第52話「教えて君」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、怠惰でやる気のない面々が集まっている。そして日々、放課後の時間を浪費している。

 かくいう僕も、そういったダメ人間の一人だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、脱力しそうな面々ばかりの文芸部にも、しゃきっとした人が一人だけいます。スライムの群れに紛れ込んだ、メタルスライム。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向けた。楓先輩は、ととととと、と笑顔で駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。僕は笑みを作る。先輩も笑みを返す。笑顔と笑顔のコミュニケーション。僕と楓先輩の間に、幸せ空間が発生する。


「どうしたのですか、先輩。また、ネットで知らない言葉を見つけたのですか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットに詳しいわよね」

「ええ、エシュロン並みに、ネットを監視していますから」

「その、サカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の原稿を、華麗に美麗に仕上げるためだ。楓先輩は、そのパソコンをネットに繋いだ。切っ掛けは、オンラインの辞書を使うためだった。ついでに、ネットも閲覧した。その結果、先輩はネットにも文学があることを知ってしまった。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。


「教えて君、って何?」


 げえっ! 関羽!! こ、これはやばい! 性的にやばいわけでも、腐っているわけでもないけれど、話の流れ的にやばい。先輩は、ネットで分からないことがあると、自分で調べずに僕に聞いてくる。それはまさに、教えて君の典型だ。

 教えて君という言葉には、蔑視や嘲笑が含まれている。この言葉を説明すれば、それは楓先輩への攻撃になる。先輩は、自分が非難されていると思い、落ち込むだろう。それは僕と楓先輩の、ネットスラングを介した蜜月が、終わってしまうことを意味している。


 どう答えるべきか。楓先輩に、教えて君の意味を伝えつつ、楓先輩自身がそれに該当すると思わせないようにしなければならない。これは、難易度マックスだ。過酷すぎる試練だ。果たして僕に、そんな難しいことができるだろうか。

 しかし、避けて通るわけにはいかない。これは、ネットスラングについてのやり取りが発生したからには、いつか訪れるイベントなのだから。


「先輩は、人類の情報コストの分担について、思いを馳せたことがあるでしょうか?」


 僕は、果敢に遠回しに、ことの本質にいたろうとする。


「ううん。考えたことはないわ」


 まあ、普通はそうだろう。僕は、先輩の返事を受けて、話を展開していく。


「人間は、有限の時間の中で生きています。そして、何をするのにも時間がかかります。人類が発明したお金というものは、その時間を可視化したものです。先輩は、アルバイトの募集が、よく時給で書かれていることを知っていると思います。この時給とは、他人の時間を、お金で買うということを意味しています」


 先輩は、固唾を呑んで僕の話を聞く。


「このことは、いったい何を意味しているのでしょうか? それは、他人の時間は、自分が自由に使ってよい時間ではないということです。それを無理やり利用しようとする場合は、お金を介した時間使用の許可が必要になります。

 それでは、他人の時間を買う人のお金は、どこから来ているのでしょうか。それもやはり、他人に自分の時間を売ることで得ているのです。つまり、人類はお金を介して、互いの時間を融通し合いながら、社会を構成しているわけです。


 ここで重要なのは、お金という存在は、時間を取り引きする道具だということです。たとえばケーキ屋さんでケーキを買う。これは、ものを買っているように見えますが、実際は無数の人の時間を、少しずつ購入した結果が、ケーキという品物になっているのです。

 小麦粉や砂糖を作る農家の人の時間。牛乳やバターを生産する人の時間。ケーキ職人がケーキをこしらえる時間。ガスを使って焼くのならば、そのガスをケーキ屋まで運ぶ人たちの時間。ガスを輸入しているのならば、その輸送を担う人の時間。

 ……そういった諸々の時間を集約した結果、商品という形で時間を売買しているのです。


 このように、他人の時間は無料ではありません。そして、他人の時間を利用する際は、対価が必要だという現実があります。

 これは、わずかな時間のやり取りでも同じです。誰かと会話するということは、相手の時間を消費させて、損失を発生させているのです。


 その損失を、金銭的対価以外で補う方法もあります。それは、その会話によって、他人にも利益を発生させることです。たとえば、二人が会話をした際、互いに役立つような情報の交換がおこなわれれば、損失は発生せず、双方が利益を得ることになります。

 しかし、相手から情報を得て、自分は何も相手に与えない場合、そこには非対称な収支構造が発生します。これは、国家間でたとえるならば、金銭を払わずに相手国の資源を奪い、自国からは何も与えない状態を指します。これは、侵略戦争に他ならない行為です」


 僕は、いったん話を区切り、楓先輩の反応を窺った。


「つまり、一方的な時間の収奪は、時間取り引きにおける不均衡を招くということね。そして、それは戦争にも匹敵する犯罪行為というわけね」

「そうです。人類のコミュニケーションにおいては、こういった前提があることを、ご理解ください」


 楓先輩は、真面目な顔で頷いた。


「教えて君を、人類の国家間の歴史でたとえるのならば、草原の遊牧民が、匈奴として中国に侵入してくる様子に近いものだと言えるでしょう。

 度重なる襲撃によって、中国側では作物が奪われて疲弊していく。それを防ぐために、中国側では万里の長城を築くコストを強いられる。同じようなことが、個人間のコミュニケーションでも発生するのです」

「一方的な時間の強奪が、相手に多大な負担を強いてしまうというわけね」

「そうなのです!」


 僕は力強く答える。

 よし、いいぞ。教えて君についての説明を、個人の問題から、国家のレベルにまで飛躍させた。これで詳しい説明をおこなっても、楓先輩は身近なことだとは気付かないだろう。

 いよいよ本題に突入だ! 僕は、先輩の意識を、悠久の時の流れに引きずり込んだ。そのイリュージョンのまま、教えて君の説明へと雪崩れ込む!


「教えて君とは、自分が知らないこと、分からないことを、自分で調べずに、すぐに他人に聞いて解決しようとする人のことを指します。この言葉は、元々ネットで使われていたもので、その後、一般社会にも広がっていきました。


 ネット上には、質問掲示板や、質問サイトなど、ユーザーからの問いかけに、コミュニティの人が答える場所があります。そういった場所に、ちょっと調べるだけで分かるような質問を書き込む人は、他人の無駄なリソースを奪う人として嫌われます。

 教えて君というのは、そういった場所で、低レベルな質問をする人を、揶揄する目的で使われるものです。『教えて』という質問のフレーズと、『何々君』という、自分よりも対等以下の人を呼ぶ接尾辞を組み合わせて、『教えて教えてと言う幼稚な人』といった意味を持つ言葉になっているのです。


 そして、現在では、自分で何も調べず、他人に気軽に教えてもらおうとする人全般を指す、蔑称として定着しているのです」


 解説は終わった。あとは楓先輩が、自分が同じような教えて君と化していると、気付くかどうかだ。まあ、僕の場合は、楓先輩と話す機会が増えて万々歳だから、得るものの方が大きく、一方的な収奪ではないのだけれど。


「ふーん。調べるって、辞書を引いたり、図書館で調べたりするということ?」

「ふへっ?」


 僕は思わず、変な声を上げる。どういうこと? 僕は混乱する。

 もしかして楓先輩は、検索エンジンというものを知らないのか? そんな馬鹿な! いや、パソコンもネットも初心者の楓先輩ならあり得る。でも、それならばどうやって、ネットでいろんなページにたどり着いて、閲覧しているのだ。


「あの、先輩。ネットで、日々いろいろなページを見ていますよね?」

「うん。見ているよ」

「新しい情報やページは、どうやって発見しているのですか?」


 僕は、おそるおそる聞く。


「もう、サカキくん。私が初心者だからといって、何も知らないと思っているでしょう。私だって、リンクというものの存在ぐらい知っているわよ。それをクリックすると、新しいページが開くでしょう。ブックマークも知っているわよ。気に入ったページがあれば、メモを取るようにして、そのページを保存するものよ。その二つを駆使して、私はいろんな情報を発見して、日々吸収しているわよ」


 楓先輩は、得意げに答える。

 僕は、その話を聞いて絶句する。楓先輩は、どうやら検索エンジンの存在を知らないようだ。それならば、自分が教えて君になっていることも、気付きようがない。


「ねえ、サカキくん」

「はい、先輩」

「教えて君って大変ね」

「そ、そうですね」


 楓先輩は、自分が教えて君であることにまったく気付かないまま、自分の席に戻っていった。

 それから三日ほど、僕が質問をすると、楓先輩は「教えて君だ~!」と嬉しそうに言い続けた。違いますから! 僕の質問は、ネットで調べても分からないことですから! 僕は、先輩が検索エンジンの存在に気付くのはいつだろうと、疑問に思った。

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