第三話 同時進行
(1)
小林さんの採用条件未達成をばっさり袈裟斬りにしたことで、小林さん的にはここに逃げ込む芽はもうないと思ったのかもしれない。あの後、ご両親からも本人からもなんのアクセスもなかった。俺も、それはそれとして割り切らないと商売にならん。
麻矢さん経由の案件は、依頼者本人からの直接アプローチがないと動けないので、向こうの出方待ち。だからと言ってのんびり暇を潰しているようじゃ、明るい未来がいつまで経ってもやって来ない。これまでは積極的に打って出なかったんだが、ひろにならって営業活動を始めよう。もっとも俺らのような商売じゃ、あまり目立ち過ぎるのも商売に差し障る。そこらへんのさじ加減がどうにも難しいんだよな。
ぶつくさ言いながら隼人と月乃を保育園に預けに行ったら、保育士さんに呼び止められた。
「あのー、中村さん」
「はい?」
「園長が、ちょっとお話があるとかで、園長室までご足労いただけないかと……」
げげっ! もしかして、隼人が他の子に何かやらかしたか?
思わず血の気が引いてしまったが、俺の怯え顔を見た保育士さんは慌ててぱたぱた手を振った。
「いえー、お子さんのことじゃないですー」
はて? ほっとはしたが、どうにも……。
「分かりました。すぐに伺います」
◇ ◇ ◇
「こちらですー」
規模の大きな保育園ではないので、園長室も慎ましい。保育士さんが、大きなアヒルのステッカーが貼られたドアを引くと、六十絡みの小柄な女性園長さんが丁寧なお辞儀をしながら俺を出迎えてくれた。
「中村さん、ですね? 私は小鳩保育園の園長をしております、小野寺光恵と言います」
「いつも子供たちがお世話になっております」
「あの、中村さんのお仕事に差し障らないよう、手短にご相談させてください」
「なんでしょう?」
相談だあ? 首を傾げながらソファーに腰を下ろすと、切羽詰まった表情の園長さんがすぐに話を切り出した。
「奥様から、中村さんが探偵をなさっていると伺ったんですが」
「ははは。弱小ですけどね」
「お願いしたいことがあるんです」
お、案件か! そりゃ最優先だ。俺はすかさず尻ポケットの手帳を引っこ抜き、挟んであった名刺を一枚抜いて、園長さんに手渡した。
「中村探偵事務所の中村操と申します。よろしくお願いします。で、どのようなご相談でしょうか?」
「ここにお子さんを預けにくるお母様の一人に、ストーカーがつきまとっている気配があるんです」
「なるほど……」
「当園では、いわゆるシングルマザーのお子さんを多くお預かりしています。その中には、まだ父親との関係が清算されていない、係争中のお母様もおられるわけで」
「DV、もしくは子供の親権問題未解決……そういうケースですね」
「はい」
「その方は、警察には相談されているんでしょうか?」
「しています。警察でも、つきまとっている男に接近禁止命令を出しているようなんですが……」
「効いてない、か」
「はい」
「で、私はどのようなことを調査すればよろしいのでしょう?」
「え? 調査、ですか?」
ああ、いつものパターンだ。俺は、思わず脱力してしまう。
「あはは。私どもの常識と、一般の方々の認識との間に恐ろしいほど落差があるもので、なかなか」
「は?」
ちゃんと説明しておこう。
「探偵である私どもの業務は、調査すること。真実を隠している人から、その真実を探り出すことなんです。古典的な探偵小説みたいに、犯人と渡り合って攻防戦をするなんてことは、決していたしません」
「ええっ?」
とほほ。まあ、そういう理解をしちゃう人が多いんだろう。名探偵ものの小説とかアニメは、俺たちにとって百害あって一利なし、だよなあ。
「たとえば、そのお母さんとお子さんの行き帰りをガードしてくれということであれば、警備会社。ストーカーにもっとプレッシャーをかけてくれということなら、警察の持ち場です。私どもで対応可能なのは、ストーカーの正体が分からないからそれを明らかにしてくれという場合ですね」
「そうなんですか……」
園長さんは、あからさまに落胆の表情を浮かべた。ということは、俺に頼みたかったこともそういう類のことなんだろう。うちみたいな弱小の場合、何でも屋の側面はあるけどさ。でも、ガードマンや警察の代わりは出来ないよ。
「申し訳ありません、お手伝い出来なくて」
「いえ……」
悲しそうに目を伏せた園長さんが、ぽつりとこぼした。
「そういうのは、誰に相談すればいいんでしょうねえ」
俺がさっき説明したから、それぞれの対応先については分かっているはず。でも、自分や子供の身を守ることを誰かに頼むにはカネが要る。そんなのは無理……ってことなんだろなあ。
「つきまとってるやつは、そんなにしつこいんですか?」
「というか……」
「ええ」
「人を使ってるんです」
はあああっ? なんじゃそりゃあ?
「ママさんは、身寄りがない孤児で、まだ未成年です」
「それなのに子供が?」
「高校卒業後に住み込みで家政婦として勤めていた家で……」
ああ、そういうことか。雇用主がろくでなしのパターンだ。
「無理やり……で、バレて、その子が奥さんに追い出された、と。でもその家には跡継ぎの子がいないから、子供だけよこせ……ってとこでしょうか?」
「いえ、それだけじゃなく」
「……。もしかして、そのママさんまで他所で囲おうってことですか?」
「ええ」
うーん、相手が大物か。その規模によっちゃ、もし警備会社や警察に対応を依頼しても敬遠されてしまうかもなあ。資産家は、カネに糸目をつけずにあらゆる手を打ってくる。それを正面から押し返すのは並大抵のことじゃない。
「一つ確認しておきます」
「はい」
「もし私への依頼になった場合、その費用はどなたがお支払いしてくださるんでしょう? そのママさんはとてもお気の毒だと思いますが、相当大掛かりな案件になりますので、費用は最低でも七桁以上かかると思います。シンママさんにとって、それは現実的ではないでしょう?」
「そんなにかかるんですか?」
「もし運良く引き受けてくれるとことがあれば、そのくらいはふっかけられるよということです。うちだけでなく、どこの興信所に持ち込んでも門前払いされるでしょうから」
「う……」
「私も、どれだけ依頼料を積まれても絶対に引き受けかねます。相手がでかいと、自分の人生を賭けることになってしまいます。私は妻子と生活を守らなければなりませんので、自らそのリスクを負うことは出来ません」
俯いてしまった園長さんが、両目をハンカチで押さえた。そのシンママさんは、園長さんがなんとかしなければならないと考えるくらいとてもいい子なんだろう。
うーん……どうすべか。これが本当に大金持ちのやりたい放題なら対抗するのはしんどいんだが、それにしてはおかしいことだらけなんだ。おそらく違うな。それなら何か打てる手があるかもしれない。
「そうですね。私に一つアイデアがあります」
「え?」
もうだめだと思っていたらしい園長さんが、さっと顔を上げた。
「単純なストーカー事件ということではなく、向こうに何か背景がありそうなら、それを逆手に取ることが出来ます。突破口があるとすれば、そこでしょう」
「あの……どういうことか、わたしにはさっぱり」
「それは、ご本人がおられるところで打ち合わせしましょうか。依頼を引き受けたのならともかく、まだ相談の段階でカネよこせってことはありません。相談は無料です」
「それでなんとかなるんでしょうか?」
「分かりません。でも、このまま向こうの威嚇にずるずる飲み込まれるよりは、まだ打つ手を考えられるでしょう?」
「ん……」
じっと考え込んでいた園長さんが、ゆっくり顔を上げた。
「じゃあ……彼女に。
なるほど。佐伯さんと言うのね。
「分かりました。佐伯さんのご都合もあるでしょうから、私の方でそれに合わせて段取りをいたします」
「よろしくお願いいたします。あの」
「はい?」
「お時間を割いていただいて恐縮ですが、お仕事の方はよろしいんでしょうか?」
俺は、これでもかと苦笑いをぶちまけた。
「ははは。これが私の日常ですよ。依頼がない限り、私には家事と子守しかすることがありませんので」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます