217話

 「外様ながら武勇で名を成したグランデル家も、これで終いだと思えば……憐れなものよな」


 「しっ……声が大きいですぞ……」


 聞こえたらどうする、と同僚を諫め、隣の貴族が辺りを気にする様に周囲の様子を窺う。


 だが、それが無用の心配である事は参列者たちの、誰の目にも明らかであり、原因の元となった貴族は慌てる知人の小心を笑う。


 王都ライズワースの、王宮の片隅で執り行われている壮行式典の参列者は疎らであり、興味本位で、或いは関係上仕方なく参列している者たちが大半を占める中、各所で下世話な噂話などに華を咲かせている同種の輩たちが、口さがない貴族たちを咎める筈も無く、式典とは名ばかりの島流しの儀式に、誰もが他者の不幸は蜜の味、とばかりに内心では興奮を覚えながらも、冷やかな眼差しで式典の経過を見守っていた。


 「赴任先がオルバラス地方領とはな……マクベス侯爵家も実に思い切った差配を……」


 と、口に出し掛け……流石の貴族も思い留まる。


 実質的に王国を支配する三侯爵家の名を軽率に口にする事の愚かしさは、貴族であれば誰もが知る愚行ゆえに。


 「ゲルト家に協力してギルド制度の施行に尽力した功労者の一人とは言っても、その後を思えばグレゴリウス殿はやり過ぎた、と言わざるを得んのだろうな」


 貴族の意図を読み取った同僚の男は、小さく同意する様に小声で囁く。


 どの派閥にも属さぬグランデル家が武勇だけでなく政争の場に置いても、当時権勢を争っていたゲルト家とルーデバッハ家の政治闘争にゲルト家側に加担する形で、オルセット・ゲルトが主導するギルド制度の礎の構築に尽力していたのは有名な話。


 結果としてギルド制度は施行され、政争に勝利を収めたオルセットが宰相位に就いた事で外様でありながらも栄達を約束されたグランデル家に対して外様の貴族だけでは無い、譜代の名家たちにもまた今後の動向が注視される存在へと変化を遂げていた。


 だが……没落は一瞬で、王権の象徴とも言える騎士団の組織改革を提唱したグレゴリウスの一言を皮切りにグランデル家の命運は坂道を転がるが如く暗転する。


 傭兵制度の拡充を前提とした騎士団の改正案は、騎士団を統括する三侯爵家の一つであるマクベス家との新たな確執の火種となり、結果としてマクベス家との対立を、政争の愚を恐れたゲルト家が身を退く事で、後ろ盾を失うどころがグレゴリウスは全てを失う事となる。


 聖騎士侯への叙勲の見送り。

 

 家門の解体に等しい大規模な縮小。


 そして……。


 「魔物どもの跋扈する地方領に赴けなど……二度とは王都に戻れぬ流刑も同様……」


 「ばっ……それ以上は」


 口を滑らせた貴族も、同僚の男も、明日は我が身と青ざめ身を震わせる。


 王国で絶大な権力を誇る三侯爵家の逆鱗に触れる……逆らう事が何を意味するモノであるのかを……外様とは言えども連なる家門の系譜すら巻き込んで子爵家一つを完全に王都から消し去る、排除できる侯爵家の威光を、見せしめが如く執り行われる式典に参列する貴族たちは、慄き怯えながらも憐れな敗残者たちを眺め見る事しか出来ずにいた。


 子爵家の領地替えと言う本来ならば華々しい行事にも関わらず、慣例として王族に連なる者が主催する筈の式典は、結果として最後まで王族どころか上位貴族の一人として姿を見せぬ侘しい式典は、祝福の声などが湧き上がる事も無く粛々と進行し……終わりを告げる。


 慰労の声も無く、近寄り来る者たちすら無い参列者たちの列を抜け、外門の広場へと姿を見せたグレゴリウスは並ぶ馬車の一つへと身を乗り込ませる。


 「待たせてすまぬな」


 と、隣に座する妻へと謝罪の言葉を口にするグレゴリウスにマリッサは僅かに微笑み首を横に振る。


 「これより少し長旅になる、お前には苦労を掛けるが」


 最後まで語られぬ言葉。


 マリッサの両手がそっ、とグレゴリウスの厳つい右の手を包み込む様に添えられ、グレゴリウスは無言のままに瞳を閉じる。


 「何があろうと最後まで私は貴方と共に参ります……貴方は悔い無きように、信じた道を最後まで御進み下さいませ」


 マリッサは知っている。


 亡き息子の為に、自分の為にグレゴリウス・グランデルが何を成そうとしていたのかを。


 親が子を送らねば為らぬ悲しみを……望まぬ者たちが死地に立つ……悲しき連鎖を断ち切る為に戦い続けて来た夫の姿を。


 「こんな儂にまだ付き合おうと言う馬鹿共がおる……ならば一敗地に塗れたからとて此処で終わっては、腑抜けた父親とアレにも笑われような」


 「未来の子らに同じ宿命を背負わせぬ為に……あの子の死が決して無駄ではなかったのだと……どうか……どうか終わらせて下さい貴方」


 夫に掛けた言葉がどれ程に残酷な運命を、宿命を背負わせるかを知りながら、それでもマリッサは願わずにはおれない……共に歩むと決めたその日から、息子の後を追おうと死に損なった弱き自分に見せた夫の悲壮な覚悟を知ったあの日から、夫と共に全ての業を背負う覚悟を定めていたゆえに。


 「心配するなマリッサ、儂は必ず成し遂げて見せる」


 グレゴリウスは妻の細き肩を抱き迷い無き眼差しを向け告げる。


 魔女の災厄は人類に未曽有の絶望を与え……だがグレゴリウスは撒き散らされた災禍の中で小さな……小さな希望を見出していた。


 災厄に寄る魔物の到来は、人類では決して成し得なかったであろう、数百年に渡る大陸の戦乱を終わらせたのだ。


 歴史に名を残す賢王や英雄たちですら成し得なかった偉業を、魔女カテリーナ・エレアノールは成し遂げた……それが例え意図した結果の産物であろうとなかろうと、誰が成したかなどすら意味など成さず、只齎された結果のみにグレゴリウスは夢を抱く。


 人同士が相打つ時代は終わりを告げ……人類は新たなる段階を……新たなる時代を迎える。


 ならばその夢に先、因習に縛られず、慣習に縛られず、新たな生き方を選べるそんな理想の地を、王国の支配の届かぬ自由な地を、手にする事が出来るのではないのか、と。











 例えるなら堅牢な巨壁。


 現すならば頂き見えぬ遥かなる大樹。


 幾合と無く撃ち合い、弾かれるローレンスの剣の残響が回廊に響き渡り、その都度に貫かれたままに刃が刺さる脇腹から流れ落ち、斑に石床を朱に染めていくローレンスの姿に、聖騎士たちは泰然と、青銅騎士たちは切望の眼差しを向け、両者の戦いを見守っていた。


 聖騎士たちの攻勢は既に止んでいる……それは対峙する両者の勝負の行方に関わらず、城内の各所を制圧した聖騎士たちが反徒の首魁たるグレゴリウスの座す大広間へと続く回廊に、この場に集結している兆しであり、戦いの終わりを、終幕を告げるかの如く、白銀の戦装束を纏う聖騎士たちの数は、青銅騎士たちを圧する様に数を増していく。


 全霊の一撃を軽くあしらわれ、翻弄されるままに愚者が操る人形が如く、無様に地に踊るローレンスの姿に、その小さな灯火が真の意味に置いてこの場の戦いの趨勢を決める……それは両者を囲む周囲の光景からも見て取れた。


 ローレンスの姿を追い続ける青銅騎士たちの眼差しに宿る色は希望と……同じだけの絶望……此処でローレンスが為す術も無く倒れれば、彼らの心は、戦意は完全に挫かれる、それを知るゆえに聖騎士たちは動かない。


 挑み敗れて命を散らす……それは騎士にとっては真なる敗北に非ず、信念を、魂を折られ、例え生き長らえようと二度とは立てぬ……それこそが騎士にとっての完全なる敗北であり、彼ら聖騎士たちが求める王国の完全なる勝利の証ゆえに。


 「満足したならば膝を付け」


 それで終わりである、と語らず告げるオルフェスの眼差しに、衰えぬ闘志を宿すローレンスの瞳が、挑む眼差しがぶつかり合い火花を散らす。


 捨て身で挑むローレンスの太刀筋は最早技術に非ず、己が魂を刃に託した云わば信念の剣……だが打ち下ろされる剛剣はオルフェスの刀身の刃を滑り、思うままに、望むままに、ローレンスの身体を操り踊らせる。


 エレナ・ロゼの卓越した剣技を目にし知る者ならば驚愕に胸を、身を震わせたであろう、オルフェスが見せる高度な技術は、エレナ・ロゼと同質の……いや同じモノ。


 『到達者』たちにのみに許された神域の技法であるのだ、と。


 体勢を崩され、オルフェスの眼前に無防備に首を晒すローレンスは、満身創痍、我が身を己の血で染めながら、見上げるその瞳に絶望は……無い。


 見たモノは希望。


 見たモノは夢。


 只一度、あの魔導船発着場で見た少女の……エレナ・ロゼの雄姿……従騎士の若者を翻弄せしめた御業が最強の騎士と同質のモノ……焼き付けられた光景ゆえにローレンスは確信する。


 「力無き信念は妄言に過ぎぬ、か」


 ローレンスはオルフェスの言を引用し嗤う。


 ならば王国最強の騎士にエレナ・ロゼは届き得る存在であるのだ、と。


 滅びの華を貴ぶ騎士の在り様と、民草たちの命に対する執着や価値観は語るまでも無く大きく異なるモノである。


 如何に正しき理想を掲げようと戦になれば人は死ぬ。


 覚悟持つ者たちも持たざる者たちも等しく平等に死神の鎌は振り下ろされ、尊き犠牲の名の下に命は奪われ散って往く。


 それら消え往く……消え散った命たちに対する責任からローレンスは逃れたいなどと思った事は一度たりとて無い……其処に咎が在り、罪過が在り、背負うべき業が在る。


 思い返せば悼みもしよう……だが後悔だけは決してせぬ。


 それはこれまで殉じて逝った者たちの、これより殉じて往く者たちの……何よりも望まず命を散らす民草たちに対して無駄死にである、と告げるに等しい……最大限の侮蔑であり侮辱であるがゆえに。


 だからこそ一人の少女に抱くのは余りにも身勝手な想い。


 ヒトの命の重さを知り、軽さを知り、道理を知り、不合理を知る……奇跡など信じぬがゆえに願い祈り、誇り高きゆえに額を地に頭を下げる事をも厭わぬ。


 一見して矛盾だらけの少女……だが成し遂げる強さを持つ少女の姿にローレンスは英雄たる資質を……在り方を其処に見る。


 其処に己が求めた理想の全てが在る様で……持たざるがゆえに、届かぬからこそ……運命に一人抗い続ける少女の姿に焦がれ憧れる。


 「真に勝手ながら押し通させて頂く」


 グレゴリウスが、エレナ・ロゼが……英雄たちの生き様がローレンスに己が一念を貫き通す意思を定めさせる。


 見下ろすオルフェスに最後の気力を振り絞り、打ち払われた一刀はその首筋へと奔る剣閃は、オルフェスの一薙ぎによって弾かれる。


 弾かれたローレンスの長剣は宙を彷徨い……が、更に踏み込むローレンスは残る手で己が脇腹に刺さる刀身の柄を逆手で握ると一挙動の間に抜き払い……いや……払えない。


 刃先が脇腹から覗き見えた合間の刹那、オルフェスの右膝が柄を握るローレンスの左手を撃ち砕き、再度深く脇腹へと押し戻していた。


 血反吐を撒き散らし崩れ落ちるローレンス……その両膝が地へと付く。


 輝きを失いつつあるローレンスの両の瞳……しかしその口元には不敵な笑みが浮かぶ。


 「届いたぞ……オルフェス・バレスティン」


 砕かれた左手は力なく垂れ下がり……だが残るローレンスの右手は確かにオルフェスの左手首を掴み取っていた。


 刹那、白銀の手甲は砕け散り……破片が肉を抉るに任せ握り締められたローレンスの右手の握力に、圧力に、オルフェスの左手の骨が軋みを上げる。


 「見事だ騎士よ、その誉れを以て往くが良い」


 その首を絶つ事も無く、抗う事無くローレンスを見据えるオルフェスは、満足げに、誇れとばかりに言い放つ。


 薄れ往く意識の中でローレンスは友の姿を垣間見る。


 妻に弱く子らに弱く……恐妻家な友は……だが揺るがぬ眼差しで……。


 全てはこの子らの未来の為に。


 「そうだな……フェリド……我らが……我らの代で終わらせ……ねば……な」


 拉げ、砕けた手甲が如く、オルフェスの左手が同様に砕け散る事は……無い。


 やがて滑り落ちる様に離れ往くローレンスの右腕は地へと堕ち、光を失った空虚なる眼には最早猛き御霊を感じ取る事は適わなかった。


 骸となりて膝を折り……されど死して尚、地に身は伏せぬ高き騎士の死に様に、尊き魂の散り様に、青銅騎士たちは奮い立つ。


 再びオルフェスの盾となるが如く前に出る聖騎士たちの姿が、闘志の炎を漲らせ一歩も退かぬ青銅騎士たちの姿が、戦いの趨勢を如実に現わしていた。


 既に大局は決し……ゆえにそれは取るに足りぬ……だが確かなローレンスの勝利であり、オルフェスの敗北であった。


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