第1話【3】5秒クイズ
「それよりも宇徳先輩、現行犯です。明日にでも私が八坂くんに返してきます。その千円札を渡してください。そして今すぐ、この旧校舎から立ち退いてください」
華子が安吾の前に立ちはだかる。が、反対に安吾の手のひらが華子の目の前へと突き出された。
華子の顔を覆い隠さんばかりの大きな手。
安吾の指は長くて細いが、関節のところだけが太くなっている。全身のシルエットだけに留まらず、細部にまで渡って昆虫のようだった。
「この校舎や、ここに残されていた物は、まだまだ使える物たちだ。まだ使える物を使わずにいることこそ、俺は罪だと思うぞ」
いとも簡単に話の腰を折られた華子。同時に心までもがポキリと折れたかもしれない。
「でも……」
「よし、じゃあクイズを出そう」
華子の反論を待たず、安吾は唐突に提案した。今までの話の流れが一刀両断。道の反対から歩いて来たお侍様に、問答無用の切り捨て御免でバッサリだ。
「クイズ……ですか?」
予想もしていなかった展開に、華子は思わず声を裏返してしまった。
「チャンスは三問。一問でもハナが正解できたなら、俺は潔くここを明け渡すとしよう。千円も返す。ただし制限時間は一問につき五秒だ」
「ご、五秒。たった五秒?」
安吾が華子の顔の前に突き出した手のひらはストップの意味だけではなかったらしい。彼の手の指は五本。制限時間の五秒も示している。
「逆に一問も答えられなければ俺の勝ち。この場所は今までどおり俺のものだ」
「そんな条件は飲めません!」
「第一問、ジャージャン」
止めようとする華子を無視。安吾はクイズ番組のジングルを軽快に口真似した。
「ちょっ……」
「全国47都道府県の代表チームが野球のトーナメント戦で争った。さてこの時、決勝戦は何試合目になるか? ただし各都道府県からの代表は1チームとし、引き分け等による再試合や三位決定戦は無いものとする」
華子は拒否しながらも、安吾の強引な勢いに圧し負け、頭の中で計算を試みた。
「えーと、一回戦目が47チームだから23試合で……あ、二回戦からのシードチームが発生してしまうから……えーと二回戦に進出するのは23チームに1を足して24チームになって、それが今度は、えーと……」
「5…4…3…2…1……はい、アウト」
だけども計算を終わらすどころか、計算式を頭に浮かべようとする時点で時間切れ。華子の脳内に現れた野球選手たちは、まだ試合を始めるどころか、その前に肩を温めようとキャッチボールをしている段階だった。
「そんな無茶な。五秒だなんて早すぎます」
「ハイハイハイ、負け惜しみ。どんどん行くぞ。第二問、ジャージャン」
安吾は抗議を受け付けない。その長い足を応接テーブルの上に投げ出した。
「待ってください。せめて紙とペンぐらい貸してくれたって良いじゃないですか」
勇者だって剣と楯は標準装備だ。華子だって紙とペンぐらいは許されて当然の権利。しかし華子がそれらを用意する時間は与えてもらえなかった。目の前にいる王様はケチだった。
「家で飼っている猫が4匹いた。この猫たちは4分間で4匹の鼠を捕まえる。さて、40分間で40匹の鼠を捕まえるためには、何匹の猫を飼う必要があるか? ただし猫の疲れ、鼠の全滅は考慮に入れないものとする」
猫、猫、猫、猫……猫が4匹、猫の手も借りたい。4匹の4分間の4匹。だったら40匹の40分間の40匹。
「40! 40匹です!」
五秒という縛りを意識しすぎて、ろくに考えないまま華子は即答した。でなければ、またさっきみたいに何も答えないまま時間切れだ。
「くくくッ。続いて最終問題、ジャージャン」
「え……答えは? 二問目の答えは? 40匹で正解ですよね?」
約束では三問中に一問でも正解を出せば華子の勝ち。すなわち三問目を迎える前でも、正解を出した時点で華子の勝ちが決まるはず。
しかし安吾は込み上げる笑いを押し殺しつつ、勝負を続けた。これはおそらく間違いだったということ。
「1回叩くと、中に入っているビスケットが2倍に増える魔法のポケットがある。1枚のビスケットが入った状態から10回叩くとポケットがいっぱいになって、これ以上は増えなくなる。それでは問題。最初から2枚のビスケットがポケットに入っていた場合、いっぱいになって増えなくなるのは、何回叩いた後?」
「あ……わ…あわわわ……」
華子は右手と左手とも指を折って数え始めたが、途中で何をどう数えているのかも分からなくなった。右手が少なくとも三本ぐらいは欲しい。もちろん左手も同じだけ追加だ。
「ブーッ時間切れ、これで終了。全問不正解。俺の勝ちだ。用が済んだら回れ右。そこの扉から外へ出て、真っ直ぐ家に帰れ」
手のひらをヒラヒラと振って、安吾は華子を追いやる仕草を見せた。そして相手にする時間は終わりだと言わんばかりに、再び珈琲カップを手にする。
「ちょっと待ってください。五秒で計算しろなんて一方的な条件、どう考えたってズルいです。最初から勝てないルール、納得できるはずがないじゃないですか」
クイズと旧校舎使用に関係性がないことなど、もはや二の次。この際、重要なのはフェアな勝負だったかどうかの一点のみだ。
「そうだな、ハナの言うとおりだ。暗算日本一だとかでもなけりゃ、五秒で複雑な計算をこなすなんてことは無理」
意外にもあっさりと華子の抗議を認めた安吾は、無精で長く伸びた髪をかき上げながら立ち上がった。
すぐ近くで華子と向き合うと、余計にその手足の長さが浮き立つ。
「それが分かっているなら勝負は無効です」
全身で頭の上に覆い被さって来そうな雰囲気に飲まれながらも、華子は更に追及した。
すると安吾は腰を屈め、そして視線の高さを華子に合わせた。
「最初に与えられた制限時間から、出題者が真に意図することを見抜くことができたはずだ。どうして『五秒で計算は無理』だと分かったのに、そこで考えるのを止める?」
「それは……」
「計算は無理。だったら計算をヤメてしまえば良い。十分にヒントは与えてやったはずだ。三問ともすべて、見る角度さえ変えれば即答できる問題ばかり。これは計算問題じゃない。必要なのは正しい洞察力と発想力だ」
安吾はさっきまで使っていたホワイトボードから『いろは歌』や他の歌を消すと、クイズについての解説を始めた。
―――――――――――――――
47チーム
↓ 1試合目終了
46チーム
↓ 2試合目終了
45チーム
↓
↓ ?試合目終了
↓
優勝(1チーム)
―――――――――――――――
「トーナメント方式で試合を進めた場合、一試合につき一チームが負けて消え去ることになる。47チームから優勝を決めるまでには何チームが負ける?」
「優勝チーム以外のすべて、つまり46チームです。あ……」
ようやく華子は安吾の言っていることを理解した。
計算をヤメてしまえば良い。厳密に言えば一度だけ計算しているが、47チームから優勝の1チームを差し引く程度のこと。
「そう46チーム。そして46チームが負けるためには、全部で46試合を行う必要がある。すなわち決勝戦はその最後の試合、46試合目だ」
華子は黒板を見つめたまま言葉を失った。試合に負けた華子の脳内選手たちは、泣きながら球場の土をかき集めている。
「ちなみに出場校数が過去最多だった全国高校野球選手権大会は、第八十四回と第八十五回の4163校。再試合や不戦勝などイレギュラーなことがなかったとすれば、各地方予選から甲子園決勝戦までに4162試合が行われたことになるわけだ」
安吾の語る細かな数字が、華子には呪文のように聞こえた。異世界に棲む悪い魔法使い。それが安吾の正体に違いないと密かに思った。
それなら自分は「ここから出て行け!」と同じ台詞だけを繰り返す村人Bかと、華子は頭を抱える。
「続いて二問目、猫の問題。本来なら改めて書き出す必要もないほど単純。しかし後になってから、上手く誤魔化されたとか
ボードには猫の顔が4匹書かれた。意外と可愛らしいイラストだったが、華子にそれを指摘する余裕はない。
「問題になっている40分間とは、最初の条件にある4分間を10回繰り返した時間だ」
―――――――――――――――
4分間 4匹の鼠
↓10回繰り返し↓
40分間 40匹の鼠
―――――――――――――――
「同じことを同じ条件で10回繰り返す。すると捕まる鼠も10回分で40匹。と、これで早くも目標数が達成できてしまった。
同じことを10回繰り返すだけなら、時間と鼠は増えても、猫は増えない。すなわち今のままで十分。猫の数は4匹で事足りる。わざわざ他所から、猫を借りてくる必要はない」
「ほうわぁ……」
放心状態が続く華子。勇ましさから一転、これぞまさしく借りてきた猫状態。
「そして最後にビスケットの問題だな」
―――――――――――――――
1枚(スタート)
↓
2枚 2枚(スタート)
↓ ↓
4枚 4枚
↓ ↓
8枚 8枚
↓ ↓
↓ ↓
↓ ↓
ポケットいっぱい
―――――――――――――――
「ビスケットが2枚の状態から始めるというのは、1枚から1回目を叩き終えた状態と同じだ。つまり最初の1回が免除されるだけだから、10回から1回分少ない9回が答え」
安吾はホワイトボードを叩き、それを合図に、解答を全て終えたことを示した。
「今のこれは『暗号』じゃない。ただの『クイズ』だ。しかし土台となるものは同じ。一つの見方しかできない者は、ずっと暗号文を眺めていたって何も見えてはこない。目の前にある情報から、あらゆる可能性を模索する。それが暗号解読の基本だ」
そう言いながら、安吾は再び華子の正面に立った。
「現実世界もそれと同じだ。一つの見方しかできない者は、真実から遠ざかる。今のハナがまさにそれだろうな」
油断していた華子は肩をつかまれ、体をクルリと反転させられる。そして背中を小突かれて、あっという間に校長室の外へと追い出されてしまっていた。
「他人から与えられた善悪の基準を鵜呑みにするな。まずは自分の目で見て、自分の頭で考えろ。その上で俺が間違えているという結論に達したなら、その時にもう一度ここに来い。俺は改めて話を聞いてやろう」
華子の背後でドアが閉まった。目の前には板張りの廊下が真っ直ぐと伸びているだけ。
風紀委員(仮採用期間中)の鳥羽華子は、暗号屋の宇徳安吾に負けたのだ。
ここでもう一度、つま先の方向を変えて扉をノックし、悪い魔法使いに再戦を申し込むことは可能だ。でも策のないまま校長室に戻っても、同じことが繰り返されるだけだと思った。
ここは素直に出直して、対策を練り直したほうが賢明。モヤモヤと腑に落ちない気持ちを抱えながらも、華子は玄関に向かって廊下を歩いた。
最初に来た時と同じで、虎ジマ猫が下駄箱の上で呑気にアクビをしていた。彼(?)は40分間も働いてくれなさそうだ。
そもそも本物の猫は、鼠を捕まえることにどれだけの使命感を持っているのだろうか。
ビスケットの問題だって変だ。ポケットを10回叩くと、ビスケットは一体何枚になるのか。
「2、4、8、16、32、64、128、256、512、1024……」
指を折って回数を数えながら、増えていくビスケットを想像する。とんでもない数字になっても、まだ定められた回数に達しない。
「そんな枚数、ポケットに入んないよ。叩き終える前にポケット破裂する」
自分の言葉で、華子は何かに引っ掛かった。
クイズのための
最初の問題に登場する野球のチーム数にしたって、高校野球を想定しているならば、二校出場の県もあるので、全国大会進出は47チームではない。
しかも暗号屋であるはずの宇徳安吾が暗号で勝負じゃなく、ひらめきクイズって何なのだ。自分こそ
「46試合、4匹、9回……か」
華子は虎ジマ猫に向かって、今日の答えを順に口にしてみる。
「ん? 46・4・9。ああッ!」
そこで初めて華子は、自分が安吾に遊ばれていたことに気がついた。
「
本当に華子が試されていたのは、クイズを解けるかではなかった。それが暗号だと気がつくかどうか。一つの見方しかできない者は真実から遠ざかるということを、華子は身を持って体験させられていた。
華子は今歩いてきたばかりの廊下を振り返り、突き当り正面の扉を見た。
宇徳安吾は正真正銘、紛れもなく、唯一無二の、暗号屋だったのである。
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