「救命制度」5
ガラスを挟んだ向こう側には、カプセルベッドのような丸くて大きな筒状の物体が2体あり、部屋と同じく真っ白な作りで中は見えない。そしてその周りを、白衣を着た人達が行ったり来たりしている。
色々な形のコンピューターが、ざっと見て10台ほどあった。丸い筒状2つの内1つからは、様々な色のケーブルが出ていてコンピューターと繋がれている。
「すげぇ、未来みたい」
「君はもうとっくにその未来で暮らしているのさ。気付かなかっただけでね。さあ、入ってみるかい?」
「いや、でもまだ僕、承諾書にサインしてないし」
「10分だけだよ。やってみて恐かったら止めればいいし、案外大したことないと思えたら、やってみたらいいんじゃない?」
「いや、そもそも承諾してない人を入れるのって―― まずくないですかね」
「言わなきゃバーレないって!」
ウサミ先生はそう言ってIDをかざす。すると窓ガラスの一部が自動ドアの様に開いた。まだ頭がついていかない状況の中、背中を押されながら足を恐る恐る前に進める。
「皆さん、まずはプロローグを始めましょうか」
ウサミ先生の一声で、辺りに居た人達がいっせいに何かを準備し出した。
コードが繋がってない方の筒状の物体の一部が、ゆっくりと開く。やはり中はベットのようになっていて、人が1人眠れるような構造になっていた。
「ハル君、さあ、そこに寝そべって」
そう言いながら、ウサミ先生がぐいぐい押してくる。
「や、嘘、もう始まるんですか」
「当たり前でしょう。一週間前に健康診断受けてもらって、身体にも脳にも異常なかったし、準備バーッチリだもの。あ、だけど今から行うのは体験入学みたいなものだから」
その話を聞いている傍らで、たくさんの人が僕の周りに集まって、体中にコード付きの何かを無数貼りつけてくる。上半身までも脱がされ、もうされるがままの状態だった。
「あの、僕、相手のこと知らないんだけど。誰か分かるのかな」
「プライバシーの問題で、答えられるのは性別だけ」
ウサミ先生はそう言った後、手でエアーラッパを吹き出した。
「パラッパラーン、おめでとう!相手は女性だ」
「や、それだけ?」
「大丈夫、融合させるから。あっちの世界で目覚めた瞬間、お相手が目の前に居ることになる」
中に無理やり寝かされ、扉がゆっくり閉じられた。一瞬にして真っ暗になった後、ぱぁっと天井に様々な色の点の光が無数現れる。ちかちか光っていて、まるでカラフルな夜空の星みたいだった。
だけど綺麗だなんて事よりも、急な展開と密室空間が恐くなってきて、心臓がばくばくと早く脈を刻みだした。
「嘘だろ――。」
そう小さく呟いた時、スピーカー越しで「本当だよー」と言ったウサミ先生の声が響く。暗くて何処から聞こえているかは分からない。
「あの、その体験入学っていうのは10分ですよね?10分経てば、勝手に目覚めるんですか」
「ああ、そうそう。こっちから合図の光を送るから、その光に飛び込んできなさい。そしたらこっちに戻って来れるよ」
「ひ、光って、それは一体どんな――。」
「君のお父さんはせっかちなんだよねー。早くしないと、勘ぐって様子見に来ちゃうかも。ってなことで、バーイ、ハル」
「ええ?」
少しすると、耳鳴りのような甲高い音が鳴り響いた。そして、徐々に睡魔に襲われていった。
――
――――
鳥が
風が僕の髪を靡かせる。
目を閉じたままでも感じる眩い光。
光がどんどん僕を包み込む。このまま呑まれていくのかと思いきや、穴に落っこちたかのような衝撃が頭に走った。
「いって! ――え?」
首をぶんぶん左右に振って辺りを見回す。
よく知る場所だった。何なら今日の昼間も此処に居た。
辿り着いたのは、自分が通う高校の屋上だった。見る所、誰も居ない。
相手の夢の中に入るって聞いてたけど、この場所に来てしまったという事は、此処は僕の記憶の中、即ち失敗ということだろうか。それとも――。
あっちが夢だったのか?大学病院に行ったこと、陽気で変人なウサミ先生に会ったこと、マイ・レメディー、全てが夢だったんじゃないだろうか。
その時、ガチャッと屋上の扉が開く音がした。
うちの制服を着た、ボブヘアーの女子が現れる。見覚えがあり驚いた。
「な、何で――。」
指さし固まっていると、その子は僕の元までやってきて手を引っ張ってくる。
「もうハル、こんな所に居たの?早く遊びに行こう」
「ちょ、ちょっと待って」
足を止め、その人と向き合いまじまじと顔を見た。
やっぱりそうだ。最近忘れかけていたけど、この人とは以前仲が良かった。
ひょんな事から、何回か映画を一緒に観た。だけどどういう経由でそうなったんだっけ。というか、うちの学校の生徒だったっけ?
思い出せることはただひとつ、ある日突然会えなくなった。それだけだ。
「ハル?熱でもあるの?」
そう言いながら、僕の前髪を流しておでこに触れてくる。
「ねぇ、髪切ったら?イッタも毎日言ってるじゃん」
「イッタ知ってんの?」
その子は目を丸くした後に、真顔で見つめてくる。奥二重の大きなつり目で猫っぽい。懐かしくて、ついまじまじと見つめてしまった。
「それ、全然面白くない。記憶喪失の主人公が主役の映画でも観た?」
そう言いながら腕を組み睨んでくるその子は、懐かしいけどあまり記憶になくて、なのにまた会えて嬉しいという感情だけが溢れ出てくる。
急に会えなくなったから、何か事故にでも遭ったのかと心配していた。
そこでハッとする。
そうか、きっと事故に遭ったんだ。それで昏睡状態に陥ってしまったのだろう。
嘘だろ、可哀想に。おまけに皮肉にも、知り合いの僕が救わないといけないっていうの?どうしよう。
「ハル、なんか泣きそうだよ?どした?」
そうだ、僕が救いに来たことは言えない。バレないようにしないと。
そう思い首を横に振った。
「いや、うん。昨日観た映画が泣けるやつで、さ。思い出しちゃったんだよね」
するとその子は、ふうっと呆れるようなため息を吐き、肩に手を添えてきた。
「嘘――。忘れたの?ハルは出逢った時、映画好きな私に向かって、作られた世界には興味ないって言ったんだよ。そんなハルが映画を思い出して泣くわけないでしょ。何か悩みがあるんじゃない?」
この感じ、この空気、酷く懐かしい。それなのに、名前が思い出せない。
記憶を辿ろうとしたその時、イッタが現れた。
「おっせぇよ2人ともー。早くボーリング行こうってー!」
人の脳の中なのに、イッタが現れた。
目の前に居るイッタは、今日会ったイッタに変わりなかった。
ん?待てよ。ということは、この子がイッタの事を知ってるって事だよな。
――そう、だったっけ?
「姉貴がもたつくから、いつも遊べる時間が減んだってー」
「え?違うよ。私はハルを探してあげてたんでしょ?」
「姉貴!?」
驚いて思わず大声を上げてしまった。2人は揃って僕に目を向ける。それも何言ってんの?みたいな顔で。イッタは筒抜けの声量で、“姉貴”と呼ぶその子に耳打ちをし出した。
「何今の。変じゃね?ギャグだとしたら意味不明だよな」
「うん。でも、熱はなかったよ」
何でイッタに姉が居る設定?それでその姉が何で僕の知り合いなんだ?
こっちが意味不明なんだけど。
「ハルの記憶喪失ごっこはどうでもいいから、まじで早く行こうぜ」
イッタが屋上の扉を開けた時、その向こう側が光で満ち溢れていた。まるでそっちに太陽があるみたいで、眩しくて目を細める。イッタは何事もなかったように、その光に飛び込んでいった。その後に続いて行こうとする彼女の手を、思わず掴んで引き留める。
「記憶喪失ごっこにまだ付き合って。君の名前は?」
その子は呆れるように笑った。
「ユミ。それで今行っちゃったアイツはイッタ。私のバカな弟。それで君はハル。私に付き合って映画鑑賞が趣味。3人は大親友でいつも一緒。――これでいい?」
「いや――。」
ユミ。
そうだ、そんな名前だった。イッタが弟ってことは、年上?
此処はユミさんの世界。いわばユミさんの記憶の中。僕と同じ学校で、先輩で、それでいてイッタが弟?ダメだ。どうしてそういう設定なのか理解に苦しむ。
「ユミ、さん――。一体、何があったの?」
ユミさんはくすくすと笑って、僕の顔を覗き込みながら「え?」と言う。
「急に会えなくなったじゃん。僕、てっきり何かしちゃったのかと思って」
ユミさんは、突然真剣な表情になる。
それをじっと見つめていると、晴れていた空から一瞬にして雨が降り出した。
「うわ!何だよ急に」
慌てふためく僕とは対照的に、ユミさんは表情を変えずにその場に立ち尽くしている。
「冷た。ユミさん、もう中に入ろう」
「ハルは知ろうともしない」
「え?」
ユミさんは心底悲しんでいるような表情で、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「我慢してたけど、もう無理」
そう言って、突然顔を覆い泣き出してしまう。雨がどんどん強くなってきて、風も吹き始める。空が一気に黒い雲で包まれ、すぐ側で落雷の音が鳴り響いた。
「ユミさんごめん。もう記憶喪失ごっこはお終いにしよう。危ないから、中に入ろ」
ユミさんは顔を上げる。
その目は真っ赤で、今もなお涙が零れ続けていた。
「ハルはいつもそう。逃げてばっかり」
次の瞬間、この大雨の中にバカでかい太陽が出現した。おまけに猛スピードで近付いてくる。
「うわっ――。」
思わず腕で顔を防御したのも束の間、僕はあっという間にその太陽に呑み込まれた。
――
――――
ガン!
「いて!」
何かに頭を打って、そのままだらんと横たわる。
目を開いて見ると、カラフルな星が点滅した天井があった。
何処からか「おかえりハル君」というウサミ先生の声が響き渡る。
それと同時に、扉が開かれた。
そうだ、僕はマイ・レメディーの中だった。
ゆっくり起き上がると、頭に鈍痛のようなものを感じる。辺りがやたら眩しい気がして、薄目を開けるので精一杯だった。いっせいに大人達が僕を囲み、身体に付けられたコードを外していく。
「君にはやっぱりまだ早かったみたい。双方の脳波が乱れたよ」
ウサミ先生はそう言いながら、僕と目線を合わせるように屈んだ。
「10分経った時、どうして光に飛び込まなかったの?」
「ひか、り?ああ――。」
イッタが開けた屋上の扉の先に光があった。あれが合図だったのだろう。
僕は首をゆっくり左右に振った。
「あれじゃあ分かり辛い」
ウサミ先生は顎を撫でながら「ふむ」と言って、コンピューターを弄りだした。
上着を身につける僕の傍らで、軽快にコンピューターを操作しながら言う。
「ま、とにもかくにも、やっぱりまだ君には早かった。こっちで緊急措置を取って戻って来てもらったよ」
大きな太陽。
あれが緊急措置の方法なんだ。
現実で何が起きたのかを問い質そうとしたから、ユミさんの脳波に異常が出たのだろう。
「通常だとこの後、何があったのかを教えてもらう。我々にとってはデーター収集だが、君らからするとカウンセリングのようなものだ。だが今日は体験入学だったから、もう帰ってもいいよ。君のお父さんがそろそろサイヤ人になる」
ぷっと吹き出して笑いながら「なにそれ」と返した。
するとウサミ先生が近付いてきて、おでこを指さしながら小声で言う。
「知らないのかい?君のお父さんはストレスが溜まると、おでこの血管が浮き上がってサイヤ人みたいになるんだ」
ウサミ先生は面白い。
この物珍しいお医者さんの研究に付き合ってみたいと思えてきた。
だけど何よりも――。
『ハルはいつもそう。逃げてばっかり』
そう言ったユミさんの悲しげな表情が頭から離れない。そして、どうして僕らは会えなくなってしまったのか。それらが気になって仕方がなかった。
「明日は何時に来ればいいの?」
そう告げるとウサミ先生は、つぶらな目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
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