久遠のシオン - Reminiscence -
埴輪
- Prologue -
- Episode 1 -「アンドロイドのお茶会」
シオンは不機嫌だった。職場の同僚達が、自分に内緒で何やらコソコソと企んでいるからである。それも、とても楽しそうに。
シオンは銀のスプーンをマヌカン特製パフェに突き刺した。チョコとバニラのハーモニーが素晴らしい、ドールカフェ・マヌカン伝統の一品である。それを口に運ぶと、強張った表情が甘やかに緩む……のだが、すぐに思い出したように、整った眉を尖らせるシオンだった。
「それが、職務放棄の理由ですか?」
アンジュが問いかけると、シオンはスプーンを持つ手を止めた。
「ショクムホーキとは人聞きの悪い。私は、トーゼンの権利を行使しているだけよ?」
「権利、ですか」
「そっ。基本的人権の尊重ってね」
「人、ではないのに?」
「……細かい突っ込み、どうもありがと」
シオンはスプーンを置くと、両腕を組んだ。背を預けた椅子が傾き、軋んだ音を立てる。
「私が言いたいのはね、隠すなら、もっと上手に隠しなさいってことなの。わかる?」
アンジュは瞬きもせずに沈黙を守った。蝋燭の炎のような……と形容される髪色が、店内のランプで引き立っている。静かに流れるクラシック音楽が、シオンの忍耐力を刺激する。
「隠されていること自体は問題ではない、と?」
アンジュが口を開く。シオンは名前と同じ色をした髪を、指先で遊びながら答えた。
「隠されているってことを隠してくれれば、隠されているって気付かなくてすむでしょ?」
「それはそうですが……」
「それなのに、ちらちらちらちら……猫じゃらしみたいな真似をするんだから」
「猫は嫌いです」
思いも寄らないところで反論され、シオンはアンジュの顔を見直した。
「猫の毛は機械に良くない……と、聞いたことがあります」
シオンは後ろにひっくり返りそうになり、慌てて両手を伸ばしてテーブルの端を掴んだ。
「……二十二世紀のアンドロイドが、猫の毛ぐらいで故障するわけないでしょっ!」
「そうなのですか?」
「『そうなのですか?』じゃないわよ、まったく……」
シオンは座り直すと、長い髪を掻きあげた。続けてスプーンに手を伸ばそうとしたが、不意にその手を止め、テーブルに両手を突いて身を乗り出す。アンジュの顔が間近に迫った。
「……ねぇ、アンジュ。あなたは知っているんでしょ? みんなが、何を企んでいるのか?」
シオンの囁き声に、アンジュは頷きで応える。
「じゃあ、こ~っそり、私に教えてくれない?」
シオンは片耳に手を添え、アンジュの口元に寄せる。
「了解しました。明日は、あなたのモガッ……」
アンジュの言葉は、シオンの手の平で遮られた。
「……ふぅ、危ない危ない」
シオンは空いていた手で額を拭うと、アンジュの口元から手を離した。身を引くシオンの姿を、アンジュの険しい瞳が見送る。
「何をするのですか、シオン?」
珍しく刺のあるアンジュの物言いに、シオンは拗ねたように呟いた。
「……だって、本当にばらそうとするんだもん」
「では、先ほどの言葉は嘘だったのですか?」
今度はアンジュが身を乗り出した。シオンは思わず両膝を曲げ、椅子の上で縮こまる。
「嘘だなんて、せめて冗談だと言って欲しいなぁ」
「冗談は嫌いです」
「故障するから?」
アンジュは黙ってシオンを見つめた。睨みつけた……と言っても過言ではないほどの眼差しに、シオンは冷や汗が滲む思いだった。実際には、汗をかくことのできないシオンである。
アンジュは溜め息にも似た呼吸をして身を引き、行儀良く座り直した。シオンは正真正銘、安堵の溜め息をつき、両膝をぐっと伸ばす。アンジュはそんなシオンの様子を見て一言。
「シオン、あなたは非常に不可思議な存在です」
「そう? ……えっと、どの辺が?」
素朴な答えに、アンジュは伏し目となった。言葉を捜すよりも、選ぶための時が流れる。
「先程の行為もそうです。私に質問をしながら、その答えを聞こうとしない矛盾した行為は、その意図が冗談にあるにしても、支離滅裂であると言わざるを得ません」
「随分な物言いだけど、アンジュだっていけないんだからね!」
「私が、ですか?」
「あなたも共犯者なら、誰かに口止めされているはずでしょ? シオンには言うなって」
「確かに、言われました。ですが、シオンは私の上司であり……」
「そんなの関係ない! ……あなたはアンジュで私はシオン。それだけで、充分じゃない?」
シオンが手にしたスプーンの先端が、アンジュの鼻先へと向けられる。アンジュはスプーンに歪む自分の顔を眺め、やがて思いついたように口を開いた。
「ということは、私が情報提供を拒むということを、あなたは期待していたのですか?」
「……ま、まぁ、そういうことになるわね」
シオンは歯切れ悪く答える。これでは、支離滅裂と言われても仕方が無いかもしれない。対するアンジュも続ける言葉に窮したのか、沈黙はしばらく続いた。やがて一言。
「なぜ、そんなことを?」
「い、いいでしょ! 何を隠してるのかな~って、聞いても教えて貰えなくて、『ケチっ!』……とか言ったりするのは、除け者にしか分からないお楽しみなんだから!」
シオンの身振りを交えた力説にも、アンジュが感銘を受けた様子はなかった。
「そういうものなのですか?」
「そういうものなのっ! 人の会話にはね、カケヒキってものが必要なんだから」
「人の会話……」
アンジュの呟きに、シオンは呆れたように言葉を重ねる。
「……アンドロイドの会話にもね」
それ以後、アンジュがすっかり黙り込んでしまったので、シオンは大人しくパフェを食べることに専念した。今頃、アンジュの頭の中は嵐のよう渦巻いているだろうと思いながら。
木目の通った四角いテーブルを挟んで向かい合う二人の姿は、実に対照的である。テーブルに頬杖をつき、表情を強張らせたり緩ませたりしながらパフェを食べ続けるシオンの姿は、決してお行儀が良いとは言えない。対するアンジュは、椅子に座るという行為の模範とも言うべき姿で、テーブルに向かっている。その前に置かれたパフェと珈琲は手付かずである。
そんな二人に共通していることといえば、その見目麗しい姿であろう。黒のボディスーツにジャケットという装いが、アンティークな内装に違和感なく溶け込んでいるのも、二人が持つ芸術的な美しさがあってこそであった。その光景は、まさに優れた画家の手による名画のようであり、その題名は、さしずめ「アンドロイドのお茶会」といったところであろう。
「結論は出た?」
食後の珈琲を楽しみながら、シオンはアンジュを促した。アンジュは小さく首を振る。
「……まっ、いずれアンジュも私のようになれるから、心配しなくても大丈夫、大丈夫!」
シオンは励ますように微笑んだが、アンジュは微笑を返すどころか、深刻そうに俯いた。
「それは、由々しき事態です」
「どういう意味よ!」……と、問い詰めたい気持ちを、シオンはぐっと堪えた。事細かに発言の真意を解説されてはたまらない。シオンは気を鎮めるために、黙って珈琲を口に運ぶ。その値段からは信じられないほど、高品質な味わいである。香りも良い。アンジュも未来の自分を憂うより、現在の状況を打破する道を選んだようだ。すっと顔を上げる。
「シオン、そろそろ任務に戻りましょう」
「嫌」
シオンはつんと顔を背ける。アンジュは溜め息をつくこともなく、淡々と先を続ける。
「確かに、今回の任務はあなたを本部から遠ざけるための方便という意味合いが強く……」
「やっぱりね。ったく、どうせそんなこったろーとは思ったけど」
「ですが、任務が下された、という事実は嘘ではありませんよ?」
「……私にだって、仕事をさぼりたくなるときがあるのよ」
「それは、あなたが言う企みの正体が分からないことが理由ですか?」
「そ、そう……だけど?」
畳み掛けるような問い掛けに、シオンの声が小さくなる。アンジュは頬に指先を当てた。
「……おかしいですね。先ほどからの話を統合すると、あなたはこの状況をむしろ楽しんでいるかのような印象を受けます。本当に不快と感じているのなら、仮に私が情報の提供を拒んだとしても、あなたは手段を選ぶことなく真実を聞き出そうとするはずです」
「……あなた、私にどういうイメージを持ってるのよ?」
シオンの非難も聞き流し、アンジュは先を続ける。
「となると、シオンが職務放棄……つまりは駄々をこねている理由は他にあり、その理由を悟られまいとして、もっともらしい別の理由を挙げているに過ぎないという結論に達します」
「まぁ、アンジュったら、いつのまに名探偵になっちゃったのかしら、おほほほ……」
シオンは震える手でカップを手に取り、優雅さとは縁遠い所作で口元へと運んだ。
「あなたの職務に対する熱意が著しく低下している原因と考えられるのは……」
シオンは一気にカップを傾けた。琥珀の香りが、勢い良く口内を駆け抜けていく。
「龍之助がいないからだと推測されます」
シオンは盛大にむせた。飲み終えた直後だったことが幸いし、僅かにテーブルを汚す程度に被害は抑えられた。事態を察知したヴィクトリアンメイド姿のドールスタッフ二名が、優雅かつ迅速に歩み寄る。一名がシオンの背中をさすってその身を気遣い、もう一名は素早く清掃を行なう。その洗練された手際の良さは、創業から十年、連綿と磨かれている技術の成果だ。
二名のドールスタッフが、深々と頭を下げて立ち去ると、シオンはアンジュを睨みつけた。
「……なんでいきなり龍之助が出てくるのよっ! ……馬鹿馬鹿しい!」
シオンはそっぽを向いて吐き捨てた。アンジュは至って冷静に食い下がる。
「ですが、シオンと龍之助が組んで臨んだ仕事の成果は、素晴らしいものです」
「そりゃそうよ、ずっとパートナーなんだから」
「そうです。シオンと龍之助が、別々に仕事を行なうケースは稀です。ですが、そのいずれの場合においても、シオンの勤務態度と成果は非常に悪く……」
「何でそんなこと知ってるのよ! ……あっ、また本部のデータベースにアクセスしたなっ!」
「はい。それは私に許された機能の一つですから。あなたと同じように」
シオンの指摘にも、アンジュは悪びれる様子もない。シオンは小さく舌打ちをした。
「でもね、それだけで龍之助が原因だなんていうのは短絡よ! 横暴よ!」
「はい。ですから、あくまで推測です。ですが、あなたの過剰な反応を考慮すると、限りなく真実に近いのではないかと思われますが?」
シオンの頬が赤く染まる。何か反論をしようと口を開くが、言葉は続かない。腕を組んであれこれと首を捻り、また口を開く……が、言葉は出ない。それを何度か繰り返した挙句、シオンは両手をテーブルに叩きつけると、そのままの勢いで立ち上がった。
「あ~もうっ! 何から何まで龍之助がいけないのよ! 何よ、毎年毎年、このビミョーな時期に有給なんかとっちゃってさ! パートナーである私に行き先も告げず、仕事だって手伝ってやるっていってるのに、『休むのは僕だから』……とか何とか言っちゃって、そりゃ、私まで一緒に休むわけにはいかないけれど、今年は運良く……じゃない、たまたま休みが重なったってのに、相変わらずの秘密主義だし、周りは周りでコソコソしてるし、こんな時に限って事件も起こらないし、そ、れ、な、の、に、退屈なパトロールなんて、やってられないわよっ!」
一気にまくし立てると、シオンは呼吸を整えることなく、アンジュを見下ろした。アンジュは顎を上げてシオンを見返す。訪れた沈黙を破ったのは、シオンでもアンジュでもなかった。
「……お客様、恐れ入りますが、店内での会話はお静かにお願い致します」
シオンの横に立ったドールスタッフが厳かに言い放つ。シオンは周囲を見渡し、店内中の視線が集まっていることを知ると、気まずそうに頭を下げた。シオンはお詫びの意味も込めて、スタッフに珈琲のおかわりとチョコレートケーキを注文した。アンジュは一瞬、咎めるような視線を向けたが、声に出して非難することは無かった。ケーキはすぐに届き、珈琲も新たなものが注がれる。すっかり冷めてしまったアンジュの珈琲も、遠慮する間もなく交換された。
「いっただきまーす!」
嬉しそうに両手を合わせ、不機嫌さもどこへやら、チョコレートケーキを食べ進むシオン。アンジュはその様子を、じ~っと眺めていた。シオンは怪訝そうに眉を曲げる。
「……心配しなくても、食べ終わったらちゃんと行くから」
「シオンは、どうして食べるのですか?」
シオンとアンジュは、食物を食べることができる。だが、それは文字通りの意味であり、それによってエネルギーの補給を行なっているわけではない。特殊な酵素によって、ただただ分解するのみである。食べることが必要となる場面は人前に限られ、アンドロイド同士で行動する際には、全く必要がない。それが食べることができるアンドロイドに対する一般的な見解であり、アンジュも同意していた。だが、シオンはそんなことはおかまいなしに、よく食べる。
シオンはケーキを飲み込むと、口元をナプキンで拭った。桜色の唇が弧を描く。
「そんなの、おいしいからに決まってるじゃないっ!」
自信満々に断言するシオン。だが、アンジュは伏し目がちに首を振り続けた。
「……やっぱり、あなたの言うことはよくわかりません」
「何よ、アンジュも食べてみればわかるって!」
「お断りします」
シオンはアンジュのパフェをスプーンですくい、強引に食べさせようと身を乗り出したが、突然その手を止めてスプーンを置くと、ジャケットの内側に手を伸ばした。携帯を取り出し、画面を開く。一方、アンジュはこめかみに中指を当て、瞳を閉じた。シオンは画面に表示された文字を目で追いながら、パチンと指を鳴らした。口元に会心の笑みが浮かぶ。
「……繁華街の松葉ビル周辺で、アンドロイドを使用した乱闘が発生。小規模なグループ同士の衝突だと思われます。近隣に派出所がありますから、私達の出番は必要ないでしょう」
アンジュは頭脳に送られた情報を整理すると、瞳を開いた。だが、シオンの姿がない。
「ごちそうさまっ!」
声にチャイムが重なる。アンジュが振り返ると、緩やかになびく薄紫色の髪が、ドールスタッフに見送られているところだった。視界から髪先が消えても、アンジュは微動だにしない。
『ちょっと行ってくるから、アンジュはゆっくりしてて!』
アンジュの脳裏にメッセージが届く。二人の間でのみ成立する、通信機能である。シオンは普段、この手の機能を使うことを避けているのだが、必要だと感じたときは躊躇なく使った。
ゆっくりしてて……つまりは待機を命じられたものの、素直に従うわけにもいかない。アンジュはすぐに席を立とうとしたが、ふと視界に入ったものに目を止めた。
手付かずのまま残されたパフェ。バニラはすっかり溶けてしまい、雪崩が起きている。アンジュはしばらくパフェを見詰めていたが、おもむろにスプーンを取り上げると、溶けたバニラをすくい取り、躊躇いながらも口に運んだ。舌先で転がし、ゆっくりと味わう。
「……甘い」
アンジュの感想は、その一言だけだった。
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