第31話


 レティシアの自室はさながら強盗にでも入られたかのような様相を呈していた。その元凶は他でもない部屋の主であるレティシア本人であった。

 レティシアは棚や家具から装飾品や見事な刺繍が施されたドレスなどを次々と革の袋に詰めていく。引越しでもするかのような勢いで行われている作業は既に二袋目に突入し、パンパンに膨れ上がった革袋が一つ扉の横に置かれていた。

 だが本当に引越しや部屋替えをしようという分けではない。レティシアはこれらを全て売って金に換金しようとしていたのだ。

 レティシアが私財を投げ打ってまでも纏まった金を必要とするのには深い……いや極めて浅い理由があった。

 レティシアの脳裏に昨日の情景が思い浮かぶ。

 食事を終え皆で広間で歓談する、双刻の月ではごくありふれたいつもの光景。いつもと違うのは一人楽しげに双剣の手入れをしているエレナの姿だ。

 まるで愛しい者でも見るようなうっとりとした眼差しを向け、時に刀身に小さな指を這わせる彼女の姿は、まるで恋人と過ごす甘いひと時を楽しんでいるようなそんな雰囲気すら醸し出していた。

 ギリッ――――!!

 その光景を思い出したレティシアの形の良い唇の奥から嫌な音が鳴る。

 エレナのそうした姿もどこか妖しく魅惑的な魅力すら感じさせる愛おしい姿ではあったのだが、その双剣がレティシアにしてみれば得体の知れない男からの贈り物だというだけで腸が煮えくり返る思いに駆られる。

 この時点でエレナの友人と称するレイリオという男の存在はレティシアの中では、人のものに手を出す不埒で許しがたい人間という烙印が押されていた。

 だがだからといってエレナから双剣を取り上げてその男につき返すなど出来る筈もない。そんなことをしてエレナに嫌われてしまったら、と想像しただけでレティシアの身体に悪寒が奔る。

 そこでレティシアが思いついたのが双剣の代金を自分が全額肩代わりするという方法だ。これなら双剣をエレナに贈ったのは自分ということにならないか。そう思いもう一度昨日の情景を思い浮かべる。

 するとたちまちレティシアの顔が真っ赤に染まっていく。知らず口元が緩んでしまう。

 普段聡明で思慮深いレティシアのこうした子供じみた行為は、レティシアを良く知る者ほど驚かせまた困惑させるのだが、本人にとっては至極真剣で切実な問題なのであった。

 ギルドの仲間、友人という枠を超えてエレナに見せるレティシアの執着に、エレナ自身が気づいていないということが事態を更に複雑にしているともいえるのだが……。


 「何をやってるんですかレティシア……」


 レティシアの部屋から聞こえる喧騒を不審に思ったカタリナがその光景を目の当たりにし呆れたような声を出す。


 「ちょっとね……」


 「ちょっとじゃありませんよ、その荷物どうするつもりなんですか」


 「いや……その……」


 「まさかそれを売ってお金に換えようなんて思っていませんよね」


 「…………」


 目を泳がせ自分と視線を合わせようとしないレティシアの姿にカタリナは全てを悟る。

 ギラリと眼鏡を光らせビシッと自分の足元を指差すカタリナ。

 其処に座れ、というカタリナの無言の圧力に屈したようにレティシアはいわれるままに床に正座をしていた。


 「今がどんな時かわかっているんでしょうね、ギルドマスターさん」


 「あの……だからギルドのお金には手をつけてないわよ……」


 「そういう問題ではありません!!」


 くどくどと説教を始めるカタリナ。スイッチが入ってしまったカタリナを止める事が無駄なことは長い付き合いであるレティシアは良く知っていた。

 それからカタリナの説教が永遠と繰り広げられる事になるのだが、足が痺れ床に倒れたレティシアが開放されるのはそれから小一時間ほど後の話である。


 それから五日後。

 エレナが危惧するような大きな報復が黄昏の獅子から行われることは無かった。それどころかあれから一度も双刻の月に接触してくるような事も、間接的に脅しを掛けて来る事すらなかった。

 ここまでの黄昏の獅子の行動から感じていた酷く短絡的で単純な連中という印象からは想像できないこの対応の変化に逆にエレナは不気味なものを感じていた。

 普通の日常が戻って来た様な平穏な日々が続き、いよいよ闘神の宴まで後一週間に迫る中クレストからエレナに連絡が齎される。

 それを受け、エレナはシェルンと共にまたトアル・ロゼへと訪れるのであった。

 以前と同様に貴賓室と呼ぶべき部屋にエレナ、シェルン、クレスト、ミローズの四人が集まっていた。


 「この前は有難う御座います。たった数日であれほど詳細な情報を頂けるとは思っていませんでした」


 僅か三日で黄昏の獅子の金の流れを突き止めたクレストの手腕にエレナは驚かされたのを思い出す。エレナから見てもあれ程ものは王国の諜報機関並みの情報収集能力がなければ不可能なのではないかとすら思わせる程の出来であった。

 それはこの老人が王国に匹敵する程の人脈を持つということに他ならない。クレストの、この老人の底知れない何かにエレナは戦慄すら覚えていた。


 「いえいえ、それはわたくしではなく調べた者が優秀であったというだけで御座います。わたくし自身は何もしておりませんので」


 にこやかに笑うクレストの表情からは何も読み取ることはできない。

 喰えない爺さんだな……エレナは心の中で苦笑する。だがはっきり分かるのはクレストが間違いなく敵に回してはいけない人種の人間だということだ。


 「少しはお役に立てましたでしょうか」


 「それはもう」


 エレナはクレストから手に入れた書面の写しをヴォルフガングに頼み遙遠の回廊へと流して貰っていた。後は彼らの判断に任せ暫く様子を見るつもりでいたのだが、翌日にはヴォルフガングから遙遠の回廊が動き出したという話を聞いていた。

 ここ数日の黄昏の獅子の不審な動向も、もしかしたらそうした遙遠の回廊の動きに関係しているのかも知れないとエレナは考えている。


 「今日わざわざお越し頂いたのは新たに齎された情報が少々厄介な問題を含んでおりまして、直接会ってお話した方が良いと考えた次第で御座います」


 クレストが厄介というならばかなりの面倒事なのかも知れない。隣に座るシェルンの表情も真剣な面持ちへと変わっている。


 「聞かせて頂けますか?」


 エレナの問いに答えるようにミローズが棚の上から何かを取りそれをテーブルへと置く。


 「これが何かお二人はご存知でしょうか?」


 それを手に取り暫く眺めていたシェルンはそれに刻まれた刻印を見つけ、


 「魔法人形ですね」


 と答える。

 その単語をシェルンから聞いたエレナは思わず身を震わせていた。自分のことを言われたのでは無いとは分かっていても、やはり知り合いの口からその単語を聞くのは些か心臓によくない。

 テーブルに置かれた硝子細工の少女人形をエレナは複雑な表情を浮かべ見つめる。


 「左様で御座いますシェルン様。これは硝子を用いて作られた人形で御座いますが、劣化防止の付加魔法(エンチャンタ)が施されております」


 クレストはその人形を手に取ると足の裏に刻まれている刻印を二人に見えるように人形を傾けた。


 「このように付加魔法が施された物は各国共通の条約により特殊な刻印を打つことが義務付けられております。そして刻印が打たれた、魔法が付加された観賞用、愛玩用の人形たちを総じて魔法人形と呼称します。ここまではお二人もご存知でしょうか?」


 シェルンがそれに頷く。エレナも少し遅れて頷いていた。

 当然アインスの……エレナの身体にはそのような刻印など打たれてはいない。刻印とは魔法人形の証として製造後に打たれるもので製造過程で必要なものではないからだ。

 無論それ自体が違法ではあるのだが、それ以前に魂の定着という禁呪を別にしても、エレナの身体は大陸間で禁止されている生体人形であり、そもそもが見つかれば即時に焼却処分されるような物騒な代物なのだ。


 「ここからが本題なのですがもう五年も前になりましょうか、魔法士アウグスト・ベルトリアスがロザリア帝国で起こした一連の事件のことはご存知でしょうか?」


 五年も前ともなればシェルンはまだ十歳であり当然知るはずもない。シェルンは素直に首を横に振る。

 エレナはといえば、その事件に……いやその事件に端を発した一連の騒動に深く関わっていたため、恐らくこの中の誰よりもその事件のことは良く知っていた。だが敢えてシェルン同様首を横に振る。

 二人が知らないのを確認するとクレストは少し長くなりますが、と前置きして二人に語りだす。


 「アウグスト・ベルトリアスは当時ロザリア帝国でも高名な魔法士で、あの賢者と謳われるエリーゼ様と同じ学び舎で学ばれていたという噂がのぼるほどの秀才であったそうです。その彼がどこで道を誤ったのかは今となっては本人にしか分からぬことでは御座いますが、いつしか彼は忌まわしき実験に没頭していく様になったのです」


 そう……アウグストが望み、挑んだ命題は不老不死。

 人の身でありながら神に挑むような愚かな所業。だがあの時期一部の魔法士たちの間でそうした大きな流れが合ったのは間違いない。そして公にはなってはいないがエリーゼもその流れに関係していたとエレナは踏んでいる。


 「魔法人形に魂を定着させ不老不死を得る、それが彼が取り組んでいた研究で御座いました。そして古来より不老不死と権力者は切っても切れぬ縁があるといわれております。その彼の研究には当時の皇帝自らが援助と協力をしていたのは後の事実で御座います」


 そこで一度息を整えるクレスト。


 「当時も生体人形の製造は禁止されてはいたのですが、皇帝が力を貸している以上、素材集めから製造に至るまでは容易であったと思われます。その後誰の魂を移すかという問題も極刑を言い渡された者を被験者にすることで解決していたといわれております」


 だがその話には続きがある。実験の失敗に次ぐ失敗で遂には死刑囚すらいなくなった為、当時戦乱の中に合ったロザリア帝国は皇帝の命により捕虜にした敵国の兵士を実験材料にしていたのだ。そしてその時点での被害者は既に千人を越えていたといわれている。


 「しかし実験は上手くいかず、一時は頓挫仕掛けるのですが彼の悪魔のようなおぞましい発想はより禍々しい形で実験を進めさせていくのです」


 この時点でシェルンは大きく眉を顰めて不快そうな表情を浮かべている。それは至極当然の反応であり当たり前だが聞いていて楽しい話では決してない。


 「生体人形では魂が適合しないのではないか、そう考えた彼は新たにおぞましき術法を完成させます。それは人間そのものを魔法人形へと変質させる下法で御座いました」


 禁呪とはいえ既に魔法としては完成を見ていた魂の定着は大きな欠点の一つとして、魂が宿っている器に別の魂を移せないという特徴があった。つまり人間には別の魂を移すことが不可能ということだ。だからこそ魂がない魔法人形をその媒体とするのだ。


 「男、女、子供、性別も年齢も問わず多くの者がその実験の犠牲となったようで御座います。しかし彼にとっては皮肉なことにその時期、一時的にロザリア王国の戦乱が収まりを見せたのです。ひと時の平穏が訪れたことで彼の所業は発覚し国民の多くが知ることになったのです」


 そう……事態を隠蔽できないと悟った当時の皇帝はアウグストを秘密裏に捕らえ抹殺してしまう。だが後にその事実は暴露され皇帝は退位しその全貌が明かされた。

 最終的に皇帝とアウグスト・ベルトリアスにより奪われた命は延べ三千人にも及んでいた。下らない望みを抱いた愚かな男たちによってそれだけの命が無駄に失われたのだ。


 「アウグスト・ベルトリアスは皇帝によって暗殺されたといわれておりますが、災厄に紛れ多くの文献が失われてしまった為にその詳細は定かでは御座いませんが、これがロザリア王国で起きたアウグスト・ベルトリアスの事件の全容で御座います」


 エレナが何故ここまでこの事件に詳しいかといえばそれには理由がある。実はこの時期各国で同じような事件が起きていたからだ。

 ロザリア王国程の惨事にはならなかったとはいえビエナート王国でも数十名がその犠牲となっていた。ビエナート王国の場合は個人ではなく魔法士の結社が暗躍していた為、その粛清にあたった一人であるエレナも十数人という魔法士をその手に掛けていた。

 だが今やその自分がある意味その成功例となっている事に運命の悪戯……いや皮肉めいた因縁を感じざる得ない。


 「前置きが長くなり大変申し訳御座いません。しかしこの事を踏まえて頂かねば上手くご理解頂けぬと思いましたので」


 そこで言葉を切りクレストは二人を見る。


 「実はこの一月、いえ正確には三週間前ほど前からこのライズワースにかなりの数の魔法人形、製造が禁止されている生体人形が出回っているのです。そしてその出処は全て黄昏の獅子と呼ばれるギルドからで御座います。そして集団失踪事件が起きたのも……」


 「三週間前……」


 「左様で御座います」


 以前とは違い今のこの大陸では生体人形の製造に必要な素材は如何に大都市とはいえライズワースでも揃えるのは難しいはずだ。しかも一体程度の素材なら或るいはと思えなくも無いがクレストはかなりの数といっている。だとするならばそれだけの数の素材を集めることは間違いなく不可能なはずだ。


 「一体誰の仕業なんだ」


 もしこの失踪事件がアウグストの残した、人間を生体人形に変える魔法なのだとしたらそれは決して許せることではない。だが同時に大きな疑問が残る。

 仮にアウグストの下法が完成した魔法としてその術式が残っていたとしても、魔法士なら誰でも行えるという魔法ではないはずだ。だとすれば高位の魔法士がこの一件には関与しているということになる。


 「その辺りは今だ掴めてはおりませんが、どうかお気を付け下さい。魔法人形の購入者の多くが有力な貴族や豪商たちで御座いますれば下手にこの件に関わるのは危険かと思われます」


 「エレナさん……」


 憤るエレナを心配そうにシェルンが見つめる。

 だがエレナにも分かっていた。少なくとも全容を掴むまではこの件には関わるべきではないと。そして同時に自分の軽率さを呪っていた。

 既に情報を流した遙遠の回廊は動き出している。矢は放たれているのだ。

 エレナの心配は図らずも的中することになる。


 双刻の月、砂塵の大鷲、そして遙遠の回廊。


 それらの全てを巻き込んで事態は大きく動き出す。

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