第11話 城塞の内側

 私を使って散々楽しんだあげく、驚いたことに母は軍師マルレイに私をあずけた。

「この子は、ここの内部をじっくり見学したがっているの。私は疲れたから、マルレイ、お願いできないかしら。途中でぐずったりしないから、一通り見せてあげて。それから、何のための施設か、説明もしてあげてね。この子は、きちんとわかっているから」

「まだ、生後半年だと聞いていますが」

「私の言うこと、おかしい?」

 軍師マルレイは母と私の顔を交互に見比べた。結果的に、私の顔に向かってれろれろと舌を出した。私をただの赤ん坊として扱うことに決めたのだ。

 母の言うことは明らかにおかしかったが、言い争うつもりもないのだろう。

「いえ。わかりました。しばらくお預かりします」

「ええ……キール、大人しくしているのよ。それから、浮気しちゃだめ」

 母は私に真顔で言った。私の『知覚魔法―念話』を軍師に使うなという意味なのだろう。

 私は承知していた。母だから、私のことを許容してくれたのだ。母以外の人間相手に、心の中で話かけたりしたら、私は床に落とされて、ものすごく気味悪がられるに決まっている。

「だぁーーー」

 私の口からは、意味を持った言葉は出なかった。

「いい子ね」

 母は私の頭を撫でた。あくまでも子供扱いしたがる母に、念話を使用する気にもならず、私は初めて、母の視界から姿を消すことになった。


 軍師マルレイは私を抱いたまま、城塞の中を歩いて回った。

 母に言われたように、私に城の中を解説しながら、私により多くのものを見せようとしてくれた。母の言うことをおかしいと感じながらも、王妃の命である。きちんと実行してくれたのは在りがたかった。


 城塞の中は、私が思っているよりも広いことがわかった。

 人が住むための小さな部屋は、一万を越しているだろう。

 貯蔵庫はひんやりと気持ちいいのに、中にはなにもなかった。あえて貯蔵するだけの食料がないのだ。

 井戸の水は母が満たしてから、まだ半分ほどしか使われていなかった。

 山は硬い岩盤の塊だった。

 硬い岩の塊を抉り出し、人が快適に住めるように作られている。

 実際に、地上に作られた家より、温度も湿度も安定し、暮らしやすいだろう。

 唯一の欠点は、風が吹き抜けないため、空気が淀みやすいということぐらいだ。

 風については、定期的に母が魔術を使えばなんとかなるが、母にそのために力を使わせるのも悪いような気がする。

 これだけの城塞を作った古代の人々が、空気の通り道を考慮しなかったとは思えない。空気が抜ける穴を用意すれば、そこが敵の侵入を許す弱点になると考えたのだろうか。


 軍師マルレイは人望があるようだ。

 私を抱いたまま、色々なところに顔を出したが、ほとんどの人々がマルレイに挨拶し、会釈し、私を見て話しかける。私が母に抱かれているときには、あまり見なかった反応だ。

「あぶあぶ」

 私が返事を返すと、人々はマルレイの腕の中にいる私の頭を撫でた。

 王妃の抱く私と、マルレイに抱かれる私では、なにか違うのだろうか。

 私自身の問題ではなく、抱いている人間が周囲に与える雰囲気の違いなのかもしれない。


 私が見る限り、人々は落ち着きをとり戻していた。

 この城塞の中での生活を、早くも受け入れようとしていた。

 受け入れるしかないのだろうが、できるだけ早く順応しようとしていた。だからこそ、母に水の問題を訴えたのだ。

 城塞の中は広いが、人々の姿を見ても、兵士たちの姿は見なかった。

 兵士たちは、内部より外にたいして警戒しているのだろう。

 私が見ることはないかもしれない。

 私は外の様子も知りたかったが、先に確認しておきたいことがあった。

 この城塞に立てこもり、もし敵が外の壁を乗り越え、内側の壁すら突破して人々に襲い掛かったとき、人々が逃げる道があるのかどうかである。

 この城塞が最後の砦であり、破られれば人間が滅ぶ、という前提でいるのかもしれない。

 だが、最後の一人が息絶えるまで、人間は滅びないと私は信じたい。

 この城塞までもが陥落した場合の備えを、私は確認したかった。

 住居の配置、岩の質の違いから、このあたりが怪しいと睨んだのは、住居が並ぶ通路が向かい合わせに伸び、合流して一本に重なった一隅だった。

 私が怪しいと踏んだ道を軍師マルレイも進んだ。

 最奥に、一体の兵士の像があった。

 私には、城塞の内部にある像は、すべて動くことを止めたゴーレムに見えた。

 召喚術師がいれば、この像も動かすことができるかもしれない。この像の下に、抜け道があるかもしれない。

「立派な戦士の像だね。キール殿下のパパみたい」

 マルレイが聡明で計算高いことを私は疑わなかった。だが、私が考えていることは伝わらなかった。

 私は像を見つめた。

 軍師マルレイは像に背を向けた。

「だぁぁぁっ」

「どうしたの? あの像が気になるの?」

 赤ん坊に話しかけることは有効なのだと母に語ったとおり、マルレイは私にずっと話しかけ続けたが、本当に言葉を理解しているとは思っていないのか、敬語を使うことはなかった。言葉遣いのことは気にしないが、もう少し、私の意図を理解してほしかった。

「ばぶばぶ」

「はいはい。また来ようね」

 仕方がない。場所さえ覚えておけば、母に連れてきてもらうこともできるだろう。

 私はマルレイに抱かれ、その場を去らざるを得なかった。私は、その像を『行き止まりの戦士像』と呼ぶことにした。


 城塞内を一通り見て回ったことは、軍師マルレイにとっても有益であったらしい。時々立ち止まっては人々に意見を求め、生活に不具合がないかを尋ねて回った。

「おや、キール殿下も一緒ですか。王妃様に押し付けられましたか?」

「私の方から、貸してほしいと頼んだのですよ。この子を抱いていると、みんなから意見を聞きやすいのでね」

「確かに、赤ん坊を抱いた軍師さんは、雰囲気が違うね。いいお嫁さんになりそうだ」

「冗談を言うのはやめて下さい。ほら、殿下も笑っている」

「へぇ……キール殿下は笑わないって有名でしたけどね。案外、王妃様より軍師さんのほうが好かれているのかもしれませんね」

「それこそ、冗談になりませんよ。私が殿下にお会いしたのは、今日が始めてです。しかも、私がお預かりするとき、王妃様は殿下に、浮気しないように釘をさしたのです。王妃様にとって、殿下を失うことは自分が死ぬよりも辛いことなのでしょう」

「さすが王妃様……そこまでいくと、おっかないね」

 というような会話が幾度となく繰り返された。母は人々の尊敬を獲得していたが、それは生き残った唯一の魔術師であるという側面が強いように感じられた。

 軍師マルレイも、普段はあまり人懐こいという人柄でもないのだろう。だが、母とはまた別の意味で人気があった。

 まだ若く、兵士たちの中では幼いとさえいえる年齢の女性でありながら、多くの軍歴があるのではないだろうか。

 軍師は私を抱き、外壁に近い兵士の待機所に向かった。

 そこでは、王を中心に軍議が開かれようとしていた。

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