第7話 毒薬

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 女の子は皆から仲間外れにされて悲しくてたまりません。その上、追い立てられたせいで、継母にあれほど言われていたのに、いつの間にか森に迷い込んでいました。足は疲れてもう一歩も歩けません。途方に暮れて、とうとうしゃがみ込んで泣きだしてしまいました。

一体、どれくらい経ったでしょうか。ふいに、女の子に声が掛かりました。

「どうして泣いているの?」

「皆と違うから、仲間外れにされてしまうの」

「そんなら私と遊びましょう。わたしの名前は〈忘れ姫〉。仲良くしましょうね」

 顔を上げると、大きな木のうろの前に、同じ年頃の賢そうな子が立っていました。その子はにっこり笑って、女の子の手をとり、立ち上がらせました。

 二人は手をつないで森の奥へと進みます。女の子はもう帰り道がわかりません。けれども、なんにも怖くありませんでした。なぜって、女の子を導いてくれる手があったのですから。



 『七色アミュレス』はもちろん子ども向けだったけれど、パステルカラーの色合いとはあべこべにかなり重いテーマを含んでいたのだと、今ならわかる。正ヒロインとサブヒロインの計七人で、人が理性を失い、姿形まで化け物と化してしまう『人狼化現象』に立ち向かう姿を描いたアニメだ。ヒロイン達は、各々、大事な人から託されたお守りアミュレットで、魔女っ子アミュレスに変身できる。

 最初のうちは七人が七人、それぞれのアミュレットで変身して戦っていたけれど、そのうちにヒロインが七つのアミュレットすべてを身につけ、『偉大なる魔女グレートアミュレス』にランクアップしなければ、敵に勝てないとわかる。サブヒロイン六名は、葛藤する。アミュレスになることで自尊心を得ていた子、大事な人からもらったアミュレットを譲りたくない子、いざという時に変身できなくて家族を守れないのは嫌だという子……ヒロインは、サブヒロイン達を説得し、あるいは戦い、最後には七つのアミュレットを身に付けて、『偉大なる魔女』となり、街には平和が戻る。

 だけど、物語はここで終わりじゃなかった。さらに深刻な『人狼B型』が日本各地で発症し、国家プロジェクトとして人狼化対策委員会が設置される。正ヒロインは委員会からアミュレットの提出を求められる。国で育成された人狼対策エキスパートにアミュレットを渡せ、そうすれば日本が助かる、ひいては世界も、と。その裏には日本が政治的なイニシアチブを握れるとの実に大人らしい事情もあったのだけれど。

 ともかく、正ヒロインがサブヒロインに要求したことが、今度は自身にふりかかってくるのだ。時同じくして、正ヒロインのボーイフレンドに人狼化が発症してしまう。委員会がボーイフレンドを治してくれる保証はなく、下手をすれば感染源として殺されてしまい、しかし今ままの自分では力が及ばない。どちらに賭けるべきなのか、正ヒロインは悩みに、悩み、迷って迷って、そして………………

「美雪、あんた、朝っぱらから何しとんの?」

 無遠慮な声に、目を覚ます。

 のっそりと起きあがれば、周囲はひどい有様だった。六畳の畳部屋いっぱいに、段ボールやら、ガラクタやらが広がっている。布団も敷かずにうたたねしてしまったせいで、身体のふしぶしが痛んだ。心なしか喉も痛い。

 一瞬、自分がどこにいて、何をしていたのか理解できない。小学校低学年まではおもちゃをさんざん広げて、遊び疲れて眠ってしまうなんてことがよくあった。その頃にタイムスリップした錯覚を覚える。

 霞みがかった頭で考え、ようよう思い出す。宝さがしをしていたのだ。もちろん、子どもの遊びではなく、かつてアミュレットと交換したという香世子さんの宝物を。

 正直に認めれば、私は香世子さんと宝物を交換したという記憶を全く覚えていなかった。アミュレットの存在はもちろん覚えていたけれど、それを交換したというエピソードについて何一つ覚えていない。

 けれど香世子さんがあんなにも嬉しそうにしていた手前、口が裂けても忘れたとは言えなかった。文字通りの口封じをされてしまえば、なおさら。

 唇を押さえれば、あの冷たく柔らかな感触が甦り、記憶の中の香世子さんのそれとは反対に熱を持ち始める。彼女は一体、どんなふうに私の唇を味わったのか……

 昨夜はあの後、香世子さんに見送られ、夢見心地のまま帰路についた。香世子さんは行為について何も言わず、私に訊ける余裕などあるわけがない。ぼんやりしたまま機械的に食事や入浴を済ませ、ベッドに倒れ込んで。そこでベッドカバーのミミタンと目が合ってはっとする。宝物。

 二人で交換したはずの宝物。二人の絆の証し。もし、それを覚えていないと知れたら。

 全部、無かったことに、なってしまう……?

 洗い髪もそのままに、私は猛然と宝さがしを開始した。香世子さんが〝宝物〟と評したぐらいだから、高価で美しい何かのはず。螺鈿の宝石箱に相応しい何か。そういったものを私が捨てるわけがなく、部屋のどこかに仕舞い込んでいる可能性が高かった。クローゼット、チェスト、机、自室のありとあらゆる場所をひっくり返したがそれらしき物は無い。リビング、洗面所、母の化粧台やタンス等々、捜索範囲を広げて捜したが、めぼしいものは見つからなかった(夜中に、突然部屋を荒らし出した娘に、当然母は怒り狂ったが)。

 子どもの頃に交換したなら、自宅にあるとは限らない。子どもの頃、母に用事がある時は祖父母がいる母屋に預けられることがよくあった。そのたびに遊び道具もわんさと持ち込んでおり、置きっぱなしになっているものも多い。持ち帰るのが億劫で意図的に置いていったものも多数ある。

 今日が土曜日で学校が休みなのを良いことに、私は早朝から母屋へ入り浸り、宝捜しをしていたのだった。六畳の東向きに面したこの部屋は、かつての私の遊び部屋だ。母屋には余っている部屋がいくつもあり、孫娘専用の遊び部屋を用意するなど造作もなかった。

「お母さん、おこっとったよ。なんかしたんかね?」

 祖母が訛の強い口調で聞いてくる。

 母は、実の親でありながら、祖母をあまり好いていない。勉強してくる、と早朝に出ていった娘が祖母の家に入り浸っていることを知れば、面白くないだろう。

 そういえばと、ふと思う。昨日の夜は遅くなったけれど、特には怒られなかった。私自身が、頭がいっぱいで母の小言が入ってこなかっただけなのかもしれないけれど。

 祖母に別に、と答えて大きくのびをする。

「昼ご飯、あんたはどうする? 餅でも焼いてやろうか?」

 もうお昼なのか。天気が悪いのか、部屋がうす暗く、時間感覚が麻痺していた。そう空腹ではなかったけれど、祖母の言葉に素直に頷く。相手が祖母の場合、断るほうが難しい。

 それにしても、クリスマス直前だというのに、一気に飛び越してお餅とは、さすが祖母だ。こういう季節ものというか、行事に無頓着なところも母が祖母を嫌う要因だろう。

 一方の母は、昨夜、キッチンの折り畳み椅子に座り、赤や緑の小布を縫っていた。クリスマスのオーナメントでも作っていたのかもしれない。今年も家族でクリスマスを祝う気なのだろうか。中学三年生ともなれば家族でクリスマスという年でもないし、それに今は受験真っ最中。とてもそんな気にはなれないのに。あの人はいつまで正しい家族の在り方に固執するのだろう。たとえば、私が東京の大学に進学するとしたら、その後の長い人生をどうやって過ごす気なのか。やっぱり、クリスマスのオーナメントを飾り、お正月にはおせちを作り、桃の節句にはお雛様を出すのだろうか。

 ――ラプンツェル、ラプンツェル、おまえの髪を垂らしておくれ。

 それは母親代わりの女魔法使いの呼びかけ。女魔法使いは、森の塔にラプンツェルを閉じ込め、世間から隔離した。本当は、母も私を閉じ込めてしまいたいのではないか……

 私は頭を振るった。早く宝物を見つけて、勉強に戻らなくては。大日向有加の成績も気になる。

 しかし、結局、母屋の六畳部屋からも宝物らしきものは見つけられなかった。

 けれど、わかったこともある。押入れから引っ張りだしたおもちゃ箱から、『七色アミュレス』のアミュレットセットを見つけたのだ。七つのアミュレットが安っぽいプラスチックのジュエリーボックスに並べられたそれ。だけどそこには赤い指輪だけが無かった。やはり、香世子さんが持っていたのは、私と交換したものらしい。しかし、ジュエリーボックスの中には、肝心の指輪と交換したはずの宝物は入っていなかった。

 心当たりは手当たり次第に漁った。あとはこのガラクタの山を片づけながら探すしかない。

 ままごとセット、ジェニーちゃんとそのボーイフレンド、ミルク飲み人形、シルバニアファミリー、自動編み機、ボードゲーム、アクセサリーキット、小さなピアノ、パズル、ビーズ、ビー玉、シール、キーホルダー、大量のぬいぐるみ……エトセトラ、エトセトラ。こうして押入れから一同に出してみると、まさにおもちゃの山で、我ながら呆れてしまう。どれも状態は良く、二、三度だけ遊んで、あとは仕舞ったきりだったものもきっと沢山。我ながら甘やかされ過ぎなんじゃ、と思わないでもない。

 甘やかされていると感じた箇所は他にもあった。押入れの襖には、油性マジックででかでかと稚拙な絵が描かれていた。勿論、犯人は私だ。他にも壁、柱、箪笥、冷蔵庫などなど母屋のいたるとことに落書きが蔓延っていた。自宅だったら、母に烈火のごとく叱られていただろうに。

「美雪、餅焼けたよ」

 香ばしい香りとともに、祖母が大皿に盛ったお餅を運んできた。おもちゃを足でのけ、大皿を畳にじかに置く。

「これ結構ひどいね。怒らなかったの?」

 襖の女の子だか怪獣だかわからない絵を指差し、祖母に尋ねる。

「まあ、子どものやることだで、しょうがないね」

「それ、躾としてどうなの」

 やった張本人の台詞ではないとわかっていたがつい言ってしまう。けれどその答えは意外なものだった。

「直美がそう言ったんだわ。子どもに怒ったところでしょうがないって」

 私は軽く驚いた。母は潔癖症とまではいかないが、自分の思うとおりに家が維持されていないとヒステリックになる傾向がある。先日も茶碗の食器棚に仕舞う位置が間違っているとぐちぐち嫌味を言われたばかりだ。この手のことに率先して怒りそうなものだが、母屋ならば汚されても良いと考えていたのかもしれない。自分の母親ながら身勝手な人だと思う。

 考えながら大皿のお餅に手を伸ばし、

「ちょっと、おばあちゃん」

 予想していたことではあったのだけれど、思わず顔をしかめてしまう。

「なんかね。固くならないうちに食べんさい」

 大量に乗せられたお餅には、半分に海苔を巻いて醤油、そしてもう半分は湯に潜らせてきな粉が振りかけてあった。大雑把な振り方で、三分の一は、醤油きな粉餅となっていたが。どうして、別皿に取り分けないのか。文句を言えば、祖母は三種類の味が楽しめて良いじゃないかと返してくる。なんにしても、醤油もきな粉砂糖も大量に振りかけてあり、高血圧になりそうだった。

「細かいね、あんたは。そういうとこ母親とそっくりだよ」

「一緒にしないでよ」

 祖母と比べれば、誰もが細かい部類に入るとはわかっていても、母と同類にされると座りが悪く、ついつい口を尖らせてしまう。

「あんたはほんとに細かい。スイカを切って、ほんちょっと塩をかけてやったら、大泣きして」

 こちらの言葉は見事にスルーし、祖母は別件を持ち出してきた。私も負けずに応戦する。

「隠し味じゃなくて、スイカがしょっぱくなるほどかけてたけど」

 少量の塩ならば確かに甘みを引き立てるけれど、祖母は加減を知らないのだ。

「だからって、その上に砂糖を掛けるやつがあるかい」

「ええ?」

 身に覚えがなかった。しかし、居間でテレビを観ていた祖父までが、

「ああ、そんなこともあったなあ。泣きながら砂糖をぶちまけて難儀したわ」

 と話に乗ってくるところを見ると、満更祖母の覚え違いでもないのだろう(祖父は無口だが記憶力は確かだ)。

「お前は甘いもんが好きで、なんにでもよく砂糖を掛けたがったが、あん時は直美がお前をきつうく叱ったんだったなあ」

「それまで直美はあんたに大甘で、どんなわがままに育つか心配しとったんだけど。さすがにこのままじゃイカンと思ったんだろうね」

「その頃から、落書きもせんようになったなあ」

 祖父母は揃って遠い目をして、次に襖の落書きと畳に散らばったおもちゃを眺めて苦笑した。娘と孫娘の成長に思いを馳せる、老夫婦。それはとても結構なのだけれど。私は不可解な心持ちのまま、きな粉醤油磯辺巻きを頬張った。

 忘れていることがたくさんある。たとえば『七色アミュレス』。あのアニメが大好きで大好きで、放映時間になるとテレビの前に座り込み(おかげで随分早くに時計の読み方を理解した)、録画してもらい繰り返し観ていた。でも結局、ヒロインが委員会にアミュレットを差し出せと命じられた時、どういう決断を下したのか覚えていない。ボーイフレンドの行く末も。

 簡単な昼食を終え、片付けをしながら、おもちゃひとつひとつを吟味するように手に取って見つめる。どれも買ってもらった時は嬉しかったに違いない。けれど、あっさり飽きて押入れに仕舞い込まれてしまったものたち。

 そういえば、ぬいぐるみのミミタンはどこへ行ってしまったのだろう。私は今更ながらに疑問に思う。宝物をさがし始めてから、自宅でも母屋でも見掛けていない。いや、もう、ここ数年ずっと見ていないのかもしれない。お気に入りのぬいぐるみなので、捨てるということはまずないとは思うのだけれど。

 結局、母屋でも宝物は見つからず、翌日の日曜日もかなりの時間を割いて宝捜しを続行したけれど、目当てのものは見つけられなかった。

 そもそもさがし物がなんなのかわからず、だからこそ見逃しがあるのではないかと何度も同じところをさがしては、徒労感と焦燥感を募らせる。

 日曜の夜、私は自分が何をすれば良いのか、さっぱりわからず途方に暮れていた。 もちろん、もっとも重要なのは来週から始まる学年末テストだ。大日向有加の内申点が私よりも上だろうが、下だろうが、学年末テストで失敗すれば学内選考会で落ちてしまう。けれど、まったく勉強に身が入らなかった。

 香世子さんはもう大日向有加から内申点を聞き出しただろうか。聞くとしたら、『Sun room』で会うのだろうか。それとも、電話やメールを使うのだろうか。

 どんな声で、どんな口調で、どんなふうに聞き出すの、私にするよりも優しくするの、香世子さん。だって私は、香世子さんと交換した宝物を忘れてしまった。他にあった山ほどのおもちゃと同じに。

 ……だったら、あのキスも無かったことになってしまうのだろうか。

 香世子さんの美しい顔が、美しく歪むのが想像された。真珠のような涙を浮かべて。

 ――哀しいわ。あれはあなたと私の絆だったのに。

  ――ごめんなさい、すぐに見つけ出すから。だからお願い見捨てないで。

 ――だって覚えていないのでしょう。どうやって捜すというの。

  ――わからない。でも一所懸命捜すから。

 ――覚えていない宝物を捜すのは、小人の名前ルンペルシュティルツヒェンを言い当てるのと同じくらい難しい。あなたにはきっと無理。

 美しいその人は、血のように赤い指輪を指から抜き取る。傍らに現れたのは茶髪の娘。美しい人は指輪を娘の薬指にはめる。鐘が鳴り、ファンファーレが響き、花吹雪が舞い、結婚式が始まる。違う、そいつは偽物、私が本物の花嫁、愛しいローラント、愛馬ファーラダー、はしばみの木よ、どうか私を助けて!


 現実と妄想とグリム童話が混在した夢は、疲労と憂鬱をたっぷりともたらしてくれた。はかどらない勉強に見切りをつけ、少しの間ベッドで横になっていたのだけれど、逆効果だったようだ。

 喉の奥が乾燥して貼りついた感じがする。私は気だるさを引き連れたまま、水を飲みにキッチンへ降りた。

 一階には誰もおらず、両親も寝室に引き上げていた。喉を潤し、一息ついたあと、ふと窓の外に目をやる。

 パイプ椅子が脇に置かれたキッチンの窓からは、高台の白い邸がよく見えた。明かりは点いておらず、ただ夜に沈んでいる。午後十一時。香世子さんとは金曜の夜から会っていない。土曜から車で出掛けたようで、それきり音沙汰がなかった。

 明日は、きっと会える。大日向有加の成績もきっと一緒に。

 それが嬉しいのか、怖いのか。私は小さく身震いをして、自室に戻った。 


 

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