第五話 召喚術士とヒーローは働くことにしました
それから二人は郵便局の窓口に手紙を預けると、消耗品やリイトのための衣服などを買い求め、下流側にとった宿へ引き返した。手紙には宿の住所を書き添えておいたので、数日内にはハイマン女史からの返事があるだろう。
二人の宿泊する宿は、下流側にある中ではそれなりに繁盛している店だった。宿場町で泊まった宿と似た造りをしており、一階には酒場があって、そのカウンターが宿のフロントを兼ねている。
そんな酒場の一角に、重苦しい空気が立ち込めていた。
「はぁ」
とクリムが溜息をつく。
彼女には今、金がなかった。
帝都から出る際、多めに旅費を用意してはいたとはいえ、目的地からの復路である事と、リイトの衣食住を負担した事が彼女の懐事情を寂しい物にさせていた。ハイマン女史へ手紙を送ったのも大きい。安全性、信頼性の高い郵便船の利用は、それなりに金の掛かる連絡手段である。
「すまない……」
再び消沈してしまったリイトに対し、クリムは慌てて首を振る。こんな事で英雄を邪神堕ちさせるなど笑い話にもならない。
「いえいえ、私はこう見えてそれなりに小金持ちなのです。帝都に戻れば預金もまだまだありますし、リイト様がお気になさる必要はありません」
元より旅費はクリムを帝都から呼び出した人物に渡された物である。節約して余剰分を懐に納める気満々だったから、彼女の資産には然程の痛手もないのは事実であった。
「だが、手持ちの金が少ないんだろう? 買い物の様子を見ていれば、なんとなく分かる」
「うっ……」
「何か日雇いの仕事が受けられる場所は無いか? クリムに頼ってばかりじゃ申し訳ない」
「そんな、大蜥蜴や盗賊から守ってもらったご恩があります。これくらいでそのご恩を返せるなら安いものです」
「だが……」
このままでは、まるでヒモではないか?
両親が邪竜帝国に殺されてから、まだ幼かった妹を男手一つで育ててきたリイトは、女性に衣食住を提供させる事への抵抗があった。酷い罪悪感のようなものを抱いてしまうのである。
「はいよ、お待ち」
と、そこへ注文していた食事が運ばれてくる。
店主がテーブルへ持ってきたのは数個のパンと具の少ないスープ、焼いたり炒めただけの肉野菜……男の一人暮らしを彷彿とさせる簡単なメニューだった。
こんな料理の支払いすらクリムに任せている自分が情けない……
と、料理を前に肩を落としたリイトを見て勘違いしたのだろう。言い訳するように店主が言った。
「勘弁してくんな、今朝から女房が寝込んじまったもんで、俺が料理を作るしかなくてよ……」
「そいつは大変じゃないか」
「医者が言うには疲労と軽い風邪みたいでよ。二、三日寝ていれば治るらしいからそう心配はいらねえ。……ただ、俺ァ簡単な料理しか作れなくてよ、その間の飯はこれくらいしか出せねえんだ」
通りで宿泊客に対して酒場の利用者が少ない訳である。
「悪くはないけれど……滞在中は他所の料理屋にでも行った方がいいかしら」
「いや……」
リイトに閃く物があった。
「なぁ店主。数日の間、俺を料理人として雇わないか?」
彼の発言に店主とクリムが目を丸くする。
「料理ができるの!? ……ですか?」
「昔、洋食屋の厨房で働いていた事があってな。家でも食事を作るのは俺の仕事だった」
両親の死後、学校を中退したリイトが生活費を稼ぐために働いていたのが個人経営の洋食屋であった。洋食屋と言いながら和食や中華料理まで出す変わった店で、筋の良かった彼は店長直々の教えを受け腕を磨き、数年後には「娘をやるから店を継いでくれ」と言われる程の技術を手に入れていたのである。復讐しか見えていなかったリイトは、それを丁重に断ったのだったが。
「こいつを食ったら厨房を貸してくれ。何か一品作るから、雇うかどうかはそれで決めてくれればいい」
しばらくして、厨房にはリイトとクリム、店主の三人が立っていた。
リイトは先ほど購入したこの世界の衣服を着て、頭に手ぬぐい、上からエプロンをかけている。
「食材は揃っているんだな」
「
リイトは厨房にある食材から何を作ろうかと考える。
見たことのない野菜や魚もあるが、クリムや店主に尋ねた限り元の世界の物とそれほどの差は無いように感じた。置いてある調味料なども味見し、メニューを決める。
「そうだな、ここは人気メニューで行くとしよう」
まず選んだのは先程適当に焼いて出された牛肉だ。これを包丁で叩きミンチにすると、卵と牛乳、パン粉を混ぜて捏ねる。形を整え小判状にすると、次はシャトー切り(面を取り、フットボールのような形にする切り方だ)にした人参をバターと砂糖を溶かした鍋で煮る。人参を煮ている間、先ほど形を整えたタネを熱したフライパンに並べた。ガスコンロのような便利なものはないので、フライパンを火に近づけたり遠ざけたりして火加減を調整しなくてはならない。
ソースは肉を焼いたフライパンに潰したトマトと赤ワイン、事前に味を確かめておいた調味料を数種類注いでひと煮立ちさせるだけだ。
皿に焼いた肉と鍋から引き上げた人参を盛りつけ、ソースをかければハンバーグの完成である。
二皿分作ったそれらを二人の前に並べ、ワイルドな仕草で手ぬぐいを外す。左手は腰へ、右手は皿へ向けて真っ直ぐ伸ばし、ニヒルな笑みを浮かべリイトは言った。
「さあ、召し上がれ」
あまりにも鮮やかな手際で出来上がった見たこともない料理に、二人は興味半分躊躇い半分、恐る恐るナイフを通す。
すると溢れるのは透明な肉汁。立ち上がる牛脂の香りにゴクリと唾を飲み込んだクリムは、それにソースを絡めて口へ運ぶ。
まず感じるのはトマトの酸味と調味料の甘み。それを纏める赤ワインの香りが鼻へと抜けていく。噛みしめれば溢れる肉汁がソースと渾然一体となり、肉々しさが主張を開始する。柔らかくも満足感を覚える牛ミンチの歯応えが舌だけでなく顎をも満足させるのが分かった。
付け合せとして作られた人参のグラッセもまた、良い。程よい甘みとバターの香りが、インパクトのある牛脂の味に疲れた舌を休ませ、さらに食欲を誘う。いつの間にか用意されていた雑みの多い黒パンですら、皿に残ったソースと肉汁を拭い付けて口に運べば、それだけでご馳走になりうる程だ。
先程夕飯を食べたばかりだと言うのに、クリムの皿はあっという間に空になってしまった。
この英雄、料理が上手すぎる。
「すげえ、こんな料理初めて食ったぜ……」
隣を見やれば店主も同じ感想なのか、ソース一滴すら残らず綺麗になった皿を物足りなさ気な目で見下ろしているのだった。
「どうだい、俺を雇ってみるか?」
こうしてリイトは酒場のコックになったのである。
◆
「クリム! コイツを手前の卓のお客さんに!」
「わ、分かりましたっ!」
リイトが厨房で働き始めて四日目である。満席になった店内をクリムが忙しく走り回っていた。
リイトの作る料理は下流側から中流側にかけて噂となり、二、三日目から徐々に客足が増え、四日目の今日は目の回るような忙しさであった。店主に頼まれたクリムまで給仕として駆り出されると、今度は臨時の看板娘目当てに客が増えるという嬉しい悪循環まで発生した。元より下流側にしては上等な宿であるため宿泊客まで倍増し、店主はそちらの対応に追われていた。
「女将さん、川エビの下拵え頼む!」
「あいよ!」
開店以来の繁盛っぷりに寝てはいられないと、病み上がりではあるがリイトに調理法を教わった店主の妻も、忙しく厨房と店内を行き来している。
ハンバーグを作り続ける事に飽きたリイトが川エビのエビフライや野菜オムレツ等もメニューに加えた結果、作業工程が複雑化し忙しさは増すばかりであった。
結局その日は昼過ぎに食材が切れ、洋食メニューの提供は終了となった。
客足の落ち着いた夕暮れ時の店内で、ぐったりと椅子にもたれたリイトとクリムはちびちびと酒を舐めながら簡単なまかない料理を摘んでいた。
料理をする過程でこの世界の生水が飲料に向かない事に気付いたリイトは、クリムの飲酒にとやかく言わなくなっていた。店主や客と話しているうちにある程度の文化を学び、この国では十五歳から成人であると知ったのも大きい。
樽ジョッキのエールを飲み干しテーブルに叩きつけたクリムが、座った目で息を吐いた。
「なんで……こんな事に」
「すまない……」
もうこの二人は酒場の椅子に座ると重苦しい空気しか発せないのではないかと思えてならない。
場の空気を誤魔化すように、リイトが話を振った。
「ところでクリム、ハイマン女史から連絡はあったのか?」
手紙を出してから四日、既に手紙は届いている頃だろう。帝都に着いた郵便物は船から降ろされた後、局員の手によって配達されるのだが、局員の質によってはここで紛失することもしばしばあり、貴族や豪商が重要な手紙を送る際は、部下に託して早馬を走らせるのが常であった。返事が遅いようだったら再度手紙を送り直す必要があるかもしれない。
「手紙を受け取って直ぐに返事を書いてくれたなら、そろそろ届く頃だと思いますが……」
「まだ数日は待つ、か……」
「先生……ハイマン女史なら魔獣を召喚して、郵便船に頼らず文を寄越す可能性もあります」
「魔獣? そんな物もいるのか」
「ええ、ハイマン女史は
「単純計算で君の2.5倍か」
「単純計算なら、ですね。幾つもの次元にパスを繋ぐのは、言うほど簡単な事ではありません」
そう言うクリムの声には得意げな響きがあった。身内を誇るときに、つい出してしまう類のソレだ。
「クリムはハイマン女史を尊敬してるんだな」
「召喚術士としては尊敬しています。ですが、人としてはどうしようもない方です。自分勝手で、自由で、男癖が悪くて、大酒飲みで、おまけに露出癖まであるんですよ! いったい今自分が幾つだと思っているのかしら」
「誰が露出狂の変態ですって?」
「先生が、よ! 一緒に歩いてて本当に恥ずかしいんだから!」
「この格好は騎士王のお気に入りだから、仕方ないの。私だって恥ずかしいのよ?」
「嘘! 絶対楽しんで――先生!?」
椅子が派手な音を立てて倒れる。思わず立ち上がったクリムが驚愕の視線で見つめるのはリイトの背後。
視線をたどるように振り向いたその先に居たのは、褐色肌の美女であった。
ミネルヴァ・ハイマン、その人である。
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