その364 クドリャフカさんの愉快な日常

 私たちがそのコンクリート建築に足を踏み入れると、――


「おら、鳴け! ブタのように! クソ太郎!」

「ぷぎぃ――――――――――ぷぎぎぃぃぃぃ!」


 という不穏な声が聞こえてきます。


「ほらほら! 欲しいって言ってごらん!」

「ほ、ほ、ほ、ほし……」

「ブタが! しゃべってんじゃ! ないよ!」


 そして、ぴしりぴしりと鞭がしなる音。

 嫌な予感をさせながら分厚い扉を開くと、――人気のない、ごく一般的なオフィスの真ん中で、一組のカップルがあまり保健の教科書には掲載されていないタイプの性交渉をしているご様子でした。

 私、見なかったことにして、ゆっくりと扉を閉めます。


「ごゆるりと……」

「おーうクドリャフカ! ちょうしどう?」

「あっダメ、ニャッキーは観ちゃダメ」

「わあ! ねーちゃん、のぞき穴……じゃない、眼球に手を当てるな、痛い!」


 私たちがまごまごしている間、舞以さんがため息を吐きながら、


「おつかれ、工藤」

「お、左右田ちゃんおつかれー」


 応えたのは、カップルのうち一方。灰色に染めたふっさふさのツインテールが特徴的な、やや幼児体型の女性でした。

 この”非現実の王国”に住む者であればほぼ全員に見覚えがあるであろう彼女は、――クドリャフカという名前で毎日、公式のランキング動画を上げています。


「まーた、太郎くんをいじめてるの?」

「いじめてないよ。愛だよ」

「ほどほどにしなよ」


 私は、部屋の隅でぶるぶる震えている男性の背中の生々しい傷痕に目を見張りました。

 これ、本当に……合意の上で行われてることなのかしら?


「ところで、――見てわかるとおり、取り込み中なんだけど」

「仕事しろ」

「今日の動画なら、もうとっくに撮影終わって編集に回したよ」

「そっちじゃない。麗華との謁見申請」

「あー……そっちね」


 彼女、汗に濡れたスポーツブラをぽいっと投げて、男の子のような上半身を露出させながら、クローゼットから新しいのを取り出します。

 人前で肌を晒して、この堂々たる態度。

 これぞカリスマの在り方、といいましょうか。


 ちなみに、どうやらこの建物、彼女の住処でもあるみたいですねー。

 ”賭博師”さんもそうでしたが、ヴィヴィアンのみんなはどうも、仕事場を自宅にしたがる習い性でもあるみたい。


「外のやつらがうるさいから、ここのところ受付を締め切ってたのよ」

「それで昼間っから遊んでたのか」

「そーいうこと。みんなと違って私はネタ出しに困ることもないから。暇でねー」

「夢の国にいて、退屈しのぎに困るってのも皮肉ね……」

「でもそこんとこ、麗華も一緒みたい。ここんとこのブームはあの『もの申す系』どもとの議論だったみたいだし、よっぽどやることがないんだわ」


 へえ。

 女王様って案外、退屈なものなんでしょうか。

 まあ、いかに豪勢な生活を嗜んだとしても、同じような刺激には慣れちゃうものみたいですし。

 トラブルのない人生というのも案外、つまらないものなのかもしれませんね。


「でも、さすがに最近では議論が堂々巡りになったからねー。センシティブなコンテンツの線引きとか。男の乳首はオッケーなのに女の乳首はなんでダメなの? とか。そーいう結論の出にくい議題ばっかり持ってくるから、『もの申す系』はしばらく通さないことにしてる」

「じゃ、我らが女王様にとっては、新たな話し相手を連れてきたってとこかしら」


 舞以さんがこちらにウインクしてみせて、

 

「ほら。彼女、”王国”の救世主さまよ」

 

 私は控えめに会釈します。


「あ、どうも……」

「ん。――さっきからいつ紹介してくれるのか、ずっと楽しみにしてた! こんにちは、”名無しのJK”! あなたの動画、ぜんぶ見てるよん」

「ありがとうございます」

「それでそれで? 次の新作はいつ?」

「ナナミさんと、”無限湧き”の扉の向こうを探検したやつです。そのうち上がるんじゃないかと」

「ナナミが『センセーショナルな内容になる』とか言ってた奴か! たのしみだ!」


 そしてクドリャフカさん、ニコニコ笑顔のまま、


「ねえ、――先輩。そろそろ空気読んで、準備し始めてもらえる?」


 と、我々に向けるのとは違った冷たい口調で、部屋の隅にいる男性に命じます。

 男性は、すっかり怯えきった表情でこちらを見上げて、動きません。


「おい……っ、さっさと動けって……指示待ちのゴミがよ……」


 クドリャフカさんはそう苛立たしげに囁きながら彼に歩み寄り、裸の上半身にローキックを何度か繰り出しました。


「おらっ、おら! どうした? まだご褒美がほしいのっ、先輩! とんでもない変態ねっ!」

「ううっ……ううっ……」


 彼女がその細い足を使うほど、彼の白い肌に生々しい打撲傷が出来上がってきます。

 私は完全にドン引きしていましたが、舞以さんもクドリャフカさんも、特に動じた様子はなく。

 プレイっていってもこれ、限度があるんじゃ……。しかもこれ男性の方、どうも本気で苦しんでるみたいですし。


「……いつもこうなんですか?」


 訊ねると、


「まあ、そうかな」


 そういう舞以さんは私に、「ああ、かつても自分もこうだったな」っていう、慈母のような目つきを向けていました。

 ……ってことは、これが彼女たちの”日常”ってことなのかな。


「ごめんね~。私、機械音痴だからさ。――先輩がやる気になったら、すぐに麗華と繋いであげるからね」


 こっち側に向ける表情は基本的に「世話焼きお姉さん」って感じなのがすごい怖い、この人。

 動画でもわりとヘンテコなキャラしてましたけど、……まさかここまでとは。


「おらっ! これが欲しいのか! 欲しいっていってみてよ! ねえはやく! はやく!」

「ほ……ほし……」

「ブタがしゃべるなァ!」

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