1.25〈精神の地平線より〉

 [創世の9英雄]の、最も重要な人物であるもえに、その壮絶とも言える告白に、誰もが言葉を失ったと思われたその時。

 萌花の発した「そんなの自分勝手すぎる!」と言う単純な言葉は、まるで校長先生の挨拶前に響くマイクのハウリング音のように、周囲のざわめきのボリュームを一段階下げる効果があるようだった。


 シンと静まり返る古城で、風に煽られた紅蓮ぐれんの炎が一際大きな音を立てる。

 その場の全員、ここに居る者だけでなく、あつもりの[レアリティ9]第3エリクシルの力によって通信端末へと投影されている映像を見ている「ボット討伐部隊」全員の視線が萌花もえかに集まり、彼女は(しまった。またやった)と身をすくめかけた。

 しかし、こんな所に口を挟んでしまうのが彼女らしいと言えば彼女らしいし、ここで後悔してもすぐに(でも言っちゃったことは仕方ない)と開き直れるのもまた彼女の性格だ。

 良くも悪くも、彼女にはそう言う生き方しかできないし、彼女自身、そんな自分の性格を嫌いではなかった。


「あの、もえさん。え……と、はじめまして。ケンタさんからお話は聞いています。初対面でこんなことを言うのは何ですけど、横暴じゃないですか?! 誰が作ったとか、肉体がある無しに関わらず……ボットこのひとたちにだって幸せに楽しく権利はあります!」


「……萌花ちゃんでしたね。貴方の言いたいこともわかりますけど、そもそもボットはの。私達人間のアバターとは、存在として……根本的に違うんですよ」


「違わない! シユウだって生きてるわ!」


「そうですよう! エリックはこんなに……私たち以上に……一生懸命生きています!」


 萌花ともえ、二人の会話に早苗と芽衣めいが口を挟んだ。

 覆いかぶさるようにシユウを抱えていた早苗は、シユウの上半身を抱き起こし、胸に抱えてもえを睨む。

 怯えたようにエリックにすがっていた芽衣も、同じく上半身を起こしたエリックの腕を抱きしめながら、上目遣いで恨めしげにもえを見つめた。


「……聞き分けてください。肉体を持たない電子データのみの存在であるボットそれらは、ゲームを円滑にすすめるために組まれたプログラムと同じです。NPCの『武器屋の主人』や『町人その1』と同じで――」

「――もえさん」


 萌花たちを説得するもえの腕をケンタが後ろからグッと掴む。

 話を遮られたもえが、がくんと体制を崩して振り向くと、少し怒ったような、それでいて悲しそうな顔で首を横に振るケンタと目が合った。


 視界の隅で、炎の中に浮かぶ可愛らしいクマの着ぐるみの立体映像ホログラムがよろめくのが見える。

 もえは、『肉体を持たない電子データのみの存在』である友人たちへ、ある意味自分の力が及ばなかったためにしまった友人たちへ、自分が言い放った言葉の残酷さに息を呑んだ。


「……っ。……ごめんなさい」


『……問題ないクマ。全てもえの言うとおりだクマ』


「そんなわけ無い! ……ううん、そうだとしても! NPCでも! 問答無用で削除していい訳ないでしょ!」


「……ですから説明しましたよね。元々GFOここに存在してはいけないデータがゲームを楽しもうとしている人たちの脅威になることは許されないと。ボットそれはNPCのように意味のあるデータとは違うんですよ。『不要なデータ』ですら無く、『有ってはいけない』データなんです。ゲームバランスを崩すどころの話ではないんですよ。現に貴方たちもウィルスに感染させられているでしょう? そんなモノを放っておける訳ありません」


 シユウ72の前に仁王立ちになった萌花と、ケンタの手から腕を引き抜いたもえの目がまっすぐ見つめ合う。


 萌花はもえの言葉に納得していた。それでも……納得した上でなお、シユウたちを削除すると言うもえの行動を肯定することは絶対にできないでいる。静かに、優しさすら感じる視線で萌花を見つめるもえの瞳に、彼女は気圧されるようによろめき、半歩身を引いた。

 その背中を、いつの間にかそれぞれのシユウを引きずって萌花の後ろに集まった早苗と芽衣が支える。

 驚いてキョロキョロと背中の親友たちの顔を見比べた萌花は、脊髄を通って体中に波のように広がる力を感じ、なんとか背筋を伸ばすともえに相対あいたいした。


「……もう時間です。すみません、納得はしてもらえないようですけど、そろそろこの周囲の酸素量も限界のようです。説明も謝罪も後でいくらでもしますから、ここは言うことを聞いてください」


 残念そうにインベントリから注射器を取り出したもえが、ゆっくりと歩みをすすめる。

 萌花の背中に隠れている形の芽衣と早苗は、こそこそと話をしていた。


「酸素が限界って、なんですかぁ?」


「バカね。焼夷弾ナパームは周囲の酸素を急激に消費するの。本来なら私たちはもう酸欠になって死んでるわ。さっきもえさんあのひとが投げたビンのおかげで息ができてるのよ」


 早苗と芽衣へ微笑みを向けると、萌花の目の前まで歩み寄ったもえが耳に唇を寄せて「本当に……ごめんなさいね」と小さくつぶやく。頭の中で様々なことがうずまき、ただ立ちすくむ萌花の肩にぽんと手をのせると、もえはそのままシユウたちに手を伸ばした。

 もえとともに歩み寄ったケンタへ救いを求めるように視線を写した萌花に見えたのは、険しい表情のまま周囲を警戒し『もえを守る』事だけに心を砕いているケンタの姿。それは萌花のよく知るいつもとは違う……そして多分それが本当の……彼の姿だった。


 萌花は唇を動かし、ケンタの名を呼ぶ。

 しかし、ひりついた唇はそれを音声として発現させてはくれなかった。


「……助けて」


 彼女の口から漏れでた言葉はたったそれだけ。

 その小さな魔法の言葉はケンタへは届かなかったが、萌花の耳を紅く飾るピアス[レアリティ8]鮮血石ブラッディムーンをかすかに震わせ、淡い輝きを発した。


――ドクンッ。


 萌花の鼓動が同期シンクロし、背中で段々と輪を縮め始めていた炎がドンっという音とともに弾ける。

 電気がショートするような小さな音を何度も響かせ、そこに今まで身動きが取れなかったはずのシユウ72が立ち上がった。


「……了解した。萌花」


 いつの間にか手の中に現れた[レアリティ8]弧月丸こげつまるを鋭く突き出し、シユウ72はもえへ向かって突進する。

 特に反応を見せないもえの眼前で、その切っ先は[レアリティ9]神威御剣かむいみつるぎカスミダチに受け止められ、シユウ72の体はケンタの巨体に弾き飛ばされた。


「まったく『了解した』じゃないっすよ。もえさんの束縛ボンデージが解けた訳でもないのに動くのは反則っす」


 シユウ72に剣を突きつけ、残りのボットたちにも目を配りながら、ケンタは顎を伝う汗を手の甲で拭き取る。

 ケンタの言うとおりシユウ72の体には、未だにもえがコマンドラインから発生させた白い霧が纏わり付いているのがよく見えていた。


「なんで……動けんだよ……」


 早苗の足元で無力に転がりながら、シユウも驚きの表情を浮かべている。


「ケンタさん、ありがとう。私が作ったボットに私のコマンドが効かないなんて…………本当、反則と言うより下手な冗談ですね」


 気を取り直して、もえはもう一度注射器を持つ手を伸ばす。一番危険性が高いと判断したのだろう、その目標はオリジナルのシユウではなく、シユウ72へと変更されていた。


『……避けて頂戴ねー』


 通信装置に間延びしたヘンリエッタの声が入る。

 その瞬間、周囲は新たな焼夷弾ナパームによる豪炎に包まれた。


――ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 続けざまに焼夷弾が着弾し、城の南側100m四方が赤と黒の世界に染まる。

 影絵のように色を失った世界は真実味を失い、そこだけがまるでゲームの中の世界であるかのように、すべての人々の目に映った。


「っぶねぇー……っす」


 炎の壁を剣で切り裂き、炎の及ばない湖畔に現れたケンタは、まるで赤ん坊でも抱っこしているかのように片手で抱いていたもえを地面に降ろすと、今まで居た城の一角を見上げた。

 そこはもう火山の噴火口のように赤黒いドロドロした物体しか見当たらない。


「いけない! 束縛ボンデージが解けてしまいました!」


 顔にかかった髪をかきあげ、ケンタと同じ方向へ目を向けたもえが眉根を寄せる。

 一瞬振り向きその顔を見たケンタは、こみ上げる喜びに歪む唇を無理やりへの字に結び、真面目な顔になるように努力しながらもう一度炎の渦巻く空を見上げた。


(っくぅ~。もえさんやっぱ可愛いっす。……いやいや、今はそんな事考えてる場合じゃなかったっす)


 二人の視線の先、炎の向こう側に6人の姿が浮かぶ。


 シユウ、早苗、エリック、芽衣、シユウ72、そして萌花。


 全員を巨大な色硝子いろがらすのような防壁で囲い、それごと空中に浮かせているのはシユウの魔法の力だった。





「……おい不死者の大女、お前なんのつもりだ?」


『なんのつもりもなにもー、貴方の誘いに乗ってあげるだけよー』


 早苗と芽衣、そしてエリックですら、ヘンリエッタのその声を聞いて喜びの表情を浮かべる。

 しかし、当の本人であるシユウの顔には苛立ちの表情しか無かった。


「くそっ……くそっ! 何なんだよお前ら! あのもえって女も! シユウ72! お前もだ! なんで俺に出来ないことをやれる?! なんで俺より強い力を持ってる?! しかもこの俺様が、不死者ごときにピンチを救われるだと?! ふざけんなよ……ふざけんな!!! バカにしやがって!!!」


「私の力は萌花の持つ[レアリティ8]鮮血石ブラッディムーンの――」


「うるせぇ! 黙れ! 俺だって[レアリティ8]蒼海石ラピス・テラで早苗と同期シンクロしてるんだ!」


「ごめんなさいシユウ! 貴方の力が弱い訳じゃないわ! 私の力が足りないから!」


 空気を読まずに説明しようとするシユウ72の言葉を遮り、シユウは喚き散らす。すがりつくようにしてなんとかなだめようとする早苗の言葉にも、彼は耳をかさなかった。


『あらあらー、どうしたのー? 男のヒステリーはー、みっともないわよー』


 ……悪気はないのだ。

 ヘンリエッタはあつもりたちに対するのと同じでシユウをからかう。


 しかし、そのような対応に耐性を持たないシユウにすがりついていた早苗には「ブツン」と何かが切れる音が聞こえたような気がした。

 おそるおそる彼女が見上げると、シユウはわなわなと震えながら鬼気迫る笑顔で中空を見つめている。


「……シユウ?」


「上等だ……上等だよ! くそが! 俺の能力の本当の凄さを今すぐ見せてやる! 早苗! インタフェース開放!」


「え?」


「何をしてる! 早くしろ!」


「あ……は、はい!」


 一応の説明は受けていたものの、それを使うのはまだまだ後の話のはずだった。

 それでも早苗はシユウの指示を受け、逡巡無くラピス・テラの独自メニューからインタフェース開放を選択する。

 そのコマンドは、青いドレスの生地を透かすように早苗の体のラインを強力な光で映しだした。


「よーし! よしっ! どうだ! 行ける! 俺はすごい! 俺はやれる! なぁ早苗! すごいだろ!?」


「っ……うっ……はいっ! シユウは……ううっ! すごい……わ!」


 体中を締め付けられるような苦しみの中、早苗はまるで恍惚としているかのような笑みを浮かべ、シユウを肯定する。

 真っ黒いウィンドウに指を走らせ、次々と謎のコマンドを打ち込んだシユウは彼女を抱きかかえると、反対の手で最後のコマンドを勢い良く実行した。





 空間がぐにゃりと歪み、その周辺の景色が赤みがかって変色する。

 ケンタは咄嗟にもえを背後にかばい、周囲からだんだんと広がりゆく変色へと注意を向けた。


「あつもりさん! これなんすか?! ヤバい雰囲気がプンプンするんすけど!」


『わからんクマ! ただ、全サーバの完全没入型フル・イマーシブ空間の位相がおかしなズレを見せているクマ!』


「なるほどわからんっす!」


『アホケンタにわかるとは思ってないクマ』


 緊張感とは程遠いやり取りの中、ケンタに守られながら黒いウィンドウを開いて居たもえが驚きの声を上げる。

 慌ててなにがしかのコマンドを打ち込むが、それらは全て「ブブッ」と言う小さなブザー音とともに拒否された。


「クマちゃん大変! 強い精神重力が働いてます! このままじゃ……精神の地平線シュヴァルツシルト面ができちゃう!」


『くっ! コマンドが拒否されるクマ! ダメだクマ! 位相が反転するクマ! もえ! ケンタ! 一度ログアウトするクマ!』


「ふたりとも、俺にも分かるように説明して欲しいっす!」


「もうダメ! 間に合わない! ……また世界が……閉じてしまう!」


 世界の終わりを暗示するような紅く変色した風景の中で、すべての人々はもえの叫びを聞いた。

 その言葉は、この世界に響いた最後の言葉であり、そして、新しい世界に最初に響いた言葉でもあった。

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