Second Erosion phase#2

 朝よりもいくらかやつれた顔で、悠は舞と連れだって放課後の学校を後にした。

 琴美をはじめとするクラスメイトから質問攻めにあうことは想像通りだったが、それによって生じた精神的疲労は想像以上のものがあった。

 女子達が舞へ質問する。舞が物問いたげに悠を見る。女子達が悠を詰問する。悠が説明する。女子達が舞へ質問する──以下エンドレス。休み時間になるたびに、ほぼ同じ光景が繰り返された。

 とどめとばかりに、放課後には担任である横山よこやま千里ちさとに二人揃って生徒指導室へ呼び出された。

 一体どんな追及を受けるのか、と戦々恐々としながら指導室へ向かった悠だったが、結局のところ通り一遍の事実の追認だけで終わってしまい、拍子抜けすることになった。会話の端々から察するに、どうやら梓野が簡単な経緯いきさつを千里に話していたらしい。

「最終的には梅津さんと貴方達の判断だけど、みんなが後悔するような選択だけはしないようにね」

 そうやんわりと釘を刺されたくらいで、お説教らしきものはほとんどなかった。正味三十分程度の面談の九割がたは、なぜか指導室に常備されているお茶とお茶菓子をいただきながら、千里の教育実習生時代の苦労話や恋愛談義を、一方的かつえんえんと聞かされるはめになった。

 何しろ舞はほとんどうなずくだけで会話に乗らず、悠は悠で歳上の女性のに気の利いた合いの手を入れられるほど器用ではないから、独演会になってしまうのもあながち千里のせいばかりではなかったのだが。

 ようやく解放されて教室に戻ってみると、室内には一人も残っていなかった。誰かしら残っていれば休み時間の騒ぎの再来だろうと思われただけに、正直悠はほっとした。

 舞と並んで教室を出たところで、悠はこれを見越して千里は二人を指導室に引き留めていたのではないか、とふと思いついた。

 高校生は、たくさんの話題を追いかけるのに忙しい。ひとつの話題にいつまでも関わっている時間はないのだ。冷却期間が増えれば、その話題が忘れ去られる時間も短くなる。

 そこまで考えてクールタイムを作ったのだとしたら、千里もなかなかの策士といえた。

 ともあれ、悠は怒涛の一日を終え、ようやく帰路につこうとしていた。

 部活も終わっていない中途半端な時間のためか、バス停に続く通学路にはちらほらとしか生徒達の姿は見えない。

「……あ、そうだ」

 朝とは正反対の閑散とした道を歩きながら、悠は思い出したようにつぶやいた。並んで歩く舞が悠を見あげる。

「今日、駅まで出て参考書買うつもりだったんだ」

 悠は顔を舞へ向けた。

「東條さん、良かったら先に帰ってもらっても──」

 言いかけて、悠はそれが意味のない気遣いであることに気づいた。案の定、舞がふるふると首を横にふる。

「一緒に行く」

「──だよね」

 護衛という任務上、基本的に舞が悠の側を離れることはあり得ない。自分のうかつさに苦笑しながら、悠は通りの反対側にあるバス停を指差した。

「じゃ、行こうか」

 小さくうなずいて、舞は先に歩きだした悠の後を、半歩遅れてついていった。


 *  *  *


 市内北部にある、六浦市唯一の電車路線の終点でもある剣ヶ崎口つるぎがさきぐち駅の上には、小規模ながらも立派な商業ビルが建っている。

 その駅ビルに店舗を構える書店で、めぼしい参考書を物色し終えた悠は、隣に舞の姿がないことに気づいた。

「あれ……」

 周囲を見渡すと、雑誌コーナーの一角で見覚えのある黒髪が揺れている。

 近づいてみると、「雑誌・ムック 料理/手芸」とプレートのかかったコーナーで、舞がじっと料理本の列を眺めていた。

「欲しい本でもあるの?」

 横に並んだ悠を見上げて、舞は首を横に振った。

「……任務中、だから」

 ふと浮かんだ疑問を、悠は舞へぶつけてみた。

「任務のないときって、なにしてるの」

「料理の本読んだり……新しい料理の練習したり……」

「ずっと?」

 舞が書棚に視線をもどし、小さくうなずく。

「訓練のないときは、大体」

 あまりUGNの内情に詳しくない悠だったが、特に実戦を担当するメンバーは、よほど激務の部署でない限り、待機時間の方が任務にあたる時間よりもはるかに長い、と聞いたことがある。

 その時間のほとんどを料理のためにつぎ込んだとするなら、舞の腕前が尋常ではないレベルに上がっているのもうなずける話だった。

 だが、それはもう趣味や道楽の枠を超えたなにかのようにも見える。

 舞の指導教官は、ひょっとして彼女の良くない扉を開けてしまったのではないか──とも思ったが、単に舞が加減を知らないだけだろう、と悠は考え直した。それに、何もしないで無為に過ごすよりはずっといい。

「欲しいなら、買っていけば?」

 書棚から視線を外して、舞が再び悠を見あげた。

「……でも」

「護衛任務って言っても、暇な時間はできるでしょ。そういうときに読んだりするのは、別に良いと思うけど」

 そう言われた舞は、しばらく書棚の前で考え込んでいたが、やがて意を決したようにうなずいた。

「……うん。じゃあ、買っていく」

 それからおよそ二十分後、いくつもの本を吟味して最終的に一冊を購入した舞と一緒に、悠は書店を出た。

 舞は、大切そうに本の入った袋を胸の前で抱えている。

「そんなに、料理のこと好き?」

 ビルの下りエスカレーターに乗りながら、悠はなにげなく尋ねてみた。悠の後についてエスカレーターに両脚を乗せた舞が、うつむいて考え込みはじめる。

「……よく、わからない」

 次のエスカレーターに足をかけるあたりで、ようやく舞はそうこたえた。

「そうなの?」

「新しい料理がつくれるようになるのは、楽しい……と思う」

「うん」

「……それから……」

 舞が顔をあげて、同じくらいの高さにある悠の顔を見た。

「……八原くんがわたしの料理を美味しいっていってくれたとき、心がふわってなった」

 普段の舞からは想像できない、詩的な表現だった。無意識にか小さな微笑を浮かべた舞の表情に、悠の心臓が跳ねる。

「……わたしの初めての料理、教官がほめてくれた時とおんなじ」

「あー……そ、そう」

 少しだけ肩透かしを喰らったような気分になりつつ、悠は相槌を打った。

 言動の端々からなんとなく感じていたが、やっぱり彼女はちょっと天然だ。

 二人は一階に到着した。後からエスカレーターを下りた舞が、すこし小走りになって悠の横に並ぶ。

「──でも、それはさ」

 ビルの出口へ向かって歩きながら、悠は横に並んだ舞を見た。

「……?」

「そのふわってするのは、きっと嬉しいんだよ」

「うれしい……」

「そう。それで、楽しいのも嬉しいのもまとめて、料理のことが好きってことなんじゃないかな」

「…………」

 自分を見つめる舞の表情が、悠にはすこし驚いているようにみえた。その白い頬が、桜色に上気している。

「すき……うん、好き……」

 なんとなく嬉しそうに見える表情で繰り返す舞の横顔から目をそらしながら、自分の台詞に恥ずかしくなった悠は指で頬をかいた。

 駅ビルを出ると、傾きかけた太陽が街を茜色に染めていた。

「じゃあ──」

 帰ろうか、と言いかけ、悠は不意に口をつぐんだ。

 不穏な空気が肌を刺す。殺気を含んだ《ワーディング》に、悠のレネゲイドが共振していた。

「東條さん」

「……ん」

 それまでの柔らかな雰囲気が霧消し、無表情に戻った舞が探るように周囲を見渡す。

 それは、二人の周囲に展開されたものではなかった。中心点は別の場所にある。かすかなレネゲイドの活性化を、二人はほぼ同時に知覚していた。

 腹の底を掻き回される不快な感覚に、悠は知らず鳩尾の辺りをおさえた。この程度のことでも明確な拒否反応をしめす自分の身体に、軽い自己嫌悪を覚える。

「八原くん」

 その様子を見てとった舞が、悠の顔を見つめる。悠は左手をあげて自分へ近づこうとする舞を制した。

「ぼくは大丈夫。……行こう、何が起きてるか確かめなくちゃ」

 舞は悠から離れることはできない。だがレネゲイド絡みのトラブルなら、UGNとして見過ごす訳にはいかない。残る選択肢はひとつだった。

「東條さんは先に行って。ぼくは支部に連絡しながら追いかける」

「……わかった」

 そう応えるなり、舞が身をひるがえして通りを駆け出して行く。悠もその後を追って走りだし、制服のポケットから携帯端末スマートフォンを取り出した。

 相手は最初のコールが終わる前に通話に出た。

『やあ悠くん、今度はどんなトラブルだい?』

 開口一番に惣一郎にそうたずねられ、悠は思わず手にした端末を見返した。

「……なんでトラブルってわかるんですか」

 舞が大通りから右折し、裏路地へ飛び込む。

『そりゃあ昨日の今日で、しかも悠くんからの電話だ。なにもないって思う方がおかしいだろ? 舞くんと喧嘩でもしたかい?』

 舞が姿を消した裏路地へ駆け込みながら、悠は話の後段を無視して惣一郎へ応答した。

「駅前で《ワーディング》を感じました。今、東條さんと一緒に発信源に向かってます。場所は──」

『あぁ大丈夫、君達の居場所は把握できてる。すぐに応援を送るよ。言うまでもないと思うけど』

「無理はするな、ですよね。大丈夫です」

 戦闘体勢に入った東條さんを止める自信はないけれど、と心の中でつぶやく。

『うん、気をつけて』

「はい」

 通話の切れた端末を手にしたまま、今度は十字路を左に折れた舞に続く。

 次第に、攻撃的なレネゲイドの感覚が強くなってきた。確実に《ワーディング》の起点へ近づいている。それに比例して体内に拡がっていく強烈な不快感に耐えながら、悠は舞の後を追った。

 は繁華街と住宅街の境目にある、小さな駐車場だった。もともと人通りが少なかったであろうその一帯は、《ワーディング》によって無人となっていた。その範囲内で行動できるオーヴァードを除いては。

 最初に悠の視界に入ったのは、作業服姿の四つの人影だった。

 その四人が武器を構え、子供を両腕で守るように抱きしめた女性を取り囲んでいる。

 女性は既に満身創痍だった。腕の中の子供は、気をうしなっているのかぴくりとも動かない。それでも、服装と髪型から女の子だろうと推測できた。

 作業服の一人が手にした大型ナイフを突き入れる。かろうじてそれを避けた女性は、だが足をもつれさせてその場に膝をついた。

 別の作業服が右手から踏み込んでくる。女性が咄嗟に地面に手を置くと、その場所から地面が隆起して柱と化し、作業服を迎え撃った。

 踏み込んだ分、回避の遅れた作業服が、まともにその攻撃を受けて吹き飛ぶ。

 だが、背後から忍び寄った三人目の作業服が、女性の背にナイフを突き立てた。女性の身体がびくりと痙攣する。

 さらに殺到しようとする二人の作業服の身体が、その意に反して宙に浮いた。そのまま空をぐように振り回され、停車していたセダンのボンネットに叩きつけられる。

 二人の身体に巻きついた黒髪がするりとほどけ、女性にナイフを突き立てた作業服へ殺到した。攻撃を受けた作業服が、二撃を避けて背中から予備のナイフを引き抜き、迎撃体勢を取る。

 だが、足下に忍び寄っていた別の黒髪の束に足首を取られ、引き倒された。間を置かずに巻きついた黒髪がその身体を持ち上げ、半円を描いて路面に激突させる。

 女性に攻撃を受けた作業服は、頭を振りつつ立ちあがったが、舞が操る黒髪によるアッパーカット気味の強打をあごへ突き刺され、ふたたびその場に昏倒した。

 悠が作業服を視認してから駐車場に飛び込むまでのわずかな間に、すべてが終わっていた。

「東條さん!」

 胸元まで競りあがる、焦燥にも似た不快な感覚をし殺し、悠は女性のそばで膝をつく舞のもとへ駆け寄った。

 顔をあげた舞が、悠に向かって首を横にふる。

 その隣で舞と同じように片膝をつき、悠はナイフを背中に突き立てられたままの女性の様子をうかがった。

 ──女性はすでにこと切れていた。

 それでも、彼女は全身で守るように女の子へ覆い被さり、両腕で抱きしめている。

 悠は唇を噛んだ。命がけで子供を守ろうとする女性に、殺されなければならないどんな理由があったというのだろう。

 抱きかかえられた女の子の首筋に指をあてていた舞が、顔をあげて悠を見た。

「……この子、生きてる」

「!」

 舞が指を離した場所に、悠も指をあててみる。そこには確かに脈拍があった。

「助けよう」

「……まって」

 ほとんど条件反射のように言った悠を、珍しく困惑したような表情を浮かべた舞が引き留めた。

「頭を打ってるかもしれない。へたに動かしたら」

「でも……!」

 悠は反論しかけた言葉を呑み込んだ。《ワーディング》で無力化されているだけのようにも見えるが、舞の言う通りなら素人判断で動かすのは危険だった。

 顔を見合わせる二人の背後で、甲高いブレーキ音が響いた。振り返ると、駐車場の入り口に停車したSUVから勢いよく降りてくる梓野のスーツ姿がみえた。

 SUVに続いて停車したバンからも、支部に所属する四人の隊員がPDWMP7を構えて降り立ち、周囲の警戒を始める。

「悠くん、舞ちゃん、大丈夫!?」

 ローヒールのパンプスを鳴らし、息を弾ませて駆け寄ってきた梓野を、舞が立ち上がって出迎えた。

「……オーヴァード同士と思われる戦闘に遭遇。状況の沈静化が最優先と判断、四名を無力化しました」

「あ……そ、そう」

 しごく冷静に状況報告を始めた舞に、戸惑い気味の梓野がうなずく。

「襲撃を受けていたらしき女性は死亡。……それと」

 舞が倒れた女性へ視線を向ける。悠も立ち上がり、舞の言葉を継いだ。

「そうだ、梓野さん! この子生きてるんです! でも、うかつに動かしたら危ないかもしれなくて……」

 その説明だけで状況を理解したらしい梓野が、表情を引き締めてうなずく。

「わかったわ、後はまかせて。──支部へ連絡! 至急、救護班をよこして!」

「はい!」

 指示を受けた隊員の一人が、耳に装備した通信端末インカムで支部と連絡を取り始めた。

 あらためて悠と舞に向きなおり、梓野は柔らかな笑みを浮かべた。

「お疲れさま、二人とも。うまくさばいてくれて、助かったわ」

「いえ、ぼくはなにも……東條さんが全部」

 梓野が小さく肩をすくめる。

「悠くんが素早く連絡してくれたから、ここまで初動を早くできたのよ。あんまり自分を卑下しないの」

「はい……」

 あいまいにうなずく悠を苦笑まじりに見つめていた梓野は、笑みを消すと複雑な表情で口を開いた。

「貴方たちには支部まで来てもらうわ。昨日の今日で悪いのだけれど、報告は必要だから」

「……はい、わかってます」

「車で送らせるわ。先に支部に戻っててね」

「わかりました」「了解」

 梓野の指示に、悠と舞が同時にうなずく。

 SUVへ向かって歩きだした舞が、その途中で地面に放り出されていた鞄と紙袋を拾いあげた。

 ──戦いの間、手離されていた鞄と紙袋。

 鞄の土埃つちぼこりを払う舞の姿を見て、なぜか胸をかれた悠は、倒れた女性へと振り返った。

 梓野と二人の隊員が両手を合わせ、女性に黙祷をささげている。

 あの女性の日常はもう戻ってこない。守り続けられてきた子の日常も、おそらくは。

「八原くん」

 背後で舞の声がかけられた。

「ちょっと待って」

 肩越しに舞へ応え、悠はその場で眼を閉じ、両手を合わせた。



 ──To be continued ; Second Erosion phase#3

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