第3話【1】仲間はずれ
桜花堂学園二号館一階の購買部には、弁当を持参しない生徒のために、惣菜パンやお湯を注ぐだけのカップラーメンなど、手軽に食べられる物が数多く取り揃えられている。
卒業生が就職した企業からの依頼で
そんな購買部で近頃、放課後になると桜花堂学園高等部一年、風紀委員(仮採用期間中)の鳥羽華子の姿が目撃されるようになった。毎日決まって七十円のおかかおにぎりを一個だけ購入するのだという。
定番中の定番おかかおにぎりは、具材に醤油を染みさせたカツオ節が入っているだけのシンプルなおにぎり。豊富な種類の中でも二番目に値段が安い。ちなみに最安値は何も具の入っていない六十円の塩にぎりなのだが、それはひとまず関係ない。
華子が旧校舎に通うようになってから、はや半月。
購買部で買ったおかかおにぎりを手土産にして、虎ジマ猫の虎島さんに「今日こそは上手くいきますように」と願かけするのが日課になっていた。
虎島さんに神様のような御利益があるわけではないが、少なくともおかかおにぎりをいたく気に入った虎島さんからは、快く出迎えてもらえるようになった。
今日も華子が鞄からおかかおにぎりを取り出すのを、喉を鳴らして急かしていた。
それを邪魔したのが、華子の後からやって来た男だった。おかげで華子は手を止めてしまい、虎島さんはおあずけを食らうことになった。
「おや……キミはたしか、高等部一年の鳥羽さんだね。こんなところで何をしているんだい?」
生徒ではない。彼は桜花堂学園の 英語担当教師、
容姿の素材は決して悪くない。むしろ両親には感謝すべきだと言っても良いぐらいだ。ただ身なりに気を掛けるつもりが本人には皆無らしく、くたびれたジャケット姿でいることが多い。
そのことも影響し、年齢はとうに三十を越えるというのに、結婚や交際している女性についてなど、浮ついた話が生徒の間でささやかれたためしがない。
そんな独身体質の北野が、今や暗号屋の事務所として占拠されている旧校舎で安吾以外の人間がいたことに、少なからず驚いている様子を見せていた。
しかし北野にとっては「想像していなかった第三者の存在に驚かされた」程度のことであっても、名前を呼ばれた華子には、心臓にハンマーを振り下ろされたかのような思いがした。
「いえ、私は風紀委員として安吾先輩の旧校舎不正使用を……」
華子は自分の立場を必死に弁明する。このまま安吾の仲間だと勘違いされては困る。
しかし北野は思いかねない言葉を返した。
「いや、気にする必要はないよ。別に責めているわけじゃない。そもそも旧校舎への立ち入りは、校則で禁じられているわけではないしね。ほら僕だって、この通り」
「……え? そうなんですか?」
かたくなに信じてきた常識が、いとも簡単に覆されてしまうという結末。
朝起きてテレビを点けてみると、世界で一番偉い人が記者たちを集めて「実は地球が丸いというのは嘘でした」なんてことを発表していた時ぐらいの衝撃。裏切られ感マックス。
「そりゃあ、ここは古い建物だからね。もしも生徒から『中へ入っても良いか?』と、面と向かって尋ねられたなら、もちろん『危ないから駄目だ』としか答えられない。それが常識ある教師としての努めだからね。でも相談なく勝手に中へ入る生徒に対しては、あえて僕のほうから特別に何か言う必要もないかな。その程度のものだよ」
北野はそう言って、虎島さんの頭を撫でようと手を伸ばした。
「……痛ッ」
すると虎島さんからおかかおにぎりの抱腹。北野は虎島さんの爪で、手の甲を引っ掻かれてしまった。その手には、くっきりとミミズ腫れの赤い線が残っていた。
「ほらね、こんな危険も潜んでいる」
☆
「風紀委員のくせして、そんなことも知らなかったのか?」
校長室で華子と北野を迎え入れた安吾は、旧校舎を取り巻く事情について不勉強だった華子を呆れた口調で責めた。
「……すみません」
応接ソファーで北野の手の甲に絆創膏を貼りながら華子は謝る。
けども、それならそうと一言ぐらい教えてくれても良かったじゃないかと、安吾の態度にムカついた。
ただ華子が初めてここを訪れた時、他人に与えられた善悪の判断を鵜呑みにするなと言っていたのは、このことも含めての話だったのかもしれない。
「実際には数十年間ずっと放置されている状態であっても、書類上では『取り壊し検討中』にしか過ぎない。予算だとか、懐古趣味だとか……ま、早い話が大人の都合ってヤツだな」
このまま安吾の演説を止めずに放っておくと「だから俺が使用することに問題はない」とでも持論展開しそうな勢いだった。
「すみません」と、今度は大人代表の北野が謝った。
しかし桜花堂学園卒業生である北野が現役の生徒だった時代にさかのぼっても、すでにこの0号館は現役を退いて「旧校舎」と呼ばれていたはず。北野に罪はない。
「ところで北野、今日はどういった用件だ?」
北野に謝罪されたことで一区切りがつき、安吾は本題に入るように促した。
その偉そうな態度は、年下の華子に対する横柄なものと何ら変わりない。安吾には教師に対する敬いというものがないようだ。
しかし北野のほうにも全くそれを気に留める様子はなかった。
「そうそう……これなんだけど、頼めるかな?」
北野は四つ折りにした紙をジャケットの内ポケットから取り出し、それを安吾に差し出した。
どこでもよく見かけるルーズリーフ形式のB5用紙。片側に穴が並んでいて、専用のファイルにページの順番を入れ替えたり、新たに追加したりすることができる。便利なので華子も利用している。実際それは購買部で取り扱っているメーカーの物だった。
安吾が開いた用紙を華子が横から覗き込むと、そこには数個の単語が並んでいた。
ざっと見たところ、その単語に統一性があるようには見えない。思いつくままに書き並べただけのようにも思える。
―――――――――――――――
ウグイス
ぬるま湯
獅子舞
なで肩
地引き網
針山
数学
人見知り
鼻唄
【仲間はずれを探してください】
―――――――――――――――
「北野、解読依頼の料金は分かっているな?」
「もちろんだとも。いつもと同じで、前払いの二千円で大丈夫かな?」
北野はそう言って、財布から千円札を二枚取り出した。
「……え、二千円?」
横で二人のやり取りを聞いていた華子は驚いた。
教師相手に商売をしていることも見過ごせない事実ではあるけれども、暗号屋の解読基本料金は千円だったと記憶している。しかも北野の「いつもと同じ」発言。
これは「エスカレーターは左右のどちら側に立ち、どちら側を歩く人のために空けるのが正しいのか」以上に根深い問題だ。関東と関西で一般的な回答は異なる。
「安吾先輩、でも私や八坂くんには…………ぐはッ!」
抗議しようとした瞬間、足元に痛みが走る。原因を確認すると、安吾が学生靴の一番硬いかかと部分で華子の足の甲を強く踏みつけていた。
「鳥羽さん、どうかしたかい?」
華子が口に出しかけた言葉を飲み込んだので、北野が心配してくれた。
「実は…………うはッ!」
華子の告げ口に呼応して、安吾は容赦なくひねりを加えた。
グリグリ、グリグリ。痛みが倍増。憎しみも倍増。積もった恨みは底知れず。
「い、いえ……何でもありません」
「本当に? それなら良いんだけど、顔色が悪いみたいだよ」
「……ご心配、痛み入ります」
涙目で堪える華子。
「それで安吾くん、話を戻すんだけどさ。僕は一度職員室に戻るから、解読できたら連絡を寄越してもらえるかな? メールアドレスは知っていたよね」
北野はズボンのポケットから取り出した自分の携帯電話を見せて言う。ただ身なりと同じで流行にも無頓着らしい。かなり年式の古い機種だった。
その北野に対して、安吾は大きくかぶりを振った。
「そんな必要はない。この場で今すぐ解いてやる。焦らずとも茶を飲んでいく時間ぐらいはあるだろう?」
「そうだね。うん、少しぐらいなら」
北野は腕にはめた時計を確認しながら了解した。
「よしハナ、珈琲を淹れてくれ」
「また私を雑用に使う気ですか。今度はどんな卑怯な手を考えているんですか?」
前回のことを忘れたわけじゃない。安吾を旧校舎から追い出す際には絶対、そのことも含めて謝らせてやるつもりだ。
「チッ、しょうがないヤツだな」
安吾は受け取ったばかりの千円札二枚のうち、一枚を華子に握らせた。
しかし風紀を取り締まるからこその風紀委員。その名を背負う華子(ただし仮採用期間中)としては、金銭を受け取って暗号屋の片棒を担ぐわけにはいかない。
「仕方ありません、分かりましたよ。でも、このお金は頂けません」
華子は握らされた千円札を、安吾ではなく北野に返した。そして安吾の持っているほうの千円札を指差して、高らかに宣言した。
「暗号も私が解いてみせます。それなら安吾先輩は何もしていないことになりますから、そっちも北野先生に返してください」
「ほう、こいつはまた大きく出たものだな。その挑戦を認めよう。が、まずは珈琲からだ」
話が少し戻るが、エスカレーターは右でも左でもなく『真ん中』に乗るのが正解である。
立ち止まって乗ることを前提として設計されているので、歩くと危険だと注意書きにも記されている。急いでいる人のために片側を空けるのは、間違った優しさなのだ。
☆
安吾と北野に珈琲を出した後、さっそく華子は暗号解読に取り掛かった。
用紙に書かれていた九つの単語。ひとつの単語だけをジッと見つめていても答えは出てきそうになかった。こういった場合には、全体から受ける印象や違和感を大事にしたい。二枚の絵を見比べて間違い探しする要領。
華子は単語をホワイトボードに書き並べると、大きな歩幅で後ろへと下がった。そして少し離れた場所から全体を眺める。
「えっと、仲間はずれ……か」
単語の文字数。総画数。この世に形ある物かどうか。
色々と考え方を変えてみる。が、どれか一つの言葉だけが仲間外れになる条件がなかなか見つからない。
動物や体のパーツなど、特定の言葉が含まれているかどうか。言葉の前後に決まった文字を加えた時、別の言葉に変化したりしないか。
どんどんと見る角度を変えて、果敢に挑戦する。
「うぐいす、ぬるまゆ……」
何度も声に出して読み上げてみる。
「鳥羽さん、お金のことなら気にする必要はないから、無理だと思ったら、いつでも諦めて構わないからね」
無我夢中だった華子は、北野に話し掛けられて我に返った。
スカートを膝上にまでたくし上げ、大股に開いた足の間から前屈姿勢で頭を逆さまに覗かしている。見る角度に変化を与えることを意識しすぎて、いつの間にか黒板を見ている体勢までオカシなことになっていた。
早くも北野の誘惑に甘えてしまおうかと心が揺らぐ。
そもそも安吾への対抗心が先走り、その場の勢いで言い出しただけだ。解読できる自信があったわけではない。
後悔を始めた華子は両手を上に挙げて、マイッタしてしまおうかと本気で考えた。
ところがそこへ……、
「ハナも珈琲を飲んでみたらどうだ。頭がスッキリするぞ」
安吾が頭の上に手を置いて、華子の耳元で囁いた。
「それとも、お子ちゃまには珈琲牛乳のほうが良いのかな?」
その瞬間、華子の心の中を大きく占めていた「降参」の文字が綺麗サッパリ消えた。
こうなったら安吾の金銭取引を防ぐのが目的じゃない。意地でも暗号を解いて、安吾の頭を下げさせてやると決めた。
「……ムッ。ちょっと黙っていてください。集中の邪魔です」
「ハハハ、じゃあ頑張ってくれ」
華子に追い払われた安吾は、気を悪くするでもなく北野の向かいに腰を下ろした。
「ところで北野、誰か学校を辞めたヤツがいるのか?」
質問を向けられた途端、これまで浮かべていた北野の柔らかい表情が打ち消された。
「うちのクラスの生徒が一人、家庭の事情で転校することになってね。その子が最後に書き残して行ったのが、この紙だったんだ」
こわばった表情と同じく、声も沈んでいる。
「そうか……ふうん」
安吾は勝手にすべてを理解し、一人で納得し、そして何度も頷いた。
「一応確認するけど、この紙に書かれていること以外、安吾くんは何も知らなかったんだよね? その転校していった生徒のことだとか」
北野が逆に質問すると、安吾は「ああ」とだけ短く答えた。
「何も知らない安吾くんが、そこまで見抜いた。ということは、やっぱり何か特別なメッセージが、この一枚の紙の中に込められているということなんだね?」
暗号解読に行き詰まっていた華子はホワイトボードに目を向けながらも、二人の会話に耳を傾けていた。
北野に残された用紙は、一見したところ単なるクイズでしかない。これに何かメッセージが忍ばせられている可能性を北野が疑ったのは、あくまでも状況から感じた勘に過ぎなかった。
それが今、安吾の言動によって確信に変わったのだ。
「仲間外れを探してください……か」
今度は北野が華子の隣へやって来て、口元に手を添えながら呟く。
「その言葉に何か引っかかるんですか?」
口元に手を沿える仕草は、不安を抱える心理的表われ。北野の様子を見かねた華子は尋ねずにはいられなかった。
「彼女は家庭の事情で転校することになった」
「さっき、私も聞いていました」
「しかしそれは、あくまでも表向きの理由でね。本当の理由は他にあったんだ」
旧校舎の存在、転校の理由。いつだって大人の世界は、本音と建前の螺旋二重構造。
「いや……もちろん、彼女の両親から告げられた転校理由は家庭の事情で間違いないのだから、学校側が嘘を吐いているわけではないよ。そこを誤解せずに聞いてくれると非常に助かるんだけどね」
随分と回りくどい前置き。それだけ北野が立たされている場所が、とても息苦しいところなのだと華子には感じられた。
「彼女は少し特別だったんだ」
北野の話に、安吾までが珍しく神妙な顔つきになった。
「他の生徒たちとは感性が違うと言えば良いのかな。独特な世界の中に住んでいるような子だったんだ。一言で言ってしまえば、芸術家タイプだったんだろうね。でもそれって裏を返せば、協調性がないとも言える。最初は特に仲の良い友達が一人もいない程度のもので、さほど心配するほどのことではなかった。だけどクラスの中で浮いた存在だった彼女は、次第に同級生たちから意識的に避けられるようになっていった」
北野は時折、大きく息を吐き出しながら話していた。
三つのサイコロを同時に振った時、三つとも同じ目が出る確率は三十六分の一。計算上では三十六回のうち三十五回は、違う目が混じって出る。つまり違うことが普通なのに、でも人間は相手に自分と違う部分を見つけると、途端に不安へと陥る。
具体的なエピソードが語られることはなかったが、話の節々で北野は言葉に詰まった。それはあまり良くない思い出が蘇って邪魔されているようでもあった。
「そしてついには彼女のほうからも、口を利こうとしなくなってしまった。つまりクラスの中で彼女は常に孤独……仲間はずれにされていたんだ」
華子は『仲間はずれを探してください』という文字に改めて目を向ける。
転校していった女子生徒の状況に符合する言葉。ここまでの話を聞いた上でなら、いくら当事者でない華子でもメッセージの存在を確信できる。
これは間違いなく暗号だ。
「僕も彼女がクラスの仲間に溶け込めるように努力したつもりだ。しかし結局はそれも無駄なことだった。居場所を失くした彼女は、他の場所でリセットするしかなくなるまで追い込まれてしまったんだ。最後の別れ際に彼女から無言で渡された紙を開き、そこにある文章を読んだ瞬間、本当に胸が締めつけられる思いがしたよ。きっと彼女は、僕のことを恨んでこの桜花堂学園を去って行ったに違いない」
最後には涙声になっていた北野を、華子は不憫に思った。油断すると自分の目から涙がこぼれ落ちそうだった。グスリと鼻をすする。
「おいおい、ハナまで一緒になって肩を落としている場合か? それとも問題が解けたのか? 北野を救いたくないのか?」
安吾の叱咤が華子を責め立てる。
しかし、このまま暗号を解くことに抵抗も感じられた。
もしも「一生恨み続けます」みたいなメッセージが現れた時のことを考えたら、今後、北野に対してどんな顔で接すれば良いのか分からない。それだけならまだしも、北野がショックを受けて学校を辞めてしまったらどうしようか。華子は悩む。
「えーと……この中には仲間はずれは存在しない。『私はクラスの友達から仲間はずれにされたなんて思っていません』って答えで、どうでしょう?」
無難なのか、逃げ腰なのか、自分でも馬鹿だと思う答えしか口にできない。
「どうでしょう、じゃねえよ。自分で言い出したことだろ。最後まで責任を持て」
安吾は華子の首根っこをつかみ、黒板の前へと押し出した。
追い込まれた華子は半ば自暴自棄に言い放つ。
「九つの単語の中から仲間はずれを見つけ出して、そこから何が読み取れるというんですか。仮に『うぐいす』が正解だったとしましょう。そこから『うぐいす』が仲間はずれという以外、どんな意味を見出せっていうんですか」
たとえば『ぬるま湯』が正解でも、『獅子舞』が正解でも、他のどれが正解だとしても同じだ。指示に従ってもメッセージに辿り着かない。それだと暗号ではない。ただのクイズだ。
つまり華子は暗号の構成自体に疑問を感じている。ますます『仲間はずれは存在しない』が正解なんじゃないかと思い始めていた。
「だから固定概念を捨てろと、口が酸っぱくなるほど言っているだろう。どうしてこう風紀委員の連中は揃って頭が固いんだ?」
「固くないです。安吾先輩が簡単にルールを無視しすぎているだけです」
おそらく安吾の言う「風紀委員の連中」には、伏見と華子の二人しかいない。
そもそも他の風紀委員の人間は、常識の通じない安吾を相手にするのを面倒に思って、接触を避けているフシがある。だから安吾は、伏見と華子の二人以外に風紀委員を知らない。
「俺はルールを破った覚えはない。ちゃんとルールを理解した上、その中で何をどこまで出来るかを考える。それが楽しいんじゃないか。旧校舎の使用だって本当は誰も禁じているわけじゃないと知ったばかりだろう。勝手にルールを作って、それを人に押し付けようとしているのはオマエら風紀委員たちのほうだ」
「そんな言い逃れが通用するとでも……」
反論しようとした華子は、あることに気がついて途中でそれを止めた。
「……勝手にルールを作る?」
何度も目を通した『仲間はずれを探してください』の文章。
どこから? それは、どこから探せと命じているのですか?
華子は問題文に問い掛ける。
当然、問題文が言葉を口にして答えてくれることはないが、やはり何度見直しても「九つの単語の中から一つの単語」とはどこにも定義されていない。
それは問題文を読んだ華子が勝手に解釈して、勝手に苦しんでいたルールだ。
つまり自分で自分に課したルールであって
「もしかして『うぐいす』の中から、仲間はずれを探せということですか?」
単なる直感。理由はない。ふと華子は思いついたアイデアを口にしてみた。
「一つだけアドバイスしてやろう。こういった無意味そうな言葉が羅列している暗号を解読する場合、とりあえず全部を平仮名に変換してから考えるというのもテクニックの一つだな」
華子の仮説が正しいかの返答はない。それでも安吾の反応に華子は手ごたえを感じた。
同時にアドバイスに従い、単語をそれぞれ平仮名に変換する。さらには自分なりの工夫を加えて、一緒にローマ字でも表記してみた。
―――――――――――――――
うぐいす U GU I SU
ぬるまゆ NU RU MA YU
ししまい SI SI MA I
なでがた NA DE GA TA
じびきあみ ZI BI KI A MI
はりやま HA RI YA MA
すうがく SU U GA KU
ひとみしり HI TO MI SI RI
はなうた HA NA U TA
―――――――――――――――
後は実際に仲間はずれを探す作業。
「分かり易くローマ字でも書いてみました。情報は少しでも多い方が良いですからね。そしてポイントは、どこから仲間はずれを探し出すかです」
華子は預かっていた用紙を北野に返しながら説明した。自分の頭の中を整理するためにも、言葉にして誰かに説明することは非常に有効だ。
「九つの単語が並べられていると、どうしてもそこから一つ選びたくなる。だけど、それこそが固定概念の罠……ですよね、安吾先輩?」
安吾は相変わらず肝心なことには何も反応してくれない。が、逆にそれが肯定を示していると華子は確信した。
逆にまだ理解しきれていない北野は質問する。
「どういう意味だい、鳥羽さん?」
「仲間はずれを探すための選択肢は、実は九つじゃないんです。九つあるのは選択肢ではなく問題数なんですよ」
華子は『うぐいす』の文字の間にスラッシュを入れて四つに区切った。
―――――――――――――――
う/ぐ/い/す
―――――――――――――――
「その一問目がコレ。『う』と『ぐ』と『い』と『す』の中から一つだけ、仲間はずれを探すという四択問題です」
ここまではヒラメキで辿り着いた。さらにもう一歩だ。
華子は黒板に書いた自分の文字を睨みつける。ここでローマ字表記が生きてきた。
「母音……? そうだ、母音だ!」
ついに見つけ出した鍵。これで扉は開く。
「アイウエオの母音かい?」
母音というのは五十音の段のこと。たとえば『あかさたなはまやらわ』の段の母音は『ア(A)』という具合。別の言い方をすれば、その音を発声した時の口の形だ。
「そうです。『う/ぐ/い/す』の四文字の中で母音が違うのは一つだけです」
北野にも分かり易いよう、華子は『うぐいす』と一緒に書いたローマ字表記の『I』を丸で囲んだ。
「そして他の単語にも、それぞれ一つだけ母音の違う文字が入っているんです」
続いて華子が『ぬるまゆ』のところの『MA』を囲うと、顔色が変わった北野は別の色のチョークを手に取り、対応する平仮名のほうを囲い始めた。
それぞれの単語の中で、ひとつだけ存在する母音の仲間はずれ。
―――――――――――――――
うぐ『い』す
ぬる『ま』ゆ
しし『ま』い
な『で』がた
じびき『あ』み
は『り』やま
すう『が』く
ひ『と』みしり
はな『う』た
―――――――――――――――
「い・ま・ま・で・あ・り・が・と・う。今までありがとう」
導き出されたメッセージを読み上げた北野は涙ぐんでいた。
「どうですか、安吾先輩! 私の勝ちですよね」
「そうだな、今日はハナの勝ちにしておいてやるか。その転校していった子は、北野に恨み辛みではなく、感謝の気持ちを伝えたかったわけだ。素直に伝えず暗号を使うなんて、よっぽどの恥ずかしがり屋だったのか、それとも北野の言う通りに変わり者だったのか。どちらかだな」
そう言って安吾は、約束通り千円札を北野の前に突き返した。北野は首を横に振って受け取りを拒否したけども、安吾はジャケットの胸ポケットに無理矢理、グシャリと押し込んだ。
華子は「オマエが一番の変わり者だ」と思いながらも、それを言わずにおいた。
「北野、ハナが解いた方法を思い返してみな。少し離れた場所から全体を見ているだけでは何も見えなかった。逆にセオリーを無視して、それぞれの単語を個別に見ていった時に道が開けた。その転校していった彼女は『先生はクラスの一人一人をちゃんと見ていてくれた』って、きっと分かっていたんだろうな」
暗号の書かれた用紙を胸に強く抱きしめる北野。
「まあ……最後のは、明確な根拠のない、俺の勝手な解釈に過ぎないけどな」
照れ臭そうに頭を掻きながら安吾はつけ加えたが、それが最終的な正解なのだと華子は思う。
そして結局は、安吾に負けた気がしてしょうがなかった。
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