sixth chapter.歪み
「歪み」1
6時間入れるようになったからって、戻って直ぐに動けるようになったわけじゃない。その後、1時間位はほぼ動けないのだ。
ストレッチャーに移され病室に寝かされる。そしてウサミ先生がベット脇にある椅子に腰かけ、カウンセリングが始まるというのがいつもの流れだ。ちなみウサミ先生は今日、カチューシャタイプのウサギの耳をつけている。おまけにご丁寧に、白衣の上からお尻辺りに丸いシッポまで貼りつけていた。
ウサギは警戒心が強く、家で飼われるようになってもその習性は変わらない。例えば具合が悪くても平気な振りをして、弱っている自分を見せないそうだ。その説明の後、しみじみと言う。
『僕だってこう見えて弱ってるっていう主張さ。もうすぐ還暦を迎えるっていうのに、24時間営業だよ。そりゃ弱るよね?』
それを聞いて僕は、めっちゃ弱音吐いてる。ウサギになり切れてないしとか思ってしまった。真剣にウサミ先生のコスプレと向き合っても意味がないというのに。
そんなウサミ先生が此処に運ばれてくる途中、ウサギの耳を揺らしながら酷く心配そうに声を掛けてきていた。病室に着いてからもそうだ。
「いやあ、油断した。君があまりにも軽々と最高記録を叩き出すものだから、きっと大丈夫だろうと思っていたよ。こういう時こそ緊張感を持つべきなのにね」
「あの――。」
「いや本当、焦ったよ!僕はね、君を連れ戻せないんじゃないかと思ってね。何回か異常が出たもんだから、緊急措置を取ったけど戻って来ないんだもの!どんなに焦って血の気が引いた事か!」
ウサミ先生の早口と気迫に呑まれ、空気を読んで小さな声で伝えた。
「ご心配をお掛けして、すみませんでした」
「いやいやいいんだよ、君は気にしないでくれ。だけど、最初の光に飛び込んでもらわないと困るよ。一体何があったのかは知らないが、こっちの身にもなってくれ、大慌てさ。寿命も縮まるってもんだ!」
気にしないでって言った癖に――。どっちなんだ。
「もう気持ちは充分、分かりましたんで。本当にすみませんでした!」
少しだけ強めの口調でそう言うと、やっとウサミ先生の早口が止まった。だけど此処まで責めてくるという事は、僕の事を心配してくれているんだと思う。ウサミ先生は父親と共謀してるのでは?と、いつしか勘ぐってしまっていた事を申し訳なく思った。
「それはそうと、何故戻って来れなかったの?どうして光に飛び込まなかったんだい?」
「あー」
実は、既に出た記憶に戻れるのか試してみて、見事戻れたからずっと後悔していた事をやり直しました。そしてなんと、ユミさんが僕と同じ想いを抱いていたようなのです! ――そんな事は、決して言えない。だけど今、考えただけで顔が綻びそうになった。気付かれたらマズイので、ポーカーフェイスを何とか装う。
「彼女があともう少しで、生きたいって思いそうだったもので、それで粘っちゃいました」
「そう、どんな事をしてそう思わせたの?」
「あー、まあ、一緒に遊んでて、相手が楽しんでいたようなので、また生きたいとか思ってもらえたのかなーと」
「これまたざっくばらんとした意見だねぇ」
ウサミ先生はそう言いながら眼鏡を掛け、顎に手を当てながら手元にあった用紙に目を落とす。
「最後の此処かな。この反応がそう思った時だろうか――。」
難しい顔をしてぶつぶつ独り言を言っていた。何かの数値の表を見ながら真剣に考えるその様は、研究者って感じでカッコイイとは思ったけど――。頭に付けられたウサギの耳が、何ともマヌケだ。
大の大人がこんな格好で仕事をしているなんて、周りの人達は注意しないのだろうか。もしかしたら、ウサミ先生は相当偉い人なのかもしれない。それか、あまりにも変わってるから関わりたくないとか。どっちもあり得そうだ。
「ウサミ先生、質問があります」
今もなお数値が書かれた紙に夢中で、こちらを見ようともしない様子だった。次のページを捲りながら、軽い口調でどうぞと言う。
「マイ・レメディーの中で、死ねますか?」
先生は捲る手を止め、ゆっくり僕に目を移した。そして下がった眼鏡を人差し指で押し上げる。
「何て事を聞くんだね」
「いや、実際にそうしたい訳じゃ決してなくて、可能性を聞きたいだけなんです。だってあっちの世界でだって車は走ってるし、現実のように轢かれないよう注意する必要はあるのかなって」
「うむ。まあそうだね、一応注意はしてほしい。ただそのようなアクシデントでは死なないと思うがね」
「どういう事ですか?」
「最初に君に話したでしょ。相手がマイ・レメディーから目覚めるには、生きたいと思う力が必要なんじゃないかって」
「はい」
「死は、その逆って事さ。死にたいという強い想いがそこに集中したら、死を招く可能性は高い。例えば君が誤って車に轢かれてしまうのと、死のうと強い意志を持って車に轢かれてしまうのとでは、全く違う結果を招くということさ」
「じゃあ―― 僕にも、あの世界で死んでしまう可能性があるってこと?」
「まあそういうことだけど、君は死のうとは思ってないだろ?そういう面も持ち合わせた機器だからこそ、僕は細心の注意を払ってこの仕事をしているのだよ。だから君が言う通りに光に飛び込んでくれなければ、どんなにパニックを起こして寿命が――。」
「分かりましたってば。気を付けます」
「宜しい」
会話していたら、徐々に目が回ってきた。見える物が全てゆっくり動いて見える。顔を前に向き直し、目を閉じて体調が回復するのを待った。
「疲れただろう?まだ夜の7時だが眠るといい。脳を休めなくちゃね」
「カルテは」
「目覚めたら呼んでくれればいいし、そのまま眠ってしまったら朝にでも話を聞くよ。僕は今から検証をしてくるから」
「ありがとうございます」
ウサミ先生は大量の紙を脇に挟み、方手を上げ去って行く。それと同時に部屋の明りも消えた。
再びユミさんの事を思い出す。
『私もハルの事が――。』
あの後に続く言葉は―― あれだろうか?そう考えると鼓動が早まって、嫌でも顔がにやけてくる。だけど、両想いだという自信はあまりない。僕はいつだってそうで、何か良い事が起こると悪い事も起こるような気がしてしまう。幸福などこの僕に訪れる訳がない。浮かれているときっと、目に見えない何かに足を
今もユミさんは、あの世界の中を彷徨っているのだろう。突然僕が消えてガッカリしているだろうか。早く会って話がしたい。ユミさんもそんな風に思ってくれていたなら、それだけで嬉しい。
考えている内に睡魔に襲われ、気付けば眠ってしまっていた。
そんな中、久しぶりに金縛りにあう。目を開くと、また少し離れた場所にカシワギが立っていた。
何なんだよ、あいつ。
眠っていた所を無理やり起こされたような気になり、不快な気持ちでカシワギを睨み付ける。体は動かないし、喋る事も出来ない。カシワギはまた無表情で、ゆっくりベット脇の椅子に腰かけた。
「中津君って、嘘つきだよね」
はあ?何言ってんだ、さっさと消えてくれ。そう怒鳴ってやりたいのに、何も出来ない。
「本当は死にたいくせに、あの先生に嘘言っちゃってさ。分かるよ、中津君の気持ち。この世は理不尽な事ばかりで――。」
そこで言葉を詰まらせ、表情を強張らせる。そして怒りが満ちたように震え出した。
「全く、腹が立つよ!!」
そう大声で怒鳴りだす。カシワギ特有の“突然切れ出す”が出た。
学校で何回か目の当たりにした事があったけど、その時はまた切れたよとうんざりした。今は、この状況と暗闇で怒鳴るカシワギに酷く恐怖を感じる。心臓がばくばくしてきて、殺されるのではないかという不安に変わっていった。
カシワギは顔を近付けてくる。眼鏡の奥の目は瞳孔が開いており、イカれているように見えた。
「君は悪くないよ、中津君。悪いのはあいつらだ。早く殺せよ。君にはその権利があるだろ?僕と一緒で、散々苦しんできたじゃないか」
恐怖で妙な汗を掻いた。おでこからゆっくり伝って落ちていくのを感じる。
「君が大好きな映画に出てくる、悪役の言葉を借りて伝えようか。“苦難を乗り越えると、人は皆イカれちまう”んだ」
何故か目から涙が溢れ出てくる。“止めてくれ”そう言いたい。
カシワギは瞬き一つせず目を見開いている。全身が怒りで
「早く
そこで僕は、やっと息が出来たように勢い良く起き上がる。辺りは真っ暗で、何事もなかったように静寂に包まれていた。
多分僕は、夢を見ていた。
だけど鼓動が早く、汗も涙も流れている。脳を酷使するマイ・レメディーのせいで、もしかしたらストレスが溜まっていたのかもしれない。怖い夢を見た時は、大抵ストレスからくるって聞いた事がある。だけど、目覚めても恐怖心を拭う事は出来ず、何かに
【イッタ起きてる?】
助けを求めるようにイッタにラインを送る。画面に表示された時刻は、夜9時過ぎだった。
その時、意外に早く返信が来た。
【おう、どした】
【カシワギ生きてる?】
【おまえゲイなの?】
【何それ】
【2回目だぞその台詞。そっち系なのか?おまけにカシワギって、趣味を疑います】
なに敬語になっちゃってんのと思い、ぷっと吹き出して笑った。イッタとのやり取りのお陰で、ホッとできた。
【違う。実はこれで2回目なんだけど、カシワギが枕元に出てきた。死んだかと思ってビビるんだよ】
【夢に見るほど惚れてんの?】
【違うって言ってんじゃん。まあいいや、明日は学校に行くから、その時に話すよ】
【やっと来る気になったか。こっちは大変だぞユウダイが】
【どうかした?】
【なかなか学校来ないと思ったら、何かバイトしてたみたいで、そこで一緒に働いてる悪い奴らと仲良いみたいだ】
ドキッとした。心の片隅にいつも、ユウダイはいつか悪い道に行ってしまうのではないかという不安があったからだ。
その後、イッタと何度かやり取りをして知った。
あくまでも噂らしいけど、ユウダイがその悪い連中らと一緒になって、うちの学校の女子生徒を使い、
僕がマイ・レメディーに、ユミさんの世界に夢中になっている間に、ユウダイがそんな事になっているなんて思いもしなかった。イッタはしきりにただの噂だ、ユウダイを信じてやろうと言う。だけど僕は気が気じゃなかった。
あの日、バイトを始めると言ったユウダイを止めるべきだったのかもしれない。それに、バイトを始めてからも、もっとユウダイと接点を持つべきだった。
イッタとのラインを終え、ユウダイに電話を掛けたけど出なかった。ラインだって既読にはなるけど、ずっと無視されている。
嫌な予感を抱えたまま、再び眠りについた。
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