第6話
市街地に降り注ぐ豪雨。視界を塞がれながらミリアは街路を駆ける。
ミリアは必死に逃げていた。機関と機関を疑う心から。
ミリアは全身をずぶ濡れにながら、鬼気迫る形相で進み続ける。幸い、彼女のその様子を咎めるものはいない。この雨で、住民達は隠れるように室内に閉じこもっている。
ミリアは雨に足を取られながらも、雨の存在に感謝する。涙を隠してくれるこの雨を。
彼女は号泣していた。信じていた物に裏切られた事。それが悲しいのではない。目の前で優しい老人の死を目の当たりにしたことが、何より苦しかった。
彼女は自分の涙でやっと気づいた。悪人であるあの老人を自分が好いていた事に。彼は死ぬほどの人間だったとは到底思えなかった。
時折後ろを振り向きながら、魔導人形がついてきているか確認する。空中を浮遊するそれは、全く音をたてない。ましてこの雨で、小さな魔力の振動すら聞こえない。置いてきたのかもしれないと不安になる。
今の彼女の目的はファウンドをどこか安全な場所に連れていくこと。怪我人を雨にさらし続ける訳にはいかない。そう自分に言い聞かせる。
彼女は目的があることが唯一の救いだと感じていた。今はそのことだけを考えていればいいと、思えるからだ。
工房から逃げ出して数分。彼女は陸橋を見つけた。あの下なら、ひとまず休めるかもしれない。
彼女は滑るように陸橋の下に隠れる。追っ手がいるかは分からない。だが、注意することに越したことはない。
ミリアは滴る水滴を振るい、ファウンドの様子を伺う。彼は依然、意識を回復させる様子はない。彼はこのまま死んでしまうのだろうか。
だが、ミリアはふと、何故自分は律儀にこの男を連れて逃げているのか、疑問に思った。ここに置いていけばいい。彼を助ける義理などない。
しかし、そう考えた瞬間、ある事実を思い出す。ファウンドはミリアを機関から助けた。
ミリアの頬を雨に混じった涙が伝う。ここでもし彼を置いていけば、自分はそれこそクズではないのか。バグラムの言っていることが事実なら、彼は自分を救ってくれた人だ。例え悪人だろうと、自分を助けてくれたなら、彼のためにできることを精一杯するべきではないか。
ミリアは拳を強く握り、気持ちを切り替える。とにかく今、できることを考えよう。
ミリアは懐から通信用の魔導具を取り出す。バグラムは、ミリアの持っていた魔導具を壊していなかった。ミリアの魔導具は全て彼女の手に戻っていた。
ミリアは一瞬思案してから、魔導具に魔力を注いだ。すると、向こうから懐かしい声が聞こえてきた。
『ミリアか!』
恐れと不安が混じった声。父らしくないと思いながらも、久しぶりに聞いた肉親の声にミリアは泣け叫びたくなる。
『パ……』
その瞬間、まぶしい光がミリアの頬を掠めた。
ミリアは訳が分からなくなる。何が起こったのか。自分の持つ通信用魔導具はいつの間にか、見事に砕け散っている。目の前の街路には焼け焦げた後が遠く先まで続いている。
後ろを振り返れば小さな穴が穿たれていた。ミリアは戦慄する。もし、数十センチでもずれていたら自分の頭部は今頃、この魔導具のように砕けていただろう。
ミリアはそこで初めて自覚した。どこか、自分は蚊帳の外だと思っていた。機関が自分を殺そうとするなど、馬鹿げていると思っていた。
だが、そうでは無かった。確実に自分を殺そうとしている。何の躊躇いもなく。
ミリアの全身が震え出す。今まで一度たりとも味わったことのない殺意の視線。彼女はそれに晒され恐怖で頭が真っ白になった。
ΨΨΨΨ
デミラは屋根の上に座り、長細い魔導具を構え、魔眼越しに標的を観察する。
「やっこさん、恐怖で足が竦んじまってるよ」
デミラは虫でも観察するような感情の無さで、ミリアを見つめる。
「ガランやフロイラだったら、助かったかもな。奴らは快楽ほしさに闘ってるからなぁ。見過ごすこともあるだろう。しかし相手が悪かったな、嬢ちゃん。俺は仕事人なんだ。手は抜かない主義でね」
そして、しっかりとミリアに魔導具の切っ先を向けると、魔力を注いだ。
時間差はまるでなく、死の光りは即座に魔導具から放たれる。今度は寸分の狂いもなく、ミリアの元へ光線は向かっていく。
しかし、その光は彼女に当たらずに弾かれる。
魔導人形。バグラムの作ったそれが、照射線に割り込み、周囲に展開する魔法の障壁でデミラの攻撃を弾いた。逸れた光線は、彼女の髪を数本焼いただけだ。
ミリアは目を剥き、今度はがむしゃらに走り始め、住居の陰へと消えていった。
デミラは目を細める。
「忌々しい。死んでも俺の邪魔をするかぁ。あのクソ親父よぉ」
デミラ帽子をかぶり直す。その場で立ち上がると、彼の両目が緑光で輝きだす。
「ふふん。そっちに行ったかぁ。その選択は賢いとは思えねぇなぁ」
デミラはミリアの動きが見えるかのように、遠方に視線を向けた。そして事実、彼は詳細に見えていた。ミリアとファウンドの動きを。
彼は一度定めた標的を、絶対に見失わない。その理由は彼の所持するアニムにあった。
彼のアニム――怪剣イーターの魔法は『絶対魔力探知』。周囲一キロに及ぶ生物の魔力を詳細に把握できる。
だから、デミラはミリアの魔力も、ファウンドの魔力も完璧に捉えていた。彼がアニムを使える限り、彼らを見失うことはありえないだろう。
デミラは広角をつり上げ、金色に輝く魔力を見つめる。
「嬢ちゃんにどんな守り神がついていようとなぁ。俺の手からは逃れられんよ。例え、この身体が壊れようと、必ずあんたらは始末する。金と俺の誇りにかけてなぁ」
そして、デミラは通信用の魔導具を取り出した。
「ああ、俺だぁ。打ち損じまったわ。そっち行くかもしれないわ。暗部のみなさん、そん時は頼むぜぇ」
そして下品な笑みを浮かべながら、彼は通信を切る。
「この雨の中。どのくらい保つかなぁ?」
デミラは視界を覆う雨の弾幕を浴びながら、瞬き一つせずに呟いた。
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