1.12〈不死者《アンデッド》〉

「なるほど。このテーブルってこうやって使うものだったんすね」


「ケンタ……ドアホウなの……説明に……ちゃんと書いてあるの……」


 やっと納得がいったと言うように腰に両手を当てて頷いたケンタの言葉に、容赦のないプルフラスのツッコミが入る。

 Cの字型のテーブルをギルドホールの中心にある蒸気ストーブに嵌めこむように置くと、そこは一気に生活の場と言う雰囲気をまとい始めた。

 壁には大きな姿見やオルゴールの付いた時計を設置し、窓にビリジアンのカーテンを吊るすと「さぁさぁお茶にしますよぉ」と言う芽衣めいの言葉に、皆思い思いの形をした椅子に座ってティーカップから湯のみ茶碗まで様々なカップに注がれた温かいココアを手にとった。


 早苗に肘先で促され、大きなマグカップを持った萌花もえかが立ち上がる。

 皆の視線が自分に集中しているのを見回すと、一瞬ケンタの目を見つめて動きを止め、慌ててまばたきと咳払いをした。


「んっうん。……えーっと、本日は私たちのギルド[草花の栄光グローリー・イン・ザ・グラス]の創立をお祝いに来ていただいてありがとうございます。一応ギルドマスターになりました萌花……じゃなかったゼノビアです」


「萌花でいいわよ」


 すかさずくすくすと言う笑い声と早苗のツッコミが入る。


「うん、一応ね。……んと、なんだっけ? あ、過分なお祝いの品までいただきまして、本当にありがとうございました。えっと……あと何?」


「もう乾杯でいいわよ」


「うん、立派なあいさつでしたよ」


 特に何のあいさつも思いつかなかった萌花は、そのまま「ありがとうございました。できればこれからもよろしくお願いします」と言葉を締めると、「乾杯」とマグカップを持ち上げる。

 その声とともに皆も熱々のココアを目の高さまで上げて、それをずずっとすすった。

 カップをテーブルに置いて、パチパチと控えめな拍手が広がる。なんとも締まらない乾杯ではあったが、3人には、なんだかそれが自分たちの新たなる門出には相応しいような気がしていた。


「……うん、落ち着くっすね。良いギルドホールだと思うっすよ」


 なぜだか一番小さい木の丸椅子を選んでちょこんと座っているケンタが、熱くなった息をホッと吐き出してしみじみとそうつぶやく。

 中央のテーブルに頬杖をついたプルフラスは「うん、素敵……なの」と相槌を打ち、帽子のツバをずらす。しかしその落ち着いた返事とは裏腹に、帽子の影から芽衣を見つめる目は鋭かった。


 それからしばらく、あまり会話もないまま蒸気ストーブの音と柱時計の音を聞きながら、それぞれに甘いココアの香りを楽しむ。

 まさか他の人達のいる前で愚痴をこぼすわけにも行かないが、それでもケンタももう少し話をしたいと考えた萌花は、「ケンタさんたちはどこらへんに住んでるの?」と言う何気ない質問を投げかけた。


「俺は千葉県っす。大きな遊園地のある街なんすけど、東京も近くて、賑やかで暮らしやすいっすよ」


「私は……今は研究所のある茨城……なの」


 ケンタとプルフラスがそう答え、自然と萌花たちの目がヘンリエッタに集中する。

 笑顔を崩さないヘンリエッタは、悠然とココアを一口、無言で口に含んだ。


「……あっ! ありさねえは……じゃなかった、ヘンリエッタさんも俺と同じ千葉に住んでっす。俺とヘンリエッタさんは従姉弟いとこなんっすよ」


 慌てた様子のケンタが、ヘンリエッタの代わりにそう答える。

 ケンタにつられてなぜか少し慌てたようになった萌花も「へ……へぇ、そうなんだー」と相槌を打った。


「今はー、GFO世界ここにー、住んでるのよー。もえちゃんが……あなたじゃない[創世の9英雄]のもえちゃんが私たちのためにつなぎ留めてくれたー、この世界に。ずーっと、世界が続く限りずーっと、私はここに生きるのー」


 相変わらずの笑顔で、ヘンリエッタはまるで独り言のようにそうつぶやく。その言葉を聞いたケンタは奥歯を噛み締め、不思議そうに聞いている萌花たち3人にむかって首を振った。


「プルフラスさん、ありさ姉連れて帰ってくれないっすか? 俺も後から追いかけるんで」


「こっちは……まかせて。そっちは……まかせた……の」


 こくんと頷いたプルフラスが芽衣たち3人にハグしてからヘンリエッタの手を引き、アイテムインベントリから[双子の水晶]を取り出すと消えていった。




「みんなには少し聞いてほしいことがあるっす。時間は大丈夫っすか?」


 萌花、早苗、芽衣の3人を前にケンタはもう一度小さな丸椅子に腰を掛ける。

 3人は一瞬顔を見合わせたものの、それぞれに頷いてケンタの周りに椅子を集め、腰掛けた。


「聞いて欲しいのは、ヘンリエッタさんと俺たち……[創世の9英雄]なんて呼ばれてる、もえさんに救われた者達の事なんす――」


 ――[創世の9英雄]


 完全没入型フル・イマーシブ技術の元になった、死者49名、脳死者3,405名と言う未曾有の事件である『GFO事件』の被害者であり、数万人の命を救った英雄たち。


 ケンタ、ヘンリエッタ、プルフラスについては、萌花たちも知ってるようにその英雄の一人だ。

 それに加え、あつもり、シェルニー、カグツチ、コロスケ伯爵、黄飛虎こうひこ、そして、もえ。


 ギルドマスターであるシェルニーが作った[もえと不愉快な仲間たち]と言うギルドを中心としたこの9人が、力を合わせて世界を救った。


「――と言う事になってるんすけど」


「え? 違うの?」


「実際もえさんとヘンリエッタさん以外の俺たちは、下準備というか、GFOの外との連絡手段を見つけたり、世界に囚われた人たちの救出を手伝った程度なんす」


 本当に世界を救った戦いは、もえとヘンリエッタの2人だけで行われ、ケンタも含めた他の英雄たちは、暴徒化しつつあった群衆をなだめたり、GFOの運営と連携して、現実リアルの世界で衰弱死しそうになっている人々を救うことに奔走していただけだとケンタは語った。


現実リアルの世界での衰弱死?」


「当時GFOに閉じ込められた俺たちは、リアルでは気を失ったように倒れていたんす。GFO昏睡者と呼ばれる状態っす。家族と同居でもしていれば良いんすけど、ありさ姉……じゃなかったヘンリエッタさんやあつもりさんみたいに一人暮らししてた人の多くは……どうすることも出来ないまま衰弱して、亡くなっていったんす」


「……亡くなって……? ヘンリエッタさんが?」


「え? じゃあ今のヘンリエッタさんは?」


 芽衣は黙って話をじっと聴き、早苗と萌花はこらえきれずに疑問を投げかける。

 泣きそうな顔のケンタは、一度深呼吸をすると話を続けた。


GFOこの世界に囚われたまま現実世界の肉体が亡くなった人は、その心だけがここに残ってるんすよ。歳をとることもなく、ただのデータでもなく、たぶん永遠に」


「……不死者アンデッド? ただの噂だと思ってた」


「その呼び方はやめてくれないっすか!」


 早苗の呟きをケンタが聞き咎める。

 早苗は口を抑えて謝り、ケンタも目をそらして、強い口調になってしまったことを謝った。


 ネットの都市伝説として知られる『不死者アンデッド』とは、イマース・コネクターでネット上の世界に完全没入フル・イマースしたまま事故にあって死んでしまったはずの人が、何事もなかったかのようにネットの世界で生活していると言うものだ。


 しかし、実際にそのような現象が確認されたわけではなく、当然実験もできない。

 多くの人びとの一般常識として『不死者アンデッド』などという存在は、チュパカブラやフライングヒューマノイドなどと同じく、ただの都市伝説にすぎなかった。


「……そういう訳なんで、この世界の危機は直接ヘンリエッタさんたちの命に関わってくるんす。なにしろGFOが無くなったら、その瞬間にヘンリエッタさんたちは本当に死んでしまうんすから。最近ボットの件でヘンリエッタさんたちにちょっと行き過ぎた行動があるのはわかってるっす……中学生の萌花ちゃんたちにお願いするのもどうかと思うっすけど、そこはなんとか察してあげて欲しいんすよ。特にヘンリエッタさんは、もえさんが残してくれたGFOこの世界に、自分の命以上の価値を見出してるんで……まぁそれは俺達も同じっすけど」


 話しきったケンタはココアの入った湯のみ茶碗を煽って空にすると「ごちそうさまっした」と立ち上がる。

 そのまま帰るというケンタをギルドの玄関まで送って、萌花たちは今日のお礼を言った。


「あの……[創世の9英雄]のもえさんって人は今は……?」


 別れ際、早苗はずっと疑問に思っていたそれをついに聞いた。

 刹那、萌花は心臓がひと回り小さくなったような感覚に胸が苦しくなる。ケンタの肩のあたりを見つめながら一生懸命胸を抑えて、萌花はケンタの言葉を待った。


「もえさんは……」


 一度言葉を切って、ケンタは夕暮れの空を見上げる。

 夕日を反射した黄銅のパイプと歯車がキラキラと輝き、それはまるで街自体が発光しているかのように美しく見えた。


「もえさんはあの事件の後、俺達の前には現れてないっす。でも、現実ではGFOの運営に携わっていると言う話を聞いてるし、実際メールは届いてるっす。今は訳あって合うことは出来ないらしいっすけど、いつかみんなでまた合うことが出来ると、俺達は信じてるっす」


 朗らかに「もえさんは俺達の事をいつも考えてくれてるし、絶対に裏切らないんすよ」と笑うケンタの顔を見たくなくて、萌花はずっとケンタの肩を見つめ続けていた。



 ケンタが帰ると、ギルドホールに戻った3人は思い思いの椅子に座った。

 それぞれの思いに沈んでいた彼女たちの中で、一番最初に気を取り直したのは、やっぱり萌花だった。

 綺麗にまとめられたポニーテールを両手でかきむしり、彼女は立ち上がる。


「もう私、絶対にボットなんかと関わらないわ。ケンタさんの……ケンタさんたちの……ううん、ヘンリエッタさんたちのためにも、GFOに問題を起こすわけにはいかないもん」


 まさに今思い悩んでいる心配の核心をついた萌花のその言葉に、芽衣と早苗はギクリと顔を見合わせる。

 ヘンリエッタたちの命に直接関わること。

 自分たちのしていることが波及する責任の大きさに、2人は少し青ざめた顔で目を伏せた。


「そ、そうですねぇ。避けないといけないですねぇ」


「う……うん、避けないといけないわね」


 いつもと違う歯切れの悪い言葉に首を傾げながらも萌花は「絶対よ、絶対!」と念を押す。

 それに頷き返しながら、俯いた芽衣はエリックの甘える子犬のような眼を思い出した。

 そして早苗の心は思考の中で蚩尤しゆうの元へ飛び、このどうしようもない状況から自分を救って欲しいと懇願するのだった。

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