(2)

 自己紹介が終わったところで、仕切りに入る。


「みなさん、自己紹介してくださりありがとうございます。で、ですね。今のがただの自己紹介ではなかったことに、みなさんお気付きでしょうか?」


 見附さんの両親と永井さんが、ぎょっとした顔で俺らを見回した。


「私は、ただ自分の名前を言うだけで結構ですよと最初に申しました。それ以外の付属情報は全てオプション。わざわざ言う必要はないんです」


 し……ん。


「ですが、みなさんの中で名前以外の情報を口に出された方が何名かおられました。私もそうしました。まず、身分。私、ジョンソンさん、高科さん、沢本さん。そして、私のクライアントである永井さん。この五名は、自分がどこに所属しているかを明示しました。それは、ここに集まっておられる方々に、自分は怪しい者ではなく、それなりの地位と職務を持つ真っ当な人間であると宣言するためなんです」

「ううむ」


 ジョンソンさんが、巨体を揺らして俺を見上げた。


「そして、積極性。麻矢さん以外は、促されることなく自分が誰であるかをきちんと示しています。それは、人から蔑まれるような人物には見られたくないという意思表示。自己アピールの第一歩なんです」


 俺は、永井さんと麻矢さんのご両親に交互に目を遣る。


「まだあります。続柄。依頼を受ける立場の私たちには関係ありませんが、麻矢さんのご両親と永井さんは、ちゃんと続柄を表明しました。それは依頼の正当性を主張するためです。そして依頼人と私たちとの関係。それは本来伏せなければならない性質のものです。私たちは守秘義務を遵守しなければならないので、表に出せないんです。それを、お父さんも永井さんもあっさりとオープンにしてしまいました」


 永井さんが恥ずかしそうに俯いたので、名誉回復をしておく。


「誤解なさらないでくださいね。私は、その行為の妥当性を問うつもりは全くありません。そうじゃなく、発言の背後を見ていただきたいんです」

「背後、ですか?」


 麻矢さんのお父さんが、不思議そうに問い返した。


「ええ。お父さんや永井さんには、私たちを危険な事態に巻き込んで申し訳ないという負い目があるんです。責任を負わないとならないという意識が、依頼者であることを公開するという形で出た。私はそう捉えたんですが、いかがですか?」


 永井さんが、大きく頷いた。


「はい。間違いなくそうです」

「ですよね?」


 ここで息をいっぱいに吸い込んで、気合いを入れた。さあ、行くぜ!


「いいですかっ?」


 語気を強めて、全員を見回す。


「全員やっても数分もかからない、儀礼的な自己紹介ですら、私はこれだけの情報をゲット出来るんですよ!」


 ジョンソンさんが、にやっと笑った。ああ、やっぱりそういう意図か、と思ったんだろう。


「そして、先ほどの自己紹介でもう一つ出てきた事実」


 ぴっ。俺は麻矢さんを指さす。


「引っ込み思案。消極的。そういう次元ではなく、まるっきり気配を消してるというくらい、麻矢さんの存在感が薄いということです。みなさんは、先ほどの麻矢さんの自己紹介から何か情報を得られましたか?」

「何も話したくないという姿勢だけだな」


 ずけずけと沢本さんが指摘した。


「そうです。そしてね、それは今だけじゃなく、事件の前からずっとそうなんですよ」


 し……ん。


「それが、今回の案件を複雑怪奇にしてしまったもっとも大きな原因なんです。麻矢さんに関する情報が、全て間接情報だけ。本人から提供される事実情報がほとんどない。だから事態が切迫しているにも関わらず、私たちはものすごく遠回りを強いられてしまった」


 じろっ。麻矢さんに視線を送った。でも、顔を伏せたままの麻矢さんからは何の反応も帰ってこない。ちっ!


「かもしれないを何百万個重ねても、たった一つの事実ファクトには敵わないんです。そのファクトが事前に何も得られなかったしんどさを、依頼人の方々には重々ご承知おきいただきたいと思います」


 ぽんとテーブルを叩いて、話を締めた。


「これから事実確認を進めて参りますが、骨子が二つあります。一つめは私とジョンソンさんがそれぞれ依頼を受けてからどういう行動を起こし、何が明らかになり、どういう結末になったか。その事実合わせです。検証を通し、私たちは調査を受託した者として、二重依頼がもたらした危機の発生原因究明と再発防止策の検討をしなければなりません。それは私たちにしか意味のないことであり、依頼人のみなさんを煩わせることはとても心苦しいんですが……」


 顔を伏せたままの麻矢さんをじっと見据える。


「事実検証を通して、今回のトラブルの中から私たちのアクションで生じた部分を差し引いていかないと、結局真実が分からないままになってしまうんです」

「そうですね」


 ジョンソンさんが、険しい表情で俺と同じようにテーブルをとんとタップした。


「それじゃあ、依頼人のみなさんに本件についてのきちんとしたご報告が出来ません。調査費用を頂く以上、私どもの方から一方的に案件終了を宣言することは出来ません。いただいた依頼はまだ調査継続中なんです。それをどうかご理解ください」


 俺は、見附さんと永井さんに向かって頭を下げた。


「二つめについては、一つめの集約が終わってから説明いたします」


 一度、口を閉ざして出席者をぐるっと見回した。前半は余禄だ。さくさく片付けよう。


「まず。私とジョンソンさん。どちらが先に依頼を承けたか、ですが」

「5がつ16にち、です」


 ジョンソンさんがすぐに公表した。


「ありがとうございます。私が永井さんから依頼を承けたのは5月18日。ジョンソンさんは、私より二日早く調査を開始されたということですね?」

「はい。そうですね」

「そしてジョンソンさんの調査は、まずご両親による娘さんの行動評価が妥当かどうかを検証するところからスタートさせた。違いますか?」

「そうです。麻矢さんに気配を悟られないよう、遠距離からの行動監視を行いました」


 ジョンソンさんではなく、高科さんがそう説明した。俺は一つ頷いて話を進めた。


「私が永井さんから同様の素行調査を受託して最初に取った行動は、麻矢さんの行動監視ではありません」


 ジョンソンさんが、俺をじろっと見上げた。


「それは、調査スタイルの違いですね。ジョンソンさんは、お父さんが説明された麻矢さんに関する基本情報をまるっきり信用していない。徹底的な性悪説に基づいて調査をスタートさせてるんです。誰がストーカーか分からない、思い当たる節がないなんてのは真っ赤なウソ。麻矢さんは、必ずどこかに犯人に繋がるラインを隠し持ってる。それをさっさと暴かないと、麻矢さんをつけてるやつが特定出来ない」

「そのとおりです」


 ジョンソンさんは、事務的に肯定した。俺は、驚いた様子の見附さんご夫妻に視線を移した。


「見附さん。ジョンソンさんの基本姿勢を批判的に見ないようにお願いしますね。調査業というのは、意図的に隠された事実を探り出す商売です。最初から事実が見えているようなら、私たちに依頼する必要なんかないんです」

「はい。そうですね」

「隠された事実、ファクトを引っ張り出さなければならないなら、その出発点にするのは、何一つ信用出来ない、全ては虚偽である、なんですよ。思い込みや都合のいい推測を重ねると、事実とは違う『作られた事実』が出来上がってしまう恐れがあるんです。プロとして調査を行う私たちは、それだけは絶対に避けなければならない。だから、事実であると無条件に認められるものは一つもないという前提で、調査をスタートするんです」


 俺は、ひょいとお父さんを指差した。


「つまりね、依頼に来られたお父さんの意図すら疑ってかかるんですよ。この人は本当に信用出来るのかってね」

「うわ……」


 お父さんが、ぎょっとして顔を強張らせた。


「調査会社が依頼を承ける時には、その前に依頼人の身元を徹底的に洗います。万一調査内容が悪用されたら、事実として私たちが犯罪行為の片棒を担いでしまう。私たちの関与がどのような形であっても、調査事実の悪用が明るみに出た時点で私たちの信用がゼロになってしまいます」


 今度は永井さんに目を移す。


「永井さんには、代理依頼を承けられない理由としてそれを最初に説明いたしました。ジョンソンさんも、見附さんに説明されているはずです」

「はい。せつめいいたしました。どういしょもいただいてます」


 さすがだ。ちゃんと同意書を取ってる。俺は、まだまだそこらへんがぐさぐさだよなあ……。


「お父さんや永井さんの身分が事実と相違しないことが確認出来たら、次に疑うのは調査依頼の意図、そして事実として述べられる事前情報の内容なんです」

「あ……」


 お父さんと永井さんの口から、声が漏れた。


「お父さんや永井さんの依頼が麻矢さんを心配しているからだということは、すぐに確認出来ますよ。そうしたら、次に確かめなければならないのは?」

「そうか。私たちが娘のことで知っていると思っていた情報の中身……ですね?」

「お父さん、整理してくださってありがとうございます」


 一礼した俺は、ふうっと息を漏らす。


「そこから、急に事実確認が難しくなるんですよ。麻矢さんはすでに成人されていて、同居とはいえ生活はそれぞれ独立しています。ですから、ご両親であっても娘さんの現状をどこまで正確に把握できているかは分からないんです。しかも麻矢さんは、もっとも大事な情報、つまりつきまとっている人物に関する具体的な情報を、ご両親や永井さんにすら明かしていないんです。そうしたら、その部分の情報は誰から得ても役に立たない。信用出来ないんですよ」

「そうか。だから……」

「はい。ジョンソンさんは、ストーカーに心当たりがないという麻矢さんからの情報は、ご両親を介した伝聞である上に曖昧すぎて真偽を問う価値がないと考えた。ですから、麻矢さんの行動監視から入ったんです。全ての前提を排除して、ね」


 もちろん、ジョンソンさんがそう出来るのは手駒がふんだんに使えるから。一人探偵の俺には最初から無理だよ。


「事実関係をゼロから集めて組み立てていく以上、そこにあやふやなパーツを絶対に混ぜたくない。そう考えるジョンソンさんの姿勢が、基本に忠実な調査の王道であるということをしっかりご理解ください」

「なるほど。よく分かりました」


 お父さんが納得して頷いたことに、ジョンソンさんはほっとしたらしい。表情を緩めて微笑を浮かべた。



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