第39話 四日目(4) 袋の鼠
夕刻前のマルデュルクス砦の作戦室。
状況を把握した帝国軍の主要メンバーが顔をそろえている。
フォウとカリナ、老将バラクーダ。双月の騎士ネルとノートン。
「フォウ様のご命令通り、取り急ぎ山道内に柵を築いております」
ノートンがまずは報告する。
マルデュルクス砦の石壁は堅固だが、それはあくまで帝国側からの進行に対して。
裏側である皇国へと続く山道からの攻撃を防ぐものは何もない。
フォウは第一の関からマルデュルクス砦の間に数か所の柵と堀を作らせる。
いずれ第一の関から攻めてくるであろう赤竜卿率いる帝国軍に備えるためだ。
「それにしても弱りましたな。まさか三つの拠点が攻め落とされるとは」
老将バラクーダのため息はもっともで、マルデュルクス砦に攻め入る
報告によれば、三つの拠点に残っていた負傷兵たちは散り散りになって逃走したそうだ。
とはいえ、帝国領内で一番近い街であるガラフまでは馬を使っても丸一日という距離がある。
その上でカリナが口を開く。
「我々に残された選択は幾つかあります。まず一つ、このマルデュルクス砦を放棄し、黒狼卿たちに攻め落とされた三つの拠点を奪還する」
『それはありえんな。半年以上の時間をかけてようやく手に入れたこの重要拠点を放棄するという選択はあまりにも愚かだ』
フォウの言葉には、カリナを含めた誰もが頷く。
それこそが、帝国軍がこの地で戦っていた目的だったのだから。
「いっそのこと、第一の関へと攻め込むのはどうでしょう? 挟み込まれているとはいえ、この砦の門を固く閉ざしておけば、黒狼卿たちに背後を突かれる心配は少なくなります」
ノートンがそう進言する。
『しかしその上で、第一の関に立て籠もる赤竜卿たちは背後に伸びる山道の向こうからいくらでも皇国兵たちを呼ぶことができる。おそらくすでにそれなりの数を準備していることだろう』
「確かに……そうですね」
「ですが、山道内の道幅は狭いのですから、数はそれほど重要ではありません!」
弟をフォローすべくネルがそう口にする。
『確かにそれはその通りだ。しかし幾らでも増える敵兵を前に、我々が無限に戦える訳ではない』
「そ、それは……その通りです」
「ではやはりこの砦に籠城するしかない、ということですな」
バラクーダがそう締め括る。
『そうなると問題になるのは、やはり食料だな』
そう。それこそが、マルデュルクス砦を手に入れた帝国軍にとって一番の問題。
最前線である三つの拠点が半日という距離にあるからこそ、フォウたちは食料をまったく持ち合わせていないのだ。
昨夜の野営の後、今朝も食料の補給もそこそこにマルデュルクス砦に攻め入った。
これを攻め落とすも、背後を黒狼卿に抑えられたことにより、フォウたちは補給線を完全に断たれてしまったのだ。
さらに苦しいことに、マルデュルクス砦内にあった全ての井戸には幾つもの岩が投げ込まれ塞がれていた。これに関してはどうにか使えるように復旧を急がせているが、目途はまったく立っていない。
これが今の帝国軍の状況である。
目的の重要拠点を制圧したものの、敵に取り囲まれて水と食料が底を尽きかけている。
生きるためにはここを放棄すべきだろうが、それをするには、これまで支払ってきた代償があまりにも多すぎるし、今後の為にも、このマルデュルクス山道口の砦は絶対に抑えておかなければならない場所である。
その現状こそが、フォウたちをこの砦から完全に動けなくさせていた。
「「……」」
押し黙るカリナとバラクーダは、先刻フォウが口にした言葉の意味をようやく実感していた。
「ギリギリまで戦うべきだと思いますが、最悪の場合は撤退も視野に入れるできではないでしょうか?」
「ノートン、貴様! 何を言う!」
弱腰に聞こえた弟の発言に、怒りを露わにするネル。
「だけどここで無駄に死ぬわけにはいかないよ」
「ノートン、お前はそのような覚悟で戦場に立っていたのか!」
「違うよ兄さん。自分たちのことじゃない。フォウ様の話だ。フォウ様は帝国にとって無くてはならない方だ。フォウ様だけはなんとしても生き延びてもらわなければならない」
真っすぐと先を見据える弟の言葉に、兄は驚き押し黙る。
「ノートンの言う通りだな。この老骨はここまででも良いが、フォウ様は生き延びねばならんな。もちろん、お前ら兄弟もだ」
バラクーダはノートンに賛同しながらも、そう付け加える。
『皆の気持ちはありがい。だがもし逃げたとしても私は逃げきれんよ』
「そんなことはありません。この砦の門を開き、敵に制圧された三つの拠点の中間を通り抜ければ、必ずや……」
『ノートン、私はどれだけの距離を逃げればよい?』
「……馬車であればガラフまでおよそ一日半」
『もう少し二日といったところだろうな。それだけの時間、私は逃げ切れるか?』
言葉を詰まらせるノートン。
「では一計を講じるのはどうでしょう?」
そう合いの手を入れるのはバラクーダ。
「撤退の際に複数の部隊に分けるのです。フォウ様の使う馬車に似せたモノを複数用意します。それで多方向に散り散りになって逃げるのです」
『確かにそれは良き案です。ですが、それでも黒狼卿からは逃げ切れないでしょう』
フォウの指摘に誰もが押し黙る。
それこそが逃亡を考えた時の一番の危険。
背後から追いかけてくる黒狼卿から丸二日の距離を逃げ切ること。
それはどう考えても不可能に近い。
「……黒狼卿の目的は、フォウ様を捕らえることであると思われます」
唐突にそれを、口にしたのはネルだった。
その言葉に、カリナはピクリと頬を動かし、フォウも鉄仮面の下で驚きの表情を浮かべる。
『なぜそう思う、ネル』
「聞いたのです、黒狼軍の副官ロウタと赤竜卿の会話を」
そしてネルは捕虜になっていた時に聞いた二人の言葉を掻い摘んで語る。
赤竜卿は当初、フォウを殺すつもりでいたが、黒狼卿の目的を知り、捕まえることにしたと。
「……それはまた、敵ながら随分と面白いことを考えますな、黒狼卿は」
バラクーダがどこか呆れたような、しかし楽しそうに口元を緩める。
その一方でこの時、フォウとカリナの思考は一致していた。
自分たちの関係は露見しなかったものの、ヴィンセントの目的が赤竜卿に露見したことを。
だが二人は、この件に関してロウタを攻める気持ちはなかった。そうまでしてロウタがネルを守ろうとしたことを察したからだ。
「ネル。なんだか、その黒狼軍の副官ことを随分と良い様に話すけど、何かあったの?」
何気ないカリナの問いにネルはビクリと反応する。
「い、いえ、自分はなんにもありませんでした!」
明らかに挙動不審な態度を見せるネルに、フォウは思わずカリナを見る。
「……まあいいわ。ネル、後でゆっくりお話ししましょうか」
カリナの目は笑っていなかった。理由はネルの反応にではなく、ネルに対して何かしらしたであろうロウタが原因であることは間違いない。
「何にしても敵の目的は分かりましたな。敵の目的はフォウ様を捕らえること。ならば我々はなんとしてでも、ここでフォウ様をお守りせねばなりませんな」
バラクーダの言葉に、双月の騎士の兄弟が頷く。
『そう結論付けるのは早いのでは?』
しかしそんな三人の決意に、フォウは水を差す。
「フォウ様」
『バラクーダ老。我はまだ何も自分の考えを言っておりませんが?』
『ふぉごふぉご』と笑う鉄仮面の軍師の言葉に、三人の瞳が期待に満ちたものがある。
そしてフォウは断言する。
『三日だ。三日持ちこたえれば、必ずや状況は一変する』
***
空に星空が輝き始めた時刻。
第一の関では、マルデュルクス山道を通り、皇国からやってきた一万の皇国軍が休息をとっている。
作戦室では、その上官たちに向かって、ブラームスは命令を出している。
「今夜より夜襲に見せかけて銅鑼や太鼓を不規則に鳴り響かせ続けろ。常に相手の恐怖と不安を煽るのだ」
***
同時刻。
元帝国軍の三つの拠点である中央砦。
中央砦の門を出たヴィンセントたちが、目の前に壁のようにして聳えるレイべ山脈と微かな隙間を塞ぐ石壁の砦を見上げる。
「しかし改めてみると、これはなかなか攻め難いよな」
隣でロウタがそうぼやく。
これまで帝国軍は、このような景色を見ていたのだろう。
おそらくフォウもこうして見上げていたに違いない。
しかし今度はヴィンセントたちがこれを見上げる場所にいる。
これまでとは真逆の立場にいる。
今度は自分たちがあそこへ向かわなければならない。
「黒狼軍、出るぞ」
そして闇夜の中を黒狼たちが動き出す。
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