第6話
「何でこんな試し方なのか聞いてもいいですか」
髪を掴まれた女のくぐもった悲鳴がする。
脱色された髪が引っ張り過ぎて数本床へ抜け落ちた。
せっかく綺麗に盛られていただろうその髪型は崩れて跡形もない。
「理由はねぇよ。手っ取り早くて分かりやすいヤツがこれだっただけだ」
「そうですか。それで信じてもらえました?」
しばし考えるような間が空いた。
足元に落とされた吸殻が踏み消される。
「ああ、一応信じてやる」
紫煙の匂いと血の臭いが混ざり合う。
目を閉じた闇の中、悲鳴と暴力の音の向こうに一瞬懐かしさを覚えて瞼を上げる。
今、この室内にある何に懐かしいと感じたのだろうか。
「すぐには殺さないんですね」
段々収束しつつある音に耳を傾けながら問う。
どこにも懐かしいなどと思うようなところはなさそうだった。
「まあ、コイツ等には貸した金があるからなぁ。そう簡単に埋めちゃあ商売上がったりだ」
「なるほど。もしかして最終的には臓器売買とか女性はソープ送りとかだったりします?」
「臓器なんぞ今時大して金にならねぇが、意外と詳しいな」
不思議そうに緩く首を傾げて見つめられた。
肩を竦めてそれに答える。
「映画の受け売りですよ」
信じる、と言ったからなのか冬木の雰囲気が多少緩和したような気がする。
作業着姿の男達へ視線を移せば、その表情は淡々としており、同じ作業を何度も繰り返しているのか慣れた様子である。
別段楽しんでいる訳でも厭っている訳でもなく、だが躊躇いもなく人を傷付けていく。
その割り切った部分が紗枝は羨ましいとすら思った。
他人などどうでもいいくせに助言なんて中途半端なことをする自分とは大違いだ。
悲鳴が啜り泣きに変わった頃、冬木がスーツの上着を脱いで新見へ放りながら四人の男女へ歩み寄る。革靴がタイルを蹴る音が小気味いい。
ベストとワイシャツ姿になった冬木が袖を捲くりつつ、脇のステンレス台から大きなペンチのような工具を引きずり出す。
露わになった両腕は筋肉がついて予想よりガッシリしている。鮮やかな色の刺青が肘と手首の中間まで彫ってあったが袖に邪魔されて描かれているものは分からない。
工具を見た男達は噛ませていた猿轡を外していった。
「た、たすっ、助けてくれ!」
「お金ならかえします!お願い、殺さないで……!」
そんなようなことを四人は口々に言う。
「そのセリフはもう聞き飽きたわ」
わりと綺麗な顔立ちをしている男に冬木が近付くと周囲の男達が頭と顎を掴んで無理矢理固定させ、開かれた口に工具が突っ込まれて気付いた。
あれはペンチではなくエンマという釘抜きだ。
この場合、何を抜くのかは見なまで言う必要はない。
ブチリと千切るように冬木が工具を引き抜くだけで絶叫が木霊する。
小さな音を立てて落ちた歯は喫煙者なのか黒く黄ばんで血が滲んでいた。
傷みから逃げ出そうともがく男の体は椅子ごと抑え付けられているためビクビクと痙攣するだけに留まっているが、本来ならば地面を転がり回りたいくらいの激痛だろう。
麻酔なしの抜歯は古くからある拷問の一つだ。
仲間の絶叫に耐え切れなかったらしい女の一人が粗相をした。
椅子から床へ滴り落ちて広がっていく液体を見て、初めて周囲の男達が笑う。
誰が掃除すると思ってんだよ、きったねー。そんな中傷が聞こえても女は恐怖に体を震わせ、泣きながら何度も首を振って現実から目を逸らしたがった。
その隣では冬木が容赦なく動けない男の歯を抜いている。
よく見ればその男も漏らしていた。
どこか別世界のことみたいに様子を眺めていた紗枝の横に新見が寄った。
「外に出ますか?」
紗枝は軽く首を振って否定した。
「平気です」
血と煙草とアンモニア、汗の臭い。
そうして聞こえてくる悲鳴と泣き声。
全てが現実なのに、非現実的な感覚がする。
結末を知っている映画をわざわざ最初から見させられるのに似ている。
むしろ最近のスプラッター映画の方がもっと残虐でグロテスクで血みどろなシーンが多く、今見ている光景じゃあまるっきりお遊びに感じるほどだ。
男の歯を全て抜き終えた冬木が今度は隣の女へ標的を変えた。
それに気付いた女が金切り声を上げたが「うるせぇ!」と椅子を後ろからド突かれると叫ぶのを止めて唇を血が出るほど噛み締めた。
無理にこじ開けられた口から歯が抜かれる度に女の体が痙攣し、また失禁する。
結局女の方も全部歯がなくなって、ようやく冬木は工具を元の位置に戻した。
歯のない男女は俯いた口から血とも唾液ともつかないものが落ちては服を汚している。もう声を上げる気力もないのか喉を引き攣らせながら涙を零す。
「コイツ等ぁどうなる?」
茶化しの滲んだハスキーボイスを投げかけられて紗枝はジッと残りの二人を視た。
しかし冬木があれこれと考えを変えているのか、傷が定まらずに浮かんだり消えたりを繰り返し、時々また焼死体に戻ったりミンチになったりする。
「さあ、あなたが色々考えているので定まりません。爪を剥ぐのか手足を叩き折るのか、はたまた全身切り刻んでみるのか。……と言いたいところですが、どうしても焼きたいみたいですね」
「お見通しか」
クツクツと笑う冬木が自身の左の頭の付け根を撫でる。
「多少変な死体でもガッツリ焼いてやりゃあ、お上が上手くやってくれんだ。最近はガソリン被って焼身自殺なんてよくあるしなぁ」
何ともきな臭さを匂わせる言葉に眉を顰める。
一般人が聞いて良い話でもなさそうだ。
「そういう裏話バラされても困ります。別に誰にも話しませんけど、面倒事に巻き込まれそうな内情暴露はやめてください」
「テメェは使えんだ、逃がさねぇよ。……いくら何でも手足は失くしたくないだろ?」
目の前に立った冬木の手が左目に伸び、筋張った長い指が目尻を撫でていく。
それはつまり拒否すれば問答無用で引きずり込むということか。
視線をずらせば歯がなくなって泣いている男が左目に映る。
可哀想に、あの男はこれから両手両足を失うことになるだろう。
冬木にとって有益な目と話すことさえ出来れば他の欠損はどうでもいい訳だ。確かに手足がなければ自力で逃げるのは実質的に不可能だろうし、誰かの世話にならなければ生きていけないから従わざるを得なくなる。
溜め息を吐いて目を閉じ、まあいいかと思う。
平凡な日常に退屈していたのは事実だ。
「一つだけ条件があります」
「言ってみろ」
「わたしを殺す時は苦しまないようにしてください」
痛いのだけは嫌なので。
そう言って手を差し出した紗枝に、冬木はフッと口角を引き上げた。
「分かった、テメェは一思いに殺ってやるよ」
一回りは大きい手が握り返してくる。
紗枝はその日、あちら側からこちら側の人間になった。
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