第8話 アスパラのベーコン巻き


 アスパラガス。

 紀元前から栽培されていた野菜であり、各国のコース料理でも愛用されている。

 特有の苦味と芳醇さが特徴である。


 種類にはホワイトアスパラとグリーンアスパラがあるが、実は両方とも品種は同じなのだ。

 栽培の過程で日光を当てなかったものがホワイトアスパラ。

 日光に晒して育てたものがグリーンアスパラになるのだ。

 栄養素は後者の方が圧倒的に豊富で、ハルトが今扱っているのもグリーンアスパラである。


「さてと……」


 ハルトはまず、アスパラガスを注意深く眺めた。

 濃い緑色と、固く締まった穂先から新鮮さが窺える。

 ハルトは少量の湯を沸かしながら、この癖の強い素材の調理を始めていく。


「まずは下処理しなきゃいけないんだけど……」


 アスパラガスは皮を剥かなくては始まらない。

 しかし、それには刃物を握る必要がある。

 今の状態では、発作が出るのが目に見えている。

 ハルトの挙動で察したのか、ミトがすっと横に出てくる。


「おっと、手伝おうか?」

「お願いします」


 アスパラの下ごしらえさえ済めば、あとは自分でできる。

 ここはミトの力を借りるとしよう。

 そう思った瞬間――


「え、どういうこと?」


 ここでロサリアが首を傾げた。

 なぜ野菜の仕込みごときで、ミトの手を借りる必要があるのか。

 いかにもそう言いたげだ。


「もしかして、包丁使えないの?」

「…………」


 ハルトは閉口する。

 いつ言い出すか迷っていたが、ここまで来ればどのタイミングでも一緒だ。


「見ての通りだ」


 嘘をついても仕方がないので、ハルトは頷いた。

 すると、ロサリアは信じられないといった顔をする。


「――料理人なのに?」

「……ああ、そうだ」


 非難ではなく、ロサリアは純粋に驚愕しているようだった。

 包丁が扱えないとなると、普通なら料理人であるか以前の問題だ。

 彼女は諦観のため息を吐いた。


「ミトさん、やっぱりダメですよこの男……」

「まあまあ、料理が出る前に結論を下すのは早計だよ」


 ミトがフォローしてくれているが、ロサリアの態度はいっそう硬化した。

 完全にハルトを叩き出す腹づもりなのだろう。

 そんな権限があるのかは知らないが、彼女なら実力行使でやりかねない。

 内心で怯えながらも、ハルトはミトに指示を出す。


「皮と株を落として、4等分にしてもらえますか?」

「お安いご用さ」


 ミトは見事な手際でアスパラに包丁を入れていく。

 土の溜まりがちな部分を落とし、薄皮を剥いていった。


 その間に、ハルトは鍋に湯を沸かす。

 熱湯を魔法瓶に注ぎ、卵を沈めておいた。

 そうしている間に、ミトが早くも一仕事を終える。


「お待ちどうさま。これでいいかな?」


 ミトが差し出してきたボウルには、形の揃ったアスパラが盛られていた。


「完璧です。ありがとうございます」


 これで、人の手を借りる工程は終了。

 ハルトはさっそくアスパラを鍋の中で塩ゆでする。

 グツグツと煮立つ水面を見ながら、慎重にアスパラの色合いを確認していく。

 と、そんな時にハルトの傍から疑念の声が聞こえた。


「お湯が少なすぎじゃない?」


 ロサリアが鍋の中を見て眉をひそめている。

 彼女の言うとおり、鍋には少ししか湯が入っていない。

 一般的な下茹でとは異なるように見えたのだろう。

 しかし、ハルトは即座に首を横に振った。


「ゆですぎるとダメなんだよ」

「ふーん」


 アスパラガスの栄養素は熱に弱い。

 長く加熱しすぎるのは良くないのだ。

 それに、何も考えず茹でていては食感と風味を損なってしまう。

 この工程が一番神経を使うところなのだ。


 数十秒経ったところで、ハルトはすぐにアスパラを引き上げた。


「良い加減だ」


 ハルトは満足気に頷いた。

 そのままアスパラを2本に束ね、ベーコンを斜めに巻いていく。

 最期に爪楊枝で固定し、塩胡椒を振った。


「焼きを入れます」


 用意したのは油を敷いたフライパン。

 予熱でしっかりと温め、アスパラとベーコンを丁寧に並べていく。

 中火で炒めながら、ハルトは背後にいるロサリアに声をかけた。


「フライパンは本来こうやって使うものだからな?」

「わ、分かってるわよ!」


 ロサリアは恥ずかしげに言い返す。

 フライパンで襲いかかったのを思い出したのだろう。

 意趣返しのつもりか、彼女は少し嫌味を呟いた。


「ずいぶんと簡単ね。私でも作れそうじゃない」

「まあ、難易度の高い料理じゃないからな」


 ハルトも否定はしない。

 この料理は作るだけなら非常に易しい。

 ただ、出来栄えがどうなるかが最大の問題なのだ。


 フライパンの上で、ベーコンがじゅうじゅうと香ばしい音を立てている。

 肉に巻かれたアスパラも、火が通って照り輝いていた。

 食欲をそそる匂いが厨房に充満していく。


 ベーコンがきつね色になったところで、ハルトは菜箸を掴んだ。


「――よし」


 皿の上にアスパラのベーコン巻きを盛り付けていく。

 パチパチと油が弾けるベーコンに、作っているハルト自身よだれが出そうになる。

 傍観していたミトは、拳を固く握りしめていた。


「くぅ……おいしそうじゃないか」


 この料理を食べることができるのはロサリアのみ。

 そう思っているからか、ミトは悔しそうにしている。

 そんな彼女に、ハルトは苦笑しながら告げる。


「ミトさんの分もありますよ」

「わあい! さすがハルトくん!」


 嬉しかったのか、無邪気に飛び跳ねている。

 新鮮な反応だった。

 ミトの意外な一面に視線を奪われていると、ロサリアは冷淡に聞いてきた。


「これで完成?」


 ミトとの温度差がすさまじい。

 料理に対する反応を見ても、あまり好感触とは思えない。

 ここでハルトは、ロサリアの嗜好をある程度察した。

 一応、期待を持たせるために不敵な笑みを返しておく。


「いや、最後の仕上げが残ってる」


 ハルトは魔法瓶から卵をすくい取った。

 じっくりと低温で茹でた卵にヒビを入れ、アスパラベーコンの横に中身を落とす。

 黄身だけでなく、白身までトロッとした半熟卵が姿を表した。

 それを見て、ミトが興味深そうに呟く。


「温度卵かな?」

「はい。日本では『温泉卵』と呼ぶことが多いです」


 アスパラのベーコン巻きと、ほかほかの温泉卵。

 この二つが皿の上で湯気を放っていた。


 最後にハルトは、温泉卵の上に黒胡椒とパルメザンチーズを散らす。

 すると、皿の上が芸術品のように色づく。

 盛り付けも終わったところで、ハルトは深い息を吐いた。


「終わったみたいね」


 ロサリアは退屈そうに髪で遊んでいた。

 やはり、料理にあまり興味を持ってくれていないらしい。

 ただ、ハルトには勝算があった。


 彼女の示す反応には、何度も遭遇したことがある。

 料理に先入観を持っている人特有の無関心。

 しかし、ハルトが作ったこの料理は、それを変える。

 いかなる偏見をも打ち砕き、目の前の一品に没頭させる。


 それこそが、ハルトが目指す料理なのだから――


「待たせたな。『アスパラのベーコン巻き 温玉乗せ』、完成だ」



     ◆◆◆



 こんがりと焼けていて、食い気を全開にさせるベーコン。

 その内側で青々と輝き、存在感を示すアスパラガス。

 その両者を包み込むようにプルプルと震える温泉卵。


 少しでもつつけば黄身がトロリと溢れ、ベーコン巻きに黄金色のソースをもたらすことだろう。

 ピリッとする胡椒と卵黄。

 合わないわけがない。


 昼時で空腹となった人間が見れば、すぐにでもかぶり付きたくなることだろう。

 現にミトは、自分に用意されたアスパラのベーコン巻きを、恨みがましそうに眺めていた。

 しかし、食べ始めようとはしなかった。


 今回の主役はあくまでもロサリア。

 そんな彼女を差し置いて、店主の自分が食べるのは気が引けるのだろう。

 だが、しばらく待ってもロサリアが手を付ける様子はない。


「どうした、食べないのか?」


 ハルトは『冷めないうちに』と呟きながら皿を彼女の方に寄せた。

 すると、ここでロサリアが全力でため息を吐いた。

 彼女は髪をかきあげながら、ハルトに衝撃的なことを告げる。


「誰にも言ってなかったけど、私アスパラ嫌いなのよ」

「え!?」


 ミトは驚きの声を上げる。

 こんなに美味しそうなのに、と言いたげだ。


 しかし、ハルトに動揺した様子はない。

 調理中の反応で、なんとなく察していたのだ。

 ロサリアがこの料理を食わず嫌いしていることに。

 ここでハルトは涼しい顔をしながら尋ねた。


「そっか。なんで嫌いなんだ?」

「筋張ってるし、青臭いし、おいしくないもの」


 アスパラを苦手とする人の典型的な回答だ。

 ここまではっきり言われては、もはや疑う余地もない。

 その上で、ロサリアは嘲るように告げてくる。


「先に言っておくけど――嫌いなものを出されて、良い評価を付けるわけないから」

「さ、サリー……それはちょっと酷いんじゃないかな?」


 さすがに見かねたのか、ミトがやんわりと注意する。

 だが、ロサリアの意志は固かった。


「いいえ、料理を選んだのは他ならぬこの男です。それなのに苦手なものすら聞かないなんて、迂闊すぎますよね」


 調理前、ハルトはロサリアに食べ物の嗜好を聞かなかった。

 確認を怠って不興を買ったのであれば、ハルト側に落ち度がある。

 そう確信しているため、ロサリアは一歩も譲らない。


「ミトさんはあの男を引き止めたいみたいですけど。客の嫌いなものを出す輩を認めるんですか?」

「……あはは、手厳しいね」


 ミトも説得は諦めたようだ。

 彼女はハルトの方に赴き、心配げに尋ねる。


「大丈夫なのかい? ハルトくん」

「ええ。このくらいは想定していました」


 ハルトは余裕に満ちた笑みを浮かべる。

 それを気味悪く思ったのか、ロサリアは目を細める。


「もしかして、分かっていたのに調理を続けたの? とんだ料理見習いね」

「いや、お前の好き嫌いは知らないけどさ。ちゃんと食ってから評価するんじゃなかったのか?」


 そう、今は試験中。

 ハルトが料理を作り、ロサリアがそれを食べる。

 そして認めるか認めないかの決断を下す。

 そういう勝負なのだ。


 好き嫌いがあろうがなかろうが、まずはロサリアが食べなくては始まらない。

 ハルトの指摘で、ロサリアは憤然とした顔になる。


「ふんっ、絶対追い出してやるわ」


 そう言って、彼女はベーコンに刺さった爪楊枝をつまむ。

 そしてアスパラのベーコン巻きを口の中に入れた。

 アスパラが苦手なのは本当らしく、彼女は少し苦しそうに眉をひそめた。


 明らかに噛むのをためらっている。

 アスパラ独特の青臭さを懸念しているのだろう。

 しかし数秒後、彼女は覚悟を決めて噛み締めた。


 すると、シャクッという小気味いい音が響く。

 食感に驚いたのか、ロサリアは目を丸くした。


「……え、これって」

「アスパラだよ。他の野菜とすり替えたりしてないぞ」


 思っていた味や歯ごたえとは違ったのだろう。

 ロサリアは噛むのをやめず、十分に口内で味わってから飲み込んだ。

 アスパラが苦手な人なら、まずしない行動だ。


「前に食べた時は青臭かったし、硬くて食べれたものじゃなかったのに……」


 彼女は少し沈黙した後、無意識なのか次の爪楊枝に手を伸ばしていた。

 それを見て、ハルトはくすりと笑う。


「もう二束めに行くのか」

「う、うるさいわね!」


 怒りながらも、ロサリアは手を止めない。

 ベーコンに巻かれたアスパラが彼女の口内へ消えていく。

 そして、シャクシャクと音を立てながら食感を楽しんでいる。

 その光景を見て、ミトは不思議そうに唸っていた。


「アスパラ、苦手なはずなのにね」

「多分、最初に質の悪いアスパラに当たって嫌いになっちゃったんだと思いますよ」


 初めて食べた時に、誤った調理法で作られたアスパラを引いた可能性が高い。

 一種の食わず嫌いだ。

 本当にうまいアスパラを知らないがゆえの忌避。

 その嗜好を説得で変えるのは難しい。


 しかし、料理は味という武器を手に、何よりも雄弁に語って偏見を粉砕してくれる。

 自分たちは今、その現場に立ち会っているのだ。


 あれほど嫌いと言っていたアスパラを食べるロサリア。

 そんな彼女を尻目に、ハルトはミトに皿を差し出す。


「俺達も自分の分を食べますか」

「そうだね! 意外だと思うけど、こう見えてかなりお腹減ってたんだ」

「いや、全然意外じゃないです」


 料理を前にしてあれほど殺気立っていたのだ。

 ロサリアがいなければ、ミトは一瞬で皿を空にしていただろう。

 辟易しながらも、ハルトはアスパラのベーコン巻きにかぶりつく。


 最初に感じたのは――肉の旨味。

 ベーコンの上質な脂と肉汁が口内に溢れだす。

 香り立つ肉の匂いが、食欲を際限なしに掻き立てる。


「――っ」


 さらに歯を押し当てると、シャキッとした食感が響いた。

 さすがは丁寧に下ごしらえをしたアスパラだ。

 胡椒の効いた肉汁が染みこんでいて、青臭さなど全く感じない。


 シャクッという音がなんとも気持ちよく、噛みしめるのがやめられない。

 しっかり味わうと、コクのある苦味がじんわりと染み出してきた。

 口当たりも優しく、ただただ『もっと食べたい』という想いに支配される。


 一つ食べ終えたところで、隣のミトを見てみる。

 彼女は幸せそうに頬に手を当て、シャクシャクとアスパラを咀嚼していた。

 そんな彼女に、ハルトは補足で解説をしていく。


「ちゃんと下茹でして火を入れれば、独特のエグみは薄まります。すると残るのは、心地のいい苦味と爽快感のある歯ごたえです」

「……なるほどね。僕もこんなアスパラは初めてだ」


 アスパラを苦手とする人が多いのは、独特の青臭さと食感に原因がある。

 調理に失敗すればエグみが主張する上に、筋張ったブヨブヨとした歯ごたえになってしまう。

 特に後者は致命的だ。

 アスパラの素材の旨さを一つも引き出せていないことになる。

 

 アスパラのベーコン巻き。

 この料理は、作ること自体は簡単。

 しかし、美味しくするには一定の腕がいる。単純なようでいて奥深い料理なのだ。


「あれ、もう半分以上食べたのか」


 ハルトはロサリアの皿を見て気づく。

 温泉卵が乗っていない方のベーコン巻きは全て食べてしまっていた。


「いちいち見ないでよ。食べにくいじゃない」

「どうだ、うまいだろ?」

「……悪くは、ない、かも」


 なんともプライドを残した言い方。

 しかし、ハルトは確信した。

 もう一つアクセントを加えれば、確実にあの言葉を引き出せると。


 ここでハルトは、ロサリアにスプーンを渡した。


「じゃあ次に、温泉卵を割ってみてくれ」

「……こう?」


 ロサリアは恐る恐るスプーンを温泉卵に差し込んだ。

 すると、中から温かい黄身がトロッと流れ出てきた。

 白身に振りかけられた胡椒とパルメザンチーズに絡みながら、黄身はベーコン巻きを包み込んだ。


「……わぁ」


 芸術的な何かを感じ取ったのか、ロサリアは素直に感嘆の声を上げた。

 しかしすぐに咳払いをして己を取り戻す。


 彼女はためらうことなく、卵黄ソースのかかったベーコン巻きを口に運んだ。

 先程までのあっさりした味とは一転、濃厚な肉の旨みがさらに際立つ。

 また、アスパラと卵黄の相性も最高で、噛みしめるのが止まらなくなる。

 ロサリアは最後の一つを食べ終えると、幸せそうにため息を吐いた。


「おいしい……」

「――言ったな?」


 ハルトはその一言を聞き逃さなかった。

 言ってくれるのを期待していたので当たり前ではあるが。

 認めてしまったことに気づき、ロサリアは素で呆けた声を出す。


「……あ」


 しかし、特段の反論はない。

 味について文句はない、ということだろう。

 ハルトは食べる手を止め、内心で喜んでいた。


「ねえ、ハルトくん」


 ここで、背後から肩をチョンチョンとつつかれる。

 振り向くと、一皿を空にしたミトが立っていた。

 彼女は口の周りを拭きながら尋ねてくる。


「ちなみに、なんで好き嫌いの分かれるアスパラを使ったのかな?」

「単純においしいのと……もしアスパラ嫌いでも克服させる自信があったからです」


 アスパラを真に嫌いな人はそんなに多くない。

 ハルトはそう信じている。

 それほどまでに、この食材のポテンシャルは底なしなのだ。

 最初から行けると思っていた。


 二人が食べ終わったところで、ハルトは隠された理由を告げる。


「あと――アスパラは肝機能を保護してくれますから」

「……肝、機能?」


 ロサリアはきょとんとした顔になる。

 だが、ミトは察したようだ。

 なるほどね、と意味深に呟いている。


 アスパラガスには、アスパラギン酸という栄養素が多く含まれる。

 これは疲労回復に効果があり、毒素の排出を助けてくれる。

 こうして肝機能を守ってくれるほか、中枢神経系のメンテナンスも行ってくれるのだ。


「ロサリアが店の酒を集めてるってことは、飲酒する機会も多いはず。酒で疲れた身体にはアスパラが効くので、真っ先にこの食材を選びました」


 ロサリアは自分と同じか、もしくは下の年齢のはず。

 若いうちに酒を摂取すれば、身体への影響は大きくなる。

 それを料理でどうにかしたいなら、アスパラが最適だったのだ。

 話を聞いて、ミトは苦笑していた。


「へぇ……君を追いだそうとしてる相手によくもまあ」

「相手は関係ないですよ。俺は誰にでも料理を出すので」


 それがハルトの信念なのだ。

 たとえ料理人として全てを失った今でも、それは変わらない。

 ハルトの言葉を聞いて、ミトがロサリアに声をかける。


「サリー、聞いてる? ハルトくんが心配してくれてるよ」

「よ、余計なお世話です!」


 ロサリアは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。

 機嫌を損ねてしまったかとハルトは恐れおののく。

 しかし数秒後、ロサリアはこちらへ振り向いてきた。


「ふんっ……一応、ちゃんとした料理人みたいね」


 どうやら、認めてもらえたようだ。

 この店の安住権が脅かされることはなくなった。

 胸をなでおろしていると、ロサリアが頭を下げてきた。


「疑って悪かったわ。この通り、謝ります。ごめんなさい」

「い、いや……謝らなくてもいいんだけど。これで俺はこの店にいてもいいんだよな?

「本音は追い出したいわよ。でも、料理を運ぶ人間が、味に嘘をつくわけにはいかないわ」


 それを聞いて、ハルトは苦笑いをする。

 意地悪な性格なのかと最初は思った。

 しかし、違った。

 彼女は単に、自分の信念に従っているだけなのだ。


 少しだけ、ハルトはロサリアに近しいものを感じた。

 だからこそ、試してみたくなる。

 この料理を作った理由は、もう一つあるのだから――


「ちなみに、酒に詳しいロサリアにちょっと聞きたいことがあるんだが」

「なに? 変なこと聞いたら評価抜きで叩き出すわよ」


 剣呑な雰囲気を全開にするロサリア。

 もしふざけたことを尋ねれば本当にやりかねない。

 ハルトは肝を冷やしつつ、核心を突く質問をする。


「この料理にあうワインってなんだと思う?」

「……ああ、そういえば、『酒と因縁のある料理』だったわね」


 しっかりと覚えていたらしい。

 彼女も何か悟っている様子だ。

 恐らく、この問いが挑戦状だと感づいているのだろう。

 ロサリアは憮然としながら答える。


「こう答えれば満足? ――この料理にワインは合わないわ」


 鋭い一言だった。

 最初から言おうと決めていたかのような勢い。

 彼女の言葉に、ミトが興味ありげに反応する。


「へぇ、意外だね。ベーコンとチーズがあるのに」

「理由を聞いてもいいか?」


 当てずっぽうでないことは分かっている。

 しかし、どこまで考えてその結論に至ったのかを知りたかった。

 ハルトの追求に、ロサリアは髪を触りながら答える。


「まずアスパラ独特の青臭さ。工夫してかなり薄くしてくれてるから、単品では楽しめるわ。でも、この香りとワインとの相性が良くない。辛口でも甘口でもね」


 ハルトは内心で驚いた。

 アスパラとワインを合わせるのが難しいのは、あまり知られていない。

 これを当てただけでも拍手喝采なのだが、ロサリアは更に続ける。


「卵も同じ理由よ。硫黄の風味はワインとは最も合わないわ。この味に合わせたいならビールが無難ね」

「ご名答」


 卵はネットリとした食感が特徴だが、これがワイン泣かせなのだ。

 また、硫黄の香りは悪質なワインの風味と似ており、これまた致命的に合わない。

 アスパラと比べてこちらは比較的知られていることだが、それでも自信満々で看破してきたのは驚きだ。


 すると、ロサリアは最後におまけを付け足してきた。


「ただ――どうしても合わせろっていうなら、スパークリングワインを選ぶわ。甘みは控えめのもので、味が喧嘩しないようにね。それなら爽快感は楽しめるんじゃない?」

「……すごいな、完璧だ」


 ハルトは無意識に拍手していた。

 単に酒の種類に詳しいだけかと思ったが、違うようだ。

 まさかここまでとは。

 ミトが信頼しているのも分かる気がした。


「ね、すごいだろう? 僕もお酒は好きだけど、サリーには負けちゃうね」


 ミトに褒められて、ロサリアは照れたように頬を掻く。

 しかし本懐を思い出したのか、すぐにハルトに冷たい視線を向けてきた。


「それは置いといて、私を試すなんていい度胸ね?」

「そっちも試したんだから、おあいこだろ」


 互いに引くことなく睨みあう。

 それを見て、ミトは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「ふふ、どうやら仲良くなれそうだね」


 しかし、二人は即座に首を振った。


「いや、さすがにこの態度だとちょっと……」

「ええ。こちらから願い下げよ!」


 しばらく言い合いが続いた後、ロサリアがふと時計を見た。

 すると、彼女は口論を中止し、話を切り上げにかかる。


「まあ、最低限働けることは分かったし。あなたがこの店にいるのは認めるわ」

「……ん? ああ、そりゃどうも」


 つまり、これからは正式に同僚になるということ。

 ハルトとしては身近に爆弾を抱えたような思いだった


「ただ、馴れ馴れしくしないでよ」

「努力するよ」

「じゃあ、ミトさん。私は酒棚を整理してきます」

「うん、ありがとね」


 倉庫の方へ消えていくロサリア。

 接客をこなす他、酒類の管理を担当しているらしい。

 彼女からはただならぬプロフェッショナル魂を感じた。

 実家が酒屋という可能性もあるか。


 そこまで思い至った瞬間、ハルトはあることを思い出した。

 隣りにいるミトにそれとなく聞こうとする。


「そういえばさっき、ロサリアをお嬢様って言ってましたけど、もしかして――」

「ハルトくん!」


 ミトが鋭い声で話を遮ってきた。

 ただならぬ雰囲気だ。

 まるで戦場にいる傭兵のような緊張感。


 もしかして何かまずいことを言っただろうか。

 ハルトは懸念しながら返事をする。


「な、なんですか?」


 すると、ミトは無言である場所を指さした。

 その先にあるのは、一枚の皿。

 皿の上には、半分ほど残ったアスパラのベーコン巻きがあった。

 アスパラの解説に夢中で、食べるのを中断していたのだ。


 いったいこの料理がどうしたのだろう。

 顔を強張らせるハルトに対し、ミトは切実に呟く。


「……君のぶん、食べないならもらっていいかな? さっきのじゃ全然足りなくて」


 壮大な深刻詐欺だった。


「俺も腹減ってるのであげませんよ」

「そんなぁ!」


 話の腰を盛大に折られてしまうとは。

 ハルトは腹いせに、しっかりと自分の分を完食するのだった。

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