第4話 14歳の少女を17歳と偽った中国女子体操

2000年のシドニー五輪体操団体で、銅メダルを獲った中国女子チームのメンバーに董芳霄という選手がいた。

FIG(国際体操連盟)及びIOCに対し、1983年1月20日生まれの17歳と登録して同五輪に出場したが、過去に出場したほかの競技会で公表していた生年月日と異なり、年齢を詐称しているのではないかと騒がれていた。

FIGは1997年にルール改正をした際に、国際競技会に出場できる最小年齢を

16歳に引き上げた。

これは、女子においてあまりに幼い少女のような選手がアクロバティックな演技をすることに疑問の声が上がったためだ。


董方霄は、シドニー五輪当時、実は14歳だった。

本当の年齢がばれたのは、2008年北京五輪の中国体操チームのチーム付役員として彼女が参加した際だ。

IOCに提出した書類に1986年1月23日生まれと、シドニー五輪時とは異なる、本当の生年月日を登録していたのだ。


これに伴い、FIGの理事会は、シドニー五輪や1999年の世界選手権時の記録なから、董方霄を抹消することを決定した。

中国が獲ったシドニー五輪の団体銅メダルははく奪、4位の米国が繰り上がり獲得することになった。


シドニー五輪の女子体操は、日本が団体出場権を獲れず、竹中美穂と山脇佳奈の2名が個人総合に出場しただけだった。

そのため、テレビや新聞にもあまり取り上げられなかったためどうしても印象が薄い。


当の董方霄は、2001年の第九回全国運動会の河北省チームの一員として、団体と床運動に優勝したのち、パッと表舞台から消えた。

大怪我をしたと言われていた。

車椅子の生活からリハビリを経て、コーチとして参加した北京五輪では、

「7年掛けて再び五輪の舞台に帰って来た」

と美談として中国メディアには取り上げられていたともいう。


大怪我?

本当だろうか。


中国のスポーツ界には、度々「大怪我」によって姿を消す選手がいる。

当局にとって都合の悪い董方霄を消したのではないか?


2008年に董方霄の年齢詐称が明確になると、中国当局は、年齢詐称は董方霄が個人的に企てたことであって、中国体操協会や国家は関係ないと言い張った。

14歳の少女が、五輪に出たいからと、自ら2歳年齢を逆にサバ読みするとは常識的に考えられない。


ついでに記すと、中国が金メダルを獲った2008年北京五輪の女子団体メンバー6人の内、3人が年齢詐称ではないかと騒がれた。

3人は2つの生年月日を持っていたのだ。 

前者は北京五輪での生年月日、後者はそれ以前に公表されていた生年月日だ。

これについてFIGは、とりあえず「お咎めなし」としたが、自国で五輪開催中の中国の面子を立てるよう圧力がかかっていたとしたらどうだろうか。

また10年位して金メダル剥奪となるかもしれない。


●北京五輪中国女子体操団体金メダルメンバー

 程菲 1988年5月29日生まれ

 鄧琳琳 1992年4月21日生まれ

*何可欣 1992年1月1日生まれ 1994年1月1日生まれ?

*江鈺源 1991年11月1日生まれ 1993年10月1日生まれ?

 李珊珊 1992年2月22日生まれ

*楊伊琳 1993年8月26日生まれ 1992年8月26日生まれ?


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