第6話 日当なんぼ?
『マーゲン』の店内は少し薄暗く、まだ準備中だったらしく客の姿は見え無い。内装は木の板がむき出しの簡素な作りで、小さな窓が両端に一つずつ。正面にあるカウンターの奥には、調理場へ続く扉の無い出入り口が一つ見える。
粗末な木製のテーブルが四つに、椅子がそれぞれ四脚ずつ。一番奥に大き目のテーブルがあり、そこには椅子が六脚あった。その他にカウンターにも席が用意されており、ボルスの話しでは混雑時にはこの店一杯に客が入るらしい。ミュルが言う様に繁盛しているのだろう。壁に掛けられた二種類の手書きのメニュー板には、それぞれ『食べ物』と『飲み物』が書かれている。
「さあ、こごに座っでくれ!」
オークの店主はそう言うと、一番奥の大きめのテーブルをドンッと叩いた。おそらく微笑んでいるのだろうが、その顔がオレには一段と恐ろしく見える。最初に見た時の姿がトラウマになっているのかも知れない。オレたちはとりあえず言われるがままに席に着く。
「改めで自己紹介させてぐれ。この店の店主をしてるドルデスだ。倅が世話になっでな。ありがどうよ」
「いえ、こちらこそ。改めまして、佐藤と申します」
「サトウが。よろしぐな。今日はオレのおごりだ。好きなだげ飲んで食って行っでぐれよ」
ドルデスはそう言って店の奥へ行くと大きなマグカップの様な器と、陶器に入った酒を持って来てオレとミュルに注いで、更にひと回り大きな器に並々と注ぐと『倅の命の恩人に!』そう言って乾杯して、器の酒を一気に飲み干すと上機嫌でまた店の奥へと姿を消した。
「まさかサトウがボルスと知り合いだったとはな──」
「私も驚きました」
「ボクもサトウが父ちゃんと知り合いだったなんて驚いたよ」
オレたちは三人で顔を見合わせて笑った。そんな事を話しているとドルデスがご馳走を運んで来た。
「さあ、とりあえずごれでも食っで寛いでてくれ、今ちょうどうぢの若いヤツらが出払っでるもんでな。もうじき帰って来るはずだからちょっと待っでくれよな」
ドルデスはそう言いながらオレたちの器に酒を注ぐ。そして、自分の器にも酒を注ぐとそれを一気に飲み干しグハーッと大きく息を吐いて笑った。どうやら悪いヤツではなさそうだ。でも、笑った顔が怖い。
テーブルには付け合わせなのだろうか、干した魚をぶつ切りにして野菜と煮込んだ料理と、平らな塩味のパンのようなものが置かれている。ミュルがその干した魚をパンに包んで食べている。オレも真似をして食べてみる。これが素朴なのにしっかりとした旨味で癖になる味だ。しばらくすると、奥の厨房から扉が閉まるような物音が聞こえた。
「親方ぁー、ただいま帰りましたぁー」
「おう、ボルヂちょっど、ごっち来てぐれ!」
ドルデスが叫ぶと、奥の方から小柄なオークが駆け付けた。そして、オレを見るなり茶色い瞳を大きく開いて、仰天の表情を浮かべながらオレを指さした。言いたい事は解る。
「お、親方、コイツはあの時の!?」
「馬鹿野郎! 倅の命の恩人に向がっでコイツどはなんだ!」「ゴツッ!」
「いってぇー!」
ドルデスが岩のように大きな拳を振り下ろすと、ポルチの頭蓋骨が鈍い音を上げた。
「ずまねえな。ゴイツは育ちが悪いもんで行儀が悪ぐでいけねえ」
いやいや。アンタも十分に育ちは悪そうだよ。オレはそんな事を思うが、もちろん口には出さない。
「ボルヂ、お前すまねえが、ちょっど酒の肴になりそうなもの持っで来でぐれ。ついでに果物もな」
「はい。親方」
ポルチと呼ばれる小さいオークは厨房へと駆けて行って次々と料理を運んで来た。二つの大皿に盛られた肉料理はそれぞれ違う味付けで、あっさり味の方は塩と爽やかなスパイスが効いていて、コッテリ味の方は、醤油と味噌の中間のような味付けに少し辛めのスパイスが効いている。その他にも干し肉と野菜の煮物と、骨付き肉と野菜の煮物料理も運ばれて来た。夕食時にはまだだいぶ早い時間帯だが、運ばれた料理はどれも美味く、オレは久しぶりのご馳走に舌鼓を打った。
「とごろで仕事の件だが──」
ドルデスがオレとミュルの顔を見て言うと、ミュルも『どうする?』とばかりにオレの顔を見た。とてもいい話だと思う、ただオレはそれよりここで働くに当たって、住む場所をどうするかが気に掛かっていた。
「1000オーロンでどうだ。もぢろん飯付ぎだ」
オレが答える前にドルデスが言った。
「いや、賃金の事じゃなくて、私は今ミュルの天幕に厄介になってるんですが、住む場所が無いもので──」
「お前が良ければ、しばらく儂の天幕から通ったらどうだ?」
オレの言葉に続けるようにミュルが言った。ありがたい。でも、ミュルにはお世話になりっぱなしだ。何か少しでも恩返し出来ないものだろうか。
「あの──」
「ん?」
「もし、出来ればなんですが、朝にミュルのゴミ集めの仕事を手伝った後にここへ通うんじゃ不味いですか? もちろん、給金はもっと少なくて構いませんので──」
虫のいい話だが、オレは駄目元で聞いてみた。
「オレの方はそれで構わねえ。じゃあ、1日800オーロンで、昼飯時がら晩飯時まででどうだ? ミュルお前もそれで構わねえが?」
「ああ。儂は構わんよ。サトウがいいなら」
「ありがとうございます!」
「んじゃ早速、明日がら頼むぞ!」
こうしてオレはこの世界での仕事を見付けた。それも最高の条件で。ドルデスが大笑いしながらオレと握手すると、あまりの握力に思わず悲鳴を漏らす。ミュルとボルスがそれを見て大笑いした。
翌朝、オレはいつもより少し早めに起きると、ミュルと一緒に体術の訓練をした。訓練は準備運動から始まり、基礎的な動きの練習をした後に、技の練習をするといった流れだ。ミュルの教える体術の訓練は、これまで格闘番組などもほとんど見た事の無いオレにも解りやすいものだった。今まで自分の体がこんな動きをするなど考えた事も無かった。訓練の後は流石に疲れてグッタリだったが、それがまた心地良く、これまでのなんとか生きている日々が、少しだけ刺激的で面白くなった気がした。
朝食を済ませると、荷車を押して街にゴミ集めの仕事の手伝いに来た。鈴を鳴らしながら街を周って歩き、ゴミ山へ戻るとゴミの仕分けをする。それが終わるとすぐにマーゲンへ向かう。
店に着くと既に客が入っていた。オレはまずは昼飯をご馳走になる。いわゆる賄い飯というやつだ。この日は、干し肉とナッツ類と雑穀の様なものにスパイスを加えて炒め、平らなパンの様なもの挟んだ料理が出された。繁盛しているのが頷ける美味さだ。そして、昼飯を食い終わるといよいよ仕事開始だ。
オレの仕事は主に食器洗いと、洗い終わった食器を盛りつけ様に用意する事だ。単純な作業だが飯時のマーゲンの混雑ぶりは想像以上だ。朝から入っていた客は飯時が近くなるにつれてどんどん増え、そのままっしばらく店内は常に満員の状態が続く。ひょっとしたら一生この食器を洗い続けなくてはいけないのではないかと思うほどの客入りだ。しかし、その客も飯時が終わると嘘だったかの様にスッといなくなり、また夕刻が近付くとちらほらと客が入り出す。夕方の客は酒と肴が目当ての客が多い様だ。
クライネスの住民の生活は基本的に朝と昼は外食が多く、特に昼休みが長いため昼はほとんどの者が外食をする。その反面、夕方から夜は人間界のように街灯や照明が発達していないため、出歩く者自体が少なく客足も朝や昼に比べるとずっと少なくなる。ここでは、ミュルの様に三食を自分で調理して過ごす者はごく希な様だ。
仕事を終えるとドルデスがその場で800オーロンを支払ってくれた。そして決まって『お疲れさん。帰り道は寄り道せずに、気を付げで帰れよ』そう言って、残り物の料理を持たせて見送ってくれる。顔は怖いがミュルが言う様にけっこういいヤツなのかも知れない。
最初の一週間はあっと言う間に過ぎ去った。マーゲンでの仕事を終えてミュルの天幕へ戻り、晩飯を食うと寝袋に入った瞬間に泥の様に眠り。朝から体術の訓練に励んだ。週に一度の休みには半日を訓練に費やし、残りの半日をのんびりと過ごした。
二週目からはゴミ集めの後にも訓練をする様になり、二週目が終わる頃になると、ミュルが木を削って作った杖を木剣に見立てて、武器を持った相手に対する体術の練習も行うようになった。
その頃にはだいぶマーゲンでの仕事にも体術の訓練にも慣れて来て、少しずつだが着実に金も貯まっていった。宿泊と朝食のお礼にと、ミュルには何度か稼いだ金から幾らか支払おうと思ったが、決して金を受け取ろうとはしないので、ときどき街から食料を買って帰った。それはミュルへのお礼でもあり自分自身の気分転換にもなった。オレにとってこの世界の食料は、外見からのイメージでは味がまったく想像できない物も少なくない。そんな物を買って帰りミュルに調理方法を聞いて試してみるのは、なかなかスリリングで楽しい。三回に一回くらいは驚くほど美味しい食べ物に出会い、五回に一回くらいは味見の一口目以降が、まったく進まない強烈な味の物にも出会った。
少しずつクライネスでの暮らしの事が解って来ると、マーゲンがどれくらいの人気店なのかも、ドルデスがどれだけオレを優遇してくれているのかも解って来た。雇ってくれたドルデスにも、紹介してくれたミュルにもいくら感謝してもし足りない。しかし、それでも10万オーロンを貯めるには先はかなり長かった。
そんなある日、ミュルと一緒に街でゴミ集めをする途中で、奇妙な話を耳にした。隣街ノルイドで魔女が捕まったと言うのだ。捕まったと言っても魔女狩りなどではなく、無銭飲食した挙句に泥酔して、駆け付けた保安委員に悪態をついた挙句に、拘留されたという話だ。ところがこの話には続きがあった。問題はその魔女と呼ばれる者が自らをゲヘルトから来た祈祷師で、身元の引き受け先はゲヘルトに連絡すれば解ると言い張っているらしのだが、保安員がゲヘルトに連絡を取ったところ、何故か先方が身元引き受けを拒否しているというのだ。もし、このまま十日が過ぎれば刑が確定し、魔女は首都ベスティアに移送され収容されることになるらしい。
そして、その話には更に続きがある。拘留される間際にその魔女は『異界の門』がどうとか、騒ぎ立てていたらしい。ちなみに、この辺では得体の知れない術者を総称として『魔女』と呼ぶらしく、祈祷師もそれに含まれる。
「ミュルさん、その異界の門って、もしかして別の世界に通じる門って事ですかね!?」
「儂は魔法には詳しくないが、あるいは──」
「と言う事は、私が来た世界へも!?」
「可能性としては有り得るな」
突然の展開にオレは鼓動が早くなるのを抑えきれないでいた。
「ノルイドまでは歩いて行ける距離ですか?」
「ああ。山を一つ越えた所だ」
「行けばその魔女に会う事はできるでしょうか──」
「ああ。拘留中なら鉄格子越しの面会なら可能だろう。ゲヘルトまで行くよりは遥かに近いし名案かもしれんな。早速、明日にでも行ってみるか!」
ミュルはオレが話し終える前にそう言うと。ドルデスに事情を話して休みをもらおうと言って、オレに付き添ってマーゲンまで一緒に来てくれた。ドルデスはいつも通り怖い顔をしていたが『そんな大事な事なら店の事は気にせずに、二日でも三日でも気を付けて行って来い』と言って、しかも、道中の腹の足しにと、干し肉を持たせて快く送り出してくれた。
こうしてオレとミュルは、ゲヘルトから来たと言う魔女に会うために、ノルイドの保安所へと向かった。
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