霧の思い出
「霧の中で名前を聞かれても教えちゃダメよ。どうしてもって言うならウソの名前を言うの」
姉はいったいどこにいってしまったのだろう。
姉が最後に目撃されたのは今からちょうど十年前、十一月のことだった。
とても濃い霧がたちこめる早朝、犬の散歩をしていた近所の女性がすれ違ったのを最後に目撃情報は途絶えている。
制服姿だったことから登校中の出来事だったのだろう。
そう報告したのは中年の刑事さんだった。
そして、近所の女性がすれ違った場所というのがここ。
「……
この鳥居の前だ。
私がまだ、小学校に上がる前によく来た場所だ。歳が離れた妹の世話をする姉と、その姉に懐いていた私。日が暮れるまでずっとここで遊んでいたのは遠い過去でも優しい思い出だ。
鮮やかな赤い鳥居の先にはこじんまりとした社がある。境内に入ったことは片手で数える程度しかないけれど、築何十年なのにとても綺麗だったことは印象に残っていた。
……らしくはないけれど、神頼みでもしてみようか。もしかしたら、そんな気持ちが私を動かす。
もしかしたら、姉が帰ってくるんじゃあないのか。
もしかしたら、誘拐か拉致で今はどこかで生きてるんじゃあないだろうか。
もしかしたら、家出したまま新しい土地で楽しく過ごしているんじゃあないだろうか。
もしかしたら。もしかしたら。もしかしたら。
もしかしたら、姉は、もうーー
「お嬢さん。そんなに急いでどこに行くんだい」
若い、男の声だった。
ハッとして辺りを見渡すといつの間にか薄く霧に包まれていた。どれだけ集中していたのだろうか。まったくもって気がつかなかった。
目線を動かせば、私のすぐ隣にその男はいた。素人の私から見ても立派な純白の着物を着て、石でできている階段に腰をかける彼はどこか神々しさを感じる。
日本人なら普通、似合わない銀髪も彼にはとても似合っていた。
「お参りを、しようかと」
「へぇ、『お参り』ねぇ。そんなに急いで? 早朝は誰もいないからゆっくりしていても平気なのに」
彼は何が面白いのか、その整った人形のような顔をニヤリと歪めて私を見上げている。
確かに今は早朝だ。それに登校中なのだし、部活に遅れるわけにもいかないから急いでいるのだけれども。
「早朝なら誰もいないと思って来たらあなたがいたじゃあないですか」
「はっはっは! それもそうか! お嬢さん、面白いなあ。名前、教えてくれよ」
「ナンパなら他所をあたってください」
冷たく彼をあしらえばつれないなとか言いつつ楽しそうに笑っている。もうお参りをする気も失せてしまった。
ああ、時計を見ればもう六時五十分。急がないと部活が始まってしまう。
「あれ、お参りしないんだ」
「部活があるので」
遅刻をすれば先生に怒られてしまうだろう。彼に構っている暇はないんだ。
「俺は
ニコニコと笑う彼を無視して、私は階段を飛び降りた。
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