第6話 傍観者

 

 何人かの虚ろに歩く住人とぶつかってしまったのを気にせず、風のように全速力で街を駆け抜ける。後ろから怒鳴り声が聞こえたような気がしたけど、それも気にしない。

 家から目的の場所までの道程は、もう何年も歩き続けているヴァンにとって庭みたいなものだ。細道、塀の上、はたまた屋根に飛び上がり、知る限りの近道を駆使して、目的の場所へと走る。




「――よお、スクラップボーイ。そんな急いでどうしちまったんだ」


 サルータは気味の悪い笑みを浮かべながら、妙に嬉しそうな口調でヴァンを迎える。

 返事をする暇もなく、辺りをキョロキョロと見渡す。だが、ガラクタの山はどこにも見当たらない。その嫌味ったらしい口調の意味を知ったヴァンは、息を切らしながら力なく地面に倒れこむ。


「……ああ、ちくしょう。なんでだよ、頼んだじゃねーか!」


 さすがにガラクタを背負って、ユウナを助けにいくわけにもいかなかった。サルータの隣に、ガラクタの山をまとめた風呂敷を置いて、風に乗るようにしてその場を後にした。「見といてくれ」と一言残して。

 だが、そこにはしぼんでしまった風船のように、寂しげに風呂敷が横たわっているだけだった。


「ああ、ちゃんと〈見ていた〉さ、だろう?」


 自称靴磨き屋のサルータは、さも当たり前といった口調で喋る。「見ててやるが、それ以上何かするとは一言も言った覚えはないぜ。けけけ」―――ああ、そういえばサルータはこういう奴だったか、と怒りよりも諦めの方が早かった。

 

 風呂敷だけでも残っていただけ幸いだった。腹を空かせた野犬のごとく、盗られる時は、一切の慈悲も存在しない。そこには最初から何もなかった。なんて風にそこらを歩く質の悪いブラン酒を飲みほうけて悪酔いした親父に、けらけらと笑われるのがオチだ。


 悔しさに身体を震わせる。「見つけたらぶっ飛ばしてやる」そんな事を口走りながらも、犯人探しなんてものを始めてしまえばキリがないことをよく知っている。

 盗みや、強奪は日常茶飯事。つまりは、それだけ行っている絶対数が多いのだ。それはお腹を空かせた子供なのか、既に悪事に慣れている大人なのか、もしくは気の狂った老人なのか。誰を疑うというより、誰もを疑うという方が効率良いのかもしれない。


「……サルータ、まさかお前が」

「けけけ、盗らねえよ。お前には分かるだろうスクラップボーイ」

「けっ、わかってら!」


 冗談でも言ってなければ腹の虫が収まらなかった。ああ、腹が立ったら、もう腹減ったきた。

 この痩せこけたネズミのような顔したサルータの性格をヴァンは知っている。いつだったか忘れてしまったが、このやる気の無い靴磨き屋は自分から〈傍観者〉と言っていた。基本的に当事者になりたがらない。誰かがつかみ合いの争いになったり、悪事を働く輩を見かけても、ただ見ているだけ。

 今回の様に、隣でヴァンの荷物を物色する輩がいても、へらへらと笑いながらどこまでも見ているだけで、話かけられなければ喋りもしなかったのだろう。


「じゃあ、せめて盗っていったのがどんな奴だったか―――」

「やなこった。そしたら俺がそいつらに殺されちまうかもしれないだろ。けけけ、見ているだけがいいんだよ」


 街の傍観者であるサルータは、その悪趣味にも思える習慣を時には場所を変え、ごくしょうもない騒ぎから、大規模な事件まで傍観している。その為、人によっては喉から手が出る程に欲しい様々な情報を知っていた。あくまでサルータが見聞きし記憶している範囲になるが。


 ただ、あくまでも情報屋ではない。自称靴磨き屋は滅多にやって来ない客を呑気に待ちながら、唯一の娯楽として傍観したいだけなのだ。だから、自身が巻き込まれるような行動は取らない。気が乗ったときは口が軽くなる時があるが、気が乗らなければ金を積まれても簡単に情報を話さないと心に決めている。

 そんな歪な美学を胸に秘めていることなど露知らず、ヴァンはうな垂れる。


「ちぇ、今からまた集めんのは嫌だし、トール爺にまたうるさく言われんのかぁ、ちくしょう」

「まあ、諦めるこった。どうせあんなガラクタ盗っていくのは、なんでも盗めば良いと思っている馬鹿な北のスラムの連中だろう」


 サルータは情けと言わんばかりに、ぼんやりと情報を与えるが、それは無意味に等しい。北のスラムの住人に一人ずつ聞いていくわけにもいかない。犯人かと疑わしい者は一人や二人といった話じゃないのだ。何よりもガラクタのためにそこまで躍起になる必要性が感じられなかった。

 ただ、朝っぱらから頑張ってガラクタの山から掘り当てた『上等なガラクタ』を、どこぞの馬の骨に簡単に取られてしまったということ。それに、これからトールの怒鳴り声を鼓膜が破れかねんほど聞かなければいけない、そう思うと気が滅入る。


「ほら、でもその棒きれは持って行けなかったみたいだぞ」


 言われてヴァンは改めて風呂敷を確認すると、棒きれと言われたそれは刀身が赤茶に染まりきった錆びた剣だった。髪の毛一本すら切れそうにないそれを見て、正にガラクタだと思った。

 手に取ろうとした時、赤く光る石が柄の上部にはめこまれていることに気づく。これが価値のある宝石なのかどうかヴァンには判別できなかったが、少しでも値打ちがありそうなものは根こそぎ持っていくはずなのに、何故これだけ見逃してしまったのだろうか。

 首を傾げながら、今にも砕け散りそうな古びた剣を手に取る。



 ――――――――――ドクン。



 剣の柄を握ったその瞬間、周囲の音が一瞬にして消えた。その代わりに耳からではなく大きな重低音が身体の中で響き渡る。頭からつま先まで全身が脈動する感覚に襲われた。まるで世界の脈打つ鼓動を直に聞いているようで、今まで感じたことのない不思議な感覚に気分が悪くなる。


「―――けけけ、やっぱり馬鹿力だなスクラップボーイ」


 サルータの声が耳に届いたと感じた瞬間、どこかに遠くに行ってしまっていた周囲の音がまた一瞬で戻ってくる。少し離れた所で怒鳴り合う声が聞こえる。また客と商人がくだらない事で揉めているのだろうか。


「大の大人が三人揃ってもその剣を持ち上げられなかったってのによ、なんなんだお前は」


 驚くというよりも妙に楽しそうなサルータの言葉を聞いて、逆にヴァンの方が驚いた。大人三人がかりでも持ち上げることができなかったというが、特になんてことのない重さの剣だったからだ。ヴァンが扱うには少し長めの長剣に近い長さだったが、少し腕力のある子供ですら振り回すくらいはできる重さだろう。

 

「なあ、それよりもさっき音聞こえたか?」


 サルータの話も気になるが、それよりも先ほどの妙な音は一体なんだったのだろうか。


「ん、ああさっき道端で壮大にゲロぶちかましてた爺さんの話か」

「違う、もっとこうなんつかーか、とにかくでけぇ音だよ」

「あぁ? とうとう頭の中までスクラップになっちまったていう話かぁ」


 へらへら笑うサルータをつい勢いのまま殴りそうになったのを必死に堪える。相手をするだけ時間の無駄だ。

 それにしてもさっきの音は何だったのだろうか。あれだけの馬鹿でかい音が、これだけ近くにいたサルータですら聞こえていないのはおかしい。


「うーん………―――まあ、どうでも良いか!」


 考えてもわからないことは考えない。


 楽天的に切り替えの早いところはヴァンの良いところでもあるが、同時に思慮の浅さが露呈する短所でもあった。







 ユウナを待たせている事もあり、話もそこそこにその場を後にする。

 大きな風呂敷をくるくると巻いて、紐のように右肩から左脇に通して前できつく結び、剣を背中に担ぐ。

 どうみてもガラクタにしか見えない錆び尽くした剣だったが、さっきの妙な感覚が気になりとりあえず持って帰ることにした。ひょっとすればこれを渡せば頑固頭のトールも少しは説教を甘くしてくれるかもしれない。

 それにサルータの「商売の邪魔になるからもって帰れ」とうるさい事もあったが、客なんて来ないのに一体なんの邪魔になるのだろうか。


 雲一つない晴天の今日。陽が少し傾いてきた頃の今が一番心地の良い風を感じれる。来た道を辿るようにして帰り道を全速力で駆け抜けていると、見覚えのある大きなぬいぐるみに顔をうずめるようにして、道に座り込んでいた少女が目に入る。急停止させてから、ゆっくりと近づく。


「ん、お前エレインか?」

「……ヴァン?」


 上げた顔を見てやっぱりエレインだ、と思ったのと同時にエレインはぬいぐるみをその場に置いてヴァンに勢いよく抱きつく。


「――んあ? こんなところでどうしたエレイン、馬鹿兄貴達はどこだ?」

 

 急に抱きついてきたエレインは、ヴァンの問いかけに応えることもなく嗚咽を漏らしながら泣き始める。 

 エレインは、基本どんな時でもあの馬鹿兄貴の傍から離れずにいるはずなのにどうして一人でいるのか。それに、言葉を覚えて間もない程に幼いエレインだったが、ちょっとやそっとのことで泣いたりはしない我慢強い子であることを知っていた。嗚咽を漏らす程に泣きじゃくるエレインを初めて見たヴァンは、嫌な予感を覚えずにはいられない。


「おい、泣いててもわからねぇよ、一体どうしたんだ」

「……あの女の人、連れて、かれちゃった」

「あの女の人……―――ユウナか! ユウナが誰かに連れてかれたのか?」


 エレインの両肩を掴む。小さな肩は、小刻みに震えていた。


「アルガお兄ちゃん、助けようとしたの……でも、でも全然……だから私に、逃げろって」


 エレインはそこまで言うと、大きな声で泣き始める。よく見れば泥だらけの手足は転んでしまったのか、所々擦り傷が見える。誰かに助けを求めようと、ここまで走ってきたのだろう。


「どこにいるんだ」

「……お化け工場」


 ヴァンの家からそう遠くない、当時は一番多くの人が出入りしていた巨大な酒造工場。いまでは中身の入っていないおもちゃ箱のような廃工場。街の子供たちは、その冷ややかな空気が漂う幽然とした様から〈お化け工場〉と呼ぶ。


「ヴァン……お兄ちゃんたち、助けて」


 ここからさほど離れていない。ヴァンが急げば数分かからずたどり着くだろう。ただ、幼いエレインからすれば結構な距離走ってきた事になる。エレインの頭に優しく手を置いてから足に力を込める。


「―――あとは任せろ!」


 一言吼える様に叫んでから、また瞬足の風になる。

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