(5)
「あのね、いくらお母様が亡くなって生活の心配が目の前に迫ってきたって言っても、さあどうしようの時にあてになるのは見たこともない親族ではなく、まず仲のいい友達になるはず。そして佐伯さんが知らない家で住み込み家政婦をすると聞いたら、友達なら百人が百人止めますよ。そんなのヤバいよ絶対にやめなよって」
勝山さんと園長さんを交互に見て、一度確認を取る。
「どうです?」
「ええ、そうね」
「わたしも止めるかなあ」
「でしょ? 佐伯さんには、プライベートなことを腹を割って話せる親しい友達や先生が誰もいなかった。事件に巻き込まれる前からずーっと孤立していた。それが、佐伯さんの最大にしてもっとも厄介な難点なんですよ」
「あの」
分からないというように、勝山さんが首を傾げる。
「中村さん。優花ちゃん、すごくいい子なんだけど……」
「でしょうね」
それを即座に認める。
「勝山さんだけでなく、園長さんの印象も同じでしょう?」
「ええ」
「私も、それから保育園に子供を預けに行くうちの家内の印象も全く同じ。その年齢の子にしてはとてもしっかりしていて、だらしないところがなく、礼儀正しい」
「うん」
「でもね、それがものすごーくおかしいってことにお気付きですか?」
俺は、勝山さんと園長さんに疑問を投げかけた。
「私は、水商売という職業を蔑むつもりはありません。でも仕事でたくさんの案件を扱ってきて、水商売絡みのトラブルをいっぱい見てるんです」
顔を伏せたままの佐伯さんを凝視する。
「母親がシングルで水商売なら、どうしても生活が夜主体になって、日常生活が不規則になる。親子として居られる時間が限られる。往々にして母親の生活態度や人間関係が荒れたり、だらしなくなったりしがち。母親の子供達への接し方に一貫性がなくなって、放置や一方的な命令が多くなる」
「あ……」
「そんな中で育った子供が、上流家庭の子息のような整った生活態度を示すっていうのは、ものすごく異常なんですよ。分かります?」
園長さんも勝山さんも、今の佐伯さんしか見てない。背景が見えてない。それをきっちり指摘しておかないと、ケアにつながらない。
「私は、佐伯さんの示している姿勢が、いわゆるいい子ぶりっ子、猫かぶりだとは思っていません。本当に、年齢に似合わずしっかりした方だと思います。ただね、ぶりっ子じゃないのに今の性格が出来上がったのだとしたら。それは、何を意味します?」
「うーん……」
園長さんが、腕組みしたまま考え込んでしまった。
「簡単なことです。そうしないと生きていけないから、ですよ。それは自分の好みや望みから来るものじゃなくて生存戦略です。単なる処世術に過ぎないものが、佐伯さん本来の性格や思考を上から塗り潰してしまってる。そこが、ものすごく不自然なんです」
俺の説明を聞いても、園長さんや勝山さんにはぴんと来ないだろう。
「分かりにくいと思うので、私を例に出すことにしますか」
「は?」
三人が揃ってほけった。
「ははは。正直に言いますね。私は、本当は佐伯さんを見たくないんですよ」
「えええーーっ?」
園長さんと勝山さんが、揃って大声を上げた。
「ああ、それは好き嫌いの問題じゃありません。佐伯さんは、そのまんま私のコピーなんです。同属嫌悪。ああ、私もこんな風なんだなあと。どうしても、そこが引っかかってしまってね」
苦笑いをみんなに向け、あぐらを崩してもう一度坐り直す。
「私には、佐伯さんと違って両親がいます。今でも健在です。でも私の中では、そいつらが親だという認識はありません」
「え……」
三人が顔を見合わせた。
「毒親ってのを聞いたことがあるでしょう? 立場だけが親で、でも親として果たすべき義務を放棄するだけでなく、子供を何もかも支配して奴隷のように扱おうとする連中」
「ええ。存じてます」
園長さんが、何度か頷く。今子供を預けにきているシンママさんの中にも、毒親のとばっちりを食っている人がいるんだろう。
「私の親がまさにそれでね。子供に過干渉するならともかく、養育を実質放棄しました。ネグレクトしたんですよ」
俺の笑いは、どうしてもひどく歪む。いつもはそれを見せないんだが、今日は別だ。毒にしてしっかり吐き出すことにする。
「まあ、私がこうして生きているということは、そのネグレクトの影響が致死的なものではなかったということなんでしょう。でもね、両親揃ってほとんど家にいない。カネだけを投げ与えて、学校の行事も進学や進路のことも全部無視した」
自分を指差す。
「そうするとね。こういうトンデモなおっさんが出来上がってしまうんですよ」
「トンデモ……ですか」
「そう。親が何もしてくれないなら、自分で何もかもしなければならない。家事能力や節約感覚が早くから異常に発達する。そしてね」
今度は佐伯さんを指差す。園長さんと勝山さんの目が血走って来た。
「一番心を通わせやすいはずの親とすらうまくコミュニケートできない。そうしたら、学校でも友達をうまく作れない」
「ど……して?」
勝山さんが、慎重に確かめた。
「人を信じられなくなるからです。人から向けられる好意や愛情を素直に受け入れなくなる。どうしても、友達との仲が深化しない。付き合いが表面で止まって、それに嫌気した友達がさっと離れてしまう。それに」
ふう……。
「親が何もしてくれなければ、家のことは自分でこなさなければならない。友達と一緒にいる時間を充分確保出来ないんですよ」
三人をぐるっと見回す。
「私は、親子の形がないがらんどうの家にしがみつくつもりはさらさらありませんでした。だから高校卒業と同時にさっさと自立したんです。バイトしながら大学に通って、卒業後に興信所の社員として勤め始め、そこでの修行後に独立しました。その間、私には心を許せる友人が一人もいなかったんですよ。たった一人すら、ね」
何の自慢にもならん。でも、それが紛れもなく俺の真実だったんだ。勝山さんが、信じられないという口調で聞き返した。
「本当?」
「本当ですよ。調査業は客商売ですから、私の愛想は悪くないと思います。でも、それは営業上必要だからです。営業スマイルは、必ずしも友人を作る役には立たないんです。私に心を許せる友人が出来たのは、二十代も後半になってから。それも、たった一人だけです。ねえ、佐伯さん」
呼びかけに顔を上げた佐伯さんの目を、じっと見つめる。
「すごーくあなたに似てるでしょ?」
「……はい」
「でもね、私とあなたとの間には、一つだけ大きな違いがある」
ひょいと指を突き出して、自分と佐伯さんを交互に指差す。
「私は男。あなたは女性。それがものすごく大きな違いなんです」
「あの……どういう意味?」
聞き返した園長さんだけど、俺の答えは薄々予測しているだろう。
「今回のような事件に巻き込まれる恐れがあるかないか。その違いです」
話を原点に戻そう。
「佐伯さんのしっかりした受け答えと堅実な生活態度は、佐伯さん自身が身を持ち崩さずに生きて行くための必須アイテムです。それ自体は決して悪いことじゃありません」
「ええ、そうね」
「でも、その処世術の下に何もかも塗り隠してしまうと、本来受けられるはずの扶助や気遣いがもらえなくなるんです。佐伯さんは、その事実をしっかり認めて欲しい」
園長さんと勝山さんにも追加で説明する。
「逆に、サポートする側は佐伯さんの背景をもっとしっかり見てあげる必要がある。それが出来る洞察力、包容力のある人を後見に付けないと、後見の意味がありません。だって佐伯さんは、結局『わたしは大丈夫』って言ってしまいますから。でしょう?」
「……うん」
佐伯さんは、力なく頷いた。
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