第18話 王族のつとめ

 私の父王と王妃の母は、国を預かる責任者夫婦として多忙だった。

 兵士たちの興奮を抑えると、父はあらたな魔物に警戒して防衛体制を検討する会議を開き、母は兵士たちに命じて、魔物を滅ぼして巨木へと成長した木の枝を薪にするよう指示した。

 忙しい二人の目を盗み、私は床に降りた。

 私を抱いていると勘違いさせるため、母に『知覚魔法―感覚不全』をかけた。

 魔物に殴りつけられた軍師マルレイのことが心配だったのだ。

 兵士たちは小さな私に気づかず、私は兵士たちの足の間をくぐって移動した。

 もちろん二本足では立つこともできない。

 我ながら、高速のハイハイだと思う。

 二枚目の城壁に叩きつけられ、床に落ちた軍師マルレイは、そのままの姿勢で横たわっていた。

 魔物に食べられた兵士は3人、命を落とした兵士は10人に及び、負傷した兵士は数知れない。

 だが、軍師マルレイは母と私を助けるために、その身を投げ出したのだ。母は魔術の使い手として一目置かれていたため、守るべき対象とは誰も考えなかった。

 あの場にいた中で、マルレイだけが状況を正確に理解し、母を守らなければならないと判断したのだ。

 実際は、私は母に危害が及ぶ前に魔法を発動させられると計算していたので、母が負傷することはなかったのだが、マルレイがそのことを知るはずがない。

 それに、マルレイは兵士ではない。戦時でも、前線に出る立場ではない。鎧を着ていないのは、よくわかっている。

 私はマルレイに死んでほしくなかった。

 横になるマルレイの体にたどり着く。

 息はしている。体は温かい。

 だが、血が流れていた。

 外傷ができるような打撃を受けていないはずなのに、マルレイの下に血が広がっていた。

 深刻な怪我をしている可能性が高い。

 私は魔法を使おうとした。

 その時、私の体が持ちあげられた。

 背後から、軽々と持ちあげられた。

「王妃様、キール殿下がいましたよ! こんなところに!」

「まあっ! キールったら、勝手に私から離れちゃ駄目じゃない!」

 母は立っていた場所を変えず、腰に手を当てて怒りをあらわにした。私がマルレイに意識を向けすぎたためだろうか、『感覚不全』の魔法はすでに効力を失ってしまったようだ。あるいは腕の中を見て気づいたのかもしれない。

「男の子だ。元気があっていいだろう」

 父王が笑った。兵士たちも笑う。

「万が一のことがあったら、どうするの?」

 兵士たちをかき分け、母が私を受け取った。私の体を抱きしめる。

「……心配させないで」

 母が私の耳に囁く。本当に心配してくれたことはありがたい。だが、私にも言い分はある。

『母上、マルレイを……』

「負傷した兵は、神婦ドゥーラが開設した診療所で治療を受けるわ。大丈夫よ」

『しかし、マルレイは母上を守って怪我をしたのです。見ていたでしょう』

「どうしてそんなことを言うの? 臣下が王族を守ろうとするのは、当然のことじゃない。それに、誰がいつ犠牲になるかわからないのに、特別扱いはではきないわ。キールは賢いと思うけど、王子としての振る舞いも身に着けないとね」

 母は私に囁いた。

 生後半年の赤ん坊に諭す内容ではないが、母の言わんとしていることは解る。だが、私は簡単には割り切れなかった。

 母は、私の気持ちを察してか、兵士に軍師マルレイを診療所へ運ぶよう命じ、運び出されるまで、私が見届けられるようにしてくれた。

 気遣いは嬉しい。だが、私にはまだ納得できない。


 魔物の処置が終わると、時刻は深夜になっていた。

 戦闘員以外の人々にも魔物襲来の噂は広がっていたようで、魔物が退治されたと知らされると、せっかく住みやすく工夫した自分の部屋から、飛び出してきた。

 母の姿を見つけると、その場にいなかったはずの人々が母に頭を下げた。

 私と母だけでは部屋に戻ることもできない状況となり、兵士たちに警護されて母は自室に戻った。


 母が父のために用意した部屋は、王族に相応しく広々としていた。ベッドと机は備え付けで、意匠が施された立派なものだが、石でできたもの以外は風化してしまったらしく、同じく石でできた椅子以外の家具はない。

 部屋に戻り、母は大きく息を吐き、椅子に腰を下ろした。

 私のことはずっと抱いたままだった。

「キール、そんな目で見ないで。私だって、軍師ちゃんのことを心配していなわけがないでしょう。私がこの部屋に落ち着いても、魔術で人を救っても、誰も会いに来ない。侍女だった女も、たくさん一緒に逃げてきているのは知っているでしょう。その人たちのことを責めるつもりはないわ。自分の生活のことで精いっぱいなのでしょうから。でも、軍師ちゃんも同じはず。男ばかりの兵たちの中で、自分のことは何もせずに働いて、挙句に王に追いだされて、私とキールのことを心配して一緒にお風呂に入った、あんなかわいい子が、怪我をして動けなくなっているのに、何も感じないはずがないでしょう。でも、人であるまえに、私は王妃だし、キールは王子なのよ。国が滅びた今だからこそ、しっかりしないといけない」

「ばぶぅ」

 私も母を責めるつもりはなかった。母は、間違っていないことも解っていた。

 だが、私は割り切ることはできなかった。

 人間の中に、治療の魔術を使える者がいないことは確認したのだ。

 私なら、『生命魔法』で治療が行えるのだ。

 そのことを、母が知らないはずはない。

 どうして、マルレイと兵士たちを治療するように言ってくれないのか。

憤りを感じたものの、私は、母は私が魔法で治療ができることを知らないのかもしれないと思い至った。

 この世界で一般に使われる治療術というものを私は知らない。私にとっては、人間の体力を回復させるのも、怪我を治療するもの、魔法としてはほとんど変わらないものと感じていたが、私が母の前で、怪我人を癒してみせたことはない。

 母は、私が治療に関する魔法を使えることを知らないのかもしれない。

「私のことを怒っても、どうにもならないわよ。だって、キール……お腹空いたでしょ」

 胸元をぽろりとさらけ出し、母は私をいざなった。

 実に卑怯なやり方だと思った。空腹を我慢する修行など、数えきれないほど経験してきた。

 一〇〇年生きたのは伊達ではない。そのほとんどの時間を、精神修養に費やしてきたのだ。

 といっても、ハンガーストライキをするほど、母に腹を立てていたわけではない。

 私は母の誘いに乗り、まずは腹ごしらえをすることにした。


「今日は疲れたわ。眠ってから、明日、軍師ちゃんに会いに行きましょう」

 母は部屋の明かりを消そうとした。

 明かりは、もともとは松明だったが、現在は松明を使っていなことに母は気が付いた。

 私が魔法で天井の一部を光らせていたのだ。

「これ……キールのしわざ?」

「だぶぅ」

「寝るから、消して」

 さすがにもう驚かなくなった母だが、その望みは叶えられなかった。

 父王がやってきたのだ。父王の部屋でもあるが、初めて来たので戻ったとは言い難い。

「……あなた」

「おう。まだ起きていたか。もう眠ってしまったかと思ったぞ。先ほどは見事な戦いであった。兵士たちは感心していたぞ」

「キールがいたからよ」

「母は強いと言うが、キールが魔法を教えてくれたわけではあるまい。あまり謙遜するな」

「それで、どうしたの? また、魔物?」

 母は尋ねたが、私には察しがついていた。母も、解ってあえて尋ねているのだ。

「いや。警戒態勢を決めてきた。これで、しばらくは安心だろう」

「そう……じゃあ、今日は……寝る?」

「そのつもりだ」

 父王は母に顔を近づけた。母は私の視線を気にした。

「駄目よ。キールの教育に悪い影響がでるかも」

「将来、女好きになるならそれもいい。人間に未来があるとしたら、この子には沢山子供を作ってもらわないとならないからな」

「……そうじゃなくて、見られると恥ずかしいわ」

「赤ん坊だぞ。気にするな」

 父は強引に母の口を塞いだ。二人の顔がくっついたまま離れない。

 ただの赤ん坊であれば、意味を無さない光景かもしれない。

 一〇〇歳の老人であれば、微笑ましく見守ったかもしれない。

 だが、私は前世では、一〇〇年間女性に触れずに生きていた老人だった。

 少しばかり、刺激が強い。

 私は光の魔法を終了させた。

 父の行為の音が、母の喘ぐ声が聞こえ、私はたまらずに部屋の外に出た。

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