第4話「男の娘」
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、有象無象の人々がいる。
僕もその一人で、名前は榊祐介。二年生になる僕は、厨二病まっさかりのお年頃だ。そんな僕が、部室でやっていることは、備品のパソコンで、ネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことである。
えっ? 文芸部として、まともな活動をしろ? 大丈夫ですよ、していますよ。「今」を切り取る「旬の文章」を書くために、「最新の言葉の流行」を追うのは、大切なことです。ネットは言語の最先端。その最先端のエッジな掲示板サイトを、僕は今日も巡回しています。
三年生三人、二年生三人、一年生一人の文芸部。先ほど、有象無象の人ばかりと書いたけど、その中にもまともな人はいます。掃き溜めに咲く、一輪の可憐な花のような少女。それが、三年生で先輩の、雪村楓さんだ。三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さん。
何で、こんなまともな人が、うちの部にいるんだろう? あっ、文芸部だからか。そう、楓先輩は、この部活で唯一真面目に部活動している、とっても偉い人なのだ。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえてきて、僕は振り向いた。いったい何の用だろう。先輩の顔は、好奇心で満ちている。また、ネットの怪しいスラングでも見つけたのだろう。僕は、先輩の忠実な下僕として、その疑問を解消する役を仰せつかっているのである。
「どうしたんですか先輩。今日は何を知りたいんですか?」
僕は知っている。先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。文芸部の執筆活動のために必要な道具だったからだ。そして、先輩は、生まれて初めてネットの海にダイブした。切っ掛けは、オンラインの辞書を利用するためだった。そこには、先輩のこれまでの人生では見たこともない、言語空間が広がっていた。文章好きの先輩は、その文字の海に溺れた。そして現在、ネット初心者の楓先輩は、ずぶずぶとネットの罠にはまりつつあるのだ。
「男の娘って何?」
その瞬間、部室の片隅で「ガタン」という大きな音が響いた。僕と同じ二年生、鈴村真くんが慌てた顔で腰を上げていた。あっ、駄目だよ鈴村くん。そんな反応をしたら、君の性癖が分かってしまうじゃないか。僕はドキドキしながら鈴村くんを見る。中学二年生にしては背が低く、体が華奢で、顔が可愛い鈴村くんは、よく女の子に間違われる。いや、それだけではなく、彼がそういった性癖を持っていることを僕は知っている。
急に椅子を引いた音がしたことで、楓先輩は、どうしたんだろうという表情で鈴村くんの方を見た。鈴村くんは、顔を真っ赤にして、僕に助けを求めてきた。僕は、いいから落ち着けといったサインを、身振りで示す。
そう、僕が鈴村くんの性癖を知ったのは、中学一年生の時だった。同じ文芸部に所属している鈴村くんは、下校の途中に「ねえ、お願いがあるんだ」と、おずおずと僕に言ってきた。女の子みたいに可愛い鈴村くんに一生懸命お願いされて、断る理由もない。僕は鈴村くんに手を引かれて、彼の家まで一緒に行った。そして、鈴村くんの部屋に案内されて、「どこか変なところがないか教えて欲しいんだ」と、顔を真っ赤にしながら言われたんだ。
どう変なのだろう? そう思っていると、鈴村くんは「着替えてくるね」と恥ずかしそうに言い、部屋をあとにした。ふーん、何だろう。そう思って、僕は鈴村くんの部屋を見渡した。あまり、男の子っぽい部屋ではなかった。ぬいぐるみがたくさんあり、カーテンはパステルカラーのピンク色だった。
二、三分待ったと思う。鈴村くんが部屋に戻ってきた。肩を出した薄手のワンピースを着て、足には膝上のストッキングをはいていた。頭には手の平大のリボンを載せて、唇には薄いルージュを引いていた。「ねえ、おかしくない?」鈴村くんは、落ち着きなく、僕にそう聞いた。
おかしいところは、どこにもなかった。そのことが、非常に奇妙だった。僕は、ぼうっとした。たぶん、頬が紅潮していたと思う。鈴村くんは、自分の机の上からホワイトボードを取ってきて、「鈴村真琴」と名前を書いた。読みは同じ「マコト」だけど、漢字は女の子の「真琴」である。
「僕、女の子の格好をするのが好きなんだけど、誰にも見せたことがないから、おかしな格好になっていないかと心配なんだ。どう思う、サカキくん?」
そう言って、僕の鼻先まで近付いてきて、上目づかいで見上げてきた。目は、興奮と緊張のせいか、潤んでいた。唇はルージュのせいで、艶やかに光を放っていた。右手は軽く折り畳んで、胸元に添えている。左手は、腰から外に向けて、しなやかに伸びていた。足は、片足のかかとが上がっていて、可愛らしいポーズになっていた。
それは、美少女鑑定士の僕の目から見ても、百点満点の可憐なポーズだった。どうやって、そのポーズを会得したのだろう。そう思って、部屋を見渡して合点がいった。全身が映る鏡がある。きっと鈴村くんは、日夜その鏡の前でポーズを取って、練習していたのだろう。
「す、鈴村くん。いや、真琴ちゃん!」
僕は、理性を忘れて、鈴村くんの両肩をつかんだ。鈴村くんは、「きゃっ」と小さな声を上げたあと、覚悟を決めたような目で僕を見上げた。目は半分閉じていて、唇はほころぶようにして開いていた。あごはそっと上げられており、僕が近付けば、そのまま重なり、舌を触れさせることができそうに思えた。
その時、部屋の扉が開いた。息子の友人が遊びに来たと思った鈴村くんのお母さんが、ジュースを持って入り口に立っていた。○*△×&□%$#! そのあとの記憶はない。僕は気付くと、自分の部屋に戻っていた。全身は、汗でびっしょりと濡れていた。中学一年生の時の、トラウマのような記憶である。
そんな鈴村くんが、楓先輩の「男の娘って何?」の台詞につられて、反応したのだ。楓先輩は、とととと、と歩いて、鈴村くんのところに行く。
「鈴村くん、知っているの? お・と・こ・の・娘」
「えっ、あっ、いや!」
鈴村くんは、目を白黒させて、汗をだらだらと流している。そして、ちらちらと僕に視線を向けて、泣きそうな顔をしている。鈴村くんが、いや、真琴が、僕に助けを求めている。可愛い男の娘が、僕を頼っている。
ああ、僕は浮気者だ。楓先輩という正妻がいながら、真琴という美少女の求める救いの声にも応じようとしている。モテるということは罪作りなことだ。色男は辛いなあ。そんなことを考えながら、白馬の王子である僕は、楓先輩の横に立ち、「僕が教えますよ」と、王子様の声で言った。
「じゃあ、サカキくん、教えてね。男の娘って何?」
横には挙動不審の鈴村くんがいる。性的興奮でも覚えているのか、鈴村くんは恥ずかしそうに、体をもじもじとさせている。
「先輩、男の娘と言うのはですね。男性なのに、女の子にしか見えない、人やキャラクターを指す言葉なんです。世の中には、そういった人がいましてね、そういった人のことを、『男の子』と『娘』をかけて、『男の娘』と言うんです!」
「それって、鈴村くんのこと?」
先輩が、太陽のような笑みを浮かべて言い放つ。その言葉に、鈴村くんが両手で顔を覆い、恥ずかしそうに身を縮める。駄目だ。このままでは、鈴村くんの部活内のあだ名が「男の娘」になってしまう。どうにかして、それを阻止しなければならない。不肖、榊祐介、人に頼られたら、その仕事を完遂することをモットーとしています。主に、美少女からの依頼に限るけど。
「いえいえ、先輩、鈴村くんは、男の娘ではありません。確かに、鈴村くんは、女の子にしか見えません。それも、そんじょそこらの女の子よりも可愛いです。うちのクラスで、男子が付き合いたい子ナンバーワンの座に君臨している事実もあります。商店街に行けば、おじさん方が、いつも『よっ、真ちゃん。今日も可愛いね!』と、商品をおまけしてくれます。
そんな鈴村くんですが、実は中身は、男の中の男です。
えーと、どこが、男っぽいかなあ。たとえば、部屋にはぬいぐるみがたくさんあります。あっ、それは、男の子と言うより、女の子っぽいなあ……。部屋には、等身大の鏡があって、身だしなみはばっちりです! それも、女の子寄りだなあ……。えー、カーテンはピンク色です! これはきっと、男の中の男が、喧嘩で受けた返り血が薄くなって、その色になったんですよ!
……。
えー先輩。何だか僕は、自分のしゃべりで自滅しているような気がしますが、ともかく、鈴村くんは、男児ですよ、ザ・ダンジ! その証拠にですね、僕と二人きりになった時、目を潤ませて、僕に身を預けてきたんです。この潔さ、男の中の男でしょう!」
楓先輩は、すっと表情を消して、僕と鈴村くんから一歩離れた。鈴村くんは、わっと泣きだして、机に突っ伏した。その様子を見て先輩は、慌てて取り繕うようにして声を出した。
「ごめんね、鈴村くん。サカキくんと、そういった仲だったなんて知らなくて。私とサカキくんが、仲よくしていて泣いてしまったのね。ごめんなさい! 私、鈴村くんのことを応援するわ!」
先輩は、鈴村くんに近付き、はっしと抱きしめる。泣いていた鈴村くんは、いきなりの抱擁に驚き、顔を先輩に向ける。そこには、百合的な美しい光景が現れていた。三つ編み眼鏡の可憐な楓先輩と、ショートカットの鈴村くん。僕は、その光景に、心を奪われて、しばし呆然と眺めた。
「あの、うん。ありがとうございます。楓先輩。僕、がんばります!」
鈴村くんは、両腕を折り畳んで、拳を可愛らしく胸の前に当て、一生懸命といった様子で返事した。えー、あの、鈴村くん? 何をがんばるの? 君、男の娘って、ばれたくなかったんじゃないの? 楓先輩は嬉しそうに僕の前に来て、祝福するようにして両手を握ってきた。
「よかったね、サカキくん!」
先輩の笑顔は、この数日見た中で、最も輝いていた。僕は、自分の大好きな先輩が、僕×鈴村くんというカップリングを作ろうとしているのを、途方にくれながら見守るしかなかった。
それから三日ほど、僕と鈴村くんは、先輩監視の下、手を繋いで下校させられた。……どうして、こうなった? 僕はできれば、楓先輩と手を繋いで帰りたかったのに。
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