第108話「炎上」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、燃え上がりやすい性格の者たちが集まっている。そして日々、様々な出来事に反応して、青春の血潮をたぎらせている。

 かくいう僕も、そういった熱い魂を持つ人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、熱量の多すぎる面々の文芸部にも、冷静沈着な人が一人だけいます。島本和彦だらけの中学校に紛れ込んだ、おとなしい女子中学生。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。先輩の甘い香りが、僕の鼻をくすぐる。僕は、自分の鼻の下が伸びないように気を付けながら、先輩の目を見つめる。ああ、先輩は可愛らしい。その愛らしい姿を眺めながら、僕は先輩に声を返す。


「どうしたのですか、先輩。ネットで、使い方が分からない言葉を見かけたのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。富士鷹ジュビロのように、風呂敷を広げるのが得意です」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、欲望のおもむくままに大量に書くためだ。先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。そこで、初めて見る文字表現の世界に衝撃を受けた。そのせいでネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「炎上って何?」


 楓先輩は、僕に尋ねたあと言葉を添える。


「もちろん、可燃物が燃え上がるという意味は知っているわよ。でも、ネットでは違う意味で使われているみたいだったから」


 なるほど。確かに、一般的な炎上と、ネット上で使われる炎上は、少々意味が違う。ネットの炎上は、ブログなどに批判的なコメントが殺到したり、ツイッターなどのソーシャルメディアで大量の罵倒のメッセージが流れたり、ネット掲示板で非難の意見が大量に投下される状態だ。

 ネットに慣れていない人にとっては、何が起きているのか分からないだろう。そもそも、発生すら認識できない可能性もある。ネットの炎上は、ある程度ネットに慣れた人でなければ、存在自体に気付かないものなのかもしれない。


「そうですね、ネットで使われる炎上とは……」


 僕がそこまで台詞を告げた時、僕の正面、部室の入り口辺りから、声が聞こえてきた。


「先週末、ユウスケは炎上していた」


 ほえっ? 僕は、声のした方に顔を向ける。そこには、同学年で幼馴染みの、保科睦月がいた。

 睦月は、子供の頃から、野山で一緒に遊んだ友人だ。しかし、中学生になった頃を境に、僕との会話がほとんどなくなってしまった。その代わりに、部室で競泳水着やスクール水着姿で過ごし始めたのだ。睦月は、僕の真正面の席に座って、じっと僕を見ている。僕は、どうすればよいのか分からず、途方にくれている。まあ、水着姿の美少女を毎日拝めるのは、素直に嬉しいんだけどね。

 その睦月が、僕に視線を向けたあと、楓先輩の顔を見た。


「ユウスケは、炎上で泣きそうな顔をしていた」


 むむむ。そうだったかな? 僕は、断片化された自身の記憶を探る。睦月が、僕の許まで歩いてきて、左隣に座った。そして、僕の手に自身の手を重ねて、顔を覗き込んできた。


「先週末のあの出来事。もう忘れてしまったの?」

「……あっ!……」


 僕は思い出す。忘れたと言うよりは、自身で忘却していた出来事だ。僕は睦月に手を握られながら、先週末に記憶をさかのぼらせる。


 先週末、僕は自分の部屋で、ブログの更新をしていた。僕はネット上に複数の人格を持っている。それらは、それぞれ別のハンドルネームになっている。その日、メンテナンスしていたのは、火野燃児という、少年マンガの主人公のような名前で運営しているブログだった。

 火野燃児は、ヒノネンジと読む。僕はその人格で、マンガ評論ブログとツイッターをやっていた。そのブログの文章を書き終えたあと、大きく息を吐き、伸びをした。


「やっと終わった~。あとは、ツイッターで更新情報をつぶやくだけだ~」

「終わったの?」


 顔を向けると、いつものように遊びにきて、マンガを読んでいる睦月がいた。今日の姿はスクール水着である。睦月がなぜ、僕の部屋でそういった格好をしているのか、謎で仕方がない。それに、僕の家族が何も言わないのも不思議だ。僕の母親は、睦月と普通に接している。

 僕の常識がおかしいのだろうか? 世の女子中学生は、幼馴染みの男の子のところに遊びに行くと、水着に着替えるのだろうか? 僕は世間知らずなので、その真偽を知らない。少なくとも、何かが間違っているような気だけは、しているのである。


 ともかく、僕は睦月に顔を向けたのだ。そして、目の前の幼馴染みに、笑顔で声を返した。


「あと、もう少しかな。まあ、ツイッターでつぶやいても、読みに来てくれる人は一桁しかいなんだけどね。それでも、つぶやかないよりはましかな、という感じだね」


 睦月はマンガを持ったまま、僕の隣に移動した。僕と睦月は、二人で並んでパソコンの前に座る。


「ねえ、ユウスケ。普通の人のツイッターは、更新報告だけでなく、日常のこともつぶやくよね」

「うん、そうだね。世の多くの人々は、自分のリアルの充実ぶりを、つぶやいたりするからね。

 まあ、ツイッターの場合は、リアルよりも、二次元とか電脳とか、そっち方面に充実した人が多い気がするね。きちんとしたリア充は、フェイスブックの方に多いだろうしね。あちらは元々の目的が、女の子とデートするためのものだったから」


 僕は、ツイッターとフェイスブックの比較を延々と睦月に話す。その説明が終わったあと、睦月は口を開いた。


「ユウスケも、ツイッターに、日常のことをつぶやいた方がいいんじゃないの? 画面がそっけないし」


 睦月に言われて、僕は自分のツイッターに目を移した。よくよく見ると、更新報告しかない。これでは、一桁しか人が来ないのも当然だ。睦月の提案はもっともだ。僕は、少し日常の情報を織り交ぜようと思い、文章を書いて投稿した。


 ――幼馴染みの女の子が、遊びに来ている。なう。


 それから一時間ほど、僕は睦月とネトゲをして遊んだ。そして、ブログに誰かアクセスしてきたかなと思い、アクセス解析サイトを開いた。


「ふわっ!!!」


 僕は思わず声を上げる。たった一時間ほどで、アクセス数が十万ほど増えている。どういうことですか? 僕は自分のブログを開いて、最新ページを確認する。

 スクロールバーが予期せぬことになっていた。ページが長い? いやコメントが大量に書き込まれているのだ。僕は慌ててページをスクロールして、コメント欄を確かめる。その文章の先頭に、謎のメッセージがあった。


 ――われわれは、聖☆幼馴染み同盟。この地に憎むべきリア充を発見した。天誅を下す。


 ……何だ? 頭の悪そうな人が、湧いてきているぞ。

 その投稿を切っ掛けに、無数の人が、僕を非難する書き込みをしていた。どうやら僕が幼馴染みの女の子と、いちゃついていると思ったようだ。その数、三百六十。十秒に一回、誰かが発言している計算だ。そのメッセージは途中から、よく分からない罵倒や、単なる便乗の誹謗中傷になっていた。


 なぜ、こんなことになったのか? そうか、ツイッターの書き込みだ! それを見て、誰かが僕に反感を持ったのだ。僕は慌ててツイッターのページを開く。一時間前の発言が、リツイートされて拡散されていた。その数は、一万を超えている。その返信の一部に、やはり聖☆幼馴染み同盟という名前が見て取れた。


 この名前をハンドルネームに含む人たちが、僕に攻撃を加えているのだ。いったい何者だ? 僕は検索エンジンを使い、敵の本拠地を探す。彼らのアジトを発見した。聖☆幼馴染み同盟のウェブサイトだ。


「何々……」


 どういった人たちがメンバーなのか確認する。


 ――聖☆幼馴染み同盟は、幼馴染みこそ至高の萌え要素だと考える紳士たちの社交場である。ただし、リアル幼馴染みがいる人間は、入会できない。現在の会員数は二百名。平均年齢は四十二歳。最高齢のメンバーは八十二歳で、最も若いメンバーは八歳である。


 なるほど。僕は、あごに手を当てて考える。彼らは、大いなるルサンチマンを抱えているのだろう。だから、リアルに幼馴染みを持つ人間が許せないのだ。

 僕は、憐れみの心とともに、立場が違えば、僕も彼らと戦線をともにしていた可能性があると考える。幼馴染みというシチュエーションは、そういった過激な人間が出るほどに、マンガやアニメでは定番の設定だからである。


「大丈夫、ユウスケ?」


 睦月が語りかけてくる。睦月は、僕のブログとツイッターが炎上していることを心配しているようだ。


「大丈夫だ。問題ない」


 僕は、キーボードの上に手をかざす。そして、口の端に笑みを浮かべたあと、華麗に文字を入力した。


 ――幼馴染みの女の子が帰った。なう。


 炎上しているのならば、その理由をなくせばいい。至極当然の結論だ。僕は、自分の知謀に驚く。いずれ僕の頭脳が、人類を救う時もあるだろう。


「私は、まだ部屋にいるよ」


 少しむっとした口調で、睦月が告げる。勝手に帰ったことにされたので、腹を立てたのだろう。睦月はキーボードに手を伸ばして、勝手に文字を打ち込んだ。


 ――帰っていません。私はまだここにいます。


 ッターン!

 ツイートが実行された。


 僕は、「あっ!」と声を漏らす。

 入力されたつぶやきは、世界に向けて発信された。そして、炎上中の僕のアカウントを見ていた人々に、睦月の文章がさらされた。


 すべてが終わった。嫉妬交じりの罵倒が、僕の視界を埋めつくした。ツイッターには無数のメッセージが届き、ネット掲示板にスレッドが何本か立ち、まとめブログに取り上げられた。火野燃児のブログは、突然のアクセス増でサーバーが落ちた。そこにいたるまで、二時間かからなかった。僕のネット人格の一つ火野燃児は、ネット民の起こした炎上で、燃やしつくされてしまったのだ。


 そういったことが、先週末にあったのだ。僕はそのことを思い出す。

 忘れたかった記憶。忌まわしき過去の惨劇。僕は、現在に意識を戻す。そして、制服姿の楓先輩と、水着姿の睦月に挟まれている状態で、思考を再開した。


「ねえ、サカキくん。炎上って何?」

「そ、そうでしたね」


 僕は、力なく微笑みながら声を返す。

 僕は忘れない。かつてネットに、火野燃児という、マンガ好きの熱血野郎がいたことを。


「ネットの炎上とは、ブログやツイッターなどの情報発信の場所が、大量の批判的コメントで制御不能になる状態を指します。

 原因としては、犯罪的行為をしたり、他人にとって不快な行為をしたり、差別的発言をしたりといったものがあります。その結果、ブログやツイッターアカウントが閉鎖したり、個人が会社を首になったり、会社が謝罪をしたりといったことになるのです。


 ネットでは、住んでいる地域を超えて、多くの人が一つの場所に集まることができます。また、情報の拡散が速く、多くの野次馬や便乗者を招きよせます。そのため、一人の人間や、一つの企業が耐えられないほどの批判的なメッセージが、殺到することがあるのです。

 また、その炎上を切っ掛けに、過去の所業が暴かれて大炎上することも、しばしばあります。それだけでなく、火に油を注ぐような発言をしてしまい、火消しに失敗して、一気に炎上が広がることもあります。そういった状態になることを、燃料投下と呼びます。

 こういったネット上の、喧々囂々な非難の渦を、炎上と呼ぶのです」


 そう。睦月の書き込みは、まさに燃料投下だった。しかし、すべての責任は僕にある。最初に、気軽に幼馴染みが来ていることを書いたのが、間違いだったのだ。それは個人情報に属するものだ。ネットでは、極力個人の情報は出さない方がいい。ネット玄人としては、致命的な失敗だった。


「何だかサカキくん、実感がこもっているわね」

「ええ。睦月が言った通り、先週末に炎上を体験しましたからね」


 僕は、乾いた笑みを見せる。


「大丈夫?」

「ええ、どうにか……」


 僕が楓先輩に答えると、僕の横で、睦月がしゅんとした顔をした。


「ユウスケが炎上したのは、私のせい」


 その台詞を聞き、僕は焦って口を開いた。


「いや、睦月のせいじゃないよ。全部僕のせいだよ! はい、この話はこれで終わり! さあ、解散、解散!」


 この話を、これ以上引きずってはならない。睦月が謝罪を始めれば、僕の部屋で、水着姿で過ごしていたことを話す流れになる。

 それはまずい。浮気だと思われてしまう。いや、僕と楓先輩はまだ付き合っていないから、浮気も何もないのだけど。僕は、必死に言葉をつくして、炎上の話をそこで打ち切った。


 翌日、僕が部室に行くと、パソコンの前に、楓先輩と睦月がいた。


「どうしたのですか、楓先輩?」


 僕は、先輩に尋ねる。


「サカキくんの炎上したページを、睦月ちゃんに教えてもらっていたの」

「ぶっ!」

「そのついでに、炎上の切っ掛けを聞いていたの」

「ぶほっ!」


 僕は盛大にむせる。僕が、睦月と自室で遊んでいたことが、楓先輩にばれてしまった。


「サカキくんは、睦月ちゃんと、部屋で何をしていたの?」

「ゲ、ゲームですよ。ネトゲです!」

「ふーん。詳しく聞かせてちょうだい」


 ああ。僕が、部室で炎上しそうだ。燃料投下をしないように、気を付けないといけない。僕は、これからの顛末を考えて、頭を真っ白な灰にした。

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