200話


 「侵入経路は二つ、厩舎がある裏手か積み荷が保管されている倉庫からってのが妥当なとこか」


 「そうだね、向こうはフルブライトさんの不在を主張したんだし、本人を確保……出来れば一番だろうけど、最悪存在の確認さえ取れれば虚偽を問い詰めて話し合いに持っていけるかな」


 夕闇の街頭に立つ二人の少年たちの隣、若い娘が一人きょろきょろと首を忙しなく振り周囲に視線を巡らせている。


 「御主人方、本当にやるんですか……結構人通りが多い……というか、さっきから人の往来が途切れないんですけれども」


 トリシアの視界の先、ガラート商会が面している大通りには迫る日没にも関わらず、日中程に混雑している、とは言わぬまでも行き交う人々の姿が見られ、商会の敷地には何台もの馬車や荷馬車が出入りを繰り返していた。


 忍び込む、という行いを文字通りの意味に解釈するのならば人の目を避けて侵入を図る事……はっきり言って今の状況は全くそれにそぐわない。


 「お前は本当に馬鹿だな」


 ぐにゅ、とクロイルの手がトリシアの頭を掴み、驚いたトリシアは思わずひゃあ、と妙な声を出してその場に蹲ってしまう。


 「僕たち見たいな素人が人通りもない深夜に忍び込もうとしても直ぐに気づかれてしまうよ、大手の商会の警備の目を欺けるほどの技能は僕たちにはないからね」


 だから、とレオニールはしゃがみ込んでいるトリシアの耳元に顔を近づけると何かを囁く。


 妙策と呼べる程の策を授けているとはとても思えないそれは束の間の時……しかしレオニールの囁きに目を丸くするトリシアは恐る恐るクロイルを見上げ……救いを求める様なトリシアの眼差しに気づいたクロイルはやれ、とばかりに深く頷く。


 「冗談……じゃないんですよね?」


 最後の希望に縋りトリシアは交互に二人に視線を送るが、まるで申し合わせたが如く頷いて見せる二人の姿に、普段はまるで剃りが合わぬ二人の息の合った姿を前に、諦めた様にがくっ、と肩を落とすのであった。





 通りに面した一角。

 

 ガラート商会の建物に隣接する倉庫の入口では港に送り出す荷馬車に体格の良い男たちが汗を流しながら手際良く積み荷を積み込んで行く姿が通りからも見られる。


 商工会を通じて既に王国側からの通告の一報を受けていたガラート商会もまた他の商会と同様にシャリアテからの引き上げ作業に奔走する事となってはいたのだが、ガラート商会が他の名立たる大手商会とははっきりと大きく異なる点が一つだけ存在していた。


 それは荷運びを行う人夫たちを始め、店内で働く女性従業員たちの表情にこの異常事態に際しての不安の色が見られぬ事であろう。


 だがそれらは会頭であるレイリオ・ガラートの人徳……という訳では必ずしもなく、両者の間に取り決められた約束事が大きな要因となっていた。


 明日の公表まで真実を伏せたまま従業員たちを働かせている他の商会とは異なり、商工会からの通達を受けたレイリオはアイラを通じて全従業員に速やかに告知し、その上で従業員たち及びその親類縁者の船便の確保を確約する対価として労働を求めていた事が大きな士気の差として現れていたとも云える。


 これは多くの商会が雇用や維持に掛かる一人当たりの賃金を抑える為に、労働者の派遣を主として扱う専門の商会から云わば外注として労働力を得ていた雇用形態とは異なり、ガラート商会は直接雇用という契約体系の違いから、情報の秘密保持すら厳密に契約に含まれる雇用条件の強みと契約期間を定めぬ終身雇用という雇用形態ゆえの従業員たちの質の高さが前提として存在していたことは間違いない。




 改装を終え、本来ならば煌びやかに並べられていたであろう、多くの交易品などが倉庫へと戻され、書類の整理に追われる事務方や倉庫で働く裏方が多くの作業に追われる中、閑散とした店内では接客業務を主とする三人の女性たちが店内の清掃を行っていた。


 エレナ曰く趣味が良いと評された女性たちは皆、見目の整った若く美しい女性たちであり、女性用に仕立てられた黒い礼装は彼女たちの魅力を引き立て貴族の令嬢を思わせる気品の様なモノを与えている。


 「あのーすみませーん!!」


 突如入口から生じた若い女性の声に、清掃道具を置き女性の一人が対応の為に入口へと向かう。


 入口に立つ女性の視界に映る声の主は埃で汚れた外套を纏い、覗く外套の隙間からは法衣にも似たローブが窺え……一見して魔法士と分かる少女……いや、少女と呼ぶにはもう少し歳は上であろう娘の姿は、ガラート商会の顧客の水準を大きく下回る……はっきりと不釣り合いな……女性が胸中に抱く本心を語るならばみすぼらしい風体をしていた。


 「大変申し訳御座いませんお客様、只今営業は控えておりまして」


 と、女性は娘に対して腰を折る。

 

 胸中はどうあれ、女性の礼を欠くことの無い姿からは魔法士に抱く不信や商会としての品格を損なう身なりの貧相さに対しての嫌悪感は見られない。


 内心を偽る、と云えば言葉は悪いが、表情からは読み取れぬ、窺わせぬ、それらの姿勢はガラート商会としての品位を保つ為の教育と指導が徹底されていると言い換えても良いかも知れない。


 「ええっ……とですね……」


 魔法士の境遇の不遇さゆえであろうか、女性の対応の丁寧さに戸惑いを覚えた様に娘は言葉を詰まらせると視線を宙に彷徨わせ……不可解な態度を取る魔法士の娘を前に、だが女性は急かす様な真似はせず黙って続けられるであろう言葉を待つ。


 「お客様、宜しければ奥に御席を用意致しますので其方でお話を」


 別の女性が二人の会話に加わり、自然に目くばせを送られた女性は直ぐにソレを悟る。


 今、目の前に居るこの娘が注意を促されていた三人組の一人である事を。


 「お客様、どうぞ此方に」


 女性はさり気なく娘の退路を塞ぐ様に背後へと回り、自然な流れの中で促す様に娘の背へと腕を伸ばした瞬間――――。


 「ぎゃああああああああああ!!」


 劈く様な悲鳴が周囲に木霊し、女性は余りの声量によろめき、娘の背に触れかけていた手が止まる。


 絹を裂く様な娘の悲鳴は、乙女の……などとはお世辞にも云えぬ百年の恋も冷める凄まじい絶叫ではあったがその威力は凄まじく、女性たちの動きを止める……たじろがすには十分な破壊力を秘めていた。


 「たーすーけーてー、さーらーわーれーるー!!」


 女性たちが動きを止めるのと同時に娘は床へと仰向けに倒れ込み、幼子の様に手足をばたつかせ暴れ出す。

 

 女性特有の甲高い声で叫びながら幼子が如く暴れ出した娘を前に女性たちは目を見張り、動揺を見せるが、娘の良く通る叫び声に店内からのみならず、何事が起きたのか、と通りを歩いていた人々すら足を止め、入口を覗き込む者たちまで現れ出す段に至り、自分たちの職務を思い出す。


 「お客様困ります……どうぞ奥へ」


 既に店内には商会の者たちが集まり出し、中には倉庫から様子を見に来たのだろう体格の良い男手の姿も見られたのだが、従業員の女性たちはちらり、と外の様子を……野次馬たちが店の周囲に集まり事の成り行きを窺っている姿を目にし、敢えて男たちに声を掛け助力を求める様な真似は控える。


 幼い……とは言えぬ成人した女性ではあるが、まだ若い娘を……それも嫌がる娘を強引に男たちの手で店内の奥へと連れて行ったなどと後に風潮されては商会の沽券に関わると判断した女性たちは三人掛かりで娘を床から立ち上がらせ、店の奥へと促すが、尚抵抗を見せる娘の力は存外に強く、終わりの見えぬ押し問答が続く。


 この時ならぬ騒動を目にした野次馬たちはと云えば、娘を助け様とする、或いは仲裁に入ろうとする者の姿は見られない。


 何故ならば最初から居合わせた者たちでなくても、入口から垣間見える娘の風体や漏れ聞こえる言動からも騒ぎを起こしている娘がまともな会話が成立しない種の人間であるという印象が強く刻まれ、また商業区画という土地柄、大なり小なり商会や商人たちに縁の者たちが多い為、迷惑を掛けられているであろう商会側に同情的な眼差しを向けている者たちが大半を占めていたからだ。





 「うぎゃああああああ!!」


 乙女の恥じらいなど微塵も感じさせぬもう何度目であろう、トリシアの絶叫が通りへと木霊し、十分に野次馬たちが集まり、商会の者たちの意識もまた店内へと向けられている様子を確認したレオニールとクロイルは人込みの中を左右に分かれ歩き出す。


 クロイルと別れたレオニールは人だかりを抜けガラート商会の左側面、厩舎が並ぶ裏手へと足を向け……馬車の出入りを誘導していた商会の男が騒ぎを聞き付け店内へと向かった一瞬の空白の間を窺い、通りからは死角にあたる並ぶ厩舎の裏へと身を忍ばせる。


 周囲に人の気配が無いのを確認するとさて、とレオニールは小さく息を吐く。


 後は自分が商会の裏手で騒ぎを起こし、隙を見計らい倉庫に忍び込んだクロイルが二階への侵入に成功しさえすればほぼ計画通りに事が運ぶ筈。


 新装したばかりなのであろう、ガラート商会の建物は真新しく立派なモノではあったが隣接する大掛かりな倉庫を除く本館となっている建物だけを見ればそう長大なモノではない。


 レオニールは裏手から見える商会の二階部分に視線を送り窓の数を数える。


 端から数えて窓は八つ。


 続き部屋が幾つあるかまでは分からないが、建物の作りから予測して通路を挟んで凡そ十部屋前後……その程度ならば連れ出すまでは難しいかも知れないがフルブライトを見つける事だけなら可能だろう、と改めてレオニールは確信を抱くが……寧ろ問題なのは此処でどう騒ぎを起こすかであった。


 最終的には話し合いの場を持ち穏便に事を収めたいレオニールにしてみれば刃傷沙汰など論外ではあったが、かといってトリシアの真似をしたところで人目の無い裏手、しかも男の身では血の気の多い男たちにどんな目に合されるか分かったものではない。


 男たちにぼこぼこにされている己の姿を思い描き……出来れば痛いのは嫌だな、とレオニールは頭を掻き苦笑する。


 取り敢えずは身分を名乗り身の安全を確保してから傲慢な貴族のやりようでも見習おうか、と不本意ではあったが厩舎の裏から商会の裏口へと向かおうとするレオニールの耳に馬蹄の音が響き、咄嗟に身を屈めた視界の隅に商会の裏口へと横付けされる一台の馬車が映り込む。


 作りからして一般のモノとは異なる高級感を漂わせる馬車の御者台から降りた傭兵と思しき浅黒い肌をした長身の男が馬車の扉を開くと、長身の傭兵と同様に傭兵然とした男が車内から姿を見せ、続くように身なりの整った恰幅の良い男が馬車から降りてくる。


 あれがガラート商会の会頭……レイリオ・ガラート。


 レオニールはレイリオと思しき男を複雑な眼差しで見据える。


 一介の傭兵に過ぎないエレナ・ロゼという個人に対して莫大な金を費やしてまで傭兵を雇い救助隊を編成してまで救いの手を差し伸べた大商人……。


 ロボスから事の顛末を説明されていたレオニールは話に聞かされていたレイリオ・ガラートという商人に対して感謝と恩義を感じている……レイリオ・ガラートの助力が無ければエレナを含め自分たちはあの街道で命を落としていたことは疑いようもない事実であったのだから。


 だが同時にそうした恩義を別にして男心としては割り切れぬ複雑な思いを、顔も知らぬ大富豪に抱いているのも否めない。


 体温を……温かみを失っていく少女の身体……エレナから流れ出る血で赤く……赤く染まる己の両手……無力な自分への怒り……そして大切な者の命が失われていく光景は……絶望と恐怖は今やレオニールの戒めとして心に……いや、魂に刻まれている。


 己が無様であればある程にそれに比して、遠く離れた地からでもエレナを救って見せたレイリオ・ガラートという男の存在は尽くせぬ感謝の気持ちと共に同じだけのひりつく程の……燃え上がる対抗心を抱かせる。


 ガラート商会の会頭と直接会話を交わせる千載一遇の好機を前に、レオニールは裏口へと向かうレイリオの姿を追うように厩舎の裏から飛び出す。


 「会頭殿!! レイリオ・ガラート殿!!」


 呼び止めるレオニールの声に恰幅の良い男は足を止め――――瞬間、帯剣しているレオニールに向かい黒い影が迫る。


 静止の声も誰何の言葉もなく、駆ける浅黒い肌を持つ長身の男の姿は野生の獣を思わせ、急速に間合いを詰める男に対してレオニールは足を止め身構える。


 殺意は感じられない……しかし男から感じる圧力が、鋭利な気配がレオニールに危険を、本能が警告を発して警鐘を打ち鳴らす。


 刹那、眼前で身を捻る男の動きに――――少女の姿がレオニールの脳裏に蘇る。


 忘れる事など有り得ぬ、網膜に、脳裏に、魂に焼き付けられた少女の雄姿が……幾度となく反芻し模倣を繰り返してきた鍛錬の結実か、男の動きにレオニールの身体は裏切らず反応する。


 エレナさんは打ち出される軌道を追っているんじゃない――――。


 長身の男、ニコラスの右足はレオニールの視界から消失する様に鞭の如くしなり、側頭部へと繰り出される旋風と表現しても憚る事無きニコラスの蹴撃をレオニールは右腕ではなく腰から引き抜いた剣の鞘で受ける。


 瞬間、重心を落とし支えていたにも関わらずレオニールは弾き飛ばされ、側面の壁へと叩き付けられる。



 「良い反応だ、そして良い判断だ小僧」


 壁に強打した影響で息を詰まらせるレオニールを見下ろし不敵に笑うニコラス。


 腕で受けていれば間違いなく砕かれていたであろうニコラスの蹴り……もし頭部であったならば頭蓋を粉砕されていた事は疑い様もない……しかしニコラスからは殺意は感じられなかった……だが結果として殺してしまったとしてもそれはそれで構わなかった、と獣を思わせる眼差しが語っていた。


 「僕……私はレオニール……レオニール・バローネ……ソラッソ地方の領主であられるロボス・ウィンストン伯爵に仕えする家門の騎士……決して怪しい者ではありません……この様な場所に忍んでいた事は謝罪しますが些か……いや、随分と手荒な手段を好むようですねレイリオ・ガラート殿は」


 今だ衝撃が大きく立ち上がれぬレオニールは睨む様に此方を窺っていた恰幅の良い男に視線を向け、一瞬呆気にとられた表情を見せていたレイリオ・ガラート……いやセイル・ロダックは自分を睨む、騎士を名乗る少年の思い違いに思わず苦笑が漏れる。


 「職業柄、恨みを買うことも多い因果な商売でしてね、日常的に命を狙われる為に疑わしきは断ぜよ……が我が家の家訓となっているのですよ、失礼しましたな騎士殿」


 大仰にセイルが頷くとニコラスはレオニールから離れる。


 当面の命の危機が回避された事を悟り内心で安堵の息をつくレオニールであったが、それでも今だレイリオ・ガラートだと信じているセイルを前に弱さを見せぬ様、表情を引き締める。


 それは騎士としての矜持と云うよりも、レオニールの男としての意地であったのかも知れない。

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