第04話 01
卯月さんがおれを誘ったのは、ある晴れた夜のことだった。
その日はどちらも仕事は休みで、なので卯月さんは早くから我が家に来ていた。台所に立ち、夕食の支度をする。そのうちに他の友人たちも集まり始め、毎夜のとおり饗宴が開かれる。思い思いに舌鼓を打ち、そののち銘銘
あーあ、と畳の上に
と。
「ん?」
ふと辺りがすっかり静まっていることに気がついた。逆さまになったまま部屋を見渡す。いつの間にか、ひしめいていたはずの友人たちがいなくなっている。壁にかけられた時計に目をやる。長針がちょうど、まっすぐ床……ではなかった、天井を指した短針の上を通過していた。日付が変わった瞬間だ。要するに、おれたちは真夜中までこうして遊んでいたというわけだ。充分に満喫しただろうおれたち以外の友達は、もう帰っていた。気がつかなかった。きっと、いいや、必ず、みんな挨拶をして辞したに違いない。夢中になるあまり、生返事を返してしまっていた。(それすらも憶測でしかない。とほど遊戯に集中していたのだろう、時間泥棒の名に恥じない中毒性である。)それは卓を囲んでいた他の三人も同様で、
「おお、もうこんな時間じゃん」
「明日おきらんねーよ」
「ちょっ、早く帰ろーぜ」
みな慌ただしく立ち上がっていた。おれもまた、緊張の糸が切れた途端、心身の疲弊に襲われていた。横になったらもう起きられない。寝ころんだまま、気をつけてねと見送った。
「わりー関口、片づけなくて」
「いいよそんなの。気をつけて帰りなね」
「ああ、じゃあまた明日……、いや、もう今日か」
「だな」
そんな軽口を交わしながら、三人は手を振り廊下へと消える。おれも無作法だとは思いながらも、寝ころんだまま手を振った。見送らなくて悪いねー、それでも一抹の良心から声をかける。おうー、との返答は、もはや空耳かと疑う小ささである。皆そそくさと帰路についていた。
(さって、と。)
ひとつ伸びをして回路を切り替える。ここからは“菜子”との時間だ。すっかり夜も更けている。明日……いいや、今日か、とにかく次の日の活動に支障をきたさないために、断腸の思いで時間を切り詰めなくてはならない。だったら
「すっかり夢中だね、関口くん」
にっこりと卯月さんが覗き込んでいた。
「っ!」
心臓が停止した。まったく準備を怠っていたおれは、意表外の一撃に、覚えず絶叫を挙げてしまうところであった。……寸前で踏みとどまれたのは、ひとえに鍛錬の賜物である。“菜子”との暮らしにより、おれの心身は鍛えられていた。とつぜん壁から顔を出すのは日常茶飯事、ひどいときには朝、目を覚ましたら、隣で生首のように首から上だけを出していたこともあった。(さすがに怒った。)迷信深い友達の言葉は、あながち見当違いというわけでもなかった。たしかにある意味、おれは『何か』に取り憑かれているのだ。無邪気で可愛らしい、“菜子”という『何か』に。
そんなスリリングな毎日が、おれをたくましく成長させていた。滅多なことでは驚かない、強心臓を手に入れていた。知らず知らずのうちに精神の筋力が増していたのである。
「う、卯月さん、びっくりさせないでよー」
それでもせりふが
「ありがと、でも大丈夫」
「そう?」
「うん」
ありがとね、関口くん、二たび彼女は微笑んで言った。と、そのまま彼女は何やら窺うような顔つきへと変じる。躰を委縮させ、上目づかいでおれを仰ぐ。どこかで見たような光景だ、既視感に囚われる。こんな卯月さん、どっかで…………。
と。
「あっあのねっ、関口くんっ!」
「!」
もう少しでたどり着けそうだった解は、勢い込んだ卯月さんに雲散させられていた。なっ、なにっ? 慌てて答える。意識のヴェクトルを反転させる。外界へと向ける。視神経にちからを注ぎ込む。そうして両のまなこに映されたのは――彼女にすれば珍しい、落ち着きを喪っている卯月さんの姿だった。
(……ん? 珍しい?)
いだいた感想にもまた、既視感を覚える。たしか以前にも、同じ感想をいだいたことがあったはずだ。お姉さん然としている卯月さんには珍しいと、そう思った記憶が……。あれは一体、いつのことだったっけ…………。
こたびの疑問にも、解が導かれることはなかった。それよりも先に、卯月さん自身が呈示してくれたからだ。大脳にしまわれたそれとまったく同様のしぐさを作り、彼女は言ったのである。
あのね、わたし……、お願いがあるんだけど、
と。
ああ、
と、思考が暴走を起こす前に、おれはそれらを振り払っていた。いけない、いけない、今は卯月さんと会話中だった、そう手綱を引き絞った。二たび眼前の卯月さんに焦点を合わせた。なに? 尋ねてみる。もしかして、また車、乗りたいの?
ううん、そうじゃないの、意外にも彼女は否定の言を述べていた。じゃあ、なに?おれは目線で問い尋ねる。彼女の返答を期待する。果たして卯月さんは、うん、とひとこと
関口くん、これから一緒に、お風呂、入り行かない――?
おずおずとした口調で、提案していたのだった。
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