1.10〈少女と機械《ボット》〉

 ギルド設立専用クエスト[団結の旗]は、低レベルでもこなせる所謂『おつかいクエスト』の集合体だ。

 あっちの街へ紹介状を持って行き、こっちの街へ人を護衛する。そんな細かく面倒なクエストを地道に何度もこなして、手に入れられるのは一枚の許可証のみ。


 プレイヤーたちがそれぞれに設立したギルドを統括する[冒険者ギルド]の窓口で、常に不機嫌そうな顔をしているNPCノンプレイヤーキャラクターの事務員からその紙切れを受け取った萌花もえか芽衣めい、早苗の3人は、顔を寄せあってじっとそれを見つめる。


「……うぅ……いやったぁぁ!!」


 萌花が口火を切ったのを合図に、3人は抱き合い、飛び跳ね、或いは涙して喜びを表した。


「やりましたねぇ! やりましたねぇ!」


「うん、時間かかったけど、達成感あるわね!」


 なかなか時間の合わない中、時間を見つけては手分けしてクエストをこなすのに3週間かかった。

 一番最後のクエストのみ、『ギルドに所属していない複数のプレイヤーがパーティーを組んでクエストをクリアする』と言う条件がついていたため、2日ほど足踏みしたが、通常1ヶ月はかかるというこのクエストを3週間でこなせたのは、まさに情熱の賜物と言えた。


「あとはギルドホールよね!」


「そうですねぇ! そうですねぇ!」


「そうね、あとはギルドの名前かしら」


 早苗のその言葉に、興奮の坩堝にあった萌花と芽衣は、今そのことに気づいたように動きを止めた。

 ギルド設立時は無料だが、ギルド名を後から変更するためにはGFOキャッシュと言うネットマネー、つまり現実のお金による課金が必要だ。

 その金額はランチ1回分ほどだったが、バイトも出来ず、限りあるお小遣いしか持たない中学生の彼女たちにとって、それは大きな壁だった。


「……慎重に決めないとね」


 何故かひそひそ声で萌花がつぶやき、真剣な顔で芽衣がこくこくと頷く。

 早苗も腕組みをして頭を悩ませた。


 とにかくギルドホールを決めたら、ギルド名を登録しなければならない。

 本当ならすぐにでも「自分たちのギルドホール」を決めたいのだが、ギルド名が決められない彼女たちは、とりあえず今日は解散して、後日熟考の末に決定することで意見の一致を見た。


「とにかく、一番いい名前をつけようよ。あのケンタさんのギルドみたいなのは嫌だもん」


「うん、ケンタさんは良い人ですけど、確かにあのギルド名はちょっと嫌ですねぇ」


「そうね、すごく有名で伝説的なギルドだけど、改めて見せられるとあの名前はセンスなさすぎだと思うわ」


「特に私の名前が萌花もえかだから、あの名前にはすっごく抵抗ある」


 とりあえず[ギルド設立許可証]は萌花のインベントリにしまって、3人はしばらくああでもないこうでもないとギルド名の案を出し合った。


 しかしすぐに良い名前など浮かぶものでもない。

 萌花はケンタにギルド設立許可証を手に入れた報告をした後ログアウトする事にして、それぞれに用事のあると言う芽衣と早苗は「また明日学校でね」とそこで別れて行ったのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ウェストエンドの街の北西に広がる砂漠地帯。そこに点在する巨石群の一つに紫色の魔法陣が輝き、その中央から淡い緑色の髪の少女が浮かび上がった。

 魔法陣と同じような神秘的な紫色の月光が降り注ぐ砂漠で、昼間と極端に違うその夜気にぶるっと体を震わせると、彼女は地面に[双子の水晶]をセットしてマントを体に巻き付る。

 周囲を見回し誰も居ないことを確認すると、大きく深呼吸してゆっくりと歩き始めた。


「……エリック? どこですかぁ」


 あまり大きな声ではない。むしろ囁き声と言ってもいいだろう。その小さな声に反応して、一人の男が瞬間移動でもするように彼女の背後に現れる。

 男は、まるで大事な宝物でも抱えるようにして少女の背中をそっと抱きしめ、小さくため息をつく。


「今日も来ないのかと思った。……芽衣、会いたかった」


「……もう、エリック。そう言うことをするときは、私に断わってからって言いましたよね?」


 芽衣は男の腕を少し乱暴に振りほどく。

 しゅんとしてうなだれた黒髪で短髪の男は、頭上に[狙撃手]エリックと言う名前が浮かんでいるが、その姿はどう見てもあの[シユウ42]、蚩尤しゆうボットの一体だ。

 エリックと言う名前は芽衣がつけた。『人魚姫』に出てくる王子様の名前だ。

 職業クラスが表示されないのも不自然なので、それも装備に合わせて[狙撃手]に固定した。そのせいでエリックの持つ一部の武器防具が装備不可能になってしまったが、彼の持つ[レアリティ8]翠玉銃すいぎょくじゅうベリル・スマグナの力を考えれば、特に問題とも思えなかった。

 これで街へ行き髪型などを変更すれば、少なくともぱっと見ではボットだとバレることはないだろうと思われたが、芽衣は許可しなかった。


 もちろん、街へ行ったら[創世の9英雄]に見つかってしまうかもしれないという不安もあるにはあったが、芽衣の心配は別のところにある。


 街へ行けば他の人がいる。他の人に会ったら私のことなんかどうでも良くなるかもしれない。


 そんな我儘で自分勝手な思いを、それを躊躇なくぶつけることの出来るこの相手が、芽衣にとって今は何よりも大切だったのだ。


「……そんなにしゅんとしないで。いいですよ、エリック」


 おいで、と両手を開く芽衣に、まるでお姫様にかしずく騎士のように膝をついたエリック……シユウボットは彼女の胸に顔をうずめ、人の温もりを心ゆくまで味わう。

 芽衣はチクチクする黒い髪を優しく撫でながら静かに目を閉じ、唇の端に微笑みを登らせた。



  ◇  ◇  ◇



 同時刻。


 険しい山道を、透き通るような青い髪の少女が黒いマントをはためかせた少年に手を引かれて登っていた。


 広葉樹が折り重なるように葉を広げた森の中には月の光も届かない。仕方なく彼らは、木々の勢力範囲の及ばない断崖のを歩いている。

 黙々と突き進む蚩尤しゆうに一生懸命ついて行こうと小走りになった早苗は、無限の底まで続いているような断崖に足を滑らせ、一瞬、無重力状態を味わった。


「おっと」


 シユウはぐいっと手を引き、軽々と早苗を引き上げる。

 悲鳴を上げるまもなくその腕に抱き上げられた早苗は、詰まりかけた息を何とか吐き出し、「ご……めんなさい」とつぶやいた。


「わるい、速すぎたか? どうも俺は自分より能力の劣る人たちに合わせるのが苦手でさ」


 早苗は無言で首を振り、彼の手の中で頬を赤らめる。


(顔を赤くして首をふるだけなんて、私ったらまるで芽衣みたいじゃない)


 ちっちゃくて、ふわふわしていて、可愛いらしい。まるでホイップクリームとわた菓子にカラフルなスプレーチョコで出来ているみたいな芽衣。

 あんな風になれたら良いなと思ったことも何度かある。

 でも、自分は同級生の男子の平均身長より背も高くて、おしゃれとは程遠いメガネをかけた痩せすぎの、可愛げのかけらもない中学生だ。


 そんな自分が芽衣みたいな可愛い仕草を真似した所で、それが同じように可愛いわけがない。

 彼女は自分の仕草が滑稽に思えて、情けなさで更に顔を赤くした。


「そうか、大丈夫なら良いんだけど……」


 そう言って早苗を地面に立たせようとしたシユウは、涙目でうつむく彼女の顔を見て思い直し、おろしかけた彼女をひょいっとお姫様のように抱っこする。

 不思議そうな顔で見上げる早苗に向けて、まるでいたずらっ子のような笑顔でニヤリと笑うと、そのまま、まるで何も持っていないかのようなスピードで山道を登り始めた。


「ちょ……シユウ! 怖……危ないわ!」


 早苗はシユウの首にギュッとしがみつく。その反応に気を良くしたシユウは崖のギリギリの縁を、木々の間を縫うように、更には崖から崖へと身を躍らせて、どんどんスピードを上げて走った。

 手を離せば奈落の底へと真っ逆さまだ。ゲームの中とは言え、そんな死に方はしたくない。


「……やだっ! 怖いよっ! ねぇ! シユウっ!」


「わはっ! はははっ!」


 早苗が力を込めてしがみつけばしがみつくほど、シユウはより一層スピードを上げる。

 ついに早苗の腕の力が限界を迎え、シユウの首から手がスルリとほどけ、宙に浮く感覚を感た彼女が「あ……ダメ……落ちる」と確信した瞬間、その脚はしっかりとした地面にトンと立たせられていた。


「着いたぞ」


 すでに早苗から興味は移り、大きな石壁の方を向きながら「あ~面白かった」とでも言い出しそうな顔をしているシユウを呆然と見つめてホッと胸をなでおろす。

 一瞬表情が緩んだものの、落ち着いた所でふつふつとこみ上げてきた怒りに、早苗は握った拳をぶるぶると震わせた。

 無言でその手を振りかぶり、頭一つ高いところにあるシユウの頬へと手のひらを一閃する。

 しかし、パシンと乾いた音を立てたのは、シユウの頬ではなく、彼の手に受け止められた早苗の手首だった。


「なんだよ、どうしたんだ?」


「ど……どうもこうも無いわよ! あんな危ないこと! ――」


 手首を掴まれて宙吊りにされたような姿勢のまま、早苗は怒りをぶつける。喉が痛くなるほど大声で怒鳴り散らしながら、彼女は『あぁ、こんなに思いっ切り声を出すのって何年ぶりだろう?』と、不思議な感覚を味わっていた。


 しばらく早苗の怒声を甘んじて聞いていたシユウは、ため息をついて彼女の手首をぐいっと引っ張り、反対の手で顎先をクイッと持ち上げた。

 シユウの顔と早苗の顔が息がかかるほどに近づく。

 早苗は言葉を失い、ただ真っ直ぐに向けられる彼の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。


「早苗。お前、俺のことを信用してないのか? 俺はお前を守ってやるって言ったはずだ。俺が守るって言ったんだからお前は絶対に安全なんだ。何も心配しないで全部俺に任せてろ」


 一気にまくし立て、最後に「わかったな?」と念を押す。


 そう言われた早苗は、自分の鼓動で鼓膜が破れるのではないかと心配になるほどのドクンドクンと言う音にクラクラと目がくらむ。

 そのままシユウの瞳に吸い込まれて行く幻覚に落ちて行きながら、なんとか「……わかったわ」と一言、ようやっと絞りだすように答えた。


「返事が遅い。それから、次から返事は『はい』だぞ」


「……はい」


「いい返事だ」


 早苗の鼻先に唇を軽く触れさせ、シユウは彼女を開放する。

 ニッと笑ってくるりと背を向け、そのまま目的の岩壁に歩き出したシユウの背中を見つめながら、自分の鼻の頭に指を触れた早苗は、熱い吐息をホウっと吐き出して唇の端に微笑みを登らせた。


「行くぞ」


「っ……はいっ」


 ちらっと振り返っただけで歩みも止めず、シユウはどんどん先へと進んでゆく。


 シユウのその声を聞いて上気した頬に喜びに満ちた笑顔を登らせた早苗は、元気よく返事を返し、慌てて彼の後を追いかけて行くのだった。

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