第4話 六年前の事件

 朝食を食べ終わり、ルチアが連れて来られたのはサピエンが誇る大図書館だった。国中で発行された膨大な図書は、一年かけてもすべてを閲覧することは不可能だ。


「あんまりここから離れんなよ。迷子になってもしらねえぞ」


 バハルはそう言うなりシャットを連れてどこかへと行ってしまった。あっさりと置いて行かれるが、ルチアが逃げないだろうという自信があるようだ。


(やっぱりゼノまでの馬車はなさそう)


 道中でさりげなく馬車たちを観察したが、いずれもゼノまでは行きそうもなかった。やはり現在治安の悪化している市へ行こうとする物好きは早々いないらしく、ルチアに残されたのは彼らと一緒に馬車にのるほかない。


(せっかくバハルさんたちもいないし、丁度良いかな)


 ルチアが目指したのは新聞が陳列された場所だった。女将の言っていた「六年前の事件」という言葉がなぜかルチアの頭に引っかかっていた。


(六年前の事件……この街でなにがあったの?)


 まだルチアは十一歳という幼さで、近所のことならいざしらず遠く離れた街のことなど記憶にはない。

 けれど六年前といえばちょうどエレーヌが滞在していた頃とも重なる。もしかすれば、姉の失踪とも関係しているかもしれなかった。


「すみません、ちょっと良いですか」


 脚立に脚をかけて本を几帳面に並べる、エプロン姿の栗毛の女性へと声をかける。髪の毛をきちんと束ねた司書がルチアの声かけに振り返り、ゆっくりと脚立から降りてくる。


「なにかお探しですか?」

「六年前、この街で海賊王が関わったという事件について調べたいのですが……」

「資料館が襲撃されたときの話ですか……申し訳ありません。それに関する新聞雑誌すべての書物が閲覧禁止になっているんです」

「閲覧禁止?」


 思わぬ言葉に困惑するルチアに、女性は申し訳無さそうに首を横に振った。しかし、女性はまじまじとルチアの濃紺の瞳を見たあと、考え込むように口を閉ざした。戸惑うルチアの視線に気付き口元を綻ばせる。


「私が実際に見聞きした六年前の話で良ければ教えても良いわ。ちょうど休憩時間なの、付き合ってもらえる?」

「本当ですか!? ありがとうございます!」


 ルチアが顔を輝かせると女性は微笑み談話室への移動を促す。ここで話を続ければ迷惑になるためそれに同意する。

 まばらな人の談話室で、女性はカタリナと名乗った。姉と同様、博識な雰囲気を漂わせたカタリナは艶やかな唇をカップに口を付けた。


「それで、なにを聞きたいのかしら? 六年前の襲撃事件についてと仰っていたけれど」

「はい。……すみません、私は全くその事件について知らなくて。最初から教えてもらえれば助かります」

「あなた、生まれはどちら?」

「中央区ですけれど」


 ルチアの出生を聞き、納得したようにカタリナは頷いた。

「なら知らないのは仕方ないわ。さっきも言ったとおり、情報はかなり制限されてしまったからね。……そうね、なにから話そうかしら。この街の資料館には行ったことは?」


 横に首を振ると、カタリナはすらりと長い指を顎にかけて一瞬悩むような素振りをする。


「じゃあ資料館の説明からね。資料館はマービリオン王国だった頃から今現在に至るまでの国に関する資料が揃っているの。中には重要機密なんかもあって、入館には身分証明書も必要になってるわ」

「そんな大事なものが、この市に? 中央区や海軍都市でなくて?」


 いくら学術的な資料が豊富な都市とはいえ、そのような代物がサピエンにあるとは思えなかった。彼女の疑問に答えるように、カタリナがこくりと頷く。


「ええ。資料館は、公共建物である図書館と違って暇な大商人が私財を投げ打って作った私営なのよ。だから所有権もその商人の一族が握ってるわけ。彼らが持っていた資料には――まあ、いわゆる国の暗部も載ってるの」

「暗部?」

「国としては知られては良くないことが書かれた資料を手に入れ、抹殺したい国。所持者は国家権力すら圧倒する財を成す大商人」


 話し続けて渇いた喉を潤すようにカタリナはカップの中を飲み干す。空いたカップを置き、カタリナはぴんと伸びた指を天に向けて魅力的な笑みを唇の端に浮かべる。

「さて、ここで問題です。どうしても手に入れたいものがあるとき、けれど相手がそれを渡さないとき、国家はどんな手段をとるでしょう?」


 その謎の答えがルチアの頭でひらめく。しかし、大きな声で言うのは憚られ辺りを見回して近くに誰もいないことを確かめてから口を開く。


「実力行使……? それが、資料館の襲撃事件……」


 カタリナは微笑むだけで正解とは告げない。しかし、ルチアはその答えが正しいのだと理解できた。


「でもどこで海賊王が絡んでくるんですか?」

「餌を撒いて海賊たちを誘い出したの。いわゆるスケープゴートね。大っぴらに国が、なんてことが知れたら情勢が安定しないこの国は崩壊の一途を辿るわ」


 六年前を思い出すかのようにカタリナは憂いのある表情で遠くを見つめる。


「海賊たちの襲撃、そう見せて自分たちが資料館――いえ、この街を襲撃した事実はこの街の人間なら誰でも知っているわ。抵抗する人間が、何人も海軍の手によって殺されたのだから」


 テーブルの上に揃えられたカタリナの拳が怒りで揺れる。その様子を呆然としながらルチアは見つめた。


「けれど私たちには声を上げることすら許されない。この街の人間は学問と平和を愛する人間ばかりだから、立ち上がる勇気を持つ人間なんていないの。……私も含めてね」


 卑下するようにカタリナが笑い、ルチアはかける言葉を失う。


「さて、もう休憩時間も終わっちゃうわ。私はそろそろ行かないと」

「……なんで、この話を私に聞かせてくれたんですか?」


 カタリナは一瞬首をかしげてから、ルチアの瞳を見て笑った。


「あなたが一時この街に住んでいた友人に似ていたからかしら。その深海のような瞳なんて特にね」

(まさか)

「おい、こんなところにいたのか」


 勢いよく立ち上がるルチアを留めるように声がかかる。びくりと肩を震わせたあと、ルチアは後ろを振り返る。不機嫌そうな顔をしたバハルがいつまにかルチアの背後に佇んでいた。

 慌ててカタリナのほうを向くがすでに姿はない。急いで談話室から出て見渡すが、どこにも栗色の髪の女性を見つけることが出来なかった。


「なにしてたんだ? あの女と」

「別に、ちょっと話をしてただけです。それより用事は終わったんですか?」


 二人で談話室を出ながらルチアが話しかけると、ああ、と気のない返答をされる。バハルの後ろを小走りで着いていき、その背中に話しかける。

「山賊がこんなところになんの用事が? そういえばシャットさんはどこに――」

「ルカ」


 抑揚のない声で名前を呼ばれ肩を壁に押し付けられる。力強い腕で捕まれた肩が悲鳴を上げるが、口を開くことが出来ない。


「どうせ同じ目的地だ、望み通りゼノまで連れて行ってやる。俺の目的は馬車であってお前じゃない。だからゼノについたらあとは好きにして構わない。だがな――」


 言葉を切ったバハルは、冷酷な瞳でルチアを射抜く。ルチアの近くにある顔が、憎憎しげに歪められる。


「俺のやろうとしていることに首を突っ込むなら、お前を殺す。いいな」


 肩から手が離されるが自由になるが、ルチアはその場で動けなくなる。それ以上なにも言うことができず力なくうな垂れた。




 シャットは夜も更けた頃にふらりと一人戻ってきた。

 彼らはこの街に用事があるらしく、ルチアたちは一晩だけ泊まることになる。初めは異性と二人きりの部屋であることに緊張するが、夕食を食べ終えた二人は「明日の昼ごろ発つ」とだけ告げて出かけ戻ってくる気配はない。

 ルチアは薄い掛け布団の間に潜り込みながら、今夜何度目か分からない寝返りを打つ。


(彼らは何者なんだろう)


 最近ルチアが考えることはバハルのことばかりだ。たった数日前に知り合った粗野な男は、蓋を開ければ山賊らしからぬ姿をしていた。金目の物を盗られたり、馬車の御者を害したりなどの行為は見られるが必要以上にルチアへ危害を加えることはなかった。


(山賊が図書館になんの用があったのかな)


 日中、別行動をとっていた彼らがなにをしていたのかルチアは分からない。けれど、あの場所が山賊には不釣り合いなところだと考える。しかしそれを問うルチアに浴びせられた、バハルの冷たい視線と腕の力強さを思い出し身体を震わせる。

 そして、行く先々でまとわりつく海賊王という名前を思い返す。アッシュグレーの美丈夫、と称した女将はきっと六年前の襲撃のときに彼を見たのだろう。


「六年前、国と海軍が海賊王たちを嵌めて資料館を襲撃した……。その海賊王が今度はゼノを制圧かあ」


 図書館でカタリナがルチアを見て「友人に似ている」と言ったことを思い出す。半年という短い期間だが、資料探しのためにこの街に滞在したエレーヌが図書館に入り浸ったのは想像に難くない。その時に歳も近い姉とカタリナが友人になったとしても不思議ではなかった。


(やっぱり、お姉ちゃんも事件のことを知っている?)


 サピエンを去り中央区に戻ってきた姉から事件の話は聞いたことがない。しかし妹に話せば心配されるとルチアには黙っていた可能性は高かった。

 ごろりと寝台に大の字に寝そべり、天井の染みをぼんやりと見ながら脚をばたつかせる。


「なにやってんだ、寝台が壊れんだろ」


 急に話しかけられルチアは寝台の上で飛び上がる。一人で足をばたつかせるルチアの姿をあきれ果てたように見ていたバハルが部屋にいる。


「いつのまに!?」


 扉を開ける音など聞いていないルチアは慌てて居住まいを正す。乱れた服を慌ててきれいにし、ちょこんと寝台で正座をするとバハルは苦笑しながらもう一つの寝台に腰掛ける。


「あれ、バハルさん……ちょっと疲れてる?」


 夕食のときよりもやや青ざめた青年の顔を見つめる。


「なにかあった――」


――俺のやろうとしていることに首を突っ込むなら、お前を殺す。

 昼間のバハルの言葉を思い出し気遣う声が途切れ、ルチアは表情を暗くし、それ以上バハルの方は見ず寝台の中に滑りこみ目を瞑る。


「お前になんの目的があってゼノに行くのか俺は知らない」


 背中を向ける少女へ語りかけるようにバハルが呟く。身を固くするルチアだったが、彼はそのまま続けた。


「ただ、一応知り合った身として忠告だ。あそこにはしばらく近づかないほうが良い。お前はここで馬車を降りるべきだ」


 それはできない、と反論を言いそうになりながらルチアは口を噤む。単純に親を驚かせたいだけ、という嘘の理由では誤魔化しきれないほどバハルの言葉が重い。


「だが俺にはお前を止める権利はない。選ぶのはルカ自身だ、俺がとやかく言っても仕方ねえ」


 ルチアは自身の背中に痛いほど視線を感じ小さく身動ぎすると、枕元になにかを投げつけられて薄目でそれを確認する。


(財布……?)


 馬車に乗った時にバハルによって取り上げられた、自身の財布が手元に戻ったことに困惑する。


「悪かったな、金がなかったんだよ。サピエンである程度金が作れたからもういらねえ。……使っちまったもんは諦めろ」


 使い込んだ分は返すつもりはないようだが、山賊らしからぬ行為が信じられずルチアは寝転がったまま反対を向く。

 寝台のふちに腰掛け、若干気まずそうにこちらを向くバハルの瞳と交差する。


「バハルさんは本当に山賊なんですか?」

「……なんでそう思う」

「だって、お金を返す山賊なんて聞いたことない。それに、わ……僕に対して危害を加える気もなさそうですし」

「俺たちには『子供と女には必要以上に暴力を振るわない』って掟があるんだよ。もちろん必要があると判断すればお前でも殺すけどな」


 バハルがごろりと寝台に横になる。大きな身体はこぢんまりとした寝台では窮屈そうで、端から飛び出る筋肉質の足はしなやかだ。


「どうせ二度と会うこともないんだ、何者かなんて気にするな。……お互い、腹を割られたら困る身だろ」

(私が嘘をついているのを知っているの……?)


 しかしそう聞くことも出来ずルチアは黙って瞳を閉じた。馬車の中同様すぐにバハルの寝息が届き、ルチアもそっと眠りに身を委ねた。

 翌日の朝、ルチアたちはまた大図書館に足を運んでいた。今回もまたバハルとシャットはどこかへと消えていくが、詮索をすることが出来ないルチアは目当ての人物を探しまわる。


「カタリナさん!」


 探していた栗毛の美女を見つけ急いで走り寄ると、カタリナは驚いたように目を瞬かせた。


「ルカ? どうしたの、そんなに急いで」


 息を切らせながら駆け寄るルチアを落ち着かせるために背中を撫でられる。暖かな手のひらの熱を感じながらルチアは口を開く。


「あの、僕……いえ私エレーヌ・カーティスの妹の、ルチアです!」

「え!?」

 驚きの顔でルチアの細い首筋が見えるほど短い髪の毛をカタリナは見つめた。女性でありながら短い髪は見苦しいことであり、ルチアも改めて自分の姿を恥じらうように顔を赤く染める。


「あの、カタリナさんはお姉ちゃんの友達なんですよね? 私、行方不明の姉を探していて、それで家を飛び出してゼノまで行こうと思って……」

「ちょ、ちょっと待ってルカ……いえ、ルチア。落ち着いて、はい深呼吸」


 肩にやんわりと手をかけられ、言われたとおりに大きく息を吸い吐き出す。少しだけ落ち着いた心臓をなだめるようにルチアは何度か繰り返した。


「エレーヌはたしかに私の友人よ。大学在籍中に図書館に毎日入り浸っている子を見つけて、興味本位で話しかけたのがきっかけ。どうりで、あなた男の子にしては可愛らしすぎると思ったのよ。――それで、エレーヌが行方不明ってどういうこと?」


 姉が探検隊に選抜されたが帰ってこないこと、海軍が現れたこと、現在山賊と行動を共にしていることを掻い摘んで説明するとカタリナが慌てふためく。


「あなた女の子なのよ!? なんでそんな危険なことを……」

「だって、お姉ちゃんになにかあったと思うといてもいられなくて」


 頭を抱えるカタリナに言い訳をするが、呆れた表情をされるだけだった。しかしその表情は徐々に険しくなり眉が釣り上がる。


「海軍が怪しいわ。この間言ったとおり、海軍も政府も当てにしちゃ駄目よ。もみ消される可能性が高いわ」

「はい……」


 資料館襲撃事件を聞いたばかりのルチアも同じ考えだった。何度中央政府へ赴いても門前払いにされた理由も今なら納得できる。


「……ゼノに行くって言ったわよね。なら、海賊王を頼りなさい。彼らはエレーヌに借りがあるから妹のあなたのことも助けてくれるはずよ」

「海賊王が!?」


 思わぬ名前が出て狼狽えるルチアに、エレーヌは大きく頷いた。


「私もエレーヌから詳しい話は聞けなかったけれど……あの子、六年前の襲撃事件で逃げた海賊を匿ったのよ。血まみれの男を拾ったなんて聞いたときはどうしようかと思ったわ。あなたがエレーヌの家族だと知らなかったから、この間は話せなかったんだけれど」

「いえ、なんというかお姉ちゃんらしいというか……」


 お人好しで、頑固者の姉が怪我人を放っておけない性格なのはルチアも重々承知している。エレーヌならきっと相手が海賊だろうが、海軍だろうが同じことをしたはずだった。


「彼らは義理堅いところがあるから、受けた恩は返すと思うの。だからゼノで彼らを探しなさい。でも無茶はしちゃだめよ。いくら海賊王とはいえ、あっちは男なんだから」


 心配そうな表情をされルチアも小さく首を縦に振る。プラチナブロンドの髪をさらりと撫でられ、エレーヌの手の感触を思い出し視界が滲む。


「あなたもエレーヌと一緒ね。思い立ったら行動しないと気がすまないところなんか特にね。本当は止めたいけれど、どうせ言っても聞かないでしょう?」

「はい。私、ゼノに行ってきます。カタリナさん、心配してくれてありがとう」


 涙を拭い、顔を挙げた瞬間にバハルとシャットの横顔が遠目にあるのを見つける。

 二日も続けて同一人物と話をしているのを見られれば、カタリナも怪しまれる可能性がある。慌ててカタリナから飛び退くと、ルチアは挨拶もそこそこに彼女から距離をとる。


「……ちゃんとエレーヌを見つけて、二人でまたサピエンに来なさい。約束よ!?」


 背後からの叫びに答えられないのをもどかしく感じながら、ルチアは彼らのもとへ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る