第4話 ターゲットは、制服に群がるシチュエーション。

「……で、なんでお前たちがここにいるんだ?」

 ただでさえ細い目をさらに細めて、疑心暗鬼感丸出しのヒョロ長が俺たちに問いかける。

「しょうがないじゃない。私達が集まれるような場所、ここしかないんだし」

「そういうことだ。大目に見てやってくれ」

 アンジェにて千里が加入した翌日の放課後、俺たち3人は漫研部の部室にやって来ていた。

「あーすずしー」

「おい香山!おまえ普通に涼んでるんじゃねえ!」

 椅子に座って寛ぐ俺に、ヒョロ長が大声で罵倒する。

 漫研部の部室にはエアコンが完備されており、廊下と比べると快適この上ない。現代技術の最先端を感じる。現代っ子で良かった。

「いいじゃん別に。これで漫研部の部費が増すってわけでもないんだし。ほら、お互いにWIN―WINってやつ?」

「どこがお互いなんだよ!勝ってるのお前たちだけじゃないか!」

「あ、バレちゃった?」

 俺はてへっと可愛らしく舌を出す。もちろん完全に昨日の千里の受け売りである。悪気や悪意はないよ?

「いいからさっさと出てけよ……!」

「いやー、そう言わないでさ、村主の情報を教えてくれよ」

「だから知らないっての!あいつは今日も部活に来てないんだよ!」

 椅子に座る俺の肩口を掴んで、ヒョロ長は強制的に俺を部室の外に追い出そうとする。

 高槻と千里は、無言でその様子を端の方で見ていた。

「あはは……」

 千里は始めて来る漫研部の雰囲気を確かめるように、きょろきょろと部室内の様子を伺う。本棚に置いてある漫画やゲームのタイトルを見るだけでも、千里がソワソワする気持ちは分からんことはない。自分達が理解のできないものに囲まれるというのは、なかなか恐怖を掻き立てられるものがある。っていうか、やっぱりゲームも漫画も肌色の割合が多いと思う。

「大丈夫よ。確かにこいつらはみんなキモいけど、今ここにいる奴らはきっとちりに実害はかけないから」

「『確かに』じゃないから!あと普通にキモいって言うなよ!」

 俺の肩を掴んだヒョロ長が高槻にツッコむ。こいつ今日は絶好調だな。今は黒金部長がいないからだろうか。同じ学年とは言え、やっぱり部長がいると、変なところで気を使うのかもしれない。

 鼻息を荒くしたヒョロ長に、俺は再度同じ質問を繰り返す。

「本当に村主のこと、誰も知らないのか?昨日みたいに一回部室来たとかないのか?」

「だから、知らないって言ってる……」

『村主なら、まだ学校にいるはずだよ。今日学校に来てたし』

 ヒョロ長の後ろから別の声が発せられる。

『ヒョロ長』でも『のんのん』でも、もちろん黒金でもない、メガネをはめた部員が立っていた。

 見覚えのない痩せ形の小さい男。そのレンズの厚さは5ミリ以上あるであろう眼鏡を、くいっと上げる。

「……だれ?」

「…………」

 無言の部室内。静かな漫研部の中で、冷房の送風動作音だけがそよそよと響く。

 俺は高槻を手で近くに招き、耳元でこっそりと尋ねる。

「……こないだ俺達が来た時、こんな奴いたか?」

「全く見覚えないわ!」

 高槻は腕を組んだまま、仁王立ちで断言する。こいつは本人を傷つけないように、なんて微塵も思わない。気持ちが良い返事だ。一刀両断とはまさにこのことである。

「ひ、ひどい……」

 目の前の部員はがっくりと落ち込む。登場していきなり落ち込まないといけないなんて、こいつもなかなか大変だな……

 まあ、それはさておき、こいつのあだ名は何にしよう。とりあえずレンズが分厚いから、しばらくはレンズでいいか。とか言いつつも、こういうのは一度決まったら、大抵変わることがないんだけどね。だからこそ覚えやすいのがいい。よし、それで決定。

 肩を掴んだヒョロ長の手を軽くどけて、俺は立ち上がりレンズに近づく。

「ま、お前のことはいいんだ。村主のことを教えてくれ」

「……それ、僕を落ち込ませるために、わざと言ってない?」

「そんなことないぞ?本心を伝えているだけだ」

「じゃあ、余計にたちが悪いよ……」

 レンズはまたがくりと首を落とす。

 俺はレンズに問いかける。今この部室で頼りになるのは、こいつしかいないからな。影が薄かろうと、頼りになる奴はなる。RPGだって、街中にいるモブキャラが攻略のカギを握っていることも少なくない。

「村主が学校に来てたってのは本当なのか?」

「うん。だって、同じクラスだから。普通に授業も受けてた」

「なるほど。それで、今どこにいるかは……」

「ごめん、さすがにそれは分かんない。けど、おそらくまだ校内にはいるんじゃないかな?ホームルームが終わっても、帰る素振りはなかったし」

「そうか……」

 俺の気持ちを代弁するかのように、高槻が俺の隣であからさまに大きなため息をつく。

「全く、所詮モブはモブね。やっぱ重要な情報は、それなりの人間しか持っていないってことかしら」

「お前、言わなくても良いことを、これでもかってくらいハッキリと明言するな……」

 高槻の言葉を聞いて、レンズはまた肩を落とす。こいつ、この数分の間に何回落胆したんだろうな……少しだけ同情する。次来るときは、こいつにこっそり栄養ドリンクでも差し入れしてやろう。

 結局分かったのは、村主はまだおそらく学校の中にいるということと、レンズのメンタルがかなり弱いということだけである。レンズにとっては、全く割の合わない話だ。

「さて、どうする?校内にいるのは分かったけど、このままここにいてもしょうがないぞ?」

「そうね……じゃあとりあえず、せっかくメンバーも増えたことだし、おとり捜査でもしてみる?」

 そう言って高槻と俺は無言で頷き、同時にそーっと千里の方を見る。

「……へ?」

 千里は訳も分からず呆然としたまま、ただただ目をパチクリとしていた。


                  ×       ×        ×


 裸足の女子高生佐倉千里は、制服のまま切なげに窓から外を見つめている。その姿は全体的に水気を帯びており、白いワイシャツの背中から水色のラインが薄く浮き上がっている。スカートからも、ポタポタといくつもの滴が落ちている。

 そんな千里の制服姿は、通常の学生生活とは、明らかに異質である。だって、こんな天気の良い五月晴れの日に、これだけびしょ濡れになった女子高生なんて、普通いないもの。

「ここに来る直前に、漫研部の奴らに聞いた村主の趣味嗜好を考慮して、千里をアレンジしてみました」

「へー?なおのくせに、やるじゃない」

 俺たち3人は、教室棟の北階段、1階から2階に上がる踊場にやってきた。ここは、昨日高槻が自らの体をおとりとして、村主をおびき寄せた場所だ。その場所でおとりを変えて、もう一度捜査を行おうというわけである。

「ま、俺も健全な高校生だからな。思春期の少年がどうしたら食いつくかなんて、想像も容易い。撒き餌なんてしなくとも、簡単に釣れる」

 ヒョロ長とレンズに聞いたところ、村主は以前水で濡れるシチュエーションの同人誌を必死に集めていた過去があるとのことだった。どうやら濡れている女性に興奮を覚えるらしい。なかなかマニアックな男だぜ、村主。だが、俺も分からないことはないぞ……いいよね、濡れた制服と裸足って。ゲリラ豪雨とか、わりとラッキーだったりするよね、うんうん。

「加えて、その姿のまま千里には窓から外を眺めてもらうことで、それっぽい雰囲気を出してみました」

「それっぽい雰囲気?」

 高槻が不思議そうな表情で俺に聞き返す。

「男ってのは、その姿からシチュエーションを勝手に想像してテンションを上げられる生き物なんだ。だから、水に濡れた千里が外を切なげに眺めるという非日常感を演出することで、その姿を見たものは各々独自のストーリーを構築する。簡単に言えば、全部がエロストーリーに直結するんだよ」

「バカね……」

「ああ、バカなんだ。悲しいくらいにな……」


 しかし、『濡れてくれ!』という無茶な要望には、さすがの千里も全力で抵抗した。これだけ聞くと、なかなか衝撃的なセリフである。千里が嫌がるのも無理もない。仮に相手が千里じゃなかったとしても、普通は拒否するだろう。っていうかもう軽いセクハラみたいなもんだよね、このお願い。

「絶対無理!!」

 最初は千里もそう言ってブンブンと首を振っていたが、高槻の脅しにも近いお願いには敵わなかったようである。

「ちり、お願い……痛くはしないから、ね?」

 そう言われた千里は、半泣きになりながらしぶしぶ靴下を脱いでいた。高槻効果の威力を痛感する。

 すまない千里。お前の体を張ったおとり捜査は、決して無駄にはしない。ついでに、俺の脳内にしっかりと焼き付けさせてもらう。ついでだよ?ラッキーだとかそんなこと全然思ってないよ?

 もちろん水をかけるのは俺も抵抗があったのだが、千里は『ここまできたらもう全力でやる!』と言って、自らも水をかけていた。おそらく半分やけになっていたのだろう。バケツに入った水を自分で頭から被っていた。


 そんなこんなで、おとり捜査のシチュエーションはばっちりである。俺たちは階段横の自販機にこっそり隠れた。あとはターゲットが来るのを待つだけである。

 おとりとなる千里の方も、濡れた制服をまといながら、くしゃみをしないよう必死に我慢しているようだ。

「でも、こんなので本当に来るの……?」

 珍しく弱気な高槻。そんな高槻に、俺は胸を張って言う。

「大丈夫だ。思春期の男子を信じろ。奴は必ずやってくる」

「いや、その思春期が信じられないから、今こうしてあいつを捕まえようとしてるのよ……」

 不安そうな高槻が、ハアとため息をついたその瞬間だった。

「しっ!ほら、来たぞ!」

「えっ?!もう!?ウソでしょ?!」

 高槻が俺の横から階段を覗き込む。

 ポケットに手を入れながら、村主が階段下に現れたのである。何気ない素振りで、フラフラと歩いてやって来た。

「やっぱりあいつだったのね……っていうか、いくらなんでも早すぎじゃない?!」

 高槻が動揺する中、俺は無言で冷静に頷く。

「それが思春期の男子高校生の感度ってことだ。奴らのアンテナは、どこにいてもエロを見つけ出せる精度を持ってる」

「……それ、あんたもでしょ?」

 またも高槻が大きなため息を吐く。男の馬鹿さに呆れているようだ。俺だって呆れるぜ。けど、こればかりは一生かかっても互いに理解できないだろうさ……

 村主は階段を上がることなく、きょろきょろと周囲を見回している。隠れている俺たちにはまだ気付いていないようだ。

「あいつ……階段下で何やってるの?」

「おそらく、誰かに見つかることのないよう索敵しているんだろう。きっと視界だけでなく、聴力もフル活用しているはずだ。誰かが近づいて来れば、その瞬間に盗撮を中断するために」

「その能力、別のことに活かすことができれば、もっとすごいことになってるんじゃない?」

「男はみんなそんなもんだよ……」

 情けないが、俺たちは結局そこに負けてしまう。そうやって人類はこれまで歴史を繰り返してきたのだ。何千年、何万年経ったとしても、根本は結局変わらないのである。

 周囲の確認を終えた村主が、階段を上り始めた。千里との距離を確認するように、足音を立てないでゆっくりと歩いていく。まだポケットからその手は出していない。

「段々とちりに近づいていくわね……」

「ああ。お前も頼むぞ」

「分かってるわよ。こんなチャンス、逃すわけないわ」

 高槻は隣でうつ伏せの体制をとり、小さなバズーカを構える。

 静かに息を飲む2人。

 村主は千里へと徐々に近づいていく。その距離約5m、4m、3m、2m……

 その瞬間、村主がポケットから手を出した。……その右手にはしっかりとスマホが握られていた。……今だ!

「さあ、来い!神風っ!!」

 俺は自販機の隣で、力いっぱい拳を掲げ、息吹を呼び込む。

「……ゴゴゴゴ」

 校舎の外から地響きのような音が一気に伝わってくる。その瞬間、千里が眺めていた窓に、ブワッと突風が吹きこんだ。

 階段付近に入ってきた突風は、階段の吹き抜けを勢いよく伝っていく。逃げ場を失った踊り場独特の不規則な凱旋気流が下から突き上げる。そして同時に、風は千里のスカートを浮き上がらせる。

 村主もこのチャンスを逃さまいとして、必死にスマホを千里に向ける。

 千里は突然のことに驚いていたが、必死に平然を装おうとしていた。何事もないように、俺が指示した通り外を眺めている。さすがにこの突風の中、外を眺めているのは若干不自然ではあるけれど。

「……あんた、その能力なんなの?」

 高槻の質問に、俺はゆっくりと首を横に振る。

「違うよ。これは能力なんかじゃないさ。全ての思春期の男子が持つ純粋な思い。その強い願いとも呼べる思いが天に届いたとき、神風を呼び寄せることができるんだ!」

「……よく分かんないけど、簡単に言うとエロスに対する執着ってことでいいかしら?」

「まあ、そんなとこだな。悲しくなるから、あんまり簡単に言わないでほしいけどな」

 男子高校生の情念は、天候さえも変えてしまうのである。エロスは偉大である。大地讃頌。

 神風は次第に力をなくし、落ち着いたその踊り場には、また初夏の爽やかな風がそよそよと流れ込む。 

 そんな中、何事もなかったかのように、村主は千里の横を通り過ぎる。

 ここからでは角度的に見えないが、その表情はおそらく高揚感に満ちているだろう。あいつ……許せない!もちろん色んな意味で!

「……そっちは上手くいったか?」

 俺の問いかけに、うつ伏せになっていたスナイパー状態の高槻がニヤリと微笑む。

「もちろんよ。完璧だわ」

「よし……じゃあちょっと行ってくる」

 親指を高槻に向かって突き立てると、それを見た高槻は静かに頷いた。

 俺は全力で階段を上り、千里の横を駆け抜ける。

「お疲れ、千里。ありがとな。良い感じだったよ」

「あ、なおくん……うん!」

 そして、俺はその先にいた村主の左手首を掴む。見た目通りの、肉厚な感触が俺の手に伝わる。

「はい、そこのオタクさん止まりなさーい」

「えっ?!なにっ!?」

 突然手首を捕まれ、状況も分からないままパニックになる村主。左右に首を振って、面白いほどあからさまに動揺する。

「昨日ぶりだな、村主。2階から飛び降りて打った尻の調子はどうだ?」

「き、君は昨日の……」

「おっ?ちゃんと覚えてくれてたんだな。覚えててもらえて、俺も嬉しいよ」

 俺は戸惑う村主に対し、にこやかな作り笑顔を見せる。

「ま、細かい説明は後でいいか……」

 村主は動揺していたが、その右手はポケットの中に隠すようにしていた。

「ほら、さっさとスマホを出せ。その右手だよ」

「えっ?!」

「もうバレてるんだよ。お前が今やったことも、昨日わざわざ窓から飛び降りなきゃいけなかった理由も」

 その言葉を聞いた瞬間、さっきまであれだけ動揺していたはずの村主がピタッと動きを止めた。そして、真顔で俺の顔をじーっと見つめる。

「……」

「な、なんだよ……?」

 村主は鼻から、ふんと大きく息を吐き出す。

「ふーん、そうなんだ。バレちゃったんだ」

 不思議なほどに冷静な村主は、ニヤニヤした表情を俺に見せる。決して爽やかとは言えないその笑顔は、俺に不快感を与えるのには申し分なかった。

「いいよ、じゃあ見せてあげる」

 そう言って村主は、自分のポケットからゴソゴソとスマホを取り出す。

「ほら。君が探していたのはこれでしょ?」

 村主は俺に早くしろと言わんばかりに、あごで俺を催促する。

 ……やけに素直に差し出したな?チラッと一度その表情を確認すると、まだ村主はニヤついていた。

「…………」

 挑発的な村主の態度に返事をすることなく、村主の死んだ魚のような目を睨み付けたまま、その手から俺はスマホを奪う。

 スリープボタンを押すと、二次元の可愛らしい女の子のロック画面がふわりと浮かび上がった。ついさっきまで触っていたからか、ロックはかかっていなかった。

 ホーム画面から、写真アプリを起動して、画像を確認していく。緊張の瞬間。

「……な、なんだこれはっ!!!」

 スマホのフォルダには、漫研部にあった漫画の表紙のような卑猥な二次元の画像ばかり。しかも、どれも水に濡れてびしょびしょになった女の子のイラストばかりだ。ひたすら下にスライドさせていっても、別の濡れた美少女(※2次元に限る)が次々と現れてくるだけだ。

「いや、別に俺はお前のマニアックな性癖を知りたいわけじゃないんだけど……」

 村主にそういう趣味があるのは、漫研部の奴らから聞いたから知っている。というか、だから今その情報を参考にしてアレンジした千里が目の前にいるのだ。これじゃただ俺が、村主の性癖の再確認をしているだけである。

 諦めることなく、俺は別のフォルダを探しにかかる。しかし、どこを見ても、さっき撮ったはずの千里の写真は出てこない。それどころか、1枚も盗撮写真が出てこない。ほとんどが2次元の女の子の画像ばかり、ということもあるが。

「……残ってない?」

 間違いなく、さっき撮っていたはずなのに……

 消した?いや、そんなことはない。撮った後に、証拠を隠滅するような時間はなかったはずだ。撮影後におかしな動きがあれば、高槻だって気付くだろう。もちろん俺も村主のそんな様子は伺えなかった。

「くっくっく……」

 村主が俯きながら、手首で声を抑えるようにして、笑い声を上げる。

「証拠がなければ、捕まえることはできないよなあ?」

 気持ち悪くニヤニヤと笑う村主。その表情に、反省の色は全く見られない。

「証拠はあるわ!」

 突然、いつの間にか俺の後ろに来ていた高槻が自信満々に声を上げる。

 高槻は一度俺にアイコンタクトをして、再度村主を睨み付けた。

「これでもまだ証拠がないって言えるかしら?」

 高槻がカメラの液晶を村主に突き付ける。

「なっ……?!」

 高槻が突き付けた一眼レフの画面には、しっかりとその場面が写されていた。水でベタベタになった千里の背後から迫り、スマホを下から向けているその瞬間を。

「フルサイズ一眼の高解像度にしか出来ない技ね!」


 実はこの作戦を実行する直前、高槻が新聞部に寄りたいと言うので、俺たちは付いて行っていた。一人で大丈夫だと言う高槻が新聞部の部室に入り、俺は廊下でしばらく待っていた。そして、ガララと扉を開けた高槻が、一眼レフと小さなバズーカのような外観の望遠レンズを両手に抱えて部室から出てきたのである。

 本人は新聞部にツテがあるのだと言い張っていたが、俺の推測ではおそらくあれは借りたのではない。レンタルという名の強奪をしてきたのだろう。……あとでちゃんと新聞部に返しにいこう。


「わ、分かった!何でもする!そうだ!取引をしよう!!な、何をしたら許してくれる!?」

 そんな高槻の持つ一眼レフの液晶を見て、慌てふためく村主は動揺してフラフラと後ろに下がる。そのまま壁に背中をぶつけた村主は、ガクガクと首をすくめて俺たちに許しを請う。

 そんな盗撮男の哀れな姿を目の当たりにして、一歩一歩その距離感を確認するように高槻は静かに村主へと近寄っていく。

 俺はてっきり高槻は激高して殴りかかるくらいのことはすると思っていたのだけど、現実的には意外と冷静な様子である。

「はあ?何を勘違いしているのかしら?私は取引なんてするつもり、さらさらないんだけど」

 高槻は不敵な笑みを村主に投げかける。村主と俺は、ほぼ同時に唾を飲み込む。

「あんたがあの子にしたように、私もこの写真を自主的に机の中に入れておこうかと思って」

 高槻は村主の襟を握り、グッと手前に引き付ける。

「……校内全員の机に、ね?」

 高槻の声色がガラッと変わる。低く、少しかすれたその声は、村主の喉元に鋭利な刃物を突き立てているような錯覚を覚えるほど、本能へとダイレクトに高槻の危険性を訴えかけた。

 俺は勘違いしていた。やっぱり高槻は完全に怒っていた。ただ、その感情の表現方法が俺の想像を遥かに超えていたのだ。目には目を、歯には歯を、という言葉があるが、高槻のは『目には拳を』くらいの制裁である。やられたことを同じだけ返す程度では、気が済まないということだろうか。

 ただ、今回の件に関しては、それくらいやっても仕方ないだろうと俺も思う。高槻だけでなく、千里を始めとした全校生徒が被害を被っているのだ。しかも、後追いでその写真を送り付ける嫌がらせも実行している。

 これほど陰湿なことをしてきたのだから、それだけの報いは受けるべきである。

 高槻は続けざまに、怯えきった村主へと追い打ちをかける。

「それが嫌なら、これまで撮った写真を全て出しなさい!」

「それは……できないんだ……」

 観念したかのように思えた村主が、高槻に襟を掴まれたまま首を横に振った。

「……あんた、まだ折れないつもり?バカなの?本当に社会的に抹殺されたいわけ?」

 顔をしかめた高槻は、理解できないという表情を前面に出し、村主を罵る。

 村主は再度強く左右に首を振り、必死になって俺たちに説明をする。

「ちがう!そういうことじゃない!本当に、俺の意志では写真を出せないんだ!」

「……どういう意味だ?」

「話す!話すから……一旦場所を変えてくれないか?」

 村主の言葉を聞いて振り返ると、数人の女生徒が俺たちの様子を眺めていた。ひそひそと何か話しているのが聞こえる。

「ほ、ほら!お前らとしても、変な風に思われたらまずいだろ……?この状況だけ見たら、どうやって噂が広がるか分かんないしさ……!」

 オロオロとしながらも、村主は俺たちを説得する。その姿は昨日窓から落ちてきて、俺の目の前で尻を打った姿そのものだった。なんとも情けないような、情けなさすぎてため息が出てしまうほどに、保身に走るその様子は必死だった。

 しかし、村主のその発言は確かに一理あった。しかもこちらは校内でも名高いあの高槻である。他の生徒たちの目にどう映るか分かったもんじゃない。それくらい人間の先入観というものは強烈であるし、曖昧だ。きっと誰も事実確認なんてしないだろう。その目にどう映ったか、それだけで全ての噂が広まっていく。あとは各々の立派な想像力と偏見が事実を変形させていくのだ。

 だからこそ、高槻がこうして村主と対峙している姿を多くの人に見られるのは、あまり賢明ではない。

 襟を掴んだままの高槻が俺の顔を見る。どうしたら良いか判断をしてくれ、ということだろう。

 俺は高槻に向かって、無言で頷く。

 高槻は目をつぶって、ふうと大きなため息を吐いた。

「分かったわ。ひとまず移動しましょう」

 高槻が襟を握っていたその右手を緩めると、村主は背中を壁に貼り付けたまま、ずりずりと床に倒れこんだ。


                   ×       ×       ×


「……で、お前らは結局またここに来るんだな」

「あはは……お邪魔しちゃって、ごめんね?」

 ヒョロ長のため息混じりの嘆きに、千里が優しく応じる。おとり作戦を実行する上で、千里の制服は濡れてしまったので、千里は体操着を着ている。濡れてしまったというか、濡らしたのは他でもない俺たちだけれど。

 村主の要望を受けた俺たちは、漫研部の部室に帰還した。俺たちの集まれるようなところは、今のところこの部室かアンジェくらいしかないし、何より村主自身が他でもない漫研部の人間だということもあり、ここに連れてきたのである。

 そのため、もちろんこのお方も立会人として参加することになる。

「すぐりぃ!!俺は情けないぞ!同じ漫研部の人間として、お前がこんなところで汚点を作るなんて……」

 黒金が部長として、泣き叫ぶような声で村主に話しかける。泣きわめくと言う方が表現としては正しいような気もするが……

 これこそがいわゆる男泣きと言うやつだろうか。しかし、近くでやられると暑苦しくてたまらん。今ので室温3℃くらい上がったんじゃない?何回きても、やっぱりこの部長だけはこの部室の中で一際違和感を覚える。外見的な意味でね。いつ見ても結局、筋肉は筋肉だ。

「ま、黒金は放っておくとして……さて、こいつをどうしたものか。」

「とりあえずさっき言ってたこと、もう一度ちゃんと説明してもらうわ」

 俺たちは床にひざまずいた村主を取り囲む。高槻は腕を組んで、ガーディアンのごとく仁王立ちする。

「ほ、本当のことを話したら、本当に許してくれるんだよな?」

「さあ?どうかしらね?でも、許される可能性は上がるでしょうね」

「可能性って……」

「まだ分からない?今さらあんたに選択肢はないの。これだけの迷惑をかけておいて、何のお咎めもなく逃げられるなんて思わない方がいいわ」

 高槻の言葉通り、村主に選択肢なんてものはない。与えられた唯一の権利は、さっさと白状してそれなりの罰を受けることだけだ。それがどんな罰を下されるかというのは、俺にも分からないけれど。

「とりあえず、俺たちは詳細が知りたいんだ。……なあ村主。お前さっき、『自分では写真が取り出せない』とか言ってたよな?それ、どういう意味だ?」

「…………」

 俺の問いかけに対して、村主はバツが悪そうにして口を紡ぐ。

「念のため言っておくけど、あんたに黙秘権なんてものは存在しないから」

「分かってるよ……そんなこと。うん、言うよ」

 高槻の幾度とない念押しにようやく心が折れたのか、村主は口を開く。

「実は俺、スマホのゲームをやってたんだ」

「…………ん?」

 村主の口から、想像していた部類のセリフとは全く違うジャンルの単語が現れ、俺は思わずきょとんとしてしまう。

「……いや、別に今お前の趣味の話とか聞いてないんだけど。……まあ逃避したくなる気持ちは分からんでもないが、時間稼ぎとかはいいから、とにかく俺の質問に答えて欲しいんだが……」

「ちがう!そうじゃない!さっき佐倉さんを撮った時も、俺はゲームをしてたんだ!」

 村主はいつになく真剣な表情で、俺たちの理解を求めるように熱く語る。その姿は少しだけ黒金の暑苦しさを踏襲しているようにも見えた。

「……盗撮してた時もゲームをしてた?」

「ああ」

「……ごめん。さっぱり言ってることが分かんないんだけど……」

「そのままの意味なんだよ。もっと簡単に言えば、盗撮ゲームだ」

「盗撮ゲーム?」

 段々と訳の分からない方向に会話が進んでいく。

「PC部の仲の良い連中に、新しい体感型ゲームの体験版があるから、これやってみろって言われて……」

 村主は正座したままスマホを操作して、俺達に見せる。

「P・P・P……?」

 そう記されたロゴが黒背景の画面に、白字でシンプルに表示されている。極めてシンプルなスタート画面。これがそのゲームなんだろうか。

「このゲームは、撮った写真がそのままサーバーに送られて、点数を判定してくれるんだ。評価される基準は5つ。①外見ランク②撮影難度③シチュエーション④レアリティ⑤エロさ」

「……なんか本当にゲームみたいだな」

「だから本当にゲームなんだって!」

 村主が念を押すように力説する。こいつにとっては譲ることの出来ないポイントなのだろうか。

「今言った5つの要素が写真の点数を決めるんだ」

「シチュエーションとかエロさっていうのは、まあ何となく基準として分かるんだが、難易度ってどういうことだ?」

「分かった。せっかくだから、全ての基準について1つずつ説明してあげよう」

 コホンと咳払いをした村主が評価基準を1つずつ説明していく。

「まず、『外見ランク』について。これは男子生徒ならみんな知っての通り、校内の美少女ランキングってのがあるだろ?これが引用された基準となる。あのランクが高ければ高いほど、点数が高くなるってこと」

「……」

 噂程度で作られていたと思われるランキングが、こんな形で活用されていたとは。まあ確かに分かりやすいっちゃ分かりやすいんだろうけど。

「次に『撮影難度』。これは文字通り、対象となるその女の子を撮るのがどれだけ難しいかってことだね。普段なかなか写真を撮らせてもらえない女子の方が必然的にポイントは高くなる。どんなゲームでも、難易度の高いクエストを攻略した時の方が報酬は大きいでしょ?それと同じだ」

「クエスト扱いかよ……」

 感覚的には、モンスターの討伐とかそんな感じなんだろうか?まあ、高槻クラスだと確かにモンスターって言っても差支えない気はするけど……

 そんなことを考えながら、横にいる高槻の方をチラッと見てみる。

「……何?」

「いや、なんでもないです」

 高槻は疑問文だけで俺を一蹴する。俺を睨み付けた目線が鬼神のように感じられた。これ以上余計なことをして怒らせると怖いから、そっとしておこう。

 村主は俺の様子を伺い、俺が落ち着いたのを確認して、また話し始める。

「そして『シチュエーション』。マンガやアニメではよくあるシーンだけど、中庭でこっそり猫と戯れてる女の子とか、授業をサボって屋上で寝ているのとかって、現実的にはちょっと特別だったりするでしょ?その写真に、どんなストーリー性があるかってことかな。だから、女の子が来ている服なんかも、この要素には大きく加味される。さっきの佐倉さんで言うと、濡れた制服で物憂げに窓から外を眺めている非日常な点が高く評価される」

 「……まあ確かに特別ではあるよな」

 そもそも、全身が水でベタベタの女子高生という時点で明らかに非日常な気もするが。まあシチュエーションが特殊なのは間違いない。

「『レアリティ』はその子の持つ『個性』とでも言おうか。例えばその子が陸上部に所属していたとする。その要素は、運動をする女の子が好きだという趣向の人たちにとっては、それはこれ以上ない大きな魅力となる。つまり、言い換えれば『マニアック度』とも言える。目に見えない部分も、採点対象になるってことだ」

「目に見えない部分って……それはどうやって得点を上げるんだ?撮る側も判断できないだろ?」

「普段の洞察力が物を言う。対象がどんな学校生活を送っているか、把握することが大切なんだ。あとはもう各々の想像力で補うしかないね。つまりこれは、撮る側の作家性や個性でもあるんだ。その子のことをどれだけ想像できるか。それにかかってくる」

 そう語る村主を、俺は冷ややかな目でじっと見つめる。

「……お前、気持ち悪いな」

「うん、口に出すと、限りなくやばいなって自分でも今思ったよ……」

 そんなことを語る自分自身が情けなくなったのか、村主は大きくため息を吐く。

「と、とにかく続ける。最後は『エロさ』。……これはもう言うまでもないかもね。どれだけその写真がエロスを含んでいるか。それに尽きる。それ以上以下もない」

「ストレートだな。まあ、分かりやすいが」

 これまで出てきた中で、一番理解しやすい要素だ。基準もかなり明確である。

「もちろん、全てをさらけ出すことが良いわけじゃない。そんなのはエロスじゃない、ただの痴女だ。女性の隠れたエロスについて考察することは、男にとっての義務だからね」

「義務じゃねえよ……」

 確固たる持論を展開し始める村主に、思わずツッコんでしまう。ただ、隠れたエロスについてはもちろん考えたことあるけどね。義務じゃないけど。好奇心とか欲望から来てるから、義務とは決定的に真逆だ。

「とにかく、この5要素を総合的に評価して、写真の得点が決定されるんだ。つまり、いくら美少女としての校内ランクが高くても、その難易度が低ければ、全体としてはそれなりの総合点にしかならない」

「全ての要素でポイントが高くないと総合点が上がらないってことか?」

 村主は黙って、頷く。

「……だから俺は高槻さんをターゲットにしたんだ。校内美少女ランキング上位ランカーであり、なおかつ最も撮影難度の高い高槻さんをね」

 確かにそうやって説明をされれば、高槻が何度も狙われたことは理解ができる。もちろん高槻にとっては、迷惑極まりない話だが。ゲーム感覚で自分が撮られるなんて、それこそ玩具として扱われているのと同じである。

「そして、ここからがこのゲームで最も大事なところ。どうしてみんなが高得点を狙おうとするか、という話だね」

「……確かに、自分の身を危険にさらしてまで、盗撮をするのはリスクが高すぎるよな。わざわざ高槻を狙おうなんて、本当に自殺行為に近いわけだし。何かそれなりの理由がないと」

 こいつは実際に高槻から逃げるため、窓から飛び降りているわけだし、さすがにリスクとリターンのバランスが悪すぎる。

「そう。そこにネットを利用したゲームとしての面白さがあるんだ」

「面白さ……?」

「総合点の高い写真を何枚もアップすることによって、俺たちにも順位が付けられる。その順位によって、自分だけでなく他の人が撮った写真でさえも見ることが出来るようになるんだ」

「……なんか本当にソシャゲみたいだな。完全にクズ方向にベクトルが向いてるけど」

 思春期真っ盛りの男子高校生の好奇心を利用したゲーム。ゲーム性を高め、撮る側の競争効果を生むことで、より過激な盗撮写真が集まっていく。

「そういうこと。だから、俺たちは自分たちで撮った写真を普段見ることはできないんだ。もちろんある程度レベルが高くなれば別だけどね」

「さっきの『自分では写真が出せない』、ってのはそういうことか……」

「ま、俺の頭の中には、佐倉さんの濡れた制服姿がしっかりと高解像度で脳内保管してあるから、問題はないけどね」

 そう言って、村主はドヤ顔でふんと鼻を鳴らした。

「マジでクズだな……」

 ため息も出ないほどの話を聞かされた俺の心情とは対称的に、語り終えた村主は満足げな表情をしている。

 男子高校生のバカさには、つくづく呆れてしまう。いや、もちろん俺自身もそうだけど。そりゃ確かにさっき佐倉の濡れた姿にちょっとテンション上がっちゃってたけど。男って本当バカだなあ……

「…………」

 コツコツと静かな足音とともに、高槻が村主に無言で近づく。

「……ん?」

 正座をしたまま目をパチパチとさせる村主の前で、高槻は大きく右足を振りかぶった。

「マジでキモい……」

「え……?」

 高槻は真顔で、村主の顔面に全力の蹴りを入れた。

『ドォォオン!』という激しい衝突音が教室に響き渡る。サッカーのダイレクトボレーシュートのような美しい蹴りが見事決まった。

「えええええええええ????!!!!!」

 高槻の蹴りにより、数メートルぶっ飛んだ村主が頬を抑えながら突然の出来事に訴えかける。

「あまりに気持ち悪かったから、つい」

「相変わらず派手にいくな……」 

 噂通りの高槻の仕事っぷりに、俺も苦笑いしてしまう。学内一の問題児、ここにあり。

 まあでも、高槻の気持ちは分かる。今の話はさすがに俺も気持ち悪いと思ったからな。高槻が蹴りたくなるのも分からんことはない。

 頬を必死にさする村主は放っておくとして、今すぐやらないといけないことがある。

 俺は部室の中にあった椅子に座って、自分のスマホをポケットから取り出し、そのゲームを検索してみることにした。

「……ねえ。あんたもしかして、そのアプリをダウンロードしようとしてるの?」

「女の子の前で、堂々と……なおくん大胆です」

「この変態。痴漢。死ね」

 高槻からあられもない罵声を浴びせられる。っていうか、千里まで俺のことそういう目で見てるの?それはちょっと普通に悲しいんだけど。

「違うっつーの。やっぱ、出てこないな……」

 とりあえず検索してみたが、一向にそれらしいものは出てこない。名前で検索しても、システムの内容で検索をかけても、検索結果には全く現れてこない。

「なあ村主。そんなゲーム、どう探したって出てこないぞ。いくら体験版だとは言っても、さすがにこれだけ出てこないのはおかしくないか?……村主、お前まさか嘘ついてるんじゃ……」

 俺は再度村主に疑いの眼差しを向ける。

「いや、ちょっと待って!ほら、このアプリだから!」

 村主が自らを証言するかのごとく、慌てて自分のスマホを取り出し、アプリを起動する。まあ本来は、自分からそんなゲームやってることをアピールするのはおかしいんだけどね。

「……なあ。それ、どうやって入れた?」

 頭に浮かんだ疑問を確認するため、俺は村主に質問する。

「PC部の奴が入れてくれたんだ。てっきり普通にネットからダウンロードしたものだとばかり思ってたけど……」

「やっぱりか……」

 公開アプリとして自分で入れることが出来ない。そして、体験版という言葉。その二つの要素から推測される結論は。

「……行くわよ」

 高槻が誰に呟くでもなく、ボソリと声を出す。ああ、話が早いなあ……理解するだけならともかく、すぐ行動に反映される。さすが校内一の無鉄砲。伊達じゃないです。

 その言葉を聞いた千里は、きょとんとしている。

「へ?どこへ?」

「PC部に乗り込むに決まってるでしょ!」

 ま、これまでの流れだとそうなりますよね……悲しいかな、いつも迷いのない高槻の言動がなんとなく推測できるようになってきた。

 俺は千里にアイコンタクトをする。俺の言いたいことを理解した千里が、笑顔で頷く。

 勢いに任せて、俺たちは先に歩き始めた高槻の後ろに付いて行くことにした。

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