お元気ですか、ラジエルさん

美坂イリス

お元気ですか、ラジエルさん


 俺が思うに、この世界には実は天使ってのはたくさんいるらしい。そう思う理由、それは、俺の隣にいるからだ。天使が。

「やっぱり冬は肉まんデスね~」

 隣でほくほく顔で肉まんをほおばっている金髪碧眼の大男。こいつだ。名前はラジエルっていうらしい。

「でもやっぱり冬はお鍋デスよね~。隆志、今日の夕飯お鍋にシマしょ~よ~」

 ちなみに、かなりの日本通。好きな食べ物は納豆、好きなドラマは時代劇。なかでも、健さんがお気に入りらしい。

「そういえば、今日は暴れん坊がシマスね~。それまでにはご飯作ってくだサイよ~」

 ……万事こんな調子で、本当に天使かどうか疑問に思えてくる。ま、そんな普通だったら戯言としか思えないことを信用した理由。それは、こいつの持っていた本だ。

 三日前。俺は買い物に細い路地を通っていた。スーパーまでの近道。そこを歩いているとき、ふと足元を見ると、見慣れない本が落ちていた。

「……何だこりゃ?」

 拾い上げてみると、なかなかいい感じの装丁。中は……。見慣れない文字。もしかして、これって……。

「すいませーン」

 ふと、上から声。上?

「すいませーンってばー」

 見上げる。そこには、金髪碧眼の大男が。……浮いてる。

「お、お前誰だ?」

「あ、私ラジエルと言いまス。以後よろしくお願いしまス」

「あ、葛木隆志と言います。こちらこそよろしくお願いします」

 間抜けな会話。何か調子狂うな。

「で、何だ?」

「ああ、ソウでした。その本、返してくだサーい」

「これ?」

「そうデスそうデス。それ、読めないでショ?」

「んー、天使文字だろ?」

「え、何で分かるんデスか?」

「いや、覚えるの好きだし」

「そんな理由でスかっ?」

「ま、対応した表がないと読めないけど、家にはあるし」

「……読みたいデスか?」

 少しの沈黙の後、ラジエルと言った大男は言った。

「ん、興味はあるかな。セファーだっけ?」

「はい、セファーでス。でも、この本、私しか読めないところもありマ~スよ?」

「え、マジ?」

「ホントでス。そこで提案なんでスが、セファーをお貸ししま~ス。その代わりなんデスが……」

「何?」

 何か変な要求じゃないだろな。

「しばらく、あなたの家に間借りさせてくだサ~い」

 ……。

「却下」

「何でデスか~っ」

「怪しい人間は家に入れるなって教えられたんでな」

「人間じゃありまセ~ん、天使で~ス」

「どっちにしろ怪しいわ」

 ショックを受けたようなラジエル。しゃがみこんで、地面にのの字を書いてるよ……いつの時代の人間だ? いや、人間じゃないって本人言ってるし……。

「……分かったよ、居候ぐらいならさせてやる」

「ホントで~スか~?」

 泣きながら俺に迫ってくるラジエル。……逃げちゃ駄目だと自分に言い聞かせる。要は、『逃げたい』。

「その代わり、セファー読ませてくれよ?」

「もちろんで~ス。さあ、隆志の家に行きまショ~」

 そう言って、俺について来るラジエル。こんな感じで、俺とこいつの共同生活が始まった。


「隆志~、あれ何デスか~」

「ああ、セールだな。何だ……蒜……山……? の物産展みたい」

「ああ、蒜山で~スか」

「知ってんのか?」

「前に行ったことありま~ス。ちょっと行ってきていいでスか~?」

「ああ、逝ってこい」

「じゃ、行ってきま~ス」

 漢字の違いには気付かなかったか。これでホントに「秘密の領域と至高の神秘の天使」なのかな……。

「帰りマシた~」

「ああ……って、何買ったんだっ!」

 やつの両手には、ぱんぱんになったレジ袋。

「え~っと、牛乳と~、大根と~、あと、納豆デ~ス」

「またか……」

 しかも、よくよく見てみるとほとんどが納豆。

「これでしばらくは幸せで~ス」

 その時。いきなり走ってきた男が、ラジエルにぶつかってそのまま走り去っていった。

「あ」

 そして、ぶつかったときにラジエルの手から落ちたレジ袋。さっきの男が逃げるときに踏んづけて行ったんだろう、納豆がぐちゃぐちゃになっていた。

「……」

「あ、おい?」

「……」

「あの……」

 無言。顔をうつむけていたラジエルが、急に顔を上げる。

「納豆を粗末にする人間は赦せまセ~ん。死を以って償ってくだサ~い」

 そう言って、走り出すラジエル。

「ちょ、ちょっと待てっ! キリストは『隣人を愛せ』ってのじゃなかったのかっ?」

「そ~デシタ。イエスさんも言ってマシたね~。という事で、愛を持って……」

 スピードを上げていくラジエル。

「半殺し決定っ!」

 そして、黒い風のように走っていく。……追いつけない。

 やがて、ラジエルが走り去った方から色々な音が。具体的に言うと、建物を破壊するような音と、悲鳴。そして、ラジエルのヤヴァイ笑い声。

 ……どうか、俺に被害が及びませんように。




「や~、あの人いい人でシた。ちゃんと分かってくれま~シた」

「そ、そうか……」

 何をどうやって分からせたのかは激しく疑問だが、そこはあえて突っ込むまい。知ったら怖いし。

「え、もうこんな時間でスか? 隆志、早く帰りまショ~」

「何でだ? まだ暴れん坊はしないだろ?」

「その前に鬼平がしま~ス。さあ、早く早く」

「分かったよ……」

 とりあえず、鍋の食材は買ったし、いいか。納豆をどうするかは知らんが。


 テーブルの上で、ぐつぐつと煮えたぎる鍋。……ちなみに、キムチ鍋。豆板醤入り。熱いし辛いし。前に普通に作ったら『こんなの鍋じゃありまセ~んっ!』って怒られたんだよな……。

「いただきマ~ス」

 そして、手塩皿にこんもりと盛って、ご飯と一緒に食べる。

「おいし~で~ス」

「そうか……俺には辛いし熱いんだが……」

「隆志は根性が足りまセ~ん。もうちょっと、巨人の星とかを見習ってくだサ~い」

「やだ」

「何でで~スかっ! あれはいいもので~ス」

「その何か壷を愛でてるような言い方はやめろ……」

「え、私マ・クベじゃないで~スよ?」

 分かるのか……。

「さ、さ、隆志も早く食べるで~ス。でないと暴れん坊が始まってしまいマ~ス」

「俺はいいんだが」

 丁重にお断り。

「じゃ、私だけ食べマ~ス」

 そう言って、とんでもない勢いで激辛キムチ鍋を食べるラジエル。はっきり言って、人間業じゃあない。いや、そもそも人間じゃなかったか。

「ごちそうさまで~ス」

「はやっ!」

 五分以内で鍋を食べ終わる。

「じゃあ、テレビ見てマ~ス」

 リビングに行って、ソファにどっかりと腰を落ち着けてテレビを見る体勢に入る奴。片付けぐらいは手伝ってくれよと思う。

「ちゃ~ちゃちゃ~ちゃちゃ~ちゃちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃちゃ~」

 そして、リビングから暴れん坊のテーマのハミングが聞こえてくる。

 片付けを終えて、俺もリビングに向かう。始まってから三十八分。おそらく、そろそろ殺陣のシーンが始まるはず……。

 と、思った瞬間、電気が消える。

「な、何で~スかっ!」

 電気が消える。それは当然のことながら、テレビも消えるということ。

「……」

「おーい?」

「……」

「あの?」

 やばい。夕方のことが頭をよぎる。

「まあ、停電なら仕方ないで~スね」

 がく。怒らないのか。

「……なんて言うと思うんで~スかっ!」

「ひぃっ!」

「停電の原因になった奴、滅殺で~ス!」

 窓を開けて、外に飛び出すラジエル。当然のことながら、俺には止めることが出来なかった。


 今度は、誰が奴の餌食になるのだろう。



「あれ? 隆志、どこ行くで~スか?」

 月曜日。俺が着替えていると、ラジエルがそう尋ねてきた。

「学校。一応学生だぞ、俺」

「ああ、そうで~スか。……私も行きたいで~ス」

 納得された次の瞬間、奴はどえらいことをのたまった。

「却下」

 即答。当然だ。

「え~、行きたいで~ス行きたいで~ス行きたいで~スっ!」

 地団駄を踏むな、地団駄を。お前何歳だ。

「え、え~っと……少なくとも、二千歳は超えてま~ス」

「超ド級のシニアじゃねぇか!」

 その歳でわがままを言うな。

「じゃあ、いいで~ス」

 お、分かってくれたか?

「勝手に行きま~ス」

「やめてくれっ!」

 スマッシュ。そのままの勢いで、奴は天井に首を突っ込んで動きを止める。やれやれ、今の内に行くか。


「隆志~」

 登校中、不意に後ろから声をかけられる。

「隆志、おはよっ」

 笑いながら俺の隣に並ぶ女子生徒は、クラスメイトの紫。一応彼女……だと思われるんだが、何分お互いの性格のせいか会話などは全く色気がない。困ったもんだ。

「昨日何してたの? 夕方電話しても出ないし、その後で商店街の方で何だかけんかみたいなのがあったらしくて、もし巻き込まれてたらどうしようかと思ったんだけど」

「あ、ああ。その場にはいなかったけど商店街に買い物に行ってた」

 けんかみたいなの……おそらく、奴だ。納豆事件だろうな。

「隆志~。隆志~、聞いてま~スか~?」

 声。この伸ばし方は、どうも奴っぽい。てか、完全に奴だ。

「隆志~。放ってくなんてひどいで~ス」

「だ、誰? これ」

 紫はおびえて俺の背後に隠れている。俺だって逃げたいよ……。

「あ、申し遅れま~シた。私、ラジエルと言いま~ス。よろしくお願いしま~ス」

 すばらしい。そう、すばらしいとしか言いようのない怪しい笑顔で自己紹介するラジエル。あ、紫がさらにおびえた。

「あのな……」

「ん? 何で~スか、隆志~?」

「突然出てくんな神出鬼没かてめぇっ!」

 光速の右フック。そして、きりもみでブロック塀に突っ込むラジエル。そのまま奴は路上でぴくぴくと痙攣していた。

「行くか」

「で、でも……」

「行くか」

 有無を言わせないほどのすがすがしい笑顔で、俺は紫に言う。紫は奴が気になるらしいが、放っておいた方が身のためだ。少し強引に、学校の方へ紫を連れて行く。とりあえず、一日ぐらいは黙ってて欲しいから放っておこう。


 そして、何事もなく二時限目までは過ぎた。そして、三限目が始まって十分。退屈な英語の授業を聞き流しながら、俺は窓の外を眺めていた。そこに。

「大変で~ス、隆志っ!」

「うおっ!」

 いつの間にかラジエルが俺の真後ろに出現していた。思わず、真空飛び膝蹴りをかます。ごすっ、と言う音とともに、やつは後ろの生徒の机の淵に延髄を、そして、天板の上に後頭部をぶつけていた。

「……」

 沈黙。周りを見ると、生徒も、教師でさえ呆気にとられた顔をしていた。

「た、大変で~ス!」

 そして、すぐに復活するラジエル。

「……頭がか?」

「違いま~ス! 大変だったのは首で~ス! 今朝からの衝撃で二回ほど折れま~シた!」

 ……それは、普通死ぬんじゃないか?

「話がそれま~シた! 大変で~ス! 外を見て下サ~い!」

 とりあえず、外を見る。そこには、巨人が二体、学校の方に向かってきていた。

「何じゃありゃぁっ!」

 クラスメイトが大声を上げる。きっと、誰が見てもその反応だろう。

「あれは、グリゴリの一人、シェムハザさんで~ス」

 グリゴリ。確か、堕天使の一種だったか。

「そうで~ス。人間に誘惑されて堕ちた人で~ス。で、あの巨人は彼の息子で~ス。ちなみに、右が兄で左が弟で~ス」

 そこまでは聞いてない。そうツッコミを入れようとした瞬間、唐突に校内放送が響き渡った。

『エマージェンシー、エマージェンシー。校内の生徒は直ちに迎撃体制をとるように』

 そして、唐突に終わる。

「何じゃそりゃぁっ!」

 思わず突っ込む。しかし、何か周りの様子がおかしい気がする。そう思って、周りを見ると……。

「誰もいない?」

 教室には、俺と紫、そして、ラジエルしかいなかった。窓の外を見ると、全校生徒であろう人だかりがグラウンドに集合していた。一応、俺も行くべきなんだろうか? やだなぁ……。


 グラウンドに出ると、巨人はもう目と鼻の先までたどり着いていた。

「ふはははははっ! 我輩は、グリゴリが一人、シェムハザであーる!」

 その足元に立っている男。長身で、白衣姿。手には分厚い本を持ち、眼鏡までかけて、なんともまあ怪しい格好だ。

 そして、シェムハザは俺たちを指差して、高らかに叫んだ。

「さあ、貴様たちよ! 思う存分暴れるがいいっ!」

 その瞬間、巨人にぼこぼこにされるシェムハザ。どうも『貴様』って言われたのが気に入らなかったんだろう。それがすむと、巨人はこっちを向いて、また歩き出した。シェムハザは……。あ、泣いてる。しかも、体育ずわり。

「第一迎撃班、バスケットボール部、及びソフトボール部、攻撃開始っ!」

 後ろから聞こえたその声に驚いて振り向くと、校長が朝礼台に立って軍配を振るっていた。

「てめぇは諸葛亮にでもなったつもりかっ!」

 思わず手近にいたラジエルを投げつける。まともに食らった校長と投げられたラジエルはもんどりうって朝礼台から転げ落ちる。

 とりあえず、肩で息をしながら巨人の方を見てみる。バスケ部とソフト部が人海戦術というか人間には不可能なぐらいのスピードでボールを食らわせているが、効果は無いようだ。当然のことながら。

「第二迎撃班、剣道部、及び空手部、攻撃開始っ!」

「うおっ!」

 校長、復活早すぎ。そして、迎撃班の展開も早すぎ。だがしかし。

「うおーっ、痛えーっ!」

 当然のことながら、巨人相手に人間の脆さではどうしようもなく、生徒の悲鳴だけが響いていた。

「あー、こりゃどうしようもないな」

「そ、そんな、隆志?」

 諦めた俺と、心配そうな紫。

「……さい」

「……へ? 委員長?」

「うるさい」

 突然、横の方から声。見ると、委員長が珍しく苛ついた顔で巨人の方に歩いていた。手には、広辞苑(第六版)。

「俺の学習の邪魔をしおって、うるさいというのが分からんのかっ!」

 何か、意味不明なことを口走ってるんですが。隣を見ると、紫もおびえていた。

 と、そんなことをしている間に、委員長は巨人の足下へ。

「広辞苑の威力、思い知るがいいっ!」

 そう言って、委員長が広辞苑を投げ落とす。

「~~~~~~っ!」

 悶絶。どうやら、右足に当たったらしい。しかも、角が小指に。

「……うわ、痛そう」

「そうで~スね~。痛そうで~ス」

「そしてお前はいつ復活した」

 いつの間にか俺の背後に立っていたラジエル。とりあえず、もっかい屠っておこうか。

「いきなり背後に立つんじゃねぇっ!」

 ネリチャギ。頭頂部に食らった衝撃で、ラジエルはたたらを踏む。さらにそこへアックスボンバーを食らわせた。

「ふう」

 沈黙したラジエルを見て、俺はイイ笑顔を浮かばせる。ちなみに、周りは恐らくどこまでも白い目で俺を見ているようだった。

「あ、あのさ、隆志?」

「何だ?」

「あれ……」

 紫が指さした先では、弱点が分かったと見た防衛部隊が急所を狙って攻撃をしている。俺は、目の上に手でひさしを作ってそちらを見やる。

「あー、危ないな、あれ」

「え、何で?」

 決まってる。俺は紫の方に向き直って聞く。

「紫なら、もし足の小指がすがす踏まれ続けて痛みが限界になったらどうなる?」

 それに、少し考えて紫が答える。

「のたうち回る……かな?」

 そして、何かに思い当たったようだった。

「もしかして……」

「恐らく当たり。あの表情だったらもう……」

 そこまで言ったところで、地響き。巨人の方に視線を戻すと、予想通り巨人が二体とものたうち回っていた。よーく見ると、小指から血が飛び散っていた。

「……何か、えげつないことしてたらしいな」

「う、うん」

 さて、問題はこの後だ。俺たちには対処法はないだろうし、シェムハザはまだ落ち込んでいる。

「じゃ、ここは私の出番で~スね~」

 本当に、こいつ不死身なんだろうか。

「まあ、そんなことは言わないでくだサ~い。ちょっと知り合いに頼みま~ス」

 そう言うと、奴はセファーを取り出して、ページをめくる。

「あ、隆志? ちょっとケータイ貸してくだサ~い」

「それ電話帳かいっ!」

 思わずその場の全員で突っ込む。しかし、そんなことは意に介さず奴は俺のケータイをぶんどって誰かに電話をしていた。

「あ、お久しぶりで~ス。実は、ちょっとお願いがあるんで~スが……」

 そして、切る。

「もうすぐ来てくれるそうで~ス」

 一体、誰に電話したんだ。

「来れば分かりま~ス」

 やがて、空から一人の女性が……女性? 

「あらあら、お久しぶりですわね、ラジエルさん」

「そうで~スね~、ガブリエルさ~ん」

 現れたのは、穏やかな笑顔で百合の花を持った女性。男の俺が見ても美人さんなんだが、周りを見ると女生徒までがうっとりとした表情でその女性を見ている。

「あ、申し遅れました。私、ガブリエルと申します。よろしくお願いいたしますね」

 そして、やはり魅力的な笑顔で俺たちに会釈をする。……何か、その視線が俺の隣辺りに行ってるんだが。隣には、紫。

「もしかして……」

 激しくやな予感。手には、百合。そして、女性まで虜にする美貌。さらに、視線。

「あら、可愛らしいお嬢さんですわね。是非お近づきになりたいのですが……」

 口調は柔らかいが、目がマジだ。

「あ~、こいつ、俺の彼女なんで」

「あら、残念ですわ。でも、是非お友達に」

 ……それより、あの二体を何とかしてくれ。

「あら、そうでしたわね。それでは」

 と、どこからか刀を抜き、疾風のように巨人の方に駆けていく。せめて、両刃のサーベルとかの方がいいんじゃないか? 文化的に。

 そんなことを考えている間に、ガブリエルは羽根を広げて軽く地面を蹴る。そして、かなりの高さまで行くと羽根をたたんで急降下する。

 そして、一撃。その一撃で巨人は沈黙した。と言うか、地面が陥没していた。その優雅な一撃に、後ろからわあっと歓声が上がる。主に、女子生徒。

「すみません、少し、手加減が出来ませんでしたわ」

 少し落ち込んだ様子で、ガブリエルが帰ってくる。そこへ、後ろから大勢がなだれ込んでくる。やはり、女子生徒。

「お姉さまって呼ばせてもらってもいいですか?」

「あ、ずるい~っ! 私もいいですか?」

 ……何自分から蟻地獄に入ろうとしてんだお前ら。てか、あの一撃だったら真っ二つじゃね?

「大丈夫ですわ。この刀、刃入れも焼き入れもしていませんから」

 なるほど、かなりのなまくら刀か。先の方の質問には答えてもらってないが。

「あ、あ、あ、わ、我輩の息子たちが~っ! よくもやってくれたのであ~るっ! こうなれば、最強の味方をよぶのであ~るっ!」

 何か印を組んで、地面に手をつく。そこに魔法陣のようなものが現れて、人影が現れる。

「さあ、行くのである、我が妻あでっ!」

 途中まで言いかけて、いきなりハリセンで後頭部をどつかれるシェムハザ。

「なあ」

「な、何?」

 俺は、紫に一つ聞く。

「あのハリセンって……えらくでかくないか? おまけに、金属光沢と」

「そ、そうだね……」

 そのハリセンは、全長約二メートル、おまけに鈍色に輝いている。

「あ~、あれは業務用ハリセンで~ス」

「なんじゃそりゃっ!」

「軍事用ハリセンもありますけど……」

 ガブリエルの一言に、俺は額を押さえた。何なんだ、その軍事用ハリセンって。

 まあ、いいか。

 なんとか復帰した俺は、その人影をじっと見た。

「女の人?」

 そう。ただし、その業務用ハリセンを肩に担いで歩いてくる姿はまるで鬼のようだった。

「ああ、やっぱりガブリエルやん。すまんけど、ちょっと愚痴、聞いてくれへんか?」

 そして、俺たちの前まで来るとため息混じりにガブリエルに言った。

「ええ、構いませんわ。……すみません、ラジエルさん。あれ、お願いします」

「分かりま~シた。いつものあれで~スね?」

 申し訳なさそうなガブリエルの頼みに、またもやセファーをぱらぱらめくる。そして、あるページで手が止まる。そこから、段ボールをさらに分厚くしたような紙の板が出て来た。

「あ、これ組み立てるの手伝ってくだサ~い」

「小学生用の雑誌の付録かいっ!」

 つっこみ。しっかし……何かでかいんだが。どうやってこんなの入ってたんだ?

 とりあえず、さっきガブリエルの虜になった生徒と一緒に組み立てる。そして出来たもの。

「何でこんなの出来るんだろうな……」

「さ、さあ……?」

 紙で出来た、優雅なテーブルと椅子。しかも、ちゃんと二人分。

「強度大丈夫なんだろうな……」

「だいじょ~ぶで~ス。この間匠も紙で出来たクローゼット使ってま~シた」

 さよか。そして、どこからかティーセットが運ばれ、乙女のトークが始まった。

「はぁ……何でうち、あんなんとひっついてしもたんやろ……」

「まあまあ、貴女もあの方のこと、お好きだったのでしょう?」

「そうなんやけどな……だんだんうちや子供らのことも道具みたいにしか見んようになってきとるし……」

 そして、紅茶を一口。

「あ、これ美味いなぁ。誰がいれたん? 今度おしえてもらえんやろか」

 乙女のトーク、って言うよりはむしろ愚痴? あ、最初言ってたな。

「そら、仕事が優先なのは別にええよ? でも、うちらのこともちょっとは見てくれてもええ思わん?」

「そうですね……少し、シェムハザさんも周りを見ればいいのですが……」

「そやろ? でもあいつ、いっつも酔うたらぐちぐち言うねん。うちが悪い、うちが悪いゆうて。うち、もう実家に帰らしてもらおかな……」

 はぁ、とため息。だんだんと訳の分からない空気になってきた気がする。

「その前に、一度お話してみてはいかがですか?」

「んなもん、うちに全部責任押しつけるに決まっとるわ。あいつのことやし」

「ですから、そのことも全部、お互いにしまい込んでいることを話してみてはいかがでしょうか? それに、まだあの方のこと、お好きなのでしょう?」

「うん……そうなんやけど……」

「でしたら、やはりこのまま終わらせるわけにもいきませんわよね?」

「……そやな。よし、うち、いっぺん帰るわ。あいつ連れて。んで、腹ぁ割って話してみる」

「はい、是非」

「んじゃ、また相談に乗ってや」

 そして、手を振ってシェムハザのところに行き。

「起きんかいっ!」

 頭部を蹴撃。

「ぐほぁっ! な、何なのであるか?」

「ほら、さっさと起きぃな。帰るで」

「え、え、え?」

「帰って、いっぺん話しよ。あんたが抱えとるもん、全部吐き出してええから」

「あ、わ、分かったのである」

 さっきとは全く違う、優しい表情にシェムハザも素直に頷く。

 そして、まばゆい光に包まれた次の瞬間には、四人、いや、二人と二体の姿はなかった。

「これで一応落ち着いたかな」

「かなぁ……?」

 さて、残る問題は。

「じゃあ、それでは私も帰りますね」

「え~、お姉さま、帰っちゃいやですっ!」

「そうです、ここにいて下さいっ!」

 こいつらだ。ガブリエルと、その信者。

「困りましたわね……そうだ、ラジエルさん? 私の有給ってあとどれくらいありましたかしら」

「ん~、あ、ガブリエルさ~ん、もうちょっと休んだ方がいいで~スよ~。今までほとんどお休み取ってないで~ス」

「あら、じゃあ、残ってますわね」

「はい、かなり残ってま~ス」

「それでは、少々お待ち下さい、ちょっと休暇の申請に行って参りますわ」

 天使って、普通の会社みたいな勤務なんだ。それって……どうなんだろう。

 飛び立ったガブリエルを見送って、俺は教室に戻ろうとした……のだが。

「邪魔だ……」

 ガブリエルの虜になった連中が壁となって身動きが取れないと言うことに今さら気づく。んじゃ、とりあえず。

「お前を殺っておこう」

 油断しているラジエルに振り向きざまローリングソバット。うん、見事にラジエルの延髄に直撃。そのまま、奴は昏倒する。

「よし今だ」

 そして、ざわめきと共に一瞬壁にスペースが出来る。そこを、紫の手を引いて走り抜ける。

「ちょ、ちょっと痛いし恥ずかしいって」

「あ、悪い」

 どうやら、結構な力で手を握っていたようだ。紫の手を見ると、少し赤くなっている。おまけに、少し顔も赤い。

「どうでもいいけど、あの人大丈夫なの? 実はかなり本気でしょ」

「うん」

 勢いよく首を縦に振って、即答。

「まあ、あれ死なないから。……いくら殺そうと思ったことか」

 最後のは、小声。

「隆志~、今日の晩ご飯何で~スか~?」

「ほら」

 いつの間にやら復活して俺の背後に立つラジエル。

「さっきのは少し首にキまシた~」

 当然だ。

「てか、まだ夕方にすらなってない」

「でも、多分この「ガッコウ」とやらはもう今日はお休みみたいで~ス」

「マジか……」

 何やってんだ校長。もしかして、諸葛亮ごっこで満足したか疲れたか?

「じゃあ、ちょっと一緒に商店街でも行かない?」

「いいけど……」

「よし、デートだデート」

 何か楽しそうな紫。まあいいけど、俺の背後に立つこいつをどうするかな……よし。

「俺のおごりでDVD四枚ぐらい借りていいから家で暴れん坊でも見てろ」

「え、いいんで~スか~?」

「ああ。ただし、その代わりにこの後俺たちの後をついてくるな」

「わかりま~シた~。じゃあ、お金くだサ~い」

 とりあえず、千円。

「じゃあ、行って来ま~ス」

 そして黒い風のように走っていく。あ、服脱げた。

「んじゃ、邪魔者も消えたし、行くか」

「うん」

 俺の手を掴んで、走り出す紫。んじゃ、楽しんでこようか。


「ただい……ま?」

 紫とのデートの後、家の玄関を開けると中から騒がしい声が聞こえてきた。

「ラジエルっ! 近所迷惑になるから騒ぐなっ!」

 リビングのドアを開けて踏み込む。

「お~、いいで~スね~」

「うむ、これはなかなか爽快なのである」

「そやな、うちもこんなんしてみよかな」

 あれ? 何か、見覚えがあるのが増えてる。目をこすって見るが、消えない。と言うことは、現実?

「ええ、そうですわ」

 そして、さらに聞き覚えのある声。後ろを見ると、バックに百合の花を背負った女性。服装は違うが、ぜったいにガブリエルだ。

「……何故いる」

「とりあえず、私は休暇でこちらに居候させていただこうかと」

「あ、うちらは一応夫婦旅行や。しばらくおらせてもらうさかい、よろしゅうな~」

「うむ、お願いするのである」

 ……眉根を揉む。とりあえず、言いたいこと。

「家の人間に言ってからにしやがれっ!」

「え、言いまシたよ?」

「俺は聞いてない」

「ですから、隆志さんの親御さんに」

 ……。

「あんの、馬鹿親がぁっ!」

 吼える。

「つ、わけで、うちのことはお姉さん、って呼びや」

「……一応聞いとこう。何歳だ?」

「……あのな?」

 笑顔、なのだがどうも目が笑っていない。

「レディーに、歳を聞くのは、タブーやで?」

 そして、背後から全長約二.五メートル、表面はつや消しで、逆にそれが重厚感を醸し出しているハリセンを出す。

「ちなみに、これ、軍事用ハリセンやねん。多分……痛いで?」

「……すいません」

 俺だって命は惜しい。でも。

「部屋ないぞ」

「あ、それは大丈夫で~ス」

「そうなのである」

 そう言うと、二人は手に持った本を開く。と言うか、勝手にページがめくれている。そして、まばゆい光に包まれる。俺は、とっさに目を閉じた。

「……ん?」

 目を開く。あれ、何も……変わってない?

「ちょっと出てみてくだサ~い」

 リビングから出る。

「……な、なんじゃこりゃぁーっ!」

 そこには、廊下が広がっていた。主に、全長が。端見えないんだが。

「ちょっと空間いじってみたのであるが、どうである?」

「部屋も増えてま~ス」

「それは匠も真っ青だな」

 確かに、廊下から見えるドアの数はだいぶ増えていた。数えてみる。一、二、三、四……五?

「一部屋多くないか? 少なくとも」

「いえ、合ってますわ。……ほら」

 ガブリエルが言い終わる前に、玄関のチャイムが鳴った。

「あ、はーい」

 ドアを開ける。そこには、

「や、隆志」

 ボストンバッグとスーツケースを持った紫が立っていた。

「……何だ? その荷物」

「え、だって、呼ばれたんだけど……」

 俺は呼んでない。

「あ、私たちがお呼びいたしましたわ」

 ……お前らか。しかし何故。

「いえ……まあ、お近づきになりたいと思いましたので」

 微妙に視線を逸らすガブリエル。

「ちなみに、お父さんたちは万歳で送り出してくれたんだけど……」

 さらに微妙な顔で言う紫。てか。

「何十年前だよ……」

 戦時中の出征かっての。

「しょうがない、んじゃ上がって」

「うん」

 さっきとはうって変わって嬉しそうな紫。背後で、獣をねらうマタギのような目をしているガブリエルには気付かない振りをしておく。

「じゃあ、ご飯にシましょ~」

「宴会であるか?」

「んじゃうちは肉切ろかー」

「お前等……」

 わなわなと拳を震わせて、と言うか声まで震えている俺。

「何であるか?」

「何で~スか?」

 すうっ、と息を吸い、そして。

「他人の家で傍若無人に騒ぐな遠慮という物を知れぇっ!」

 咆吼。その直後、紫が一言。

「芳香族?」

「と言うことはお前は希土類か?」

「お、そのツッコミ面白い」

 ……紫まで、乗ってきてる。どうしよう。

「まあまあ、んな細かいコト考えんと、飲みぃな、ほれほれ」

 どこから出して来たやら一升瓶を俺の口にねじ込んで、お姉さん(自称)が言う。そのまま、俺の意識は遠のいていく。


……あ、何だか光の中でマイコーが手招きしてる。

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