ninth chapter.さようなら

「さようなら」1

僕は中津 ハル。高校2年生で、3年生になるところだった。



幼い頃に両親が離婚して、水商売をする母親に育てられている。そういう家庭って、非行に走る子供が多いとよく聞くけど、僕は違う。暗くて人見知りだし、卑屈で群れるのが嫌いで、友達を作らない。



趣味は映画鑑賞。中でもアメコミから生まれたものが好きだ。個人的な意見だけど、アメコミって、人間の光と闇が上手く描かれていると思う。ヒーローもの等あり得ない設定も多いけど、闇を持った共感できる登場人物が現れることが多かった。だからハマって、色んなアメコミ映画を観た。



そんな僕に中学の頃、親友が出来る。僕を理解してくれて、好きなもの共有し合える大切な存在だ。ひがしイッタ、その姉のひがしユミ。



2人が鹿児島から転校してきて仲良くなった。きっかけは、イッタが僕に何故か懐いてくれたお陰だ。中学の頃はユミさんに他の友達が居たので、3人で遊ぶ事はなかった。その時はもう1人、僕等に友達が居たんだ。



窪田くぼた ユウダイ。同じクラスで、僕と似たような所があると勝手に思っていた。だが実際に仲良くなってみるとヤンチャで、だけど時にクールで頭が良く、スポーツ万能、成績優秀で女子にモテる。僕とは全然違かった。



でもたまに覗かせる暗い心は、やっぱり僕に似ている様に思えて、親近感が湧いたのと同時に、憧れの存在でもあった。おまけに両親は金持ち。父親が医者で、医者になるのをずっと拒み続けてた。親に反抗的だったユウダイを、密かにカッコイイなと思った。裕福なことにも。



イッタとユウダイ、3人で過ごした中学時代は、今思えば奇跡のような日々だったんだ。高校に入ってから、全てが変わってしまった。



ユウダイは分かり易く非行に走っていく。髪を脱色し、ピアスを無数開け、暴力的で聞く耳持たない、危ない奴へと変貌していった。学校中の生徒が恐れていて、イッタも僕もお手上げ状態だ。僕も何度かその集団に目を付けられやられていた。



そんな中、ユミさんが高校で虐めに遭って1人だった為、自然と3人でいつも一緒に居るようになる。3人だけの部活「映画鑑賞部」なんてものを勝手に作って、放課後に色んな映画を観た。



3人で楽しい日々を過ごす中、ユウダイの荒れようは加速していく。それに気付いた先生達も止める事が出来なかった。ユウダイの両親もほったらかしだ。奇行がますますエスカレートし、ユウダイという存在は、皆にとって脅威となってしまった。ただ1人、逆らい続けた男が居た。



それがイッタだ。



2人の争いを何度見たか分からない。その度にイッタは傷を作り、僕とユミさんに心配を掛ける。思えば中学三年の頃から、ユウダイがイッタに嫉妬してるように感じる事が多々あった。



年と共にズレていく考え、ひずんでいく心、覆われていく闇、それらがゆっくり進行していくのを、僕は目の当たりにしていた筈だ。なのにユウダイを光へと導く事が出来なかった。いや―― 出来なかったのではなく、恐らくしなかったのだ。ユウダイの両親や担任と同じで、僕は目を逸らし続けていたんだ。



真実はこうだ。



あっちの世界、こっちの世界という境界線はなく、同一。現実だと思い込んでいたけど、全てが夢だった。僕はずっと何処かの世界を彷徨い続けていたんだ。その世界には、願望が多分に含まれていた。



本当は、ユウダイとの仲は中学生までで、僕とユウダイの家庭環境は逆だ。ユウダイに対する憧れが反映してしまったのだ。本当はユウダイが医者の息子で、僕が男好きのシングルマザーの息子。中学の頃、ユウダイから父親がマイ・レメディーに携わってるという話を聞いていた。色々と教えてくれた内容を、僕はよく覚えていたのだろう。



高校生になっても、中学の頃と変わらずに居たかった。3人で過ごしたかった。イッタとユウダイが笑い合う姿を、また見られたら良いのにとずっと思ってた。だから高校でも3人仲が良いという設定だったのだろう。僕は願望と記憶の狭間を、ずっと行ったり来たりしていた。最終的には現実を全て思い出して、絶望感に苛まされている。



そして今、誰も居ない街に佇んでいた。



ユウダイと共にホテルの屋上から落ちた事を思い出した後、目覚めたらこの街のど真ん中に寝転んでいたのだ。最寄り駅の、見慣れた街並み。観光客が多い場所なので、所々に街の案内看板が鎖さってる。だが人っ子一人居ないので、知らない街のように見える。望み通り、世界に1人ぼっちになってしまったようだ。



そもそも現実の僕は、一体どういう状況なのだろうか。死んだ、のかもしれない。だとしたら、此処は地獄?どうだっていいけど、早いとこ死を実感出来ないだろうか。



ひたすら歩き彷徨っていたら、神社や寺が多くある観光地にやってきた。ふと、記憶にある寺に向かおうと思い立ち、足を進ませる。死後に出会う十王をまつってるといわれる寺だ。十王とは、仏教や道教などにおいて、死者の魂を裁く十人 の裁判官のことで、寺の中にその像がある。



僕は地獄を求めていた。



道路沿いにあるその寺の入口は分かり辛く、他の寺と比べると規模が小さいので、あまり知られてない。



その寺の階段を上がった先で、本当なら入園料を払わなければならないが、案の定、そこには誰も居なかった。そのまま進んでいき、本尊ほんぞんに入る。



こんな事になる前に、来る度思ってた。此処は静寂で、冷っとしていて、他の場所と空気が違うなと。ベンチに腰掛けると、迫力ある大きさと表情をした、閻魔えんま大王の像が見下ろしてくる。左右には裁判官である十王や、脱衣婆などの像が、僕を取り囲むようにして居た。



こんな説がある。人が生まれると倶生神くしょうじんが肩に宿り、その人の日頃の行いを見て記録している。これがいわゆる“閻魔帳えんまちょう”で、それを基に死んだ時、裁きを下されるそうだ。



僕はぼうっと閻魔えんま様を眺め、判決が出るのを待った。暫くそうしていると、突然背後から声がする。



「隣に座ってもいいかね」



振り向くと、白衣姿で微笑むウサミ先生が居た。今は可笑しな格好をしていない。



「久しぶりだねハル君、少し痩せたかい?」


「かもね」



ウサミ先生が隣に座ったその時、再びイッタを失った悲しみと怒りが蘇ってきて、涙が零れた。迷子のところ親に迎えに来てもらえたように、心がホッとしたというのもある。1人がいいと思っておきながら、本当は心細かったのかもしれない。



「全部分かったよ。だけど先生は、誰なの?僕の記憶には居ないはずの人だ」


「自分の事はこの歳になっても分からんよ。ただひとつだけ言えるのは、僕の事をよく見てご覧?誰かに似ていないかい?」



朗らかに優しく微笑むその顔は、誰しもを温かい気持ちにさせるような、不思議な力を持っている。確かにずっと、誰かに似ているなと思っていた。



「君はアメコミ映画の他に、ある俳優が出てる映画を好んで観ていたよね」



ハッとしたように思い出す。僕は米俳優の、ロビン・ウィリアムズのファンだった。あの笑顔を見ると、心が救われるような思いだったのだ。彼はコメディーを筆頭に、数々の映画作品に出演している。愉快で心優しい医者の役も演じていた。



ウサミ先生は、その役を演じていたロビン・ウィリアムズに似ているのだ。



「僕はずっと君にヒントを与えていたのだよ。あの映画のように、人が笑えるような格好をしてね。それとおまけに、君が記憶を取り戻せるよう、ちょっとした言葉を添えてた。最後にしたピエロの格好の時は、さすがに気付くかと思ってたんだけどねぇ」



僕がまだ記憶を取り戻せていない時、最後にウサミ先生を見た姿がピエロだった。確かにあの時、妙な感情を抱いた。その答えがやっと今わかる。あの映画のロビン・ウィリアムズの役は、ピエロの格好をして患者を笑わせる医者だった。“ピエロ医師”とも呼ばれていたのだ。



「ってことは、ウサミ先生は、僕の記憶にあった映画の人で、実在しないってこと?僕がそういう医者を望んだから―― 現れた?」


「それを聞かないでくれよ。もしかしたら実在する医者だけど、君には外見がロビン・ウィリアムズに見えてるだけかもしれないよ」


「実在しないとしたら、今も幻覚と会話してるようなものだ。僕の頭はイカれてんだね」


「イカれてるのはお互い様さ。世の中にそんな人は無数と居る。イカれてると思うか、個性または天才と思うかは、個々の自由なのだよ。ロビン・ウィリアムズが演じた役は、実在する医者だ。彼もよく、イカれてると言われたらしいよ」


「あの人は多くの患者を救ったじゃん。僕は、誰も救えてないし役に立ってない。そういえば―― ロビン・ウィリアムズって、死んじゃったんだよね?確か、自殺だって噂だった。感動的な映画に出て、良い演技をして、あの人も多くの人の心を救ってた。なのに、何でだろう」


「人を救える人は、自分を救えないのかもしれないね」



イッタもそうだったかもしれない。困ってる人や傷付いている人を放っておけなくて、色んな人を救おうとしてた。僕もその内の1人で、何度も何度も心が救われた。だけど僕は、イッタを救えなかった。救うべきだったのに。



顔を伏せて泣き続けた。後悔と失望感で、どうにかなってしまいそうだ。



僕の人生はもう、終わりだ。こんな苦しみには耐えられない。乗り越える力などない。ただでさえ人生は絶望的なものなのに、イッタというたったひとつの光を失ってしまったら、真っ暗で進むべき道が何も見えない。



暗闇に光が差し込むことは、この先ないだろう。生き続ける意味など、これっぽっちもないじゃないか。死ぬ事など、生きる事に比べたら何も恐くない。



死のう、ただ眠るように。

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