【034】「ありがとね。アンタのおかげだ」

 パリンと硝子が砕けるような音と共に銀翼が砕け散る。

 長槍の一撃を受け止め、ダメージの許容量を超えたのだ。砕けた銀翼の破片が宙に舞い、イーワンの知覚を広げる。

 イーワンの切り札たる万能の防御スキル『白銀の七翼しちよく』は残り2枚までその数を減らしていた。

 長槍の突きが崩されるのを見るやいなや、大鉈と鋭い水の鎌が襲い来る。その両方を残る銀翼で受け止め、逸らす。どちらもまともに食らってしまえば四肢をもぎ取るであろう一撃。それを受け止め続けた銀翼はずいぶんと削れてしまっている。残った2枚もそう長くはもたないだろう。


「あらよっと」


 反撃しようにも、パリングしようとする度に鍋太郎がそのナイフを投擲してくるせいでどうしてもそちらに集中力を削がれる。

 威力そのものは大したことはないが、これを銀翼で受ければ構成するMPを盗み取られ、ただでさえ不利な戦況がより不利になってしまう。どうしてもイーワンが銀棍を使ってパリングせざる得ない。さらに相性の悪い事に飛び道具はパリングした時のメリットが少ない。ナイフをいくら弾き落としても、鍋太郎に対する反撃の糸口になるわけではないのが口惜しい。

 もちろん鍋太郎がそれが分かっていて、こちらの間を外すようなタイミングを的確に狙い、ナイフを放ってくる。

 対人戦の経験ならこちらに分があると思っていたが、甘かった。


 意識が朦朧としてきたのを感じる。MPの使い過ぎだ。

 MP――マジックパワーあるいはマジックポイント。つまりは精神力であり、気力だ。もっと簡潔に『集中力』と言い換えてもいいだろう。それなりの魔術やスキルを使う為には、それなりの集中力が必要で人間はずっと集中し続けることはできない。

 MPが尽きれば意識を失い、最悪の場合はそのまま戦闘不能になる。今の状況で意識を失えば、即負けが確定するのは言うまでもない。

 イーワンの知るゲーム時代の感覚からすれば、残りはおおよそ2割8分といったところか。

『白銀の七翼しちよく』は疑いようのないほど強力なスキルだが、その分消費が激しい。維持している間、かなりのスピードでMPを消費し続ける必要があった。この消費量は銀翼が欠けても変わらない。何せ欠けた分の銀翼は周囲を漂い、イーワンの知覚範囲を広げるのだから当然と言えば当然だ。


 もう何度目になるか分からない鍋太郎のナイフを弾き落としながら、残った銀翼を操り、背中と頸部をガードする。

 相手が鍋太郎の時点でナイフがなくなることを期待していない。あの男なら召喚術でいくらでも手元に取り寄せられるだろうし、在庫だって万単位であるはずだ。考えるだけ無駄だろう。

 ランカーたちの強力な一撃だけは直接食らわないように立ち回っているが、それ以外の取り巻きたちの攻撃は先ほどからチクチクとイーワンのHPを削り続けている。矢の類に至っては10本から先は覚えていない。ダメージ自体はさほどではないのが唯一の救いだが、銀翼を維持している今、回復魔術に使えるMPはない。

 残りHPは7割ほど。まともな防具を身に着けていない箇所にランカーたちの一撃を食らえば、即死も十分圏内に入る。

 数値的なMPとは別にイーワン自身の気力、集中力も限界が近い。元よりパリングは攻撃の起点を見極め、それを的確に崩す必要がある。寸分の狂いも許されない繊細でひどく神経を削る戦い方。

 薄氷を踏むような戦況が続く。

 戦い始めてどれぐらい経ったか、意識が曖昧だ。

 何分稼げただろうか。分からないが、気が付けば無意識に身体が動いている。ひどく自分が希薄になるのを、イーワンは他人事のように感じていた。

 技が冴え渡り、イーワンが踊る。掠れば瀕死、当たれば絶死の攻撃が飛び交う戦場で、イーワンは命を削りながらも踊る。


 しかし、その舞踏は不意に途切れた。

『ガガ丸』――貫頭衣を纏った魔術師が唐突に前に飛び出たのだ。本来、後衛であるはずの魔術師が強引にその身をイーワンの眼前へとねじ込ませた。

 反射的にイーワンは銀棍を滑らせ、敵の腹を突く。そして突いてから自分の迂闊さに歯噛みした。

 あまりにも不自然な手応え。

 魔術師が自ら利点である『射程』を捨てた行動に対して、つい

 イーワンの銀棍が容易く魔術師の胴を貫き抜ける。如何にイーワンが直接的な攻撃力に乏しいとはいえ、虚弱な魔術師程度ならばこの程度は当然。だからこそ、本来魔術師はその射程を活かし、立ち回る。

 現に召喚師である鍋太郎は投擲による嫌がらせに徹して、決してイーワンの間合いに入ろうとはしない。


 脳裏に響く警鐘に従い、銀棍を引いた時には遅かった。魔術師の口元が動き、術式が発動。

 イーワンは咄嗟に後ろに下がろうとしたが、そこへ槍を構えた召喚兵が回り込んだことを粒子により知覚し――退路が、断たれた。


「――クソッ!」


 構わず、イーワンは後ろに下がった。槍の矛先がイーワンの右腿の肉をえぐぐ。肉が引き裂かれる痛みで叫びそうになるが、そんな暇はない。

 残った銀翼を2枚とも魔術師の間に割り込ませる。


 次の瞬間、轟音と共に周囲が熱と衝撃で満たされた。


 イーワンの軽い体躯が吹き飛ばされ、戦いでひび割れた石畳に鼻を強かに打ち付ける。二転、三転と転げながらもなんとか受け身を取り、イーワンは立ち上がろうとしたが、身体が言う事を聞かない。爆音と衝撃で視界が傾いていた。


――自爆しやがった……!


 鼻から何かが垂れる感触が気持ち悪く、指で拭えば白銀の腕甲が血に濡れている。

 揺らぐ視界の中で、ふらつきながらも銀棍を杖代わりにしてヨロヨロと立ち上がる。今の自爆攻撃で、残った銀翼は2枚とも散り、その残滓であり粒子も爆風で吹き飛ばされた。


 超大威力の無差別攻撃。

 確かに、そういった魔術があることを知識としては知ってはいる。知ってはいるが、イーワンでさえ実際に食らったのは始めてだった。

 自爆魔術と呼ばれるものはいくつかあれどその全ては当然使えばその名の通り使用すれば全HPを失うことは共通している。出なけば『自爆』などと呼ばれるはずがない。

 魔術やスキルはリスクが大きいものほど高い効果を発揮する。使えば即座に戦闘不能となる自爆魔術となればその威力は尋常なものではない。

 それなのに使用者が少ないのはHP全損というデメリット以上に、敵味方を区別しない範囲攻撃が使い勝手を劣悪なものにしているからだ。

 威力は甚大、範囲も広大。しかし無差別に周囲を巻き込むそれは実用的とは言い難い。

 現に他の召喚兵や先ほどまでイーワンを苛烈に攻め立てていた2人のランカーも自爆に巻き込まれ、地面に倒れ伏している。


 立っているのはただ1人だけ。


「あ~あ、ついカッとなって吹っ飛ばしちまった。赤字だな、こりゃ……」


 渋面を顔に浮かべながら、ローブについた埃を払う鍋太郎。その立ち姿は無傷だ。

 レベル4000以下程度の魔術なら無条件に打ち消す鍋太郎の廃人ハイエンド級装備『おごそかなるミアプラキドゥス』、その規格外の防御性能の前には自爆魔術でさえ例外ではない。

 本来、味方を巻き込むが故に実用的ではないはずの自滅魔術。それを鍋太郎は装備品で強引に無力化して、運用して見せたのだ。

 他の召喚兵を巻き込んでも、鍋太郎が健在であれば補充は可能。数がモノを言う攻城戦のような戦場ならばともかく、今の相手はイーワン1人だ。

 極論するならばイーワン1人を倒せるなら、鍋太郎以外の召喚兵は全員倒れても勝ちには違いない。

 個人で軍を操る鍋太郎だからこそ出来る反則技。定石破りもいい加減にしろと叫びたくなるような乱暴な戦術。だが咎める手がない。


「まぁ、ランカー10位の首が取れるなら悪かないか。なぁ、そうだろう? イーワン」


 身体が、動かない。

 手足がまるで痺れたように、感覚がない。体内の魔力もうまく練り上げられない。

 吹き飛ばされた際に頭を打ったのが原因だ。一時的な気絶スタンの状態異常の症状。ほかの状態異常とは違い、気絶スタンの状態異常は装備などによる耐性が付与しづらい。特定の部位――頭部に強力な攻撃を受けると一時的ではあるがほぼ全ての行動を制限する強力な状態異常バッドステータスだ。

 多少の状態異常なら、回復魔術で対応できる。だが気絶スタン中は魔術の発動さえも阻害されてしまう。自力で立て直すことは不可能だ。

 気絶スタンそのものは時間経過で回復するが、逆に言えば時間経過でしか回復できないということ。

 鍋太郎という格上の相手をその隙はあまりに致命的だ。

 倒れるわけにはいかない。ここで、ここで倒れたら守れない。

 それはだめだ。

 けれど身体は動かない。武器を握る手も、前へ進む為の足も、動いてはくれない。

 己が無力さを叫ぶことすらも今のイーワンには出来なかった。ただ一声あれば、気絶スタンを回復できるだろう。だが、それも叶わない。


「決算の時間だ。召喚サモン――」


 イーワンの周囲に無数の召喚陣が浮かびあがり、そこから武器を携えた軍勢が這い出てくる。無数の刃が、イーワンの命を取り立てる――はずだった。


「ふんッ!」

「ぬぉオオッ!」


 地の底から響くような唸り声と共に振り下ろされた刃に割って入る影。


「あァ?」


 それは重厚な鎧に身を包んだドワーフの戦士たちだ。手には分厚く、重い斧を盾にしてイーワンを庇ったのだ。

 顔を真っ赤に紅潮させ、こちらにまで歯を食いしばる音が聞こえてきそうな形相を浮かべてドワーフたちは振り下ろされた刃を受け止めてみせた。


――なんで。


 そう声にならない呟きをイーワンは漏らす。

 自爆魔術で主力となっていた高レベルの召喚兵が戦闘不能になっていたのが幸いした。新たに召喚された召喚兵は今までのキャラよりも数段落ちるレベルだ。それでも動けないイーワンにトドメを刺す程度には十分だったはず。

 ドワーフの戦士たちにとっては荷が重いはずの相手だ。現に一撃を耐えるのが精一杯だろう。いや、その一撃だって耐えられる確証なんてなかったはずだ。

 それなのに、ドワーフたちはイーワンを守ってみせた。


「そりゃあ、いてもたってもいられなくなったのさ。どいつもこいつも見栄っ張りでしょうがない」


 イーワンの疑問に答える者がいた。


「大丈夫かい、イーワン」


 幼くも聞こえるが、根底にある強い意志が感じられる声。情けないことに、その声を聞いて、思わず泣きそうになる。

 足音が聞こえる。

 ひとつではない。何人も、何人もの足音。

 イーワンを庇うようにして、ドワーフたちが肩を並べた。


「ありがとね。アンタのおかげだ」


 雲の切れ間から朝日が差し込み、冷たい風がふわりと抜けた。陽光を受けて、赤銅色しゃくどういろの髪が輝く。額にかかるそれを指でかき上げて、快活に笑う。

 ファイの笑みは憑き物が取れたように澄んでいて、けれどどこか寂しそうに見えた。


「……商談はまとまったのか、クソ弟子」

「あぁ、見ての通りさ」


 ファイの言葉を聞き終わるやいなや、鍋太郎の召喚兵たちは構えを解く。

 ただそれだけの言葉で、拍子抜けするほどあっさりと矛を収めてみせた。

 痺れるような気絶スタンが身体から抜け、ようやく手足に血が巡る。ふらつきながらも銀棍にしがみつき、下級魔術で僅かばかりの体力HPを回復させた。


「ファイちゃん……オレは……わぷっ」

「ちょっと口閉じてな」


 ぐいぐいと力強く、乱暴な手つきでファイが血まみれの顔を拭う。イーワンの顔は今、鼻血と埃でめちゃくちゃだ。


「よし。少しはまともな顔付きになったね」

「……」


 色々と聞きたいことはあった。自分は本当に間に合ったのか、とか。話し合いはどういう風にまとまったのか、とか。

 けれどファイの笑みを見た瞬間、何も聞けなくなってしまった。

 いつも豪快に、快活に笑い飛ばす性質たちのはずのファイは口元だけに浮かべる小さな笑みは切なげで、それでもその奥には確かな意思と決意が見て取れた。


 そうだ。これは自分の、イーワンの戦いでは最初からないのだ。

 これはファイの戦いだ。

 イーワンが身体をどれほど張ろうと、仮に鍋太郎を圧倒できていたとしてもそれは本質的な戦いとは遠いところにある。

 この戦いはファイが戦うことにこそ、意味がある。


「……さて。商売の話をまとめよう、商会長ギルドマスター。何もかも終わりにするにはいい頃合いだろ?」


 そしてそれは悔しいが、イーワンには手助けできない。

 ひとりの商人の孤独な闘いだった。

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