第9話

 魔導具が所狭しと釣り下がる作業場。振り子のように揺れる魔導具を見つめながら、ミリアはファウンドに言われたことを、頭の中で反芻はんすうしていた。

 勇者は正義ではない。機関が正義でもない。それは本当のことなのか。

 ミリアは自分の知りうる、勇者に関する逸話を思い出す。街に押し寄せる魔物を倒し、世界を滅ぼしかねない魔獣を退治した。そんな伝説の数々を、ミリアは鮮明に記憶していた。だがそれは全て、人づてや本で見聞きしたもので、自分自身の体験では無かった。

 そこでミリアは目をつぶり、自分が勇者に憧れた体験を思い出す。それは彼女の幼少期。初めての勇者との出会いだった。



 幼い頃、ミリアは誘拐された経験があった。ミリアが奴隷商に、奴隷への扱いがひどすぎると、文句を言った事が発端だった。

 彼らはミリアが貴族の令嬢だと知るやいなや、彼女を捕まえ娼館へと売ろうとした。

 ミリアにとって、人生初めての恐怖だった。安全な世界からは隔絶され、暗澹たる世界へと投じられたのだ。時折、意味もなく暴力をふるわれ、彼女は日に日に弱っていった。

 その時だ。彼が現れたのは。

 暗い地下室に差し込む、一陣の光り。二つの剣を持つ、少年が立っていた。自分より年上に見えるが同じ子供。にも関わらず、彼はミリアより遙かに毅然きぜんとしていた。彼のおかげで彼女は助かった。


「俺は勇者だ。勇者が人助けするのは、当たり前のことだろ?」


 勇者を名乗るその少年は、ミリアには眩しくてしかたなかった。彼の背に刻まれた十字の傷は、それからずっと重要な記憶として脳裏に刻みついた。

 その事件を機に、ミリアは勇者に憧れるようになった。



 記憶の海から浮かび上がり、現実に戻る。魔導具で溢れる室内。ハーブの香りが、未だに漂っている。

 ミリアは少しばかり、自信を取り戻していた。

 例えファウンドを襲ったのが勇者であれ、機関がそれを命令したとして、記憶の中にいる彼が勇者は正義だと証明してくれる。

 きっと、一部の勇者の暴走に違いない。機関が命令したというのも、何か命令に行き違いがあっただけだろう。ミリアはそう考えた。

 ミリアが気持ちを新たに目を開くと、バグラムが慌ただしく作業台の周りを行ったり来たりしていた。


「なに? どうしたの?」

「ファウンドを尾行させていた魔導人形から、緊急の報せが発せられてな」

「魔導……人形」

「自動で動く魔導具じゃよ」


 ミリアは聞いたことがあった。自動で魔物を倒す魔導具でできた兵士。別名、魔導人形。昔は熱心に研究されていたらしい。だが、魔導人形は動かすだけでも膨大な魔力を消費するため、効率の悪さから研究自体が頓挫したという話だ。


「それって、実現していたの?」

「世間では不可能だと嘲笑されとるな。だが、儂が個人的に開発し、実用段階にもってきたんじゃ」


 ミリアは眉をひそめる。この目の前にいる老人は、ただ者ではないのではないか。


「ただの魔導技師なんて嘘ね」


 忙しなく魔導具を運びながら、バグラムは答える。


「嘘じゃない。本当に、今はただの年老いた魔導具好きじゃ。昔、本当に昔じゃが。勇者機関で魔導人形の研究をしておった時期も、あったがの」


 ミリアは驚きで言葉がでない。バグラムも機関の一員だったという。そんな人間が何故、機関に弓を引くのか。


「あなたは……」


 そう口にした瞬間、勢いよくドアが開け放たれた。

 すぐさま、大きな物体が室内に入ってくる。流線型を帯び魔導石で出来た物体――魔導人形は、宙を漂ったまま作業台の上まで浮遊する。

 魔導人形の上部にはファウンドが乗せられていた。彼はまるで微動だにしていない。

 魔導人形が彼を作業台に降ろす。ファウンドの深く抉れた傷が露わになる。彼は至る所から出血し、全身血塗れだった。


「これはまずい!」


 バグラムが血相を変えて、大急ぎでファウンドに魔導装置を取り付けていく。

 ミリアは恐る恐る聞く。


「大丈夫なの?」

「分からん!」


 バグラムはぞんざいに告げると、焦ったように装置を起動していく。

 装置の効果で流血は止まる。魔導装置は肉体の回復と、魔力の供給を行っているようだ。だが、ファウンドが起きる様子はない。バグラムは険しい表情を浮かべる。


「これは……」


 バグラムは何かに気付くと、ファウンドの胸部に手を置いた。すると、魔剣が少しづつその輪郭を露わにしていく。そして、完全に体表から浮き上がり姿を見せた。


「ゾフィアの触腕が魔導石ごと破壊されとる。本来なら魔剣に触腕が絡みついているはずじゃ」

「絡みついてないと問題なの?」

「ゾフィアは触腕を破壊され、強烈に魔力を欲している。その影響でファウンドの魔核が深部まで浸食されとる。このままでは数時間と保たずにファウンドは死ぬ」


 ミリアはバグラムの言葉から、事態の緊急性を理解する。ファウンドの命が危機に瀕しているのだ。

 しかし、彼女はそれが因果応報ではないかと思った。彼は勇者を殺して回っている。自分が死ぬことくらい覚悟のうえだろう。 

 そうミリアが考えていると、バグラムが叫んだ。


「嬢ちゃん頼みがある!」 

「な、なに?」


 唐突に呼ばれ、ミリアは身構える。


「ゾフィアに、魔力を注いでくれるか?」

「なんでそんなこと……」

「ゾフィアに魔力を供給すれば、魔核の浸食を緩和できる。その間にゾフィアの触腕を再生させ魔剣と繋げばいい。時間はかかるがこれならファウンドを救うことができる」

「そんな事は聞いてないわ! 私はあなた達の味方じゃない! あなた達を助ける義理なんて、どこにもないわ!」

「じゃが、この男が死ぬのも、困るじゃろ? まだ聞きたいことが山ほどあるんじゃないか?」


 ミリアは歯噛みする。図星だった。何故、自分を連れてきたのか。何故、彼は勇者に襲われたのか。まだ、その疑問に対する答えを聞いてない。

 彼女はファウンドを見極めたかった。彼が正義なのか、それとも悪なのか。

 ファウンドの言葉が、ミリアを迷わせていた。目の前の男がもしも勇者だったのなら、ここで殺してはいけないかもしれない。そう思わずにはいられなかった。

 ミリアは渋々うなずく。


「いいわ。協力する。その代わり、条件がある」

「なんじゃ?」

「一つ目は、秘匿してる情報を全て教えること」

「それは儂が約束できることじゃない。儂も全てを聞いている訳じゃない」

「それでも、ファウンドから全てを話させて。何が何でも」

「……分かった。善処しよう」


 バグラムは瞳に焦りの色を浮かべている。ファウンドはそれだけ危険な状況なのだろう。ミリアはそれでも条件を突きつける。


「二つ目は私を解放すること」

「当然の主張じゃな」

「いいのね?」

「それは致し方ない。解放を約束しよう。ただ……」

「ただ?」

「いや、何でもない。気にせんでくれ」


 ミリアは老人を凝視する。何か隠しているのは明白だ。だが、自由になりさえすればこっちのもの。彼らの好きにはさせない。ファウンドは瀕死。この老人だけなら、取り押さえるのは容易だろう。

 ミリアは逃げることは考えていなかった。彼らを捕らえ独房にぶちこむこと。その方法を思案していた。ファウンドが虫の息で運ばれてきたのは、ミリアにとってチャンスかもしれない。彼を死なせたくないが、このまま彼に人殺しをさせるつもりも毛頭ない。


「私の魔導具も、もちろん返してもらうわよ?」

「分かった」

「じゃあ、紐をほどいて。これじゃあ何もできない」


 バグラムは右腕だけがかろうじて動かせる程度に紐を解く。


「これで十分じゃろ」

「まあ、いいわ」


 ミリアは簡素に答え、起きあがる。バグラムはミリアを見る。


「儂は魔導装置を使って魔導石を補いつつ、触腕を魔剣に繋ぐ。それまでゾフィアに魔力を供給し続けてくれ」

「分かったわ」


 バグラムは頷くと、魔剣をファウンドの肉体から剥がした。ミリアはファウンドの前に立つ。

 群青色と肌色の混ざった肉体。それらを縫合するように、紅い亀裂が刻まれている。それらの中心に突き出るゾフィアにミリアは手を置く。


「頼むぞ」


 ミリアはバグラムの声を背中で聞く。

 彼女はファウンドの顔を一瞥する。その顔は苦悶の表情を浮かべている。

 あなたを救えば、多くの人間を殺そうとするだろう。それは、なにが何でもくい止める。でも、なんだかあなたは、完全な悪には見えない。悪に見えるから殺すなんて、そんな安直な選択は避けたい。その真偽を確かめるまでは、死なれては困るのよ。

 そして、ミリアはファウンドに魔力を注いだ。

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