まつろわぬ民 (3)

「フナツと? どうやって――」


「あの石、フナツがもってた」


「あの石って、珊瑚の髪飾りのこと?」


 ツツは、こくりとうなずいた。


「セレンを助けてっていったら、その人が、セイレンがどうしたのってこたえて、セイレンじゃないよ、セレンだよっていったら、話をきいてくれた」


 ツツは生まれつき目が見えないが、目が見える代わりに不思議な能をもっているのだとか。そのことをセイレンに教えたのは、セレンだった。


『土蜘蛛は、半分くらいの人は目が見えないんだよ。でも、目が見えない代わりに守りの力が強いんだ。目が見えるおいらたちにはきこえない声をきいたり、口を使わずに話したりすることもあるし。だから、ツツたちに村を守ってもらうかわりに、目が見えるおいらたちはツツたちの道案内をしたりして助けるんだ』


 にこやかに笑いながら教えた少年の声を思い出すと、ツツへの敬意も湧いた。


 チトネの隣でちょこんと座るツツは、痩せ細っていて、ものを見ない目は頼りなさげに見えるけれど、ほかの人には真似できないことを軽々やってみせるのだから。


「ねえ、ツツ。フナツはどうだった? 声は元気そうだった?」


 フナツも生まれつき目が見えなかった。


 土雲の一族では、身体が弱い者は厄介者と扱われたので、罵られたり、苦労をしても見て見ぬふりをされたりと、災いの子のセイレンと似た扱いを受けていた。


 いまごろフナツはどうしているんだろう――。懐かしくなって尋ねると、ツツは小さくうなった。


「声は、わからない――声じゃないもので話したから。大地の神なんか嫌いだ、あいつなんか神じゃないっていったら、そうだねってかえってきて、それで消えた。でも、その人の気配なら覚えたから、僕、探せるよ。だから、一緒にいく」


「いいや、ツツ。おまえは置いていきたいんだ……」


「いきたい、いきたい。だって、そこにいったらセレンに会える気がするもの。近くに寄れる気がするもの」


 ツツは、もうその時の様子が見えているかのように、ふふっと唇の端をあげている。


 だから、セイレンは申し訳なくなった。幻に期待をさせる気がした。


「ごめん、そういう話があるだけで、まだいくと決まったわけじゃないんだ――ううん、いけるか」


 目の前にチトネとツツがいると思うと、はっと目が覚めた心地もする。


 フナツのことを雄日子に話した時、雄日子は自分もいこうかとか、百人の武人を連れていこうかといって、どうにかできることだから落ち込むなと、セイレンをなぐさめた。


 とはいえ、「考えてみるからすこし待っていなさい」といわれたのを最後に話の続きはしていないし、隣で藍十がぽかんとしているのをみると、知らないところで話が進んでいるわけでもなさそうだ。


 でも、その時の雄日子を思えば、セイレンが一人で山に戻ったり、チトネを連れていったりするくらいならすぐに許してくれそうだ。


「ありがとう、チトネ、ツツ。もう一度頼んでみるから」


「ぜひ頼むよ」


 チトネは力強くいって、ほっとしたふうに肩の力を抜いていく。


 それから顔を上げて、目の前に座るセイレンや藍十の姿に目を向けた。


「それにしても、大地の上にはいろんな人がいるのだな。身なりもばらばらで、変わった格好をしている人も多いし――。はじめに私たちを見つけた男も妙な格好をしていたなあ」


「あなたも十分奇妙な格好をしてるけどね。わたしもだけど」


 土雲の衣装は使われる染め具の色が多く、襟や袖の形も藍十たちが身にまとうものとはすこし違うので、その衣装を着て歩くだけで、セイレンは目立っていた。


 でも、チトネとツツが身にまとう土蜘蛛の衣装はさらに目立ちそうだ。


 服の形は土雲一族のものよりも簡素で、一枚の布を縫い合わせたものを帯で留めるだけ。衣の布も帯の布も、赤、白、黄、紫、黒……と、さまざまな色で染め分けられている。


 服だけでなく、顔にも色があった。チトネの頬には、衣装にあるのと似た色で彫られた刺青さしずみがあった。ツツにも、目尻に紫と黄色の小さな模様が彫られている。


 チトネは、自分とツツの身なりを見下ろして笑った。


「そういえばそうだった。しかし、はじめに会った男もなかなかだったぞ。黒い服を着ていた男で……」


「ああ、牙王だね。牙王は呪術師なんだよ」


「呪術師?」


「神様に祈りを捧げて、呪いをかけるんだよ。呪いってのはわたしもよくわからないけど――ううん、たぶんすごいと思うよ」


 山を下りたばかりの頃、セイレンは牙王から呪いをかけられた。


 雄日子を裏切ったら身体の半分が死ぬという邪術で、目も頭も鼻も、自分のものではなくなったようにおかしくなった。


 記憶が蘇ってぞくりとしていると、強い力で肩が掴まれる。見れば、チトネが身を乗り出して、セイレンの両肩を掴んでいた。


「さっきの男に会わせてくれ。呪いだと? そいつは神の殺し方を知らないか。私はあいつを殺したいんだ」


「えっ――あいつって……」


「あの男だ、セレンを殺した大地の――いや、あんなものが神なものか。神ならもっと奇妙な力を使ってセレンを殺せばよかったのに、絞め殺しただけだ――あんなものが神なものか。ただの人だ、魔物だ――!」


 チトネの剣幕におされて、息を飲んだ。


 チトネが考えていることもようやく読めた。


 ああ、そうか。だからあんなに土雲の里にいきたがったのか――。


 この男は、大地の神とかいう奴を殺しにいきたかったのだ。そいつは石媛の夫で、待っていれば土雲の里にも現れるかもしれないからだ。


「あなた、そんなことを考えていたの――。でもね、土雲の里にいったとしても長居はできないよ。あそこで〈箱〉をもった連中に囲まれたら、わたしだって逃げ切れないんだし――」


 返す言葉につまっていると、藍十もチトネを取り成すほうに回った。


「神を殺す方法ねえ――それはさすがに牙王も……というより、そんなものを知っている奴はなかなかいないと思うぞ? 神様ってのを殺したい奴もそういないと思うし」


 藍十はもっともなことをいったので、セイレンは「たしかに――」とうなずいたが、チトネは折れなかった。


「しかし、あいつはセレンを絞め殺したんだ。あいつは地鳴りとともに現れたり、黒い煙から人の姿になったりはできるが、それ以外になにができるんだか――。なにもできないくせに威張り散らしているだけじゃないのか? 私はそれをたしかめたいんだ。あいつが本当はなにもできなくて、人と同じ殺し方しかできないなら、人のように殺せるのではないかと――」


「殺したとか、殺し方とか、怖い言葉ばかりいわないでよ。ツツが……」


 チトネが怒りにまかせた文句をいうたびに、隣に座るツツの手がとまって粥椀を手にしたまま肩を狭めていくので、セイレンは咎めることにする。


 でも、チトネにうなずきたくなる記憶もあった。


「そういえば、前にわたしも、その神って奴に殺されかけたんだ。『息がつまって死ね』とか『臓腑を腐らせて風に散れ』とか『永久とわにさすらうがいい』とか、やたら脅されたけど、結局なにも起きなくてね、拍子抜けだったよ」


「その話をもっときかせてくれ。そうだろう、やっぱりそうなんだ……! 次に見つけたら私はこの小刀で……」


 チトネの興奮は冷めることなく、声も身ぶりも大きくなる。小刀を探そうとしたのか、腰のあたりにさっと手を伸ばしたが、その手は空振りをして、ひたり、ぴたりと自分の腰をさわって、そのあたりを覗き込んだ。


「あれ? ない……どこへいった。しまった……あそこだ。塀のなかを覗こうとして木を削った時に――」


「塀のなかを覗こうとして木を削っただぁ?」


 藍十が眉をひそめて文句をいう。


「おまえ……宮の塀を削ったのかよ。穴を空けたのかよ」


 セイレンは笑って、立ち上がった。


「どうしようもないね。なら、わたしが小刀を探してきてあげるよ。さっきの話の続きはその後にしよう。あなたはすこし落ち着いたほうがいいし、ツツにもちゃんと食べてほしいし。雄日子のところにもそろそろ戻らなくちゃいけないしね」






 もともとの役目を二人で放り出していたことを思い出すと、藍十は先に雄日子のもとへ戻っていった。


「おまえも早く戻れよ」


 去り間際にそういわれたが、そのとおりだった。


「ああ。チトネに小刀を渡したらすぐにいくよ」


 急ぎ足で大津の宮を出て、宮を囲む木の塀の外側に向かった。


 二人と出会った場所は覚えていたが、牙王と斯馬がチトネとツツを見つけたという場所は自分の目でみたわけではないので、探しながらになる。


 きいた話を頼りに、森のなかを歩いた。


(壁に穴をあけたっていってたから、壁沿いだよね。壁に沿っていこうか。新しい傷があるだろうし)


 周りの景色を注意深くたしかめながらしばらく歩いているうちに、びくりと頬が揺れて、瞳が後ろを気にしはじめた。


 なにか匂う。


 そう思ったのと同時に、じっと自分の背中を追う視線にも気づいた。


(誰か、後ろにいる?)


 その時、風はうしろから吹いていた。風には覚えのある匂いが乗っていたが、それは前にセイレンのもとを訪れたハルフとカワセリにあったのと同じものだ。


(また来たのか? 後ろにいるってことは、話をしにきたってわけじゃないのかも――)


 匂いは、背後にいた。


 ここが狩り場だとしたら、狙った獲物を、思いどおりに狩るために追い詰める時の位置だ。


 足を止めないように気をつけながら、セイレンの瞳は木の塀を気にした。


 宮を囲む塀は、その内側が雄日子の持ち物だと周りに知らしめるものであり、敵の襲撃を阻む守りの道具でもある。人がすんなり入れないように、塀の高さは男の背よりも高めにつくられていた。


 思い切り跳びあがって塀を越えて、宮のなかに入ってしまえばこっちのものだ。


 ひとまずは逃げられるし、塀の上に立てば、周りの様子がよく見える。自分をつけ狙う奴の姿や位置を探ることができるし、返り討ちにするとしても高い場所からのほうが有利だ。狙いやすくなるし、狙われても当たりにくくなる。


(まだいる――)


 後方から吹きそよぐ風に匂いを探った。


 懐かしい香りはまだかすかに漂っていて、はじめに気づいた時より濃くなっている気もする。


(気のせい? 違う――近づいてきてる)


 うしろから自分を狙う奴との間合いは、しだいに狭まっていた。


 逃げるなら、逃げると決めた一瞬が勝負だ。


 準備ができたら塀のきわで飛びあがって、まずは高い場所に逃げる。そこから、こっちも狙い返す。よし――。


 これからやるべきことを算して、息を吸った。

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