第35話 赤竜卿の計略
さてどうしたものか?
ロウタは考える。
ブラームスがネルの首を使おうとする目的は分かる。
おそらく敵に対する挑発だろう。
なら、それに見合うモノを用意しなければならない。
「おい、先ほどの話は本当なのか? 黒狼卿がフォウ様を捕らえて部下にしようとしているというのは?」
鉄格子の中からそう尋ねてくるネル。
「まあな」
ロウタはそう答える。嘘ではない。
ヴィンセントはラクシュミアと一緒になる為にそうしようとしている。ただネルはもちろん鉄仮面の軍師の正体を知らないのだろうから、その考えには及びもつかないだろうが。
「フォウ様が貴様たちの軍門に下る訳がない! それにフォウ様はお前たちには渡さない! フォウ様はオレがお守りする!」
「敵に捕まっていてどうやって守るんだよ?」
ロウタの指摘に、「むぐっ」とネルが頬を膨らませる。
「それでもどうにかする! これまでオレはフォウ様の采配の元で沢山の活躍をしてきたのだ!」
「お前はフォウの直属の部下なのか?」
「そうではないが、西のザイオン刀国との戦いでは、フォウ様のお傍で重用していただいていた! その気持ちにお答えする為に弟のノートンと大活躍をしていたのだ!」
まるで子供が駄々をこねるように喚くネル。
ザイオン刀国との戦での天眼の軍師の不敗ぶりは聞いている。そこで結果を出していたというのなら、ネルの言葉は本当だろう。それに今回の戦でもネルたちは重要な役割を任されていた。
それにしても、とロウタは思う。
この性格でこの容姿だ。否応なしにも注目が集まるだろう。
(これでよく今まで女だとバレなかったものだな)
そこでロウタは「はっ」とする。
(あの天眼の軍師に限ってそんな見落としがあるのか? ……違う。もしバレていないのはでなく、バレているが天眼の軍師が知らぬふりをしているとしたら?)
鉄仮面の下に隠された少女の顔を思い出す。
そして目の前にいる、女であることを隠し騎士として戦場に立つ少女の顔を見る。
「な、なんだ?」
「ネル」
「な、なにを唐突に名前を呼んでいる!」
あたふたするネルに、ロウタは真剣な表情で自分の気持ちを伝える。
「俺はお前の首を刎ねろと命令されている。だがオレはそれをしたくない」
「黒狼卿の命令だからか?」
「いや、俺がネルを斬りたくないだけだ」
「そ、それはどういう意味だ?」
疑うようなまなざしを向けてくる少女に、ロウタは笑う。
「なに。単にネルのことが気に入ったからだ。お前がどこまでできるのか、それをできるだけ見てみたいと思ったんだ」
ロウタの言葉に、ネルは顔を真っ赤にして口をパクパクさせる。
「だからその為に、俺は今から最低の行いをする。許してくれとは言わん。恨むなら恨んでくれて構わない」
ロウタはそう告げると、牢屋のカギを開けて中へと入ってくる。
「き、貴様! 私に何をする気だ!」
牢屋の隅っこに逃げて、身構えるネル。
そんなネルに向かって、ロウタは腰のナイフを引き抜く。
その白銀の刃に、ネルは息を呑む。
「お前の髪を切らせてもらう」
ロウタはそう言って、ネルが一房だけ長くしている髪を指す。
「この髪を?」
「それでお前の命を助けられる」
そう断言して見せるロウタの姿に、ネルは躊躇を見せたものの「分かった」と頷いた。
***
「は、はやくしろ」
ネルはロウタの前まで進み出ると、目を閉じて顔を上げる。
「……なんだか、まるでキスを求められているみたいだな」
「ふざけるな! オレは男だ! そ、そうじゃなくて、切りやすいように顔を上げてやったんだろうが! 目を閉じたのだって髪を切られるのを見られないためだ! 分かったらふざけたことを言うんじゃない!」
「いや、割と本気だったんだがな!」
「っっっ、と、とにかくはやくしろ!」
顔を真っ赤にしながら再びぎゅっと目を閉じるネル。
そのネルの一房長い髪を、ロウタが手で掬う。
思わず、ビクリと反応してしまう、ネル。
「は、早くしろ」
「分かった」
それからしばらくたったが、何も起こらない。
「……おい、いつまでかかっている」
目を閉じるネルが思わず声を掛ける。
「……ちょっと覚悟を決める時間をくれ」
聞こえてきた情けない声に、ネルは目を開け、本気で思い悩んでいるロウタを目の当たりにする。
「なぜお前が躊躇する。言い出したのはお前だろう」
「そうなんだが……」
「馬鹿かお前は、オレは捕虜だぞ。しかも男だ。その男の髪を切るのになんの躊躇がある」
「そういう設定だろ」
「と、とにかく男であるオレは髪を切られることなど、どうとも思っていない!」
「悪いが俺にはどうしてもそう割り切れなくてな」
「先ほどの勢いはどうした? あの赤竜卿相手に堂々としていたではないか!」
「それとこれとは話は別だ」
そんなロウタの煮え切らない態度に、ネルはイライラは限界に達する。
「ええい、情けない男だ!」
そう叫んだかと思うと、ネルはロウタの手からナイフをひったくる。
「お、おい」
そしてネルは自らの手で一房長い自分の髪を掴むと、その根元にナイフを刃を当て、勢いよく引いた。
それだけでネルの金色の髪が引き裂かれる。
「ほらっ、持っていけ」
ナイフと人房の髪を差し出す。
「ネル」
「勘違いするな。オレは捕虜だから貴様の命令を聞いただけだ。それに私はどうやらお前に命を救われたようだしな。礼は言わんぞ……ロウタ」
そう名前を呼ばれ、ロウタは思わず笑ってしまう。
「小娘に名前を呼び捨てにされるとなんともこそばゆいな」
「オレは男だ!」
「そうだったな」
「それにオレはお前の敵だ! だからいいんだ!」
「それもそうか」
「いいから早く持っていけ!」
突き出された髪とナイフを受け取り、ロウタは苦笑する。
「まったく閉まらないな、俺って男は。肝心な処で手が鈍る」
「ロウタは情けない面をしているからな。そうやってこれまでも失敗してきたと顔に書いてあるぞ」
「……まったくだな」
寂しそうに笑うロウタ。
その表情が気になり、ネルは思わず尋ねる。
「前に何かあったのか?」
「……」
「あのな、私は色々と話したんだぞ。ロウタだけ言わないのはズルくないか?」
そんなむくれる騎士に、ロウタは「そうだな」と苦笑する。
「昔、好きな女がいた。その女は色々と訳ありだった。そして俺がその女を救うには、別れる最後の時に、その女を殺すしかなかった。……だけど俺にはそれが出来なかった」
「……」
「そして俺は逃げ出した」
俯くロウタの哀愁に満ちた表情に、ネルは恐る恐る尋ねる。
「その女はどうなったんだ? 何かひどい目にあって最終的に死んで……」
「いや、今でも生きているし、豪華な生活を送っているよ」
そうあっけらかんと笑って見せるロウタ。
その豹変ぶりに、ネルは自分がからかわれていたのだと思い憤慨する。
「心配してやって損をした!」
「心配してくれたのか?」
「う、うるさい! さっさと出ていけ!」
「へいへい」
そう背を向けるロウタ。
しかしその時、ロウタが一瞬見せた哀しげな表情を見て、ネルはなんとなくそれを悟る。
おそらくさっきの話は本当のことなのだろうと。
牢屋を出たロウタは振り返り、ニヤリと笑う。
「短い髪も似合っているぞ、ネル」
「さっさと行ってしまえ!」
ヒラヒラと手を振るロウタを見送るネルの胸は、叫び過ぎてドキドキしっぱなしだった。
***
ロウタはネルの見張りを黒狼軍の部下に任せると、死体置き場へと向かい。指を調達、それをネルの金色の髪に括りつけた。
そしてその足で、ブラームスの部屋へと向かう。
「持ってきました」
ロウタの持ってきたモノを見て、ブラームスがいぶかしむ。
「これがあの騎士の首と同価値だと?」
「挑発としては十分な効果があることを保証します。これを天眼の軍師に送りつけてください」
「送り付けるなら、あの捕虜の首を送り付けた方が意味があると思うがな」
「そうでもないですよ。捕虜が生きているからこそ意味があることもある」
「というと?」
「捕虜の首が送られてきた場合、確かに相手は憤るでしょう。しかし怒りが冷めればそれで終わり。なにせ助けるべき相手はすでに死んでいるのだから。しかし捕虜がまだ生きているのなら話は別です。酷い仕打ちを受けているとしれば、急ぎ助けようと攻めてくる」
ロウタの言葉に、ブラームスが不敵に笑う。
「やはりお前は有能だな、ロウタ。しかしなぜ髪なんだ? 腕の一本でも、それこそ本物の指でも送りつけてやればいい」
「黒狼軍の事情ですよ。天眼の軍師を仲間に引き入れようとした時に、これは必要なことなんですよ」
「つまり、それが、黒狼軍の副官としてお前ができるギリギリの譲歩、という訳か」
楽しそうに笑うブラームスに、ロウタは「おっしゃる通りです」と肩を竦める。
「効果は保障しますよ」
「そうか。ならその言葉を信じよう」
ブラームスはそれを封書に詰め、蝋印を押すと、それを部下に手渡す。
「日の出と共に、帝国軍の陣営に持っていけ。贈り物だと言ってな」
それに従い、部下は部屋を出ていく。
「それで、作戦はまとまりそうですか?」
「というか、もう出来ている」
「相変わらずですね」
「黒狼卿が戻り次第、一緒に来い。作戦を伝える」
「分かりました」
そう踵を返すロウタ。
「ロウタ」
「? なんですか?」
「今回は二重の策を使う。そのことを心して、今のうちに準備をしておけ」
ブラームスの言いたいことをロウタは即座に読み取る。
「分かりました」
――それからほどなくしてヴィンセントたちが戻ってきた。
互いの状況を教え合いながら、ブラームスの部屋へと向かう。
ブラームスの部屋にはマルデュルクス砦の司令官であるタイラーの姿があった。
ブラームスはこの度の作戦を主要メンバーに伝えると、全員を引き連れ作戦室へと移動する。
そして集められた上官たちに今日の作戦を伝えた。
砦内が慌ただしく動く中、ロウタはその見知った兵士に声を掛ける。
「リドル、お前に頼みたい仕事がある」
***
「ここだな」
黒狼軍は目的の場所に到着する。
そこはマルデュルクス砦と草原に布陣する帝国軍を直線で結んだラインの中間辺りの位置。だがそのラインからは大分離れた森の中だ。
そんな黒狼軍500騎と同じように、そのラインの反対側には、マルデュルクス砦の指揮官であるタイラー率いる1200の皇国軍がいる。
こちらも黒狼軍と同様に直線のラインからは大分離れた位置にいる。
つまり黒狼軍とタイラー軍は、帝国軍がマルデュルクス砦に攻め入るルートを空けるように布陣した、という構図になっているのだ。
現在マルデュルクス砦を守るのは赤竜卿と500にも満たない兵士たち。
対し帝国軍は、負傷者を後方にある三つの拠点に引き上げさせ、新たな予備軍を加え、その兵力はおよそ5000。
その配置を改めて頭の中に思い浮かべ、ロウタはポツリと呟く。
「この戦いもいよいよ大詰めだな」
四日目にして大きな山場を迎えることを予感していた。
***
同じく、この戦場の配置を見据える者がいた。
帝国軍の本陣にいる天眼の軍師フォウである。
『では作戦会議を始める』
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