1.14〈戦いの意味〉

 洞窟の中に、水滴の落ちる音が響く。

 それは壁面からにじむ水脈の音だったのか、早苗の涙の落ちる音だったのか、早苗自身にも判断はつかなかった。


 黙ったまま彼女の肩を抱き、優しく髪を撫でていたシユウが「なぁ」と口を開く。

 早苗も息を整え「はい」と返事を返した。


「……自分が何者かなんて、正確に知ってる奴はこの世に何人も居ないと思うぜ?」


 シユウが自分のことを話そうとしているのが分かる。早苗は彼の肩に頭を載せたまま軽く頷き、静かに言葉の続きを待った。


「俺はボットだ。効率よくアイテムやジェムを収集するための不正プログラムなんだよ。だけど、GFOに完全没入フル・イマースするには、人の……精神のようなものが必要なんだ」


 シユウ自身も完全に理解している訳ではない。

 ただ、自分がここにあると言う自我が芽生えた時から彼が持ちえていた知識と、自由にインターネットに接続できるようにプログラムを改変した後に得た知識を合わせて考えるに、自分と言う存在は、ボットとして自分を生み出した人間の精神をひな形として生み出された、人工精神体のようなものだろうと言う結論に至った。

 自らの創造主、名も知らぬ一人のハッカーの心を宿した入れ物として、自分はここにいる。

 しかし、その人間からのコンタクトは今まで一度もなかった。


 もしかすると、ボットを創りだすことに成功したものの、そこから戦利品を取り出す術が無かったのかもしれない。

 もしかすると、ボットを創りだしただけで満足し、もうすでにシユウに対する興味を失ってしまったのかもしれない。

 もしかすると、ボットを創りだした後、不慮の事故か何かで死んでしまったのかもしれない。


 ……もしかすると、今この場所で突然シユウの意識は途切れ、創造主に全てを取り出されるかもしれない。


 それは考えても仕方のないことで、そんなことに頭を悩ませているだけの日々に、シユウは耐えられなかった。


「それで、もう自分の好きなように生きようと思ってさ」


 とりあえず、狩りをやめた。

 ネット上にあるアニメや映画を片っ端から見まくり、世界中の文献も読み漁り、自分自身を構成しているであろうプログラムの知識も深めてゆく。

 スクリプトを噛ませる程度だったプログラムの能力も飛躍的に向上し、彼はGFOの世界でならほとんどなんでも出来るような気持ちになっていた。


 ある日、自分と同じ名前の[シユウ13]と言うボットに出会うまでは。


「そいつは外見から声まで、とにかく俺と全く同じでさ。本当にロボットみたいに黙々と狩りをしてたんだ。突然俺の前に現れた機械竜メタルドラゴンを一撃で切り伏せて、そいつ、なんて言ったと思う?」


「……たぶん『横殴りだったらすまない。それとPKはやらないから安心していい』かしら?」


「わははっ、一言一句間違いない。早苗が見たっていう[シユウ72]と名前以外じゃ見分けがつかなかっただろうな。俺さ、そいつのその言葉が自分の頭の中にもあることに気づいたんだ。それこそ、一言一句間違いなく、抑揚まで同じ言葉がさ。それを聞いた時、なんだかものすごく気持ち悪くなって、俺は思わずその時使える魔法を片っ端からぶちまけたんだ」


 軽い、いつもの口調で話を続けるシユウだったが、早苗の肩を抱く腕に僅かに力がこもったのに彼女は気づいた。

 急にシユウがどこかに行ってしまうような不安に駆られ、早苗は慌てて彼を抱きしめる。


「今までに経験したことのない戦いだった。何しろ一撃で死なないんだ、あいつ。どれくらいの間戦っていたのかは分からないけど、気がついた時には足元にあいつの死体が転がってた」


「当然だわ。あなたが負けるわけ無いもの」


 一生懸命彼を抱きしめながら、早苗はなんとかそれだけを口にすることが出来た。

 シユウは優しく微笑み、早苗の背中をぽんぽんと軽く叩いて体を離し、立ち上がった。


「まぁあっちもシユウだけどな。それでさ、そいつ死んでるのに擬似死ニアデスのカウントダウンが表示されないんだ。その時ボットは死んだら復活できないんだって初めて知ったよ。俺が見ている眼の前で、そいつは光の粒子になって消えていった」


 ニアデスとは、プレイヤーがダメージを受けて死亡した際、蘇生アイテムや呪文などでデスペナルティなく復活できるまでの猶予時間の事を言い、通常、GFOでは10秒のニアデス時間が設定されている。

 立ち上がったシユウに見つめられ、早苗はその言葉を頭の中で整理し、彼を見上げた。


 シユウは私たちみたいに復活しない?

 死んだら消えてしまう?


 だからどうしたというのだ。シユウは負けない。と言うことは死ぬこともない。


 それはつまり、死んでも生き返る早苗たちと何の違いも無いということではないのか?


「……大丈夫よ。あなたは負けないもの」


「そうだな」


 少しシワの寄ったマントを一度バサッと広げなおして、シユウは洞窟の外へと目を向ける。

 またシユウが何処かへ行ってしまいそうな不安を覚えた早苗は、慌てて立ち上がった。


「俺を含めてシユウはボットだ。死んだら消える不正プログラムだ。それでも、仮の器だとしても、そこには精神がある。俺はそう言う中途半端な存在なんだよ。早苗、俺は本物の人間プレイヤーになりたい。もしそれが叶わないのなら……、俺は心を持たないただのプログラムになってしまいたいんだ」


「いいえ、あなたは人間よ。プログラムは心を持たないもの。それに……」


「それに?」


「……女の子はプログラムに恋をしたりしないものよ」


 たった一歩にも満たない2人の距離を早苗は全てのものを振り切るほどの覚悟で歩み寄り、その背中に体を預け、まるでスーパーヒーローのようなマント越しにぎゅっと掴まった。

 2人を静寂が包み、お互いの存在にやすらぎを覚える。


 しかし、その2人を引き剥がすかのように、スヌーズ機能付きの目覚まし時計の電子音のような微かな警戒音が洞窟に鳴り響いた。



  ◇  ◇  ◇



 崖の上に黒鉄色くろがねいろに輝く24個のパーツが全て組み上げられ、まるで岩の上に突然戦車が出現したかのように見えた。その全長3.5mもの対物アンチ・マテリアルライフル、[レアリティ8]雷豪銃ドライファウストの射座に寝そべったヘンリエッタは、ゴーグルと大きなイヤーマフを装備して大きく深呼吸をする。


「……102……103……104……105……」


 正確に時間をカウントしながら作戦時間を待つ。太陽に暖められ、早くも地面から立ちのぼり始めた陽炎による目標の位置をジリジリとした気持ちで修正しながら、ヘンリエッタのカウントは続いた。


「……117……118……119……120ッッ!」


――ガシャ……ドゴン


 実用性のほとんど感じられない冗談のように大きな撃鉄が、ものすごい衝撃音とともにスライドして巨大な銃弾を弾き出す。

 音速を超え、周囲の空気を切り裂き、衝撃波ソニックブームを発生させた銃弾が廃墟の窓に寸分違わず命中し、一瞬の静寂の後に周囲の全てを吹き飛ばした。



「……ありさ姉容赦無いっすね!」


「ヘンリエッタはああ見えていつも冷静に現状を把握しているクマ。そして、やらなければならないタスクは絶対に実行するんだクマ」


「真面目っすからね」


「良くも悪くも、だクマ」


 防壁シールドを張っていた魔術師の横で、ケンタとあつもりはなぜだか楽しげに会話を交わす。着弾から5秒、別の冒険者の合図で魔術師たちのシールドが、爆風や飛来物から自分たちを守る物理シールドから、ボット特有の瞬間移動などを封じる特殊シールドに張り替えられたのと同時に、ケンタを先頭とした物理攻撃職の集団がついさっきまで廃墟だった瓦礫の山へとなだれ込んだ。


廿文字斬にじゅうもんじぎりっす!」

獣爪硬化じゅうそうこうか! サウザンド・ベアクローだクマ!」


 ケンタの[レアリティ9]神威御剣かむいみつるぎカスミダチから無数の真空波が飛び、錬金術により硬化とともに鋭さを増したあつもりの[レアリティ8]ベア・クロウ改弐からは衝撃波が横殴りの雨のように降り注ぐ。


 先ほどのアンチマテリアルライフルの銃撃と同規模の爆発が起き、その灰塵の中から一つの影が飛び出した。


「……やっぱ彼女も居たんすね。しかもシユウも無傷っぽいっす」


「想定の範囲内だクマ」


 一つ……と思われた影は、緑色の髪の少女を抱きかかえた黒髪の男だった。

 普段は折りたたまれている[レアリティ8]翠玉銃すいぎょくじゅうベリル・スマグナの、可変翼のような形の二脚バイポッド兼用シールドを展開したエリックこと[シユウ42]は、まるで宝物のように抱きしめている芽衣めいに怪我がないことを確認して、彼女をそっと地面に下ろした。

 可変シールドを構えたまま、油断なく周囲に目を配る。


 そのまま彼女の方へ顔を向けると、半泣きのようにも見える表情で言い訳を始めた。


「芽衣……今のは危険が迫っていたから抱きしめたんだ。許可を取らなかったのは悪かったと思ってる。でも、時間がなかったんだ」


「い……今は仕方ないですからぁ! それよりエリック! 逃げなきゃですよぉ!」


 芽衣とエリックが緊張感のない会話を続けるうちにも、ボット討伐部隊の包囲網は着々とその環を狭める。

 3重の特殊シールドに囲まれ、もしそこから逃げ出そうとしても、装填を終えた超大型対物アンチ・マテリアルライフル、[レアリティ8]雷豪銃ドライファウストが睨みをきかせるこの場所は、ボットにとっての死地と言えた。


「シユウボット。お前はもう逃げられないっす。無駄な戦いはやめて投降するっすよ」


 ジリジリと詰めた距離、約15m。

 レベルカンストした[侍]の特殊能力[縮地しゅくち]の範囲で言えば1歩半だ。

 ハンドガンでも持っているなら別だが、いくら最強クラスの破壊力を持つとはいえ、あの取り回しの難しい狙撃銃相手なら、ケンタにとってこの距離はスキル[刹那の斬撃]で切り伏せるのに何の問題もない間合いだった。


「……返答がなければ拒絶とみなして切り捨てるっす」


 静かな恫喝。

 あの春の日差しのようにぽかぽかと温かい普段のケンタを知っている芽衣の脳は、それが同一人物から発せられたものだと理解できなかった。

 まるで下手くそな吹き替え版の海外映画を見ているように、それは別々の情報として見える。

 しかし、物理的質量を伴って押し寄せる威圧感と殺気は確かに本物で、芽衣は体を動かすどころか瞬きすることも出来ずに、ただそこに立ち尽くしていた。


「俺はPKはしない。……だが、お前たちが芽衣に武器を向けるのなら……それが何者でも全て撃ち殺――」


 エリックの明らかな宣戦布告。

 その言葉を全て言わせることすらせずにケンタの姿はエリックと芽衣の背後に現れる。


「[刹那の斬撃]……っす」


 そう呟いた彼の剣は、既に鞘に収まっていた。


 一瞬遅れて衝撃がエリックを襲う。


 それでもその必殺の初撃に神の如き反応速度でシールドを掲げた彼は、まるで大型トラックと正面衝突したかのような衝撃を体を引きずりながら受け止める。

 押し込まれた距離、2歩半。

 通常の武器と普通の人間プレイヤーであったなら、そのまま真っ二つになっていたであろうその斬撃は、エリックの体内深くを傷つけ、その口から血を吹き出させるにとどまった。


 芽衣の言葉にならない悲鳴が、飛んでしまいそうになるエリックの意識を現実に引き戻す。


 歯を食いしばり、何の予備動作もなくベリル・スマグナと[レアリティ8]格闘銃カイゼルファングを一拍の間に入れ替えた彼は、膝からガクンと崩れ落ちる。

 しかし、崩れ落ちたかに見えた体の上をあつもりのベア・クロウ改弐が横薙ぎに空気を切り裂くと、食いしばった歯の奥から唸り声を発したエリックは一気に腕を伸ばし、3発の銃弾とともにトンファーのように広がるカイゼルファングのやいばをあつもりに滑らせた。


 着ぐるみの表面を削がれたあつもりは、砂煙を上げながら体を捻って地面を滑る。


 もう一度剣を構え直したケンタと体勢を立て直したあつもりに対面して、唇の端で既に乾き始めた自らの血を腕で拭ったエリックは、一瞬芽衣へと視線を向ける。

 まるでそれだけで力を得たとでも言うようにフッと短く息を吐いたエリックは、芽衣を傷つける敵に向けてカイゼルファングを真っ直ぐに構えた。

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