第三章 皇都の戦い

【39】杜乃榎の皇都


 ────翌日、間もなく夕刻という頃。

 天空城は、杜乃榎とのえ皇都おうと上空付近までやってきていた。


「雨雲で何にも見えないけど、大丈夫かな?」


 『彌吼雷ミクライの間』、操縦席に腰掛ける晴矢はれやの視界は濃い靄に包まれている。

 高度を徐々に下げ、今は1200m付近。

 雨巫女あめみこウズハの作り出した雨雲の中を、ゆっくりと降下中だ。


「……魔人軍との戦闘は続いているかな?」


 操舵室にいる面々を見上げると、皆一様に表情が固い。

 晴矢の呟きにも、口をつぐんだままだ。


 ムサビが言うには、おそらく、皇都は魔人軍の包囲網に遭っているはずとのことだった。

 ……宰相サウドの策が成功していれば、魔人討伐連合軍もいるはずだが。

 場合によっては、すぐにでも戦闘になることが想定されている。

 それ故の緊張感だろう。


 皆、それぞれの持場で息を潜めている様子だ。


 天空城地下の左舷前方にインディラ部隊、右舷前方にゴラクモ部隊。

 覗き窓から蒼竿銃ブルーロッドライフルと弓を構え、地表に魔人軍あらば、いつでも攻撃を仕掛けられる体制を敷いている。


 操舵室の司令席横で仁王立ちするムサビは、操舵室から天守閣の守りに専念。

 万が一の場合には、いつでも出撃する構えだ。


 その時には、晴矢も『彌吼雷ミクライの間』を出て一緒に出撃することになっている。

 傷ついたサンダードラゴンウイングは、ゴラクモのおかげで綺麗に修復され、万全だ。

 今度こそヘマをしないよう、皆と協力して戦わねば、と心に固く誓っている。


「総員に告げます。

 これより天空城は、雲を抜け、皇都上空1000m付近を航行いたします。

 魔人軍との交戦の可能性が高いのは言うまでもありません。

 皇都を守り、魔人軍を撃退する事こそ、わたくしたちの果たすべき使命です。

 志を高く、心を一つに、この困難を切り抜けましょう」


 雨巫女ウズハの声に、外で「おーっ」という雄叫びが上がる。

 程なくして周囲にかかる雲がさあっと晴れて、眼下に地表が姿を現した。


「あれが皇都か」


 シトシトと雨が落ちる平原に横たわる大きな湖。

 これが久地くち湖だろう。

 今は半分より少し多いぐらいの水量だろうか。

 そんな干上がりかけた湖の岸辺に、四角く区切られた城壁と堀が隣接している。

 さらにその外周に、湖から円弧を描くように伸びる城壁。

 ムサビたちの言う『皇都防衛ライン』に違いない。


 そして、その内側には……!


「皇都防衛ライン内、皇都大堀周辺に兵が集結しております!」

「むむっ! 多い! ゆうに1万は超えておろう」

「ムサビ、どこの国の兵でしょう? もしや魔人軍では……?」

「お待ちくだされ……あれは……」

「『オヤッサン、ありゃ那良門ならかど手津音たつねだ』」

「『西方諸国と南方連合の軍旗も混じってござる!』」

「ということは……宰相サウドの呼びかけに、周辺各国が応えたということにござりますか?」

「そうじゃろうな」

「とりあえず、戦闘はしてないみたいね」


 地表を見下ろす皆に、安堵の息が漏れる。


 天空城は高度を保ちながら、ゆっくりと皇都の真上へと進んでいく。

 そして城壁を越え、整然とした町並みに差し掛かった時……。


 市中で繰り広げられている光景に、誰もが「おお?」と驚きの声を上げた。


 ひっそりと静まり返っていると思われた皇都だが、華やかな賑わいを見せているのだ。

 シトシト雨にもかかわらず、通りは人に溢れ、色とりどりの光で満ち溢れている。


「……祭り? 祭りでもやってるのかな?」

「そんな風に見えるね」

「まさか……そんな……」


 雨巫女ウズハが信じられないといった様子で、首を横に振っている。

 予想外の光景に、誰もが言葉を失っているようだ。


「ウズハさん、モニタースクリーンに下の様子を拡大投影してもいい?」

「は、はい。お願い致します」


 雨巫女ウズハの了承を得ると、ロコアはすぐさまコンパネを操作し始めた。


「第12カメラから第18カメラまで最大ズーム、外部音声ボリューム最大。第3ウインドウに映像と音声を展開します」


 「フワン」と音が響いて、モニタースクリーン右側に開くポップアップウインドウ。

 映像と音声が届くと同時、ムサビが「何事じゃ、これは?」と一声漏らした。


 太鼓や笛の音、異国の楽器の音などが溢れ、通りの人々は笑顔でいっぱいだった。

 天空城を見上げ、満面の笑みで手を振る人さえいる。


「……めっちゃ楽しそう」

「これはいったい……? わたくしが三ヶ月前に皇都を出た折には、人々は久地くち湖の水を飲み干さんばかりの水不足に喘ぎ、貯蓄していた食料に手をつけるほかない状況でございましたのに……」

「『魔人の毒にあてられた狂人が市中を暴れ回り、人の心も乱れつつあったはずにござる』」

「ふむ、たしかにのお」


 雨巫女ウズハとインディラは、動揺を隠せない様子だ。

 ムサビも白いあごひげをさすりながら、首を捻っている。


「もしや、魔人が討伐されたのでは、なのです??」


 右のサイド席に座るマヨリンが、期待に満ちた眼差しでロコアたちを仰ぎ見る。

 ルナリンも、「そうかもしれない」といった表情だ。

 だが、ロコアはゆっくりと首を横に振った。


「それはないと思う」

「『魔人が討伐されていない証拠はあるのかい、従者ロコアさん?』」

「天空城の浮遊力が復活していないから。魔人が討伐されたなら、すぐにでも復活するはずなの」

「『ふむ、なるほど』」

「ロコア様、では、この皇都の状況はいかが説明なされますか?」

「これは、たぶん……。あっ!」


 グリサリが疑問を投げかけたその時、ロコアが何かに気がついた様子だ。

 すぐにコンパネをカタカタと操作し始めると、別のポップアップウインドウが開いて、下の様子が大写しになる。


 そのウインドウに映る、1人の太った男。

 男の剥き出しの右肩には────”赤く光る逆十字”の紋様が浮き上がっていた。


「これは────『十痣とあざ』!?」

「……悪魔の下僕である証、『緋色の逆十字』。ここでは十痣とあざと呼ばれているものね」

「『なぜゆえに皇都に十痣鬼とあざおにが?』」

「この杜乃榎に、十痣鬼が魔人の下僕であることを知らぬ者など、おらぬであろうに……!」


 誰もが、困惑の声をあげるしか無い。

 しかもどうやら、赤い十痣を持つ者は1人ではないようだ。

 モニタースクリーンは、ロコアが次々にピックアップする十痣鬼たちの映像で埋め尽くされていった。

 ゆっくりと進む天空城周辺だけでも、すでに100人はいそうだ。


「これほど多くの十痣鬼が、皇都に……」

「まるで市中を手にしたように、我が物顔でおるわい! 許されぬ!!」


 魔人の下僕であるはずの十痣鬼たち。

 だが、彼らが争いを起こしている様子はない。

 街の人々と談笑し、一緒に祭りを楽しんでいるようだ。


「『このような状況、なぜゆえ皇アリフも皇子アフマドも見過ごしておいでか……!』」

「『ヒュー、まったく……。我が皇は、いったい何をお考えでいらっしゃるんだか』」


 杜乃榎の面々に、動揺が広がっていくのが手に取るようにわかる。

 そんな中、ロコアとグリサリの表情だけが、どこか冷静に見えた。


「こういうお祭り騒ぎは、悪魔や魔王の城でよくある光景なの。だからもしかすると……。

 ────皇アリフさんたちも、すでに十痣鬼になってしまっているのかもしれないわ」


 誰もが言葉を失っている。

 凍りついたかのように身動ぎ一つせず、皇都の光景を眺めるしか無い様子だ。


「悪魔って、町を壊したり人を殺したりして、世界を支配することが目的なんじゃないのか?」

「ううん、それは力を誇示するためだけの行為であって、本当の目的はそうじゃないの」


 ロコアは「ほう」と溜め息をつくと、そっと言葉を紡ぎ出した。


「悪魔の真の目的は、人の霊魂をたくさん集めること────。


 そのためには敵対するよりも、協力的に振る舞う方が簡単なの。

 悪魔の魔法である『悪魔術ラニギロト』の威力を見せつけたあと、それを誰でも簡単に使えると知ったら……?」


「魔法を簡単に使えるって……そんなこと、本当にできるのか?」

「うん。そのために必要なのが、あの十痣なの。

 『吸血器ヴァンピレーター』と呼ばれる悪魔のナイフを突き刺すことで、十痣とあざは簡単に作れるわ。たったそれだけで、誰にでも悪魔術ラニギロトを使えるようになるから……。

 そして悪魔術ラニギロトは、イメージを思い浮かべるだけで、その現象を発動できてしまう魔法なの」

「つまり、ご馳走や水が欲しいと思えば、思い浮かべるだけでいいってこと?」

「うん、そう。攻撃するのに火の玉を作り出すのも簡単だし、無限にそれを作り出し続けられるわ」

「それは……めっちゃ便利そうだね」

「でしょ? 悪魔術ラニギロトによって、誰でも簡単に満足感や安心感を得られるとなると、人は引き寄せられるように集まるから……。だから魔人も、それと同じことをしてるんだと思う。

 そして悪魔は、十痣を作る代償として、霊魂を吸い取ってしまうの。吸血器ヴァンピレーターで十痣を作る、その時にね────」

「魔法が使えるようになる代わりに、霊魂を吸い取られる、か……」


 文字通り、悪魔に魂を売る行為、というわけだ。


「今回、杜乃榎は水や兵糧が足りていない状況だったから……」

「みんなの心に付け入る隙が、大いにあったわけか」

「だと思う……。苦しむ人々を救済することを口実に、十痣を作って悪魔術ラニギロトを使わせ、こんなお祭り騒ぎを……」

「ですがひとたび、十痣鬼に身をやつしたならば、治す方法は無いと言い伝えられております。魔人の言うがままに操られ、戦いの最中に死を迎えるのみ……」


 雨巫女ウズハの言葉に、ロコアはゆっくりと頷いた。


「後戻りできぬとわかっていて、このような状況ということはじゃ……」

「────魔人がすでに、杜乃榎の民を奪い去ってしまったのですね……」


 雨巫女ウズハの悲痛な呟き。

 魔人はおそらく────この皇都にいる。

 誰もがその事を感じ取っていた。


 ……ピゥーンピゥーン、ピゥーンピゥーン。


 突然、静まり返る操舵室に電子音が鳴り響く、

 そしてマヨリンが、雨巫女ウズハを振り仰いだ。


「ウズハお姉さま、皇都専用回線から通信が入っておりますなのです! お繋ぎするなのです?」



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