202話


 朝焼けを前に明けの明星が東の空で輝きを放ち、多くの住民たちが今だ寝静まっている早朝……明け放たれた西門から評議会関係者たちを中心とした第一陣がシャリアテの街を後にしようとしていた。


 西門を抜け、更なる外壁の先に望む街道へと歩みを進める荷馬車と人々の群れ……ソレらの集団に並走する様に事前に配置と役割を決められていた幾つもの傭兵団の騎馬たちが周囲を警戒しながら続く光景が見られる。


 前日の段階で既に準備を進めていた第一陣の運行には混乱はなく、護衛に付く傭兵団を含め三千名を超える集団へと膨れ上がった一行の歩調は乱れる事なく粛々と行われ――――。


 だが今だ大半の住民たちが知らぬ戦火を前に、下手に人目に付けばあらぬ騒動の原因になる事を知ればこそ、彼らの足取りは乱れず冷静であり、片隅に抱く罪悪感ゆえか知人同士ですら会話を交わす姿は少なく、中には時折生じる馬の嘶きにすら敏感に反応し息を殺し周囲を窺う者の姿すら見える。


 避難と評すよりは夜逃げに近い……そう揶揄されても反論に窮するだろう、光景が其処には広がり……開戦を前にして敗北感が漂う敗残者の群れを思わせる彼らの表情からは安堵と悲壮感……少なくとも理想に殉じた者たちの面影は最早見られない。


 「じゃあな、魔物に殺られちまうなんて詰まらん結末に終わらねえ事を祈っててやるぜ」


 規則正しく西門を抜けていく人々の群れから少し離れ、馬上のクルスに対してにやにやと不敵に笑うヴォルフガングに、


 「ぬかせ熊野郎」


 と、クルスが応戦する。


 互いの身を案じる素振りすら見せず軽口を叩き合う二人の姿は……別れの……別離の挨拶にしては余りにも簡素でぞんざいな……だが刹那を生きる傭兵たちだけが共有する、それは或る種……実にらしい姿であったのかも知れない。


 「お前こそ――――」


 だが最後までクルスの言葉が紡がれる事はなかった。


 クラウディア・メイズから要請された最後の依頼……自分はそれを断り、ヴォルフガングはそれを受け街に残る……ならば同じギルドに所属する傭兵ですらないヴォルフガングの決断に自分が口を差し挟む謂れも道理もありはしない……その思いがクルスの口を閉ざさせる。


 傭兵が報酬や依頼の内容ではなく情に絆されて依頼を受ける事は御法度とされている……依頼主に情を移せばそれは重要な局面で判断を迷わせる、誤らせる要因となる……結果として依頼すら果たせず命を落として来た傭兵たちをクルスは大勢その目で見てきた。


 ヴォルフガングの決断の裏にある真意は読めないが、クラウディアから語られ聞かされた話の内容は荒唐無稽で信じるに足らず……だが仮にそれが真実とするならば……それは余りにも傭兵の領分を逸脱し過ぎていた。


 与太話であれば出来が悪い……真実ならば尚悪趣味な――――クルスにして軽々しく他言など出来ぬ程に。


 「お前らも無駄に死ぬんじゃねえぞ」


 クルスの背後、ヴォルフガングに同行していた砂塵の大鷲の傭兵たちが頷く。


 男たちの神妙な表情からも恐らく抱いている思いはクルスと同種のモノなのだろう事が窺えはしたが、クルス以上にヴォルフガング・バーナードと云う男を良く知る彼らの口からは信頼すら超えた思いゆえだろうか、最後まで別れの言葉すら聞かれる事はなかった。


 




 


 ――――同時刻。


 一隻の商船がシャリアテ港を離れ、一路セント・バジルナを目指し帆を張る。


 朝焼けの水平線に向かい進む商船の甲板には遠ざかるシャリアテの街並みを瞳に焼き付ける様に見つめている一組の男女の姿があった。


 「御主人、やっぱり名残惜しいですか?」


 「無いと言えば嘘になるだろうね……けれど騎士としても男としても負けたくない……ちっぽけな、下らない意地かも知れないけれど……それでも……ね」


 エレナから託された書簡を収めている胸元に手を置くレオニールに、意図して、とは感じられぬ自然な仕草を目にしてトリシアは恐らくそれが偽らざる本心なのだろう、と納得する。


 各々が自らの責任と価値観に置いて選び取った選択。


 フルブライトが危険を承知で結ばれた奇縁……魔法士としての好奇心ゆえにエレナ・ロゼの傍らに残る選択を選んだ事にトリシアは疑問を抱いてはいないどころか、師匠らしい、とすら呆れながらも納得もしていた……自身もまた魔法士の端くれとして、余人とは異なる価値観に生きる異端者である自覚があるからだ。


 だがそれとは異なり主命により内陸部の都市で消息を絶った同胞の捜索を目的としていたレオニールたちの在り方はその為に己の命を……危険を顧みない二人の覚悟や騎士としての生き方は正直トリシアには理解が難しい。


 それは自分が女の身だらか、という単純な理由に寄らず、生きる為には時に他者を騙し、利用し、この歳まで生き抜いてきたトリシアの処世術とは、培ってきた常識とはそれは余りにも掛け離れたモノの見方や考え方であり――――飽くなき生存本能こそが人間の持つ本質的な強さ……それを原動力としてきたトリシアには対照的とすら云える彼らが見せる自己犠牲の精神は理解の及ばない未知の感情としか言わざるを得ず……。


 だからこそトリシアには主命を果たす為にもシャリアテの存続に尽力すると街に残る決断を下したクロイルにも、国王暗殺などという大それた陰謀に関わるどころか、それを未然に防ぐ為にライズワースへと赴く事を決めたレオニールの行動にも共感や感動の思いが沸き上がる事はなかった。


 こうしてレオニールに同行しているのも、本音を言えばシャリアテから逃げ出す丁度良い口実に飛び付いたからだと言っても良い。


 だがそんなトリシアでも彼らの行動理念に垣間見える真実の一端……惚れた女の前で見栄を張る、という男の性が、可愛らしくも微笑ましく感じられ、人間らしさ……いや、人間臭さと云うべきその一点にのみ共感と共に親しみを覚えていた。


 同時にそんな男たちを魅了する美しい少女にトリシアは淡い羨望と嫉妬を覚えている自分に気づく。


 『ワース』に示される尊き薔薇――――エレナ・ロゼ。


 現実から乖離したその存在に。



 

 「御主人……セイル・ロダックという商人を信用するのは危険な気がします」


 同じ船に同乗している渦中の主が居ないのを周囲を見渡し確認してから、トリシアはレオニールにそれとなく注意を促す。


 エレナ・ロゼから齎された国王暗殺の陰謀……それと同時期にセイルの下へと送られて来た協会からの書簡……その内容もまた驚く事に同様の警告であったという。


 「分かっているよ……けれどセイル・ロダックが言う様に、この一件を逆手に取れば戦いを早期に終わらせられる可能性が生まれたのも事実だからね」


 セイルが提案した様にロダック商会とガラート商会が持つ人脈と影響力を行使して王宮に働きかけ、出来うるならば国王暗殺という前代未聞の陰謀を自分たちの手で阻止する……最悪でも近衛騎士団に協力する形で功を挙げ、その功績を持って国王との謁見の機会さえ、陳情の機会さえ得られれば、良識深く賢王として知られるランゼ・クルムド・オーランドであれば、少なからず生じるであろう犠牲は免れずともシャリアテの街全体が焦土と化すことだけは避けられる可能性はある、とレオニールは思う。


 無論、例え全てが上手く運んだとしても一度戦火を交えてしまえば、国家として始めた戦を……矛を簡単に収められるとは考えてはいないし、そんな単純な話ではないことも重々承知もしている……しかし何もせずただ手を拱いているよりは行動を起こすべきだと……それがあの場に居た者たちの共通の見解であった事だけは間違いない。


 「でもぶっちゃけて言えば御主人の役割は裏方……はっきり言っちゃえば実行犯たちの目を引き付ける為の囮役じゃないですか……結局商人たちに美味しい所だけ持っていかれた上に、捨て駒として切り捨てられる可能性が高いと思うんですよね」


 今回の主役はあくまでも表立って動く事になるセイル・ロダックとレイリオ・ガラートの二人であり、レオニールの位置付けはその手駒として動くただの端役に過ぎない。


 つまりこの大きな舞台劇の中にあって、レオニールが名も無き道化として退場してもおかしくはないのだ、とトリシアは暗に指摘する。


 「誰の功績になったとしても齎される成果が同じであるならば、それはそれで構わない、この場合大切なのは誰が成したかではないからね」


 それは只の綺麗事だ、と更なる忠告を口に出し掛けて……またエレナ・ロゼから直接手渡された紹介状を忍ばせた胸に手を置くレオニールの仕草を目にしたトリシアは口を閉ざす。


 「エレナ・ロゼが御主人の為に助力を依頼したライズワースの傭兵ギルド……『双刻の月』でしたっけ……正直、王国が管理するギルドに過度に期待を寄せるのは危険だと思いますよ」


 「そうかな……僕はエレナさんが信用するに足る、というのなら疑う要素は無いと思うんだけどね」


 エレナ・ロゼという少女を妄信している様な、少なくともこれまで見たことがないレオニールの側面を目の当たりにしてトリシアは、はあっ、と深く溜息を付く。


 「御主人はエレナ・ロゼが死ねと云えば死ぬんですか」


 思わず口走ってしまったが、実に下らない事を聞いてしまった、とトリシアは直ぐに後悔するが……考えた事もないよ、とさして迷った様子を見せず答えたレオニールに、てっきり勿論、と即答するだろうと予想していたトリシアは耳を疑う。


 「エレナさんは絶対に誰かの死を望む様な事など言わない……まして自分の為に死んで欲しいなんて言う筈がないからね」


 一瞬、レオニールの瞳が寂しげに揺らぐのをトリシアは見逃さなかった。


 エレナ・ロゼに抱く信頼と愛情が深ければ深い程に、愛する者の為に死ぬことは甘美な誘いとして抗い難い誘惑なのだろう。


 「あーもう分かりました、分かりましたよー」


 トリシアは降参とばかりに両手を挙げる。


 短い付き合いではあるがトリシアはこの騎士たちが嫌いではなかった……少なくとも死んで欲しいなどと思った事などない。


 何故協会がセイル・ロダック個人に陰謀を告げる書簡などを送ったのか。


 協会はどうやってソレを知り得たのか……セイル・ロダックとの……クラウディア・メイズとの繋がりは……両者の思惑は……首謀者である筈のクラウディア・メイズが大きな障害となるのが明白なエレナ・ロゼに対して何故陰謀の所在を告げたのか……この一連の陰謀には余りにも不透明で不可解な点が多過ぎる。


 これまでの経験則から云っても絶対に関わるべきではない……とトリシアの中の何かが警鐘を鳴らしている……だがレオニールとクロイルには借りがあり恩がある。


 ならばせめて危険が無い、自身に不利益が生じぬ程度の範囲の中で協力を惜しまぬのであれば個人的な好意と自己満足を満たす上でも矛盾はないのではないか、とトリシアは納得する。


 「上手く行くと良いですね」


 何気なく口に出た一言。


 頷くレオニールを目にしてトリシアは自分でも驚くほど素直に真実そう願っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る