第61話 終戦協定

 背後に様々な思惑が巡った黒狼卿と天眼の軍師の捕虜交換は終わりを告げた。


 皇国軍を指揮する赤竜卿ブラームスは、この取引を上手く利用し、マルデュルクス砦を奪還することに成功したものの、帝国に捕らえられた黒狼卿の救出には失敗。

 そんな中、未だ石壁の前に布陣する2万の帝国軍を前にマルデュルクス砦の守りを固めるブラームスは、当初の予定通りに、教会に使者を出す。

 その内容は教会の定めた絶対禁戦領域を脅かす帝王グラムの進軍に関することである。


 ブラームスの目論見としては、この帝王の失策を上手く利用し、教会の介入を持って、この戦場を一時的な休戦状態にすることで時間を稼ぎ、その間に守備の立て直し、さらにはマルデュルクス山道内の工事を一気に進めるというモノだった。


 とはいえ使者は、一旦マルデュルクス山道を通り皇国側へと出て、ぐるりと迂回する形で南の自由都市マルタへと向かわなければならないために時間が掛かる。

 おそらく教会に使者が到着するまで10日。教会からの返事がくるまでにさらに時間が掛かるだろう。


 そうなるとやはりネックになるのが、それまでこの前線を持ちこたえられるかという点になってくる。


 皇国よりの援軍到着まであと丸一日はある中で、2万の帝国軍は石壁の外に布陣しており、いつ総攻撃が始まってもおかしくはない。

 ブラームスはこれに対して、幾つかの策を用意し、対抗する準備を固めていた。


 ――しかしこのブラームスの予想に反して、2万の帝国軍はまったく動く気配を見せなかった。


 時間が経てば有利になるのは皇国こちら側であることは明白。しかし眼前の帝国軍からは攻め込んでくる気配を微塵も感じることが出来ない。


「……どういうことだ?」


 皇国よりの援軍が到着し、マルデュルクス砦に十分な兵士と物資が届いても、帝国軍は微動だにせず、ただただ石壁の外に布陣し続けた。


 ブラームスがもう一つ不気味に思ったのが、黒狼卿の件についてである。

 ブラームスたちの予想では、帝国側からすぐさま先の取引に関する抗議、さらには黒狼卿を引き合いに出した交渉が持ち掛けられると踏んでいた。

 しかしそれに関しても、目の前の帝国軍は何も言ってこないのである。

 さりとて約束を反故にしたこちらから口を開く訳にもいかない。


 動かぬ帝国軍。そして突如として現れ、南へと消えて行った帝王グラム率いる帝王軍の行方。

 赤竜卿ブラームスはただ黙って、その行く末を見守るしかなかった。


 そんなブラームスを前に、結局2万の帝国軍は動かなかった。


 ――そして皇国軍がマルデュルクス砦を取り戻してから3日目の朝。


 教会からの使者がこの戦場に姿を現した。


 帝国領内より進んでくるこの使者の一団が、もちろんブラームスの要請を受けて動いたものではないことは明白であった。


 ならばその訪問理由はなんなのか?


 だがその使者の一団の登場よりもブラームスを驚かせたのは、その使者の一団の中に、皇国貴族の姿があったことである。


 ここより南にある教会聖地の入り口である自由都市マルタから出立し、使、その事実がブラームスの警戒心を最大まで引き上げた。


 使者の一団は二手に分かれ、一方が2万の帝国陣営内、もう一方がマルデュルクス砦の石壁の前までやってくる。


 ブラームスは部下に指示を出し、修繕に勤めていた石壁の砦門の隙間から、この一団を向かい入れる。

 その中から一歩前に進み出たのは皇国貴族であるムダク伯爵。どこか勝ち誇った表情で、皇国最強の英雄に対して恭しく頭を下げる。


「ご無沙汰しております、赤竜卿」

「説明してもらおうか、ムダク伯。皇国にいるはずの貴公がなぜ帝国側から姿を現す?」

「その質問にお答えする前に、まずは使者殿よりのお言葉をお聞きください」


 どこか勿体ぶったムダク伯の紹介に、ブラームスの前に進み出た教会よりの使者。

 その法衣を見て、その人物が教会において上位に位置する司祭であることを見て取ったブラームスは、皇国の英雄として膝を折る。


 だがその司祭の口から出た言葉に、目を見開き、思わず立ち上がる。


「……いま、なんと言われた?」

「二日前、教会聖地において法王様の立ち合いの下で、ローベルト帝国帝王グラム閣下とアリオン皇国皇女ミカサ様により終戦協定が締結、両国の終戦宣言がなされました」


   ***


「戦争が…終わった?」


 マルデュルクス山道を塞ぐ第一の関に下がっていたロウタとルゥがその知らせを聞いたのは、その日の昼過ぎだった。

 この知らせに、周囲は右へ左への大騒ぎとなっている。

 それも仕方のないことだろう。

 ここにいるほとんどの者たちが生まれる前から、およそ30年続いた両国の敵対関係が突如として終わりを告げたのだから。

 こんなことが起こりえるなど、いったい誰が予想出来ただろうか。


「いったいどうやって終わったんだ?」


 ロウタの質問に、この知らせを持ってきた兵士が事の詳細を語り出す。

 

 二日前、突如としてローベルト帝国の帝王グラムが教会聖地へと訪問。

 三万の帝王軍を従え、絶対禁戦領域を超えてのことは、帝王らしい、という言葉は付くモノの、これまで教会から距離を置き一切関わろうとしなかったグラムの行動と考えれば驚くモノであった。

 しかもその目的は、侵略ではなかった。法王の前に膝を折り、教会の威光に従う意思を見せたのだという。

 そんなグラムを迎えたのは法王だけではなかった。

 アリオン皇国の皇女であるミカサもまたその場にいたのだという。


 両者は近しい者たちを引き連れ、法王と共に用意されていた一室へと移動し、終戦協定の話し合いが始まったという。


「ミカサ様は以前より極秘裏に帝王グラムに対して平和の在り方についての書状を送り続けており、この戦争の終わりにしたいという働きかけをずっとしていたとのことです。そのミカサ様の平和への願いに胸を打たれた帝王グラムが、ついに重たい腰を上げ、今回の終戦協定に合意することにしたと……」

「馬鹿な! そんなことがあるはずがない!」


 思わず叫んだロウタに、話をしていた兵士が驚きの表情を浮かべる。


「すまなかった、続きを聞かせてくれ」


 謝罪するロウタと驚くルゥに兵士は話を続ける。


 この協定の話を両国の代表として進めたのが、帝国四軍師筆頭・閃光のアルタナと皇国内でも和平派で知られるムダク伯爵だったという。

 予め用意してきた、互いの文章と意見を元に、交渉はスムーズに進んでいき、その日のうちに話は纏まり、グラムとミカサの署名と血判を持って終戦協定は締結。

 法王が両国の終戦を宣言したという。


「法王は、今後両国が争うことを一切禁じられました。……その上で、私たちに関係するのは両国の境界線についてです」

「どうなった?」

「帝国側は、皇国側の要望により北の大平原より大きく皇国領内へと踏み込んでいた帝国軍を撤退することを約束。……対して皇国側も、帝国側のマルデュルクス山道口に当たるマルデュルクス砦の返還を約束しました」


 苦渋の表情を浮かべる兵士の言葉に、思わずルゥが叫ぶ。


「そんなの嘘なの! 私たちがこれまで必死で守ってきた砦を、そんな勝手に……こんなあっさりと…………」


 本音を零すルゥの憤りはも最であった。

 この半年以上の間、ヴィンセントと共に必死に守ってきた砦を、背後にいただけの皇女があっさりと相手へ差し出し、自分たちの努力を不意にしたこと。

 それがルゥにはどうしても許せなかった。


「……くっくっくっ、あーはっはっはっ」


 そんな中、ロウタが突然笑い出した。腹を抱えてゲラゲラと。

 だがすぐ直後、近くにあった椅子を蹴り飛ばし、拳を壁に叩きつける。


「いや、見事にやってくれたよ、皇国の皇女様は。まさかここまで話が進んでいたとはな」


 ヴィンセントからミカサが動いていたこと、グラムが教会聖地を極秘裏に訪れると聞かされていたロウタだったが、まさか話がここまで進んでいるなどとは想像もしていなかった。


「赤竜卿はなんて言っている?」

「相当お怒りになられています」

「だろうな」


 いつから話が進んでいたか分からない。ただ常に皇都にいる赤竜卿が珍しく留守の間に起こったってことを考えれば、おそらくそういうことなのだろう。

 英雄としてだけでなく、政治にも口出しが出来るようになっていた赤竜卿ブラームスは、同じ皇国内の貴族たちにのだ。


 これまでのひと月で起こった出来事は全てこの終戦協定へ向けて動いていたのは間違いない。


 憶測でしかなく、何が正しいかも未だ定かではない。

 ただ、今日まで戦の最前線にいたロウタとルゥは、突如としてそれを告げられたのである。


 戦争は終わった。もう帝国とは戦ってはならない、と。


 まだ頭の中が混乱しているロウタ。

 そんなロウタの袖をルゥが引っ張る。


「ロウタ副長。戦争が終わったのならヴィンセント隊長は戻ってこられるの?」


 心配そうな表情を浮かべるルゥのその問いに、ロウタは答えることができなかった。


 なぜなら、先の黒狼卿と天眼の軍師の人質交換を持ち掛けてきたラクシュミアが、このことを知らなかったとはとても思えなかったからだ。


   ***


 この終戦協定はイキシアノ大陸全土を震撼させた。


 長年続いた、両国の戦争の終結。

 特に大陸に覇を唱えるローベルト帝国はこれまで敵国を陥落し、自国に取り込む以外で戦いを終わらせることをしてこなかった。そういう意味でも今回の終戦協定は大きな驚きを生んだ。


 その立役者であるミカサ皇女は、平和の皇女として広く国内外に知られるようになる。

 特に皇国内では絶大な支持を得ることとなり、加えてミカサに賛同していたムダク伯爵を始めとした和平派が大きく台頭していくこととなる。


 終戦の宣言の効果は、両国の国境線においてすぐに表れる。

 まず皇国領内へと進行していた帝国軍は、この終戦協定を受けて、すぐさま定められた国境線まで引いた。

 この行動は、皇帝グラムが教会の威光に素直に従ったという意思の表れとして受け取られた。


 対して、最後までこの決定に異を唱え続けたのは、皇国最強の英雄と謳われる赤竜卿ブラームスであった。

 ブラームスはマルデュルクス砦に部下たちと共に籠城し、この返還に対して最後まで抵抗を見せた。

 しかし皇王サハネ、さらには教会を治める法王の要請を受け、ついには山道内の第一の関まで兵を引いた。


 この行動は皇国内で大きな波紋を呼び、皇国最強の英雄に対する避難の声は日に日に高まり、これまでブラームスが積み上げてきた信用を一気に地へと落とすこととなった。


 ――だが、これより1年後、国内外を問わずこの評価が大きく覆ることになることを、ほとんどの人間がまったく予想していなかった。



 そして終戦間近に帝国へと捕らえられた黒狼卿ヴィンセントについて。


 皇国側、特に終戦協定後にこの事実を知ったミカサ皇女は、終戦直後から帝国側に黒狼卿の返還を強く望むと共に、帝国との友好をより進めようと懸命に動いた。


 しかし、これに対する帝国の行動は一貫していた。


 それは、完全な拒否、であった。


   ***


 ――終戦協定より三ヵ月が経過していた。


 黒狼卿と呼ばれ、皇国の英雄の一人に数えられていたヴィンセント・ブラッド。


 そのヴィンセントは、現在、ローベルト帝国領内のとある貴族の屋敷で世話になり、その主にして周囲一帯の領主である老人と共に過ごしていた。


 その老人は、レイべリゼ公爵。


 彼の老人こそが、ラクシュミア・イルア・レイべリゼの祖父にして、鉄仮面の軍師の物語シナリオを描いた張本人でもある。



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お読みいただき、ありがとうございました。

次回は、3月24日の配信を予定しています。 

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