208話

 大河メーデ・ナシルの下流域、枝分かれした支流が円環の外堀の如く魔物の進入を防ぐシャリアテの、正門の外周には多くの人々が列を成し、人の群れが集団が都市を離れ街道を東へと歩みを進めていた。


 難民、避難民……戦時に置ける彼らの扱いや呼称は何処に主観を、誰に主観を置くかでも変わり得る実に曖昧であやふやなモノではあったが、呼び名は兎も角、戦史を振り返り見てもやはり類に漏れず一様に悲壮感を伴う姿であった事だけは否めない。


 それでも幾分かはまし、と言える事柄を上げるとするならば、お世辞にも粛々と、とは言い難いモノではあったとしても、彼らの内から殊更騒ぎ立てる者や秩序を乱そうとする者が居ない、見られない事からも一応の規律や統率は取られているのであろう事は或る程度ではあるが窺い知る事が出来る。


 彼らの精神的な不安材料は王国からの脅威だけでは無い……より差し迫った、より身近な危険に現在に置いて晒され続けている事が悲壮感を寄り濃いモノにしている事は疑い様も無い。


 それらの理由を、原因を、最早問う事は愚問であろう。


 外壁に守られている都市を離れる事への不安や恐怖……今の御時世に置いて、魔物の脅威に怯える事しか出来ぬ今の世で、人々が抱いているであろう感情は察して余りある。


 本来であれば生涯外壁の外とは無縁であった筈の人々が、今置かれている状況が、如何に重圧となりその肩に、背に、重く圧し掛かっているかなど。


 或る者は俯いたまま、或る者は木々の騒めきにすら過敏に反応する様な重苦しい、張り詰めた集団の空気の中で、だが対照的な者たちもまた存在する。


 それはまだ幼い子供たち。


 周囲の大人たちを尻目にきゃっきゃ、とはしゃぐ子供たち……流石に列や和を乱してまで走り回ろうとする小さき子らには両親が、周囲の大人たちが慌てて諫めはするものの、純粋な好奇心を発揮する彼らの、彼女らの幼き眼には未知に対する恐れや不安は見られない。


 多くの大人たちが身近に居る事と、何よりもこれまで絵本や式典などでしか目にする事が叶わなかった剣や甲冑を、それらを纏う馬上の男たちの存在に子供たちは憧れと共に、自分が護られている事を実感し、また感じ取っているのだろう事は間違いない。


 口数も少なく魔物に怯え、足取りも重く街道を進む大人たちと、時には無邪気な笑い声すら漏れ聞こえてくる奔放な子共たちとの温度差は、珍妙な、と表現するに足る……だが滑稽とは笑えぬ緊張感が漂う、まさに混沌とした情景が其処には広がっていた。


 「騎士様?」


 と、不意に声を掛けられ、正門の上、外壁の警備と監視の任に就いていた青銅騎士は我に返った様に声の方へと顔を向ける。


 「すまんな……どうした?」


 街を離れていく住民たちに意識を取られ過ぎていた、と吐露するのは職務上からも不味かろう、と自嘲気味に自身に対し騎士は苦笑する。


 「あ……いえ」

 

 自戒の意味を込めて見せた騎士の表情を、だが義勇兵の男は別の意味にとったのだろう、言葉を詰まらせる。


 「あんな腰抜け共……負け犬共だけではありませんので……我々は騎士様、いえ……評議会の理想と理念の為に共に戦いますから」


 吐き捨てるが如く、まるで親の仇でも見るかの様に、街から離れ往く人々の背を睨みつける男に、苛立ち以上の憎しみすら感じさせる様子に青銅騎士は逆に飲まれた様に息を飲む。


 青銅騎士団の戦力の大半がシャリアテ湾での決戦に動員されていた為、正門周辺の監視の任に就いている青銅騎士は極少数であり、足りぬ人員の補充には評議会の意思に賛同する住民たちによる民兵が義勇兵として参加していた。


 今騎士の前に立つ男もまた義勇兵であり、貧民街出身者である事を騎士は知っている。


 だからこそ同じ貧民街の住民である筈の仲間……とは呼べずとも隣人に対してこうまで激しい怒りの感情を見せる男に騎士は戸惑い以上の何かを感じ知らず僅かに身を退いてしまう。


 意見が合わぬ、思想が違うというだけで、人間とはこうまで敵愾心を剥き出しに、排他的になれるモノなのか、と。


 青銅騎士たちとて主義主張が完全に一致した一枚岩の集団……と言う訳では決してない……個々人に置いて考え方や他者に対する好き嫌いなどは当然の如く存在する。

 

 だがグレゴリウス・グランデルと言う漢に惚れ込み、或いは憧れて、その理想に殉ずると決めたあの日から同僚は同志となり、盟友となり、切れぬ絆で結ばれた友であると騎士は信じている。


 ゆえにこそ確かに裏切り行為は許せない……しかし離反とは呼ばず袂を分かつ、としたらどうであろう。


 グレゴリウスは排斥などは決して望まぬ……なればこそ騎士として暖かく、とはいかぬまでも、送り出す事に否など無い。


 騎士と市井の者とでは環境も価値観も異なる事は承知してはいても、グレゴリウスの理想に賛同したのならば……まして本分ですらない戦闘に巻き込まれたく無いと望む一般の者たちに対して見せる義勇兵の男の理不尽な憤りや怒りを、騎士は理解が出来ない。


 「此度の事は既に協会と評議会の間で合意が出来ている事……無用な手出しは不要と心得てはおるな?」


 と、騎士は冷やかに釘を指す。


 無言で頷く男の意思が真実本心からのモノかどうかは甚だ疑わしくはあったが、手を出さぬというのであればこれ以上無用な詮索をする気は騎士も方にもなかった。


 本心を吐露するのであれば、身元すら不確かなこの様な連中を当てにするのは不本意ではあったが、本来都市内の警備任務に就いていた憲兵隊は、独立を宣言した時点で暴動未遂などを起こし反乱分子として投獄されている者たちや逆に評議会の思想に同調する一部の者たちを除いて既に王国へと帰参……いや送還している。


 獅子身中の虫を都市内に残すよりは、という評議会側の苦渋の決断ではあったのだろうが、結果として義勇兵などに頼らざるを得ない深刻な人員不足に悩まされている現実を前にして騎士は忸怩たる思いを抱かずにはおれない。


 ギギギ……ギギッ……ギギッ。


 不意に響き渡る質量を伴う金属音。


 青銅騎士には或る意味聞き慣れた、だが今この時、この場では決して聞こえてはならぬ、聞こえる筈の無いその音に、慌てて外壁の淵へと身を躍らせる。


 「一体……何が起きている? 何をやっている……」


 眼下に広がる光景に、騎士は我が目を疑い……だが直ぐに怒りに身を震わせる。


 「貴様ら……一体何のつもりだ!!」


 慌てて駆け寄って来る義勇兵の男の襟元を振り返り様に掴み上げ恫喝する騎士に、しかし義勇兵の男は騎士の豹変ぶりが理解出来ず動揺した様に言葉に為らぬ声を上げる。


 「埒があかん……ついて来い!!」


 男の様子から本当に理解していない、加担していないのだろう事を察した騎士は男を突き飛ばす様に離すと、腕を大きく振り上げ自らの隊を招集すると先んじて正門へと降りる外壁の階段に向かい駆け出していた。


 先頭を走る騎士の背を慌てた様子で小隊に配属されていた義勇兵の男たちが追い掛ける。


 外壁を駆け下りた騎士の視界に既に閉じかけている正門が映り込み……流れる視線の先に血塗れで地に伏す同僚の騎士たちの姿を捉える。


 正門を閉じようとしている数人の男たち。


 息絶えた騎士たちを手に持つ剣を血に染めたまま見下ろす義勇兵の集団。


 騎士の視界に映る避難民たちは、住民たちは呆気に取られた様に只茫然と事態を見守る……いや、慄きながら立ち尽くしていた。


 「貴様ら!!」


 帯剣する腰の剣の柄に右手を添え、今にも斬り掛からんばかりに男たちに詰め寄る騎士の左右で別の気配が動く。


 激昂する騎士の視界の両隅に新たな義勇兵たちの姿が映り込み……僅かな躊躇が致命的な状況を作り出す。


 本来の技量の差を考えれば騎士と義勇兵とでは勝負にすらならない……だが今だ敵味方の判断の付かぬ騎士は近づく男たちに余りにも無防備であった。


 両脇から突き立てられた短刀は、違わず騎士の鎧の繋ぎ目を、腹部を刺し貫き、騎士は悶絶する様にその場に両膝を付く。


 「はい、さようなら」


 口元から血の泡を吹き、それでも気丈に見上げた騎士の視界の先、同僚を屠ったであろう男の一人の血濡れた剣先が振り上げられる。


 それが騎士が見た最後の光景であった。


 「おいお前ら!! 王国に?」


 騎士の首を刎ねた男は刀身の血を払い、一呼吸の間を置いてから外壁から階下に降りた義勇兵たちに怒鳴り散らす様に問う。


 しかし……当然と言うべきであろうか、困惑し事態が飲み込めぬ義勇兵たちからは返答は無い。


 男はそんな義勇兵たちの反応を確かめ、徐に右腕を上げる。


 瞬間、放たれた無数の矢の雨が義勇兵たちを襲い、憐れな男たちは何も分からぬまま、理解出来ぬまま、矢に射貫かれ絶命していく。


 王国に


 忠誠を。


 にやにや、と騎士たちの遺体を、義勇兵たちの死骸を、眺め見る男の周囲ではそんな遣り取りが漏れ聞こえ、広がっていく。


 「べネル……大方終わったぜ」


 主犯格、の一人なのであろう男に別の男が声を掛け……男……べネル・ギーレは愉快そうな表情でそれに応える。


 傭兵団『三叉の矛』。


 今は衣装を偽り、義勇兵然と扮してはいるがべネルを中心として集まる男たちは皆その団員たちであった。


 避難民、民兵、暴徒、そして義勇兵……統一された兵装すらなく支給された武装もまちまち……そんな環境下で彼らの違いを、敵味方を判別する事は難しい。


 三叉の矛を含めた傭兵崩れ、傭兵団崩れの男たちと幾人かの顔役たちに率いられている貧民街の住民たちを中心とした暴徒たち。


 彼らが使う簡単な符丁、単純な符号、だが敵を明確に判別する術を持つ側と持たざる側では考えるまでも無く勝敗は見えている。

 

 さて……そろそろか。


 図った訳ではないのであろうが……振り返るべネルの視界に無数に立ち昇る黒煙が映り込む。


 一ヵ所どころでは、ない。


 商業区画の方角から、繁華街の方角から、そして街に残留を決めた一般の住民や元貴族の家族が避難している特別区画から……次々に黒煙が上がり始め、燃え盛る炎の舌を合間から覗かせる。


 大規模な暴動。

 

 それはまさに結実の瞬間であった。


 「ひいっ……」


 正門の隅でそんな小さな悲鳴が上がる。


 最初は本当に小さな切っ掛けから……滲む様に、だが急速に、狂乱は伝播し恐慌がその場を支配する。


 一人が正門に背を向けて駆け出すのを皮切りに、まだ僅かに開いている正門を抜けようと、暴徒たちから逃れようと、蜘蛛の子を散らす様に住民たちが逃げ惑う。


 「男は殺せ、女は犯せ!! 全てを奪い尽せ!! 俺たちにはその権利がある」


 「王国に忠誠を!! 反徒共に鉄槌を下せ!!」


 熱病に侵されたが如く、雄叫びを上げる暴徒たち。


 狂乱の宴が始まる。


 無抵抗なまま切り殺される住民の男たち。


 髪を掴まれ引き回されながら路上へと押し倒される女たち。


 将棋倒しの如く倒れ込み、他者に踏みつけられ、蹴り倒され、為す術も持たぬ老人たち。


 味方と暴徒たちの判別がつかず混乱のままに同士討ちを始め……救いを求める、守るべき住民たちにすら刃を振り下ろす護衛の傭兵や義勇兵たち。


 其処に繰り広げられるのは……まさにこの世の地獄であった。


 「さて、と此処はもう用済みだな……俺らもそろそろ甘い蜜を味わいに行こうとするか」


 此処に集まっている連中など言ってみれば卑しい野良犬や捨て猫同然の輩……そんな連中の身包みを剥いだところで然したる実りなどある筈も無い。


 べネルたちの本命は元貴族たちが貯め込んでいるであろう金銀財産……そしてお高くとまる貴族の娘共……。


 べネルは浅ましく表情を歪め舌舐めずりをする。


 べネルが何を想像、夢想しているかなど最早詮索の必要など無い程にその表情が物語っている。


 べネルを中心とした一団が正門を離れ歩き出す。


 優秀、などと呼べるモノではありはしないが、正門の方角から大通りにまで逃げて来る人影は見当たらず閑散とした通りを我が物顔で歩く一行は、だが正門に隣接する広場に、通りに差し掛かるとその足が止まる。


 歩みを止めた理由は単純である……通りの中心に立つ女……少女の姿に警戒心を……いや、その美しき容姿に目を奪われたゆえに。


 とんでもねぇ上物だ。


 風に靡く長い黒髪を、幼さを残すとは言え絶世、と称しても憚らぬ少女の容貌に、器量が良いなどとは明らかに次元の異なる完成された少女の美しさに、べネルは胸中で舌舐めずりをする。


 少女の背後には付き従う様に数名の男たちの姿が在る。


 此方は黒髪の少女とは対照的に屈強な、と評しても良い体躯と雰囲気を持つ……ひょろい義勇兵などとは明らかに質の異なる此方側の傭兵であろう事は疑い無い。


 「じ……嬢ちゃん……大変だ!! 暴徒共が正門を!!」


 と、相手の立ち位置を、立場を判断したべネルの演技はやや過剰ではあったであろうが、端から見ても違和感は無く、またこうした小狡い知恵を経験として身に付けている他の団員たちもまた、べネルの演技に合わせ申し合わせた如く慌てた様子で少女へと駆け寄っていく。


 まずは小娘を取り押さえ、その身を盾に男共をぶっ殺す……後は娘は縛り上げて空き家にでも放り込んでおけば良いだろう、と。


 直ぐに楽しみたいどころだが先に行っている連中にお宝を独占されてはたまらない……惜しいが小娘と楽しむのはその後だ、と。


 限られた刻限を如何に有効に活用しようか、と己の妄想に悦に浸りながらもべネルは少女との距離を詰める。


 少女も、そして背後の男たちも動かない。


 後一歩……後一足。


 踏み込めば、少女のか細い両腕を掴める……だが、それ以上べネルの足が間合いを詰める事は無かった。


 瞬間、べネルは己の首筋に奔る火傷にも似た鋭い痛みを感じ……。


 「えっ?」


 と、間の抜けた声を……いや、声には為らない。


 己の意思とは無関係にずるずる、と視界がずり下がり……べネルは自身でも気づかぬままに、断ち切られた己の頭部を無意識に支えようと両手で頭を支えていた。


 「えっ……ええっ?」


 余りの鋭さゆえに、斬られた者すら理解が出来ぬ神速の一刀。


 抜き放たれた少女の、エレナの右手に輝くアル・カラミスの刀身には返り血の一滴すら見られない。


 「そんな卑しい眼差しで私を見る輩と知己を得た覚えはないよ」


 無感情とは似て非なる、冷え冷えとした……だが美しく透るエレナの声音に、まるで時が動き出したかの如く白目を向いたべネルの頭部が地へと堕ち、やがてぐらぐら、と糸の切れた人形の様に頭部を失ったべネルの身体もまた路上を朱に染め上げながら仰向けに崩れ落ちる。


 「まっ……待ってくれ!! 俺たちは義勇……」


 慌てた男たちの声。


 しかしその言葉が続く事は無い。


 速やかに行動に移った鉄の輪の団員たちは無言のままに、疑念すら抱いた様子すらなく、淡々と、だが確実に男たちの命を刈り取っていく。


 その姿は傭兵、と呼ぶよりは暗殺者のソレに近い。


 セイル・ロダックがエレナの為に厳選した傭兵たち……それが偏った人選である事は否めないが、どこまでを見越して、或いは思惑で、かは窺い知れずともこの状況には適任の人材たちであった事だけは疑い様も無い事実であった。


 「突発的、と考えるには余りにも計画的すぎますな」


 「誰の思惑かは今は関係ない、それよりも……」


 と、エレナは走り出す。

 

 その視界の先、今や完全に閉ざされた正門の長大な鉄の門扉が黒き瞳に映し出されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る