0-2 「汚い薔薇にも刺はあるのですよ」

 大変な顰蹙と怨嗟の瞳を背に受けながら、恵流は菖蒲に引きずられるようにしてその場を後にする。

 菖蒲に目的地は無かったが、今はとにかく退散するのが先決だった。


「これからが良いところだったのに」


「いつものことだけど、のえるはやり過ぎだ」


 名残惜しそうにしながらも、素直に菖蒲に引っ張られている辺り、多少の自覚はあるのか。


「事の発端を知らなかったら、俺は協力なんてしなかったぞ」


 仮に友人のよしみで協力したとしても、もっと早く恵流による死刑を止めていただろう。


「もし俺が共闘を断ってたら、どうするつもりだったんだ」


「菖蒲はバカだなぁ。共闘を断らないと踏んだから、心置きなく煽れたんだよ」


「もう、絶対手伝わないからなっ!」


 言い合いをしながら校舎に入る。金属を打ち合わせたような音が二人の耳朶を打った。ここ、昇降口付近でもVR戦が行われているらしい。

 放課後の源王ゲンオウ学園では耳慣れたBGMに、人目を避けたい菖蒲は眉根を寄せる。

 どこに身を隠すか立ち止まって悩んでいると、菖蒲のなすがままになっていた恵流のブレザーの袖が不意に引かれる。


「あ、あのっ、先輩」


 恵流は誰かが近づいて来ていることを気付いていて無視していたので不意ではなかったが、菖蒲は少し驚いた。


「なに?」


 恵流の気だるげな瞳が女生徒を捉える。ピンクだった。まず視界を奪ったのは、それはもうショッキングな程に、ピンクな髪だった。

 学園指定のベージュのブレザーと黄色のラインが入った臙脂のプリーツスカートは、フリルがふんだんにあしらわれて正装感が何処かに旅立たれている。

 幾ら、学園長からして自由なリベラルな校風で、ある程度の改造が暗黙の了解で見過ごされているとは言え限度がある。


 恵流は自覚してないが、一度は目にしているにも関わらず衝撃だった。

 それと、スカートの長さがきわどい。丈を短くしたいお年頃なのだろうが、ひざ上なんてレベルではない。


 恵流は直感する。あざといタイプの子だ、と。


 この少女は先程の騒動を遠巻きに見ていたギャラリーの一人ではあるが、この少女にはそこで大半が抱いた筈の恵流への悪意が全く見られない。

 それどころか、爛々と輝く瞳には親愛の情すら感じられる。上手に加工された下心が。


「陽は、宮園 ミヤゾノ ヨウって言います。先程は助けてくれて、ありがとうございましたなのです!」


 急に頭を下げられて、恵流は頭上にハテナを浮かべる。菖蒲は彼女の顔を見た時に察していたのでそこまで驚かなかった。


「気にしないでくれ。の…―こほん。恵流は君の為と言うより、自分の嗜虐心を満たす為に引っ掻き回しただけだから」


「いえいえ、ご謙遜を。先輩達が割り込んでくれなかったら、陽の残りの学園生活が悲惨になっていたかも知れませんです!」


「あーっ、あの子か」


 二人の会話に、恵流はようやく彼女のお礼の意図を察する。


「うんうん、菖蒲の言う通り、僕は後輩ちゃんをダシに使っただけだから、お礼なら僕が言いたいくらい?」


 菖蒲が恵流の暴走に助力をした理由はこの少女にあった。


「やややっ、そんな! 陽の方が全身全霊で感謝なのですよ。陽はコミュニティ未所属なので、色んな方から勧誘を頂くのですが、今日の人はちょっと強引で、断るなら解ってるんだろうなぁーって勢いだったのです」


「そういうのが嫌なら、さっさと適当な所に籍を置いちゃったらいいのに」


 人差し指の先を唇に当てて、陽は可愛らしく小首を傾げる。


「とは仰いますけど、先輩方もコミュニティに所属してませんよね?」


「僕は誘われた事が無いからねぇ」


 恵流の呟きに、菖蒲は「それはそうだろ」と呆れる。


「進んでのえるを仲間に引き入れる物好きが居るわけがない」


「あのさ、菖蒲。僕だって傷つく事はあるんだよ」


 そう宣う恵流だが、その表情は無気力のままで、まるで気にした様子はない。

 平野恵流は最弱の潜在色シンボルカラーを持つ者としての認知の他に、畏敬の念を込められて『最低=ゲス』とも呼ばれている。

 蔑称ではない。畏敬だ。貫き通された悪癖は、やがて崇高な物に昇華されるものだ――と、恵流は勝手に思っている。

 だから、先程苦汁を舐めた一年生でも無ければ、幾ら学内序列最下位と言えど、私怨で彼に戦いを挑む等という愚は犯さない。

 同時に、最低限の知恵を持ちあわせている者なら、必要に迫られない限り関わりを避けようとする。

 恵流を仲間にしようだなんて以ての外。というのが、この学園における恵流の扱い。

 その点、鶴来菖蒲は違う。恵流の悪行に付き合ってるという点でも十分に違うが――。


「それに引き換え、菖蒲は何処からも引っ張りだこだよね」


 数少ないAランクエフェクトの解放者で、更に学内序列が一桁台で無所属ともなれば、引く手は数多だ。

 それに、男としては身長が平均よりも少し劣っているが、性別問わずに人の目を惹き付ける端麗な容姿は補って余りあるほど。

 規模や方針に問わずピンからキリまで、菖蒲には一度ならず何度も声を掛けているが、菖蒲はその全てを丁重に断っていた。


「のえるがその話題を俺に振るのか」


 菖蒲がスッと瞳を細めて軽く睨むと、恵流は「ごめんごめん」と平謝りする。


「俺は自分に合ったコミュニティが見つからないってだけで、別に深い理由は無いんだ。のえるに振り回されること以外は特に不自由もしてないしな」


「でしたら先輩方にも陽の気持ちがご理解頂けると思うのですよ」


 この学園におけるコミュニティとは、認識としては一般的な部活動と似ている。

 それぞれに異なる決まり事があり、活動もある。その情熱に差異はあれど、この学園でそれなりの暮らしをするにはコミュニティに所属する事がほぼ必須となっていた。


「陽は群れるのが苦手なのです。どうでもいい他人の顔色を伺うのは面倒臭いですし、なんなら陽の顔色を伺って欲しいくらいですし、上納とかで桜貨が減るのなんて言語道断なのですよー!」


 菖蒲は思った。この陽という後輩は、不届きな友人と似た匂いがする、と。その友人である恵流は感心していた。


「その精神は素晴らしいと思うけど、これまで隔週のアレはどうやって乗り切ってきたの?」


「ふふふ、気になりますかぁ? せん、ぱい?」


 スカートの裾を僅かにたくし上げてシナを作る陽。元々短いスカートでそんな真似をすれば、しなやかな脚線美を描く太ももの根本まで露わになりそうだ。

 男なら本能を擽られずには居られない光景を目の当たりにした二人は、食い入るように見つめる事はしなかった。


「ああ。そうやって乗り切ってきたワケね」


 陽の大胆っぷりに顔を真っ赤にしている菖蒲の横で、恵流は陽の手法を淡々と理解する。


「ど、どういうことだ?」


「有り体に言えば、こうやって男を誘惑して利用していたんだろうね。多分、さっきの騒動の火種も其処にあるんだと思うよ」


 何の躊躇もなく自分から視線を外した恵流の態度に、陽は頬を膨らませた。


「ぶーっ。少しも反応してくれないなんて、先輩はイケズなのですよー!」


 恵流の推測はこうだ。

 陽は自らの武器を正確に把握しており、それを最大限に活かした。

 くりくりとした瞳が印象的な幼い面差しに歳相応以上の色気を漂わせる小悪魔スタイルで、まだ大人になりきれていない青少年の純心――というか邪心というか――を鷲掴みにする。

 後はもう彼らは陽の言いなりだ。目の前に人参を垂らされた馬のように、その餌にありつくことは叶わないと気付いて正気に戻るまで、さながら騎士の気分で陽に尽くす。


「宮園さんは食えない人だね」


「はいっ。自慢じゃないですけど、陽はまだ食べられた経験が無いのですよー」


 そうしてバカな男たちを弄び続けた果てに、本人の言う通り執着されてしまったり、逆恨みだったり、あるいは男の独占欲か何かであっさり追い詰められてしまったのだろう。

 太陽みたいな笑顔できわどい冗談を飛ばす陽に、菖蒲は苦笑を零すしかない。

 恵流が偶然その現場に出くわさなかったら、確かに陽本人が言っていたように大変な目に遭っていたかも知れない。


 たまたま通りかかった恵流が首を突っ込み。

 主犯格の一年生男子が恵流をあげつらい、すかさず恵流が挑発すると彼等は簡単に乗って来て。

 負けた方が土下座して謝罪するという約束を取り付け。

 恵流が二人が気に食わない等の理由をでっちあげてタッグでのVR戦を提案、承諾を得てから菖蒲を呼び出し。

 そして成敗するまでの一連のやり取りが、彼等の意識を陽から逸らした。これが、陽が束の間の平穏を得るに至った今回の顛末だ。


「それで、菖蒲はどうしたい?」


「どうしたいって、いきなり何の話をしてるんだ?」


 水を向けられた菖蒲は、恵流の質問の内容が解らない。


「この食えない子なんだけど」


「宮園さんが?」


「今度は僕達に取り入ろうとしてるから、悩殺されたフリをしてみるか、突っぱねるかどっちにするかって話」


 その説明を受けて最初は首を捻る菖蒲だったが、すぐに陽の目論見を悟った。

 現在は月曜日の放課後で、恵流の言う『隔週のアレ』は二日前の土曜日に済んだばかりだ。

 だからこそ、陽は興奮冷めやらぬ者共の餌食となりかけていたのだろう。


「彼等はもう使えない。彼女は週末までに他に寄生先を見繕う必要があるのか……」


 別に純粋に感謝を求めていたのではないが、受けた恩への礼がついでとは、厚かましい事この上ないと菖蒲は思う。


「えへへ、先輩方にはバレバレみたいなので白状しますけど、陽の狙いはまさにその通りなのです!」


「開き直ったね」


 色落としが効かないと見れば、あっさりとその武器を捨てる。素晴らしい判断だった。この二人には、それが効く余地がない。


「ま、まぁ、変に誤魔化されるよりは好感が持てるだろ」


 それも計算に入ってるんだろうなぁと恵流は思いながら、桃髪の少女を値踏みするような瞳で注視する。


「ふふん」


 恵流のその明け透けな視線に対して陽は臆するどころか、図太くポーズ等を作ったりしてみせた。

 人好きのする笑顔と壁を感じさせない振る舞い。人に取り入るのに長けた少女。悪くないと恵流は思う。


「宮園さん」


「陽と呼び捨てにして頂いて結構なのですよー」


 恵流は「それじゃ遠慮無く」と継いで、問いかける。


「陽の解放済みのエフェクトを教えてくれる?」


 影響/効果エフェクトとは、この学園に通う生徒一人一人が持ち、世界で唯一この学園でだけ行使できる現実を塗り替える力だ。

 入学後のレクリエーションで選定された潜在色シンボルカラーによって内包する力が決まり、その効果は千差万別。

 初期の段階では、それぞれの色に沿った影響力の低いエフェクトのみの状態だが、使用を重ねる等の条件を満たす事で、より強力なエフェクトが解放される仕組みになっている。

 条件は人によって異なり、達成難度も数もバラバラ。マスクデータ(非公開項目)である事から、三年生になっても一段回目の解放に至らない例もあった。


「お安いご用ですっ!」


 エフェクトを知られるのは弱点を曝すという意味でもあるが、陽は迷わずに了承した。

 そもそも、調べようと思えば簡単に調べられる。学内序列を司る新聞部が把握している範囲であれば。


「陽の潜在色は【#FF1493:深桃色】で、性質は【深愛ディープピンク】って言います」


 陽がブレザーの左の袖を捲ると、日に焼けていない白い腕と深桃色の珠をあしらった銀のバングルが露わになった。

 珠玉の色や細部こそ異なるが、恵流や菖蒲も勿論、源王学園に在籍する生徒の全員が似たようなバングルを身につけている。

 この腕輪は学園の敷地内に完備されているMRの機能を利用する為に欠かせない認証装置――生徒手帳であり、携帯端末であり、財布だ。

 AR(Augmented Reality=拡張現実)を学園の至る所に配置されている最新鋭の精密機器から網膜走査やマイクロ波の照射で適切に知覚させる際に、位置情報等の送信をするビーコンの役割も果たす。

 先程から何処からともなく恵流達の耳にVR(Virtual Reality=仮想現実)戦の喧騒が届いているのは、腕輪が正常に機能しているからだった。

 話題に上っている影響/効果エフェクトの使用も腕輪なくしては叶わない。


 エフェクト。


 この学園に通う者が、この学園だけで振るう事が許された非日常。

 腕輪に記録されている潜在色に秘められた情報を読み込み[Read]、実行[Run]し、空間に上書き[Overlay]して、現実に非現実を複合する力。

 CからAまでの強度、その三種類の可能性を誰もが秘めている。


「Cランクは黄色い声援ピンクエール。陽が指定した男性のステータスを一時的に軒並み上昇させる能力なのです」


「黄色い声援なのにピンクなんだね」


「そこは、あれです。そういうものだと思って頂けますと! ふふん、それだけではないのです。実はこう見えて、陽はBランクまで使えるのですよー」


 えっへんと胸を張る陽。入学から半年でBランクまで解放させられる者は少数派だ。

 Aランク解放者ともなると、一年生では一人しか確認されていない。


「おぉ、僕よりも一歩先を進んでる。陽はただ寄生してきただけじゃなかったんだ」


 最弱とされる要因の一つ。恵流は入学から一年半も経っているにも関わらず、Cランク止まりだった。これもこれで希少な例と言える。


「えへへ、黄色い声援ピンクエールをたくさん使ってたらいつのまにかーって感じでしたけど……Bランクの桃色時空ディメンションピンクは、陽が指定した男性の攻撃力を一時的に激減させる能力なのです」


「のえると一緒で両方が能力支援系か。VR上でしか効果が無いのは、ちょっと残念だな」


 菖蒲は上手く隠したつもりだろうが、恵流は菖蒲の動揺を見抜いていた。

 食い気味だったし、現実ココでは無意味だと釘まで刺している。事情を知る恵流は笑いを堪えるのに必死だった。


「でも、決して弱くは無いと自負してるのですよー。それに、先輩方とは相性が良いと思うのですが、いかがでしょう?」


 陽のエフェクトは対象が男性であれば有効なので、少なくともこの学園の半数には通じる。持て余す事はないだろう。

 陽の人間性を考慮すると信用に問題はあるが、恵流は寄生される側にもメリットがある事さえ解れば、断る理由が無かった。


「菖蒲は、今週末もこれまで通りに僕と組む方向で話を進めても良い?」


 鶴来菖蒲が同道しないなら話は変わってくる。それは恵流もそうだし、強かな心臓を持つ一年生の少女にしても同じだ。

 自身が抱える爆弾を思えば現状維持が安定なのに、菖蒲には突っ撥ねる正当な理由が見つからない。

 信用を問題にするなら、ゲスの方を真っ先に斬るべきなので。


「のえるが俺の愛想を尽かすような事件を起こさなければな」


 言外に脅しというよりも懇願を同封しながら憮然と言い放つ菖蒲に、恵流は誠意に欠けた声音で「善処する」と返して陽に向き直った。


「それじゃあ、今週末の『行事』は一緒に遊んでみる? 報酬は三人で均等に山分け。僕の指示をなるべく守ること。この二つの条件が飲めるなら、だけど」


「およ? 均等で良いのです? やや……陽に都合が良すぎて、ちょっぴり気味が悪いのですよ!」


 例えば、コミュニティでチームを組んでいた場合は、加入してからの日が浅かったり、貢献度が低ければ報酬の取り分も少なくなる。

 好条件だった。それも過剰なまでの。それが『ゲス』と言う悪名高い呼び名で知られている恵流からの提示であれば、警戒しない方が可笑しい。


「陽にもちゃんと働いてもらう予定だし、普通だと思うけど」


「なるべくって言葉も変なのですよー!」


「そっちの方が聞こえが良いかなーと。頭ごなしに『絶対に従えよ? 何があっても従えよ? いいな?』なんてしつこく言っても、聞かない時は聞かないでしょ」


 ともすれば、某お笑いトリオの十八番のフリに聞こえてしまうかも知れない。

 寝返る方も悪いが、そもそも背きたくなるような状況だったり心境にさせてしまうリーダーの方がもっと問題だと言うのが恵流の持論。


「そんな風に言い含められたら、僕だったらここぞの場面で裏切るね」


「それは、胸を張って言う事じゃないからな」


 冗談などではなく、そのシチュエーションになったら恵流は本当に仲間に牙を剥くだろう。と、恵流の生態について、この学園で一二を争うくらいに精通している菖蒲には確信があった。


「ううううう。陽が疑われるなら解りますけど、いつのまにか陽の方が疑心暗鬼になってますよー……」


「時間が欲しいなら木曜日までに返事をくれれば良いよ」


 金曜日の朝のホームルームが受付の期限になっている。しばらく唸り続けた陽だったが、結論は出せず、その申し出に甘える形となった。

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