベルで覚えられるヒーリングを覚える事が出来た事から考えて、もしかすると限定魔法が使える分だけ、通常の付与魔法は割りを食っているのかもしれない。

 そう考えれば色々と辻褄が合う気がするし、もしそうならば最低でもレベル12になるまでは下巻は不要となるだろう。 


「えっと、それじゃあ、これが付与魔法の魔導書・上巻になりますね」


 リュクルスが奥から取り出した魔導書を持って来たので、セフィーは意識を目の前に戻す。

 差し出された魔導書が付与魔法の一般魔導書の上巻だという事を表紙で確認する。

 それから魔力帯でしっかりと封印されている事も確認してから頷く。

 魔導書はそこに書かれた魔法を覚えると、2度と同じ魔導書からは魔法を覚える事の出来ない消耗品である。

 魔法を覚えた人物がモンスター素材から作り出した特殊なペンとインクで魔力を込めた白紙の魔導書に自身の覚えている魔法を書き込む事で魔導書は作成されるが、武具に比べれば需要は少なく、その材料の調達と手間が掛かる事から魔導書は基本的に高価である。

 その為に昔は魔法を覚える事が出来なくなった魔導書を高く売りつける詐欺紛いの事が頻発した。

 その対応策として生み出されたのがこの魔力帯だ。

 この魔力帯は最初にその封印を解いた人物の魔力を覚え、その人物でなければ封印を外す事が出来なくなるという代物だ。

 つまりこれによって封印されている魔導書は誰も中身を見ていないという証拠であり、同時に魔力帯のされていない魔導書は贋物として扱われ、全くの無価値となる事を意味する。


「うん。元々心配はしてなかったけど、ちゃんと本物だって確認は出来たよ」


 セフィーは冒険者カードを渡して支払いを済ませると同時に魔導書の封印を解く。

 これでこの魔導書は完全にセフィーの物となる。

 ふと視線を感じて顔を上げると、リュクルスがじーっとセフィーを見つめ続けていた。

 最初の憧れのキラキラした瞳と同じく、この瞳も良く知っていた。

 やはりかつての自分もこういう目をしていたはずだ。

 これは好奇心に満ちた目だ。

 先程は商売の途中だった為に我慢したようだが、それも終わったので、色々と地上の事を聞きたいと思っている顔にしかみえない。

 だが昼からは塔の探索に出なければいけないし、出来ればそれまでに今買った魔導書を読んで、1つでも多くの魔法を覚えておきたいというのが、今のセフィーの本音だ。

 しかしリュクルスにこんな瞳で見つめられては、そんな事を言い出せるような雰囲気では無かった。


「え~っと……私もこの後予定があるから、今日の質問は1つだけね。また今度、ゆっくりお喋りに来るから……」


 だから譲歩案を提案するのが精一杯だった。

 だがそれは功を奏したようで、リュクルスは嬉しそうに頷く。

 そしてどんな質問をしようか考え始める。

 う~んう~ん、と暫く可愛らしく悩んだ後、質問が決まったのか、セフィーの顔を真っ直ぐに見詰めて問い掛ける。


「えっとえっとそれじゃあ、地上には頭の上にも青い海があるって本当なの?」


 それは謎掛けにも似た難しい質問だった。

 いや答え自体は簡単だ。

 それは海じゃなくて空だ。

 だが飛行モンスターを手懐けて、それに乗って空を飛ぶ者や、飛空船と呼ばれる、その名の通り空を飛ぶ船を操る乗組員は空を海に例える事が多いので、ある意味では海とも言えるが、そんな比喩的な例えは今、この場では必要無い。

 今必要なのは空がどういいうものなのかという事だ。

 アンダガイナスは地下にある世界という事で厳密には空が存在しない。

 地上の空というものを知っている者ならば、例えば「空を見ろ」と言われれば、例え天井のある場所でも上を見上げるだろう。

 だが空そのものを知らない者に同じ事を言っても通じない。

 だから単純に“空”と答えてもリュクルスには伝わらないだろう。

 地上にとって空は生まれた時から普通に存在するものであり、それが空だと感覚的に理解出来る自然なものだ。

 それを改めて分かりやすく説明しようとしても、学者のように研究している訳ではないセフィーには、難しい問題だった。


「う~ん、海とはちょっと違うんだよね~。それは空って言うの。海みたいに水は無くて……え~っと……あ、そうそうアンダガイナスみたいに天井が無くて、ずっとず~っとどこまでも続いているの。それで確か空が青いのは太陽の光が海に反射して、その色が映ってるとかそういう事だったような気がしたけど……」


 セフィーはしどろもどろになりながら、自分がうろ覚えながらも知っている事を話す。

 正直、自分でもこんな言葉で空を想像出来るとは思えないし、色がどうこうという話も事実かどうかは分からない。

 それでもリュクルスは真剣な表情で一言も聞き逃さないように話に聞き入っている。

 こんなに真剣だと、適当に思うままに喋った自分が妙に恥ずかしくなってしまう。


「う~ん、なんかゴメンね。こういうの苦手だから上手く説明出来なくて。けどやっぱり実際に見ないとこういうのって分からないと思うんだ。だから……」


 セフィーはリュクルスの顔の前に小指を立てた状態で右手を差し出す。

 それが何を意味するのか。

 すぐにそれに気付き、リュクルスも同じように右手を差し出し、2人は小指同士を絡める。


「絶対に冒険者になって、一緒に地上に行こう!そして空がどんなものか、太陽がどんなものかその目にしっかりと焼き付けようよ!!約束だよっ!!」

「は、はい、約束なのです!」


 単なる口約束に過ぎないが、冒険者に憧れるリュクルスにとってはかけがえのない大切な約束であり、夢を追う為の原動力となるだろう。

 セフィーがかつてあの青年冒険者と約束したように、いつか本当にリュクルスと一緒に冒険が出来る日が来る事をセフィーは切に願う。


「それじゃあ、またね♪」

「はい!あの…今日は色々とありがとうございました!!」


 嬉しそうに頬を紅潮させているリュクルスに見送られ、セフィーは魔具屋を後にする。

 新たな武器、そして念願の魔導書を手にセフィーはラースが待つであろう大地の根へと向かうのだった。

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