(2)

 調査業は商売だ。事実を詳らかにし、それを依頼者に報告すれば商売としては完結する。でも俺たちは、調査の過程でいろいろな事実に触れることになる。そのほとんどは、俺たちが知らなくても済んだ事実、知りたくなかった事実だ。その有象無象の事実を、自分の内部で消化しなくてはいけない。


 消化するのは、俺たちに守秘義務があるからじゃない。俺たちが、そして俺たちに関わった人たちが辛い現実から目を逸らして、思考停止したでくのぼうに成り下がらないようにするためだ。だから……ろくでもない事実をがんがん背負わされる調査員てのは、恐ろしくしんどい商売なんだ。ブンさんの指摘の通りだ。ここのところずっと荒れ狂っているブンさん。その気持ちが、俺にもやっと分かるようになって来た。


 老スリが起点で起きてしまった不幸の連鎖。事実を知ってどうなる? それで俺たちに何が出来るっていうんだ! そういうどうしようもない無力感、徒労感がべったり全身に張り付いて、拭っても拭っても拭い去れない。

 それでも。商売として事実を抉り出さなければならない以上、俺たちは事実の探索を中途半端に止めることは出来ない。その過程で持たされてしまう忌々しい記憶も含めて、徹底的に事実と向き合う勇気が要るんだ。


 現場に出ない所長に徹底的に欠けているのは……まさにそこだと思う。


「なぜお嬢さんが突然家を出たのか、帰ってこないのか。それに関する事実を明らかにすることは、私どもの調査で出来ます」

「だが、それが分かっても娘が帰ってくるという保証はないだろう?」


 男が怒気を含んだ声で反駁した。


「それを知っただけなら。でも、普通はそこからスタートしませんか? 突然家を出て行ったのなら、その原因があるはずです。ですが先ほどのご両親のお話からは、それがちっとも見えて来ないんです」

「む……」

「今まで何不自由なく暮らしてきたのに、なぜ全てを捨てて出て行くの? 娘さんに、そういう問い掛けをされました? そして、それに答えてもらえました?」


 黙っちまった。そらそうだ。答えられるはずはないよな。親子のコミュニケーションがきちんと取れていれば、そもそも突然家出するなんてことにはならない。


 親が自分を単なる跡取りの道具として考えている。娘さんがそう思い込めば、両親の強い束縛を嫌って実力行使に出ることなんか容易に想像出来る。推理以前の話だ。だが、今の時点でいくつか分からないことがある以上、すぐに奪還に向けて動くわけにはいかない。娘さんにしか明かし得ない事実をきちんと得た上で、関係者全員で対応策を考えないとならないだろう。


「私どもで請け負えるとすれば。娘さんが家を出た理由、同居している男がどういう人物か、これからの娘さんの行動予定。それを調べて明らかにすることです」

「そんなことは!」

「他の興信所でも調べられる、ですか?」

「ああ!」

「無理ですよ。連れ戻しでなくても、それだけでも断られるでしょうね。事実、断られてきたんじゃないですか? だからうちに来たんじゃないんですか?」


 父親が再び黙り込んだ。図星だったんだろう。所長が、ひょいと俺の方を向いた。


「調査だけなら、他でも請けられたんじゃないか?」


 ああ。所長は逃げようとしてるな。連れ戻しの義務が外れれば、調査自体は沖竹でなくても出来る。そうして欲しい。そういう意図が透けて見える。


「出来ないですよ。同居人の男の素性調査までで限界ですね。そして、安田さんの方では、それはもうされているんでしょう?」

「ああ!」


 ほらね。


「でも娘さんの心情は、娘さん本人から直接聞き出さないとならない。調査員が被調査者との接触を禁じられている以上、私どもでは通常請けられない依頼なんです。調査員が接触した時点で、娘さんの行動が予測出来なくなる。どういう不測の事態が起こるか分からない。そんなの、怖くて請ける業者なんかいないですよ」


 勘がいい所長は、俺が出そうとしていた条件をすぐ見抜いた。


「そうか。中村くんは、被調査者との接触を認めてもらえれば、娘さんからの事情の聞き出しはすると。そういうことか?」

「いいえ」

「え? 違うのか?」

「違います。私どもが事情を聞かせてもらっても、娘さんを連れ戻すアクションを起こせない私どもには全く意味がありませんから」

「む。確かに、そうだ」

「事実は関係者の間できちんと共有しないと、それ自体には何の意味もないんですよ」

「ああ、そういうことか……」


 所長は、俺の目指していることが何かやっと分かったんだろう。何度か頷いた。だが、ご両親には全く見当が付かないらしい。苛立った父親がいきなりキレて、大声を上げた。


「で、あんたは出来るのか、出来ないのかっ!」

「そういう喧嘩腰の依頼は、いくら大金を積まれても請けかねます」


 俺ではなく。所長が静かにそう突き放した。


「娘さんの同意がない以上、誰がどんな風に連れ戻してもそれは犯罪になります。親だからという言い訳は一切通用しません」


 所長がぴしりと言い据えて、新聞記事のコピーを安田夫妻に差し出した。


 『実の両親が、娘を誘拐、監禁して祖父に身代金を要求』


「こんな風にね」


 所長の一撃は、金持ちならなんでも無理を通せると思い込んでいた親父の鼻っ柱をへし折るには充分だった。もちろん、うち以外の調査会社や興信所で依頼を引き受けてもらえる可能性があれば別だっただろう。だが、うちは他で無理と言われて断られてきた依頼者が最後に辿り着くところだ。ここに来た時点で、元々うち以外にはもう選択肢がない。いや、正確に言うと違う。合法的に娘を取り返したいなら、という前提条件が付く。

 その前提条件を外せば、娘の奪還はいくらでも可能だろう。裏ルートなら、荒事をこなせる連中なんざ掃いて捨てるくらいいるからね。でも安易に裏ルートを使うと、大きなリスクを背負い込むことになる。裏の連中に付け入る隙を与えること。そして、奪還の時に当事者や目撃者が騒げば、それは間違いなく安田家にとって深刻なイメージダウンになるということだ。


 本人の同意がない以上、どういう手段を取ったにせよ奪還イコール誘拐だ。合法的に奪還する手段を考えろっていうのはそもそも無理。いかに難題解決を看板にしている沖竹でも、奪還は請け負えない。だが、通常の調査の範囲をほんの少しだけ逸脱させてもらえれば、俺らが解決に向けて合法的に出来ることがある。


 俺が安田夫妻に申し出た一つ目の条件は、被調査者との直接接触を認めて欲しいということ。もう一つは……。


「うちは調査会社ですから、本来は調査以外のことには踏み込みません。ですが本件に関しては、どうしても調査だけでフォロー出来ることには限界があるんです。調査以外の手段を私どもに認めていただけるのなら、お引き受け出来るかもしれません」

「合法か?」


 所長と父親が同時に俺に聞いた。


「合法ですよ。百パーセントね」

「どんな……手段だ」


 俺は、全員を見回して。切り札を切った。


「説得です」


 娘さんから事情を聞き、その上で説得する。誰でも思いつく方法で、どこにもギミックはない。ギミックはないが、それは間違いなく異常なことだ。調査会社である沖竹が、親子の関係修復を仲立ちする義理はどこにもないのだから。もちろん俺のは単なる提案であり、所長か依頼者夫婦がそんなのはダメだと拒絶すればそれでおしまい。沖竹としては、この件はなかったことにしてください、だ。


 まず所長がどう判断するかだなあ。俺は、腕組みしたままじっと動かなくなった所長の反応を待った。所長の返答は早かった。


「中村くんがそれで行けると判断したのなら、私は止めない」


 まあた微妙な言い方を。要は、失敗したらクビってことだな。まあ、いい。俺もそろそろ限界だし、最後くらいは好きにやらせてもらおう。


 所長は、すぐに安田夫妻の意向を確かめた。


「安田さん。どうなさいますか? 正直、私は気乗りしません。成果を保証するとは言いかねます」


 かちんと来る言い方だったが、それは紛れもなく所長の本音だろう。二人して黙り込んでいた夫婦のうち、先に奥さんの方が口を開いた。


「それで……よろしくお願いいたします」


 もちろん、父親は納得していないんだろう。でもそれ以上の効果を期待できる画期的なプランなんか、依頼者から出る訳はなかった。


「仕方ない」

「分かりました。所長のゴーサインが出たので、お引き受けいたします。ただし!」


 俺はでかい声を出して、全員に警告を出した。


「沖竹としては、関係者の間で話し合いをするためのお膳立てをするところまでを義務とさせていただきます。つまり私どもは、安田さんのお宅に娘さんを戻す義務は負いません」

「それは……」


 親父の方が文句を言いたそうだったので、先に潰した。


「先ほど所長から説明があったように、いかなる状況であっても、娘さんの意思に反して強制的に家に連れ戻すことは誘拐、監禁に当たります。当所としては、犯罪行為に加担することは一切出来ません。その代わり、説得して話し合いの場まで連れ出すところまで完遂した時点で、初めて報酬をいただくことにします。成功報酬ですね」


 所長が顔をしかめたが、知ったことか。止めないと言ったんだ。好きにさせてもらう。


「私どもは、娘さんが納得する形でご両親との話し合いが出来るよう、娘さんを説得いたします。その後家に帰るように説得するのは、そちらでお願いいたします」


 反論が来るかと思ったが、夫婦は黙っていた。とにかく籠城しているその男のところから引っ張り出せれば、あとはどうにでもなる。そう踏んだのだろう。甘いな。


「中村くん。何人要る?」

「私と村田の二人でいいです。すぐ村田を呼んで参りますので、申し訳ありませんがそのままお待ちください」


 俺は安田夫妻に一礼して、ブンさんの部屋に急いだ。


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