【028】「……もしかしなくても」

 ファイの吐き捨てた言葉を聞き、ドワーフの門番たちはしばし言葉を失った。そして大きく口を開けて、


「ワハハハハッ!!」と大きな声で笑った。


 薄紫に染まる夜明け前の山にドワーフの笑い声が木霊のように響き、驚いた鳥たちが羽ばたいて逃げていく。その笑い声には好意的な感情は感じられない。しかしファイは一切動じず腕を組んだまま、固く閉じられたドアを睨みつける。

 肺の中の空気を出し切るような、大笑いが終わるとドワーフはすうっと大きく息を吸い込み、一息でその足元の地面を担いだ大斧で叩き割った。

 岩が砕け、先程の大笑いに負けないほどの轟音が響く。ファイの顔に飛来した石片をイーワンは見もせずに掴み取る。


「冗談も大概にしろ。いかにお前がタンザ殿の娘子むすめごとはいえ、この門を再び潜れると本気で言っているのか」

「ましてや助けに来ただと? 山を捨て、金床かなとこを捨てた俗物が。今更この山に、我らが揺籠ゆりかごであり棺桶である鉱山を自ら捨てたお前がどの口でそれを言う。酒精に脳を溶かされたか?」

「山を下れ。お前が山を捨てた時のように」


 数十キロ以上はありそうな巨大な鉄塊の如き大斧を軽々と担ぎ直し、2人の門番の重心がわずかに沈んだのをイーワンは見て取る。それは踏み込みの予備動作だ。背丈が低く足の短いドワーフの歩幅は小さいが、その踏み込みは驚くほどに力強い。石を掘り、岩を背負うドワーフの足腰は強靭だ。投石台のようにギリギリと筋肉が引き絞られる音が聞こえてきそうな様相である。

 ゴツゴツとした岩肌のように角ばった顔は今にもこちらの頭蓋をカチ割らんばかりの形相で睨みつけている。煤が染み込みんだ肌はもはや褐色というよりも赤黒い。太く力強い眉の下で、敵を排除する鋼の意志が込められている。


「……もしかしなくてもファイちゃんって嫌われてる?」

「はん! 言ったろ、ドワーフの価値観は単純なのさ。強い鋼を打てるドワーフはそれだけ尊敬される。ドワーフにとっちゃ強く硬い鋼を打てるのは力強さの象徴だ。身を焦がすような炉で鎚を振るうのはドワーフの本分だしね。だから鍛冶場から離れて、金勘定に走ったアタシは山の連中からしてみれば、ドワーフの風上にも置けない爪弾つまはじき者なのさ」


 何でもないことのように。鼻を鳴らしてファイは門番たちの視線を受け止める。ファイがドワーフの中でも異端であることは分かっていたが、実情はそれ以上らしい。

 少なくても目の前にいる門番たちが向けるまなざしは同郷の者に向けるそれではない。あれは裏切者を見る目だ。


「断る! 言ったろう、三下ども! 親父を呼んできなっ! アンタらじゃあ話にならないんだよ!」


 ファイは負けじと声を張り上げる。ビリビリと空気が震えるような声量だ。ファイの小さな身体から飛び出したとは思えない迫力に、自分に向けられたわけでもないはずのイーワンは思わずたじろいだほどである。

 しかし同じドワーフである門番たちは怯むどころか、まばたきすらしない。


「おう、兄者よ。この小娘はわしらを侮っているのだな?」

「おうとも。この黒金の門を守ることがわしらの仕事よ」


 門番の腕が一回り太くなる。錯覚ではない。力を込めた筋肉が膨張し、上半身が一回りほど大きくなったのだ。

 足元の岩を踏み砕き、弾かれたように門番が飛び出す。まるで大砲のような勢い飛び込みだ。しかしそれはイーワンがいる限り届くことはない。

 一足でイーワンはファイの前に割って入る。その手にはすでに銀棍が握られていた。力強いが直線的なそれは白晶犀はくしょうさいのそれに近い。

 つまりイーワンの敵ではない。

 右から振りかぶられた大斧を銀棍を繰り、外へと力を受け流す。イーワンの脇の地面を割り砕き、無防備になったドワーフの顎をイーワンはしなるような足使いで蹴り抜く。

 顎は人型である限り、変わらぬ急所だ。頸椎に支えられた頭部の先端である顎に強い衝撃を与えるとその衝撃はそのまま頭蓋骨に伝わり、中に浮かぶ脳を揺らす。脳を直接揺らされ、門番は声も上げられぬまま意識を手離した。

 それと同時に左から振り下ろされた大斧は左手でその柄を掴み取り、受け止める。体重を乗せ、ドワーフの並みならぬ膂力りょりょくで振られた大斧はその重さを十全に活かした一振りは本来ならば、人体など真っ二つに割りかねない剛の一撃ではあったが生憎とイーワンは常人ではない。


「ヌぅ!? 人間が儂の一撃を受け止めるとはッ!?」


 腕に太い血管が浮き上がるほどにドワーフは力むが斧を振り下ろすことどころか、イーワンの腕を引き剥がすことさえできない。

 ここに来て門番はイーワンの異常さに気付くが、もはや自慢の斧はイーワンの手中にある。


「人使いが荒いぜ、ファイちゃん。わざと煽ったろ」

「ちゃん付けすんな。アンタがアタシを立ち上がらせたんだ。こき使わせてもらうよ」


 イーワンの軽口にファイは肩をすくめることで応じる。ようやく調子が出てきたようだ。口元が自然と緩むのを感じる。ファイはこの方がずっと


「えぇい! 放せ、放さんかアァッ!」


 門番が押せど引けど大斧はイーワンの手の中から微動だにしない。手首をひねり、大斧を無理やり下へと引き下げる。下がった大斧の柄をイーワンは上から勢いよく踏みつけた。柄が地面へと食い込み、それを握る門番の指が挟まり、バキリと小さな石音と共に骨が砕ける音が聞こえた。

 イーワンは男相手に容赦しない。


「ぐ、ぐゥ! お、お前、ただの人間ではないな……何者だ……ッ!」

「別に。ただの『女好き』だよ、オレは」


 手を砕かれ、それでも門番は鋭い眼差しでイーワンを睨みつける。この闘志の高さは流石はドワーフというところか。悶絶するような痛みだろうに、泣き言のひとつも漏らさないどころか萎える様子さえ見せない。


「それぐらいにしてやりな、イーワン」


 ファイの言葉にイーワンは大人しく従う。大斧から手を離し、足も外してやる。イーワンはファイの護衛だ。ファイを助けたいだけであり、敵を倒したいわけではない。門番は血だらけになり、折れた骨の飛び出た腕を引き抜き、イーワンから一足で離れる。離れた先はイーワンが蹴り飛ばしたもう1人の門番だ。無事な方の手で脈を取るとわずかにほっと息を吐いた気配がした。


「いいかい、よぉ~く聞きな! 今、この鉱山の炉の火は落ちかけているんだよ。アンタらにゃ任せちゃおけないからアタシが来てやったのさ」

「何を世迷よまよい事を……!」


 荒い息を吐きながら、門番はそれでもファイを否定する。

 痛みからか、それともイーワンに一蹴された不甲斐無さからか、奥歯を噛み締め叩き付けるように門番は叫ぶ。


「山を捨てたのはお前ではないか、ファイ! あのタンザの娘ともあろう者がッ! お前はあの偉大な父を裏切ったのだ!」

「そりゃあ、アンタらがバカだからさッ! 誇りを大切にするのはいいさ、でもね。だからって愚かでいていいわけじゃないんだよ。学ばなきゃいけなかったんだ。何かが変わった時にアタシたちは学ぶべきだったんだ」


 ファイの静かな怒りに満ちた声に、門番は目を剥いて怒りを露わにする。口角泡飛ばし、門番は感情の赴くままに喉を振るわせた。


「我らの誇りを愚弄するかッ! よりにもよってお前がッ! 山を捨て、金貨に魅せられたお前が、ドワーフの誇りを、その金貨を数えた口で語るのかッ!」


 イーワンは思わず銀棍を握る手に力が篭るのを感じた。勝手なことを、とイーワンは思う。ファイが離れたくて、金床を離れたと思うのか。そんな単純なことも考えようとしないドワーフにイーワンは怒りを覚えた。


「お前――」

「やめな、イーワン」


 声を上げようとしたイーワンを止めたのは他ならぬファイだった。


「でも、ファイちゃん」

「ちゃん付けすんな、ボケ。いいんだよ。言ったろ? コイツらじゃ話にならないんだよ」


 ファイはそれだけを言うと、未だ憎々しげに睨む門番の脇を通り、黒金の門へと歩み寄る。ファイは門番を見下すことすらしなかった。文字通り眼中にないのだろう。

 イーワンは慌てて、ファイの後を追いかける。

 近づいて改めて見上げれば門は恐ろしく立派な代物だった。

 ずっしりとした重量感があり、朝露に濡れるそれは門と表現するよりも一枚の盾と言うべきかもしれない。要所には金のびょうが打たれ、全面に渡って彫られているのは今にも動き出しそうな1人のドワーフだ。丸太のように太い腕をパンパンに膨らませ、真っ赤に焼けた鉄を打つ姿が掘り細工として施されている。金床から散る火花は朝日を受け、美しい赤い輝きを放つ。何かと思い、良く見てみれば紅玉ルビーが埋め込まれているのだ。それもひとつやふたつではない。彫り込まれた火花の全てに大小様々な紅玉ルビーがあしらわれており、この門それ自体が実にドワーフらしい財宝であることを雄弁に語っていた。


「ここに帰るのも久しぶりだね……もう、3年も経つのか……」


 ファイは少しだけ悲しげにその門を手でなぞる。感傷に浸ったのはほんの少しの間だけだった。未練を振り切るように、大きく首を振るとファイはいつも通りの不敵な笑みをイーワンへ向ける。


「開けとくれよ、イーワン。アンタなら出来るんだろ?」


 ファイにこう頼まれてはイーワンが断れるわけがない。


「任せといてよ」


 門は観音開きかんのんびらになっているようだった。銀棍を背負い、イーワンは門の前に立ち、両手を門へと置く。


わしら兄弟が力を合わせて初めて開く扉よ。人間如きにどうにかなるものか」

「じゃあ、そこで見てな。アイツがどれだけデタラメか。アタシはもう慣れたけどね」


 まったく。

 開門などイーワンだって初めてだというのに、ファイは気にもせずハードルをあげてくれる。しかし、それはイーワンに対する信頼だ。

 ファイはイーワンを頼ることにしたのだ。イーワンはネナベだが、今は男の身体だ。ならば応えなくては男がすたる、というものである。


「ふぅ……」


 息を吐き、呼吸を整える。どうせなら一息に開いた方が格好がつく。

 女の前でカッコつけるのは、イーワンにとって見逃せないチャンスだ。逃す気はない毛頭ない。

 息を止め、一気に力を込める。すると最初はわずかに、そしてズズッと響くような音を立て、門が開かれていく。


「バカな……」


 両手の幅目いっぱいまで門を開き、イーワンは力を抜いた。そして脇へと退き、丁寧にお辞儀をしてみせる。

 レディーファーストだ。それに足を先に踏み入れるならやはりファイの方だろう。


「どうぞ、お姫様」

「嫌味か、アホ。ほれ、さっさと行くよ」


 おう、と答えてイーワンは足を踏み入れた。

 そこはファイの故郷、ドワーフたちが暮らす金槌の音が止まない里、タータマソ鉱山。

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